第36話 区別
昨日は学校から白雪とそのまま家まで帰ったが、今日は一人で帰ることになった。
白雪からニャインが来て、『20時ぐらいにお家に行くね』と連絡があったのだ。
今日も泊まるつもりらしく、夕食と風呂を済ませてくるのだそう。
以前ならよく親御さんが許可してくれたなと思うものだが、彼女の母親と色々話した今となってはむず痒さを覚えるばかり。
そんなわけで一足先に家に帰った俺は、白雪が来るまでの間に風呂に入り、夕食を摂っていた。
手元でスマホをいじり、ニャインを開く。
そのトーク画面にはまた一人、新しい連絡先が追加されていた。
俺は今日の放課後に連絡先を交換したばかりの相手――蓮とのトークを開く。
連絡先を交換した後の挨拶はなく、蓮からはただ一行だけメッセージが来ていた。
『俺、この後に告るからな』
相手は言わずもがな、白雪だろう。
実際俺と連絡先を交換した後、蓮は白雪に話しかけていた。
事の顛末がどうなったかは知らない。
俺はそれを見ることもせず、素直に家に帰ってきていた。
いくら友だちで事前に知らされていたとはいえ、人の告白を覗き見るものではないだろう。
そして今に至り、とっくに告白の結果は出ているだろうが、蓮からは一向に何のメッセージも送られていなかった。
友だちなら、こちらから訊ねるべきなのだろうか。
そう思う度に、あの体育館での会話が脳裏をよぎってキーボードをタップする指が止まる。
結局俺は蓮になんの連絡もできずに、約束の20時を迎えた。
皿洗いをしていると、インターフォンが鳴った。
モニターを確認すると、私服姿の白雪が所在なげにしていた。
「今開ける」とだけ言ってエントランスのロックを解除した。
程なくして、もう一度インターフォンが鳴り、俺は玄関へ向かった。
扉を開けると、ボストンバッグを肩にかけた白雪が立っていた。
「悪いな、わざわざ。ところでどうしたんだ、その荷物は」
「ん、これ? 明日使う教材と、着替えが数着。後は制服かな」
「着替えが数着って……」
「毎日取りに帰るよりも、神原くんの家に置いといた方がいいかなって。……迷惑だったかな?」
「……いや、俺はかまわないけど。っ、と、とにかく入ってくれ」
「お邪魔しまーす」
俺の隣をするりと抜けるようにして白雪が家に入ってくる。
白雪の髪がなびき、ふわりとシャンプーの香りが漂ってきた。
「バスで来たのか?」
「ううん、お母さんに送ってもらったの。『仲良くね』だって」
「……そ、そうか」
何か意味ありげなメッセージにたじろぐ。
「神原くんはもうお風呂もご飯も済ませた?」
「ああ。白雪も家で済ませてくるって言ってたから」
「そっか」
白雪はリビングの空いているところにボストンバッグを置きながらこちらを振り返る。
「それじゃあ……一緒に寝よ?」
◆ ◆ ◆
以前に白雪が持ち込んだ布団はリビングに置かれたまま。
俺と白雪は、一つのベッドの上で並んで横になっていた。
この状況への疑問はもう抱かない。
俺が寝るために白雪の添い寝が必要で、どうせ一緒のベッドに入るなら、そのまま寝ればいいという白雪の判断だった。
「リビングの布団、敷いておかなくてよかったのか? 昨日はあんまり寝れなかったって言ってたけど、俺が寝た後にでも使えば――」
「いいの、大丈夫」
「そうか」
気を回したつもりだったが、白雪はすぐに断る。
そうして横になり始めて数分。
唐突に白雪が口を開く。
「飯田くんと、仲直りしたんだね。体育館で握手してたけど」
「……ああ。朝には謝罪されてさ、白雪の言ってたことは合ってたな。……友だちにもなった」
「ふふっ、じゃあ今日はさーちゃんとも飯田くんとも友だちになれたんだね」
「嬉しそうだな」
「そりゃ嬉しいに決まってるよ。やっと皆も神原くんの魅力に気付いたみたいで」
「魅力って……」
なんだか照れくさくなって俺は彼女に背を向ける。
すると、白雪は僅かに身を動かして、俺との距離を詰めてきた。
……今さら考えても仕方のないことだが、もう少し大きいベッドにすればよかった。
「…………ね、聞いてくれないんだ」
不意に、どこか寂しげな声が囁かれる。
「なにを?」
「飯田くんに告白されたこと」
「……っ」
びっくりして白雪の方を見る。
先ほどよりも近い距離に白雪がいる。
彼女はジッと、少し怒っているみたいな眼差しを向けてきた。
「飯田くんに告白された後に聞いたよ。今日私に告白すること、神原くんにも話してるって」
「……どうしてそんな。いや、白雪に聞いてもわからないか」
今すぐにでも理由を訊くために蓮にメッセージを送りたくなったが、生憎とスマホはすでに俺の手元にはない。
刺すような視線に居心地の悪さを覚えながら俺は弁明する。……いや、本来弁明する必要なんてないはずだが、なぜだかその必要に駆られた。
「二人の話に部外者の俺が首を突っ込むわけにもいかないだろ?」
「部外者……うん、そうだよね。私たちはただの友だち、だもんね」
白雪が寂しそうに呟く。
その姿に罪悪感を抱くと共に、蓮とのやり取りが蘇ってくる。
あれは蓮と友だちになった直後。勢いで彼に恋愛相談を持ちかけた時だった。
俺の話を聞いた蓮は怪訝そうな顔で吐き捨てる。
「ライクかラブのちがいぃ? はっ、くだらねぇ。そんなのヤリたいかどうかだろ」
「ヤ、ヤる?!」
「良い子ぶんなよ。お前も男なんだ、そういう目で見たことのあるやつぐらいいるだろ? 俺にとって女子を好きになるのはそういうことだよ」
なんというか、蓮らしい豪快な答えだった。
友だちになった初日に彼を語るのもおかしな気がするが。
どうして今それを思い出したのか――。
白雪から漂う甘い香りが強まった気がする。
こちらを射貫く眼差しを追う。
ぱっちりと開かれた目、整った鼻梁、艶やかな唇を視線でなぞるように見てしまい、その下の白く細い首筋に吸い込まれていく。
(……っ、何考えてるんだ、俺は)
慌てて彼女から視線を切ってうつ伏せになる。
枕に顔を押しつけるようにしていると、「神原くん?」と白雪が困惑気味に呟く。
長らく意識せずにいたことが、ここに来て猛烈に頭を支配している。
だけどそんなこと、考えて良いはずがない。
それは俺を信頼してくれる白雪たちを裏切る行為で、……何より、彼女を傷つけたくはない。
「神原くん、大丈夫? ……ごめんね、私が変なこと言ったからだよね。折角神原くんが友だちになろうって言ってくれたのに、私が欲張って、困らせちゃって……」
「っ、それは違う」
謝り始めた白雪に顔を上げて否定する。
白雪の潤んだ瞳が俺を捉えた。
どこか泣き出しそうな彼女の表情に、俺はやっぱり彼女に泣いて欲しくないなと思った。
だから、素直な気持ちを吐露する。
「まだ俺は、白雪の気持ちに対する答えが出せてない。部外者って言ったのはそういう意味で。……だけど、俺以外のやつには今みたいに添い寝して欲しくないって、思ってる」
もしそれが、好きな人に抱くような独占欲になるのなら。
あるいは、俺は白雪のことが好きなのだろうか。
ともあれ、俺は誠心誠意、今の自分に出せる言葉を尽くしたつもりだった。
これでもなお白雪に悲しい顔をさせたらどうしようもない。
果たして、白雪はこちらを見て微笑んでいた。
「……ね、神原くん。頭、撫でていい?」
「なんだよ急に。今までだって」
「今までのとは違うの。寝かしつけるためとかじゃなくて、ただ単に、私が撫でたいから撫でるの。いい?」
そう訊かれて、断れるはずがない。
俺は素直に目を瞑ると、白雪は頭を撫で始めた。
彼女の手が動く度に掛け布団と服が擦れる音がする。
「飯田くん、私が断るってわかってたんだって。ごめんなさいって頭を下げたら、『これで他の女子に手が出せる』って豪快に笑ってた」
「……蓮らしいな」
苦笑しつつも、俺はどこか安心している自分に気が付いた。
友だちがフラれたのに安心しているなんて酷いやつだと、自分でも思う。
だけど、蕩けるような声が、鼻腔をくすぐる甘い香りが、頭を撫でる繊細な手つきが、ベッドの中で伝わる温もりが。
それらすべてを、手放したくないと思っていた。
相変わらず、ライクとラブの違いがわからない。
だけどたぶん、そもそも区別する必要なんてないのかもしれない。
恋人になることで、手放したくないと思った相手と一緒にいることができるのなら。
きっとそれだけで十分なんじゃないだろうか。
「……なあ、俺も撫でてみていいか」
「へ? …………ちょっとだけなら、いいよ?」
白雪の許可をとり、俺は彼女の頭に手を伸ばす。
ふんわりとした白雪の髪が手のひらに広がる。
するりと動かせば、さらさらと髪が流れた。
(……恋人、か)
もし俺が不眠症でなくなったとして、単なる友だちではこの関係を続けられないのだとしたら。
俺は白雪と付き合いたい。
そう、思った。
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