第33話 返せるもの

 当初の予定では、白雪を家まで送り届けたらそのまま自宅へ帰るつもりだった。

 それが一体全体どうしてこうなった。


「神原くん、足りなかったら言ってね? まだまだご飯あるから」


「あ、ありがとうございます……」


 場所は白雪家のダイニング。

 俺の前には、ご飯に味噌汁に焼き魚に卵焼きというTHE・和食が並んでいる。


 そう。俺は白雪家で朝食をご馳走になっていた。


 白雪を家に送り届けると、お母さんが玄関まで出てきた。

 そうして、「今日はあの人もいないから、折角だし朝ご飯食べて行きなさいよ。まだでしょ?」と言われ、白雪も「そうしなよ」と背中を押してきたのだ。


 そのままなし崩し的に朝食をご馳走になることになった。


 ……何というか、ものすごい既視感だ。

 以前もこんな流れで夕食をご馳走になった。


 白雪の強情というか譲らないところは、やっぱり血筋なのかも知れない。


 それにしても、しっかりと寝た分ご飯が美味しく感じる。

 もちろん白雪のお母さんの料理が美味いというのはあるけど。


 気が付くと、俺のお茶碗は空っぽになっていた。


「おかわりしなよ」


 対面で同じように朝食をとっている白雪がにんまりと口角を上げて言ってくる。


「……じゃあ、折角だから」


 厚かましくないかとも思ったが、どうしても抗えず、俺は立ち上がってキッチンへ向かう。

 お母さんは嬉しそうにお茶碗を受け取るとめいっぱい注いでくれた。


 すべてが、満ち足りていた。

 幸せのようなものを、いや、幸せそのものを感じていた。


「本当に美味しい」


 俺がそう呟くと、白雪もお母さんも、嬉しそうに笑っていた。




 ◆ ◆ ◆




 朝食を食べ終えると、白雪は風呂に向かった。

 お母さんは俺にも入るかと聞かれたが、それは流石に固辞。


 時刻も六時を回り、バスの始発も出ているということでお暇することになった。


 玄関先で靴を履いていると、お母さんが紙袋を携えて現れた。


「これ、作り置きのサラダとかきんぴら。自炊してるって聞いてるけど、こういうのがあるだけでも変わるでしょ? 良かったら持って帰って」


「何から何まですみません」


 俺は紙袋を丁重に受け取る。

 ずしりとした重みが手に伝わってきた。


「そういえば、お母さんは聞いていたんですね。白雪が……姫乃さんが俺のことをどう思っていたのか」


「あら? あの子もしかして遂に告っちゃった? きゃーっ、青春~!」


「ああいえ、そういう感じではなくて……」


 あれは告白、とは少し違う気がする。

 ただ偶然というか流れで気持ちを知っただけで。


「そうなの?」


「はい」


「でもあの子が神原くんをどう想っているかは聞いたんでしょ?」


「はい」


「なら告白じゃない?」


「…………いや、やっぱり違うような」


 俺が難しい反応をすると、お母さんは小さくため息を吐く。

 それから腰に手を当てて少し得意げに言う。


「そうよ。神原くんがあの子の思い人だということは聞いていたわ。ああ、あの人は知らないけど。だからあの子を送り届けに来たのが神原くんだと知って驚いたし、同時に安心したの。……君になら娘を任せられるって」


「そんなことを思われても困るっていうか……今の俺には重すぎますよ」


「ふふっ、ただの母親の感想よ。そう深く考えることはないわ。……それで? 神原くんは娘のことをどう想ってるのかな? 二人の様子を見るに、付き合ってるわけじゃないんでしょう?」


 それは当然の質問だ。


 俺は彼女の問いに小さく頷き、遠慮がちに口を開く。


「……実は、自分でもよくわからなくて。姫乃さんといると安心して眠れて……でもそれが好きってことなのかどうか。だから、俺たちは一旦友だちになることにしたんです」


 答えていて、なんとも不誠実な返答のように感じた。

 白雪のお母さんを怒らせるかもと不安にも思ったが、でもこれが嘘偽りのない本心。

 下手な言葉で飾ることのできない本音だ。


 果たして。白雪のお母さんは優しい微笑を湛えて俺を見つめていた。


「君はやっぱり娘の言うとおりの男の子ね」


「え?」


「娘のことを真剣に考えてくれてありがとう。これからも大いに悩みなさい。悩んだ分だけ、見つけた答えは大切なものになるわ」


「――――はい」


 俺は力強く頷く。


「あ、でもあの人には気をつけてね。娘が神原くんのことを好きって知ったら暴れ出しかねないから」


「え」


「……私と娘は神原くんの味方だから、ね」


 最後の最後にとんでもないことを聞いてしまった。




 ◆ ◆ ◆




 家に帰ってシャワーを浴びた俺は、その日は随分早くに学校へ向かった。

 ホームルームまでまだ三十分はある。


 流石に誰もいないかと思って教室の鍵を職員室に取りに行くが、『2-A』の鍵はすでになかった。


 こんなに早くに登校しているやつもいるんだなと思いながら階段を上り、教室へ。

 ガラガラと引き戸を開けて教室に入ると、俺の席に飯田が座っていた。


「よお」


 我が物顔で腕を組んでいた飯田は俺の姿を認めると低い声を出す。

 昨日のことがあっただけに俺は若干警戒しながら挨拶を返した。


「おはよう。……そこ、俺の席なんだけど」


「知ってるよ。お前を待ってたんだからな」


「俺を?」


 言いながら飯田は椅子を引き摺るようにして立ち上がる。

 そうして一歩、また一歩、教室の出入り口近くで立ち止まる俺の元へ歩み寄ってきた。


 昨日俺を殴った時と同じような距離感にまで迫った飯田はそこで足を止めると、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべる。

 それから彼にしては小さな声で呟いた。


「悪かったな。昨日殴って」


 謝罪の言葉と共に、飯田は軽く頭を下げてくる。

 突然のことに俺は困惑した。


「えっと、どうしたんだ急に」


「るせぇ! 俺だって謝るときは謝るっつの! いいか、これでおあいこだからな!」


「え、えぇ……?」


 そうやって飯田は吠えていくと、ずかずかと教室を出て行った。


 嵐が通り過ぎたような静寂が訪れる。


 ……え、もしかして飯田、俺に謝るためだけに朝早くから教室にいたのか?


 俺は半ば放心しながら自分の席に着く。

 そうしてぼんやりと、昨日の白雪の言葉を思い出していた。


『悔しくなったんじゃないかな。自分が悪いと思ったことを素直に謝る神原くんと自分を比べて。だから飯田くんも素直に先生に話すことを選んだ』


 そう語る彼女の言葉を、俺はそうだったらいいなと思っていた。

 そして、先の謝罪は白雪の言葉を肯定するもので。


(本当、白雪には感謝してもしきれないな……)


 彼女に出会ってから、俺は彼女にたくさんのものを貰っている。


 そんな彼女に返せるものを、俺は一つしか思いつかなかった。


(大いに悩みなさい、か)


 彼女に向けて抱いている気持ちについて、悩みに悩んで悩み抜く。

 その上で出た答えを、逃げることなく彼女に伝える。


 それが、今の俺が彼女に返せる唯一のものだ。

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