第30話 互いの距離感

『――今日は覚悟してね、神原くん』


 学校の裏手の坂道で白雪が告げたその言葉の意味を、俺はその場では理解できなかった。

 だが今、その意味を痛いほど思い知っていた。


 見慣れた自室のベッド。

 うつぶせになった俺の太ももに、柔らかな重みを感じる。


 そして、グッグッと背中を指で押される感覚と共に、上から囁かれる。


「どう、かな?」


 そう。俺はベッドの上で白雪に跨がられていた。




 ◆ ◆ ◆




 家に来るのも三度目ともなれば、俺も白雪もある程度慣れのようなものが生まれていた。

 エレベーターのボタンは白雪が押したし、部屋までは案内せずともたどり着けそうな気配を感じた。


 そんなこんなで自宅に着くと、白雪はリビングを眺めて一言。


「まだ綺麗に置いといてくれたんだ」


 その視線の先には、壁際に寄せられた白雪の布団があった。


「そりゃ、勝手に捨てるわけないだろ。……それに、いつ泊まりに来るかわからなかったし」


「ふふっ、泊めてくれるつもりだったんだね」


「っ」


 心底嬉しそうに言われて、なんだか恥ずかしくなる。


(友だち宣言以来、なんか白雪の距離感が近い気がするのは俺の勘違いか……?)


 平気で俺を動揺させる言葉を言ってくる。


 今日は泊まる予定ではないため、俺たちは早々に寝室へ向かった。

 いつものルーティンをこなしてからベッドに入ると、白雪が確認するように訊ねてくる。


「今日は色々なことを試す、でいいんだよね?」


「そんなに大げさなものでもないけどな。でもまあ、頭を撫でられなくても寝れるようになったら結構でかい。主に俺の精神面で」


 この間――白雪と友だちになった日――俺たちはバスに揺られて帰路についた。

 そのとき、俺は白雪に頭を撫でられることなく眠ることができた。


 今まで眠ろうとしたとき、白雪には頭を撫でて貰っていたが、それが不要なら彼女にも、そして何より俺の精神面にも負担が減る。


 俺が眠れるライン、条件を色々と試しながら見定める段取りになっていた。


「じゃあ早速だけど、うつ伏せになってくれないかな」


「? わかった」


 いきなりの提案に俺は素直に従う。

 すると、ギシッとベッドが音を立てた。


「重たかったら言ってね?」


 白雪がそう言うや否や、俺の太ももに何かが乗っかかる。

 温かくて、そして何より柔らかい。


 まさかと思って振り返ろうとしたが、体勢的に難しい。


「あの、白雪……?」


「神原くんの頭を撫でるのって、リラックス効果があったんじゃないかなって思うの。それならマッサージでも同じ効果が得られるんじゃないかなって」


 そう言いながら、背中をぐっと両手の親指で押してくる。


(いやこういうことをしなくても寝れるんじゃないかっていう話だったんだが――)


 しかし白雪は俺の意図に反してマッサージを始めた。

 背中から順々に押され、徐々に上に上がっていく。

 腰、肩甲骨、肩。

 首元まで迫ったそのとき、白雪がそっと囁いた。


「どう、かな? 気持ちいい?」


 得も言われぬ快感に身震いする。


 俺は枕に顔を伏したまま素直に答えた。


「気持ちはいいけど、眠れるかと言われたらどうだろう。……たぶん無理だと思う」


 それは先週と同じ現象だが、感覚としての違いはあった。

 白雪に頭を撫でてもらっても眠れなくなったときは意識が研ぎ澄まされていく感覚だった。

 しかし今は、とても落ち着いている。心地がいいし、休まる感じもある。

 ただ、睡魔がないだけで。


 俺の返答に白雪は「そっか」と残念そうに零す。


 バスの時も似たような感覚ではあった。

 ただあの時は、もっと安心感のようなものがあって――。


(あぁ、そうか)


 少し、わかった気がした。


「たぶん」


「たぶん?」


「白雪は、ただ傍にいてくれるだけでいいのかもしれない。それだけで落ち着けるし、休まるし、安心できる気がするんだ」


「~~~~っ」


 背中で息を呑む気配がする。

 俺の肩を押していた指から力は抜け、ただ接している部分を通じてじんわりとした温もりが伝わってくる。


「……今日の神原くんは、ストレートだね」


「…………そうかも」


 指摘されて、俺はまた言ってて恥ずかしくなるようなことを口走ったのだと気付いた。

 白雪がそうであるように、俺もまた彼女への距離感が変わったのかもしれなかった。


「……うん、よしっ」


「白雪?」


 彼女は何事か決心するように強く頷くと、不意に太ももの重みがなくなった。

 ベッドがまたギシリと音を立てる。


「神原くん、ちょっと端に寄ってくれない?」


「何するんだ?」


「いいからいいから」


 白雪の意図がわからなくて、ひとまず言われたとおりに端による。

 すると、空いた左側の掛け布団がゆっくりと捲り上げられた。


「し、失礼します」


「っ?! ちょ、それは――!」


 それはある種のラインを超えているような――。


 俺のそんな叫びも虚しく、ゆっくりと白雪が掛け布団とベッドの間に滑り込んできた。

 アロマの香りに紛れて、甘い匂いが漂ってくる。


 一気に布団の中の温度が高くなる気がした。


 そうして。

 俺の隣に寄り添うようにして横になった白雪は、反対側を向いた俺の背に手を添えて、今にも消え入りそうな声で呟いた。


「今日は覚悟してって、言ったからね」

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