第28話 信じる俺

 風祭先生の手当を受けている間に、四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

 このまま休んでいくか訊かれたけど、俺は教室へ戻ることにした。


 一度体育館へ向かい、更衣室で着替えてから教室へ向かう。


 ちなみに手当を受けている間、風祭先生には疑惑の目で「本当に転けてぶつけちゃったのね?」と何度も訊かれたりした。

 やっぱり長年怪我を診てきただけあって感じるものはあるんだろう。


 騙すようで心苦しくはあったが、事を荒立てるつもりはないので何度も「はい」と頷き返すと、ため息交じりに納得してくれた。


 昼休みの廊下は生徒で溢れている。

 渡り廊下を越えて南校舎に入るとそれは顕著に表れた。


 喧噪で満ちた狭い廊下を進むが、そうした雑踏を上書きするように、俺の脳裏には保健室での白雪の言葉が何度も繰り返されていた。


『私の好きを、否定させないよ』


 そう告げた時の白雪の表情がよぎる。

 こつんと触れ合った額。至近距離よりも限りなくゼロに近いその距離で、真っ赤な顔にどこか怒りを滲ませていた彼女。


 その上で彼女は俺のことを優しいと評した。

 身に余る評価だと自分では思う。

 だけど、それを話すことで彼女が傷つくなら、もう口にするのはやめておこう。


 教室へ入るとクラスメートたちの意識がこちらへ向く。

 男子たちの中には俺が殴られたところを見ていたやつもそれなりにいるらしく、刺すような視線を感じた。


 飯田たちの姿もあり、俺を見るやいなや露骨に睨み付けるような目を向けてきた。


 ……白雪はいないようだ。

 早乙女さんもいないし、どこかに昼食を食べに行ったんだろう。


 俺もたまには昼飯でも食べるか。

 そんなことを思い、体操着を置いて一階の購買へ向かおうとして――飯田に呼び止められた。


「おい、神原。ちょっと来い」


 くいと顎をしゃくり、俺の返答を待たずして廊下を出て行く。

 なんだか妙な既視感を覚える。

 ともあれ、俺に選択肢はないようだった。




 ◆ ◆ ◆




 連れてこられたのは人気のまったくない北校舎の裏手。

 わざわざ靴を履き替えての移動だ。よほど周りに見られたくないんだろう。


 目的の場所に辿り着き、飯田は開口一番に告げる。


「ちくってねえよな?」


 ……飯田ってそういうの気にしてるんだな。

 ていうか気にするなら殴らなければいいのに。


 ぼんやりとそんなことを思ってしまった。


 だが、元はと言えば俺の不用意な発言に端を発している。

 そんなことを思うのは筋違いだな。


「先生に話していたら今頃飯田は呼び出されてるはずだが?」


「今だけの話をしてるんじゃねえよ。お前は今まで通り余計なことすんなってことだ」


 なんとも横暴な物言いだが、そんなことを言われなくても元から告発するつもりなんてない。

 だが、ここまで横柄にこられるとそれを素直に伝えるのも憚られる。


 いっそのこと教師に話してやろうか。

 そんなことを思い始めた時、飯田の背後の花壇が目に入った。


 木々を囲うように配置されている花壇に咲き誇るパンジーは、暗くなりがちな校舎裏の空気をどこか華やかにしている。


 そのパンジーの華やかさと、白雪の笑顔がなぜか重なって見えた。


 俺の内に沸々と湧き上がっていた昏い感情が落ち着いていく。

 ここで苛立ちに任せて行動するのは、彼女の信じる俺ではないような気がした。


「飯田に従うってわけではないけど、体育館での一件を先生に話すつもりはない」


「本当だろうな?」


 ジロリと鋭い眼光で睨み付けてくる。


「ああ。飯田の気持ちを踏みにじった俺も悪かったしな」


 飯田はただ、白雪への想いが強すぎて必死だっただけなんだろう。

 その想いの延長で、まるで白雪を自分のもののように振る舞ってしまったに過ぎない。

 そしてそんな態度に俺は無性にいらだってしまった。


 白雪の気持ちを代弁する権利なんて俺にもないのにな。


 結局のところ、白雪の気持ちを勝手に代弁し合った馬鹿なやつらの諍いだ。

 そして、飯田の気持ちを知った上で踏みにじった俺の方が、ある意味では質が悪い。


「飯田」


「あん?」


「悪かったな。身の程を弁えた方がいいんじゃないか、なんて言って」


「……なんのつもりだよ」


 俺が頭を下げると、飯田は随分と間の抜けた声を上げた。


「そのままの意味だよ。軽率な発言で飯田を傷つけた。許して貰えるとは思っていないけど、謝らせてくれ」


「……っ、んだよ、ちっ」


 もう一度頭を下げると、飯田の舌打ちが飛んできた。

 校舎裏に吹き付けてきた風が収まるまで頭を下げ続けた俺は、ゆっくりと顔を上げる。


「それじゃあ」


 用は終わっただろうと歩き出した俺を、飯田が「おい待てよ!」と呼び止める。

 足を止めて彼の方を見るが、飯田は苦虫をかみつぶしたような、あるいは苦しそうな顔で俺を睨み付けてきた。


 そうして両肩をワナワナと震わせ、何事か言葉を発しようとするが、口から出るのは何かを噛みしめるような音と言葉にならなかった掠れた息だけ。


 少し待ったが何も言ってこないので、俺はまた歩き出す。


「ちくしょぉ……これじゃあ、俺が惨めだろうが。くそがっ!」


 背後で飯田が何か叫んでいた。

 だが、どうやらこちらに殴りかかるつもりはないらしかった。


 俺はそのまま昇降口へ戻らずに、なんとなく校舎の外を歩くことにした。






 その日の放課後。ホームルームが終わってすぐに、担任の先生に「飯田の件で話がある」と呼び出された。

 クラスの誰かが先生に教えたのかと思ったが、どうやら違ったみたいで。

 昼休みの終わり間際、飯田自身が先生に話したのだそうだ。


 自分から話したことと、俺がどちらも悪かったのだと伝えると、厳重注意で沙汰は収まった。


 しかし、あれだけ俺に話すなと言っておいて自分から先生に伝えるなんて、飯田はどういうつもりなんだろうな。

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