第27話 想い、重なる
「神原くんを意識し始めたのは、去年のこのぐらいの時期」
まるで独り言のような声量で白雪が話し始めた。
今が四時間目の授業中であることを忘れてしまいそうなほど、今この瞬間、この空間は外界から隔絶していた。
俺は静かに白雪の話に耳を傾ける。
だが、彼女はまた口を噤んだ。
ローテーブルと俺の間にかがみ込んだまま、白雪は手にしていた氷のうを自分の膝の上に載せた。
体操着の赤色のジャージに、結露がじわりと染み込む。
そうして白雪は何度か口を開こうとして、きゅっと引き結ぶ。
顔は真っ赤になっていて、視線はさっきから俺の斜め下へ所在なげに向けられていた。
なんだか居たたまれなくなった俺は、つい声をかけた。
「その、無理に話す必要は――」
「――お花を」
「え?」
「神原くんが、お花を助けてたから」
俺の声を遮るように、顔を上げた白雪は真っ赤な顔をそのままに、潤みを帯びた瞳で見つめてくる。
じっと、白雪の瞳を見つめ返し、静寂が訪れる。
気まずさというよりも、気恥ずかしさのようなものが勝る沈黙。
その沈黙に溶け込むように、白雪は話す。
「去年のこの時期に、校舎の裏手で、神原くんを見かけたの。……誰かに踏まれて潰れてる花を、神原くんは整えていて」
そういえば、そんなことをした気がする。
その頃にはすでに昼休みは保健室に通っていた俺は、人通りの少ない窓から、潰れた花を見つけた。
花屋のバイトで花について最低限の知識があった俺は、それからしばらくの間、その花の世話をしていた。
もう元通りにはならない花の茎を手折ったり、土を整えたり、水をやったり。
今振り返ると、学校の許可を貰っていないのはよくないな。勝手にやってしまった。
「それから気付いたら神原くんのことを探すようになってたの。……神原くんのクラスと名前を知ったのは、随分と後になったけど」
そう言うと、白雪はまた俯いた。
話を聞いた俺の感想はシンプルなもの。
「え、それだけなのか?」
つまり白雪は、俺がたまたま踏みつぶされた花を治しているところを見て好きになった――と。
なんというか、力が抜ける。
もっとロマンチックだったりドラマチックな理由なのだと思っていた。
つい感想を口にすると、白雪はむっと俺を睨み付けてくる。
「それだけって酷いよ。私、あの瞬間すごくときめいたんだからっ」
「いや悪い。……だって、潰れた花を見たら誰だって治そうとするだろ? だからそんなことで誰かに好きになられるなんて想像してなかったからさ」
俺がそう言うと、白雪は表情を一転。どこか嬉しそうに笑う。
「そんなことないよ。大抵の人は見て見ぬ振りするに決まってる」
「まあ俺は花の治療方法を知ってたから、それもあると思うけ――」
「神原くん」
そっと、白雪の右手が俺の手の甲の上に載せられる。
さっきまで氷のうを触っていた手だから、触れた瞬間ひんやりとした感覚が伝わってきて、遅れてじんわりと、彼女の熱が感じられた。
いつも俺の頭を撫でていた、細く白い指。
その指でぎゅっと俺の手を掴むようにしながら、白雪は真剣な面持ちで告げる。
「少なくとも私は、知っていても見て見ぬ振りをしていたよ。学校の花壇の花が潰れていたからって、それを治そうとなんてしないもん」
それは意外な宣言だった。
白雪は誰にでも優しい。それはクラスでも有名な話だ。
その白雪が潰れた花を見て見ぬ振りなんて……いまいち想像できないけどな。
「だから、私は神原くんのことをいいなぁ……って思ったの。こんな優しい人がいるんだって。それで、校舎で見かける度に目で追って、気付いたら好きになってた。好きになってたんだよ」
一度目は自分自身で確かめるように、二度目は俺に告げるように。
白雪は繰り返した。
それは、俺を優しい人だと信じて疑わない声。
純粋すぎるその態度は俺の胸を締め付ける。
俺は白雪の手を軽くどけながら、顔を背けて言う。
「なら、なおさら残念だっただろ? 俺の本性を知ってさ」
俺は白雪が思うような人間ではない。
そのことをつい今し方話したつもりだ。
好意の源泉となった部分が勘違いだったと知れば、自然と――。
「――わぷっ?!」
突然、顔に氷のうを押し当てられた。
顔全体がひんやりとして、結露が鼻や額、頬の至る所につく。
視界が氷のうの青色で覆われ、混乱する俺に白雪の声が響く。
「させないよ」
「一体何を――、っ」
俺は氷のうを払いのける。
その瞬間に、思わず息を呑んだ。
先ほどまで俺の前に屈んでいたはずの白雪の真っ赤な顔が、目と鼻の先、少しでも前屈みになれば触れる距離にあった。
(……綺麗だな)
そんな場違いな感想を抱いている間に、さらに白雪の顔が近付いてくる。
そうして、こつんと。俺の額と白雪の額が触れた。
「私の好きを、否定させないよ。神原くんがどれだけ自分を卑下しても、私は神原くんのことが好きだもん。……それにやっぱり、神原くんは優しい人だよ。絶対」
慈しむような声で白雪が言う。
彼女が言葉を発する度に、息が俺の頬をくすぐる。
「っ、ぅぁ……」
何かを言おうとして、言葉が出てこない。
じわじわと、額を通じてお互いの熱が重なり合っていく。
言葉の代わりに、俺の腕は動いていた。
ソファの上で遊んでいた手が伸びて、白雪の背中に回っていく。
自分でもよくわからない衝動に駆られながら、その手で彼女を――、
「あれ? 誰かいるの-?」
「――っ」
「~~~~っ」
ガラガラと保健室の引き戸が開く音と共に、風祭先生の声が聞こえてきた。
俺たちはほとんど反射的に距離を取り、立っていた白雪が慌てた調子で先生の方へ駆け寄っていく。
「あ、あの、授業中に神原くんが怪我をして――」
「あらそう、ごめんなさいね。ちょっと外に出てて」
保健室の入り口近くで話をする二人の声を聞きながら、俺は痛いぐらいに激しく鼓動する心臓を静めようと、胸をギュッと強く押さえていた。
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