第25話 衝突
(……なんだ?)
翌日。いつものように登校した俺は、教室に入ってすぐに自分を刺すような猛烈な違和感を覚えた。
普段は俺が教室に現れても誰も気にもとめないのに、今日はなんというか、見られている……?
違和感の正体に心当たりがないまま俺が自分の席へ向かうと、窓際で早乙女さんと話していた白雪が会話を打ち切って近付いてきた。
「お、おはよ」
気恥ずかしそうに片手を控えめにあげて、挨拶をしてくる。
その手を見て、俺は昨日のバスでの温もりを思い出した。
「ああ、お、おはよう」
俺も俺でなんだか照れくさくなって、もごつきながら挨拶を返す。
すると白雪は嬉しそうに微笑み、「じゃね」と言って早乙女さんの下へ戻っていた。
なんてことのないクラスメート……友だちとの、ただの挨拶。
なのにこんなにも胸がくすぐったくなるのはどうしてだろう。
無駄に激しく鼓動する心臓を落ち着けるために、俺は深く息を吐き出しながら自分の席へと座った。
「おいやっぱり」
「嘘だろそんなわけ」
「やっぱあの話本当だったのか?」
その裏で。
クラスの男子たちが何事が囁く声が聞こえてきた。
◆ ◆ ◆
主要五科目の授業では中間試験の答案用紙が返却される中、四時間目の体育の授業では、来月に控えた体育祭の練習が行われていた。
広い体育館に、大縄が床を叩く音がバチンバチンと響き渡る。
男女分かれての大縄跳びの練習。
背の高い生徒が大縄を回し、その中を俺たちは無心になって跳ぶ。
気の弱い、あるいは運動が苦手な奴は引っかからないよう戦々恐々としている。
クラスのリーダー格の連中なら引っかかっても笑い飛ばせるが、たとえば俺みたいな奴が引っかかるとなんとも言えない微妙な空気になるからな。
ともあれ、俺は特に引っかかることなく二回の挑戦が終わり、三度目に向けて小休止。
その間手持ちぶさたになった俺は、何気なく隣の女子グループの方へ視線を向けた。
白雪は女子の中で平均的な身長だからか、大縄跳びでは真ん中近い位置に配置されている。
一生懸命に跳ぶ彼女のことを、俺はほとんど無意識に目で追っていた。
昨日の帰り道。俺はバスですっかり寝てしまった。
彼女と友だちになったことで、俺の中での何かが変わったのか。
ともかくまた眠れるようになったことで、今日からまた白雪が寝かしつけてくれる話になっている。
それにしても、バスでは頭を撫でられてもいないのに眠れてしまった。
頭を撫でられる。それが睡眠へのトリガーだと思っていただけに、少し驚いている。
その辺りの諸々は夜に改めて試そうという話になっているので、あまり深くは考えないが。
「おい」
白雪をぼんやりと眺めながらそんなことを考えていた時だった。
突然、粗雑な声で呼びかけられた。
振り返ると、そこにはスポーツ刈りを茶色に染めたやや不良っぽい男子生徒。
先日、掃除当番をすっぽかした三人組のリーダー格である飯田だった。
彼の後ろには取り巻きの小柳と赤城の姿もある。
嫌な予感に襲われるが、無視するわけにもいかない。
俺は彼らへ体を向けつつ、応じる。
「なんだ?」
「お前さ、白雪と付き合ってんの?」
「え?」
突拍子のない質問に目を丸くする。
だが、飯田の表情は険しく、そのうちに俺を敵視するような光を宿している。
冗談や、和気藹々とした恋バナ的なつもりで訊ねているわけではないらしい。
「なんでいきなりそんなことを訊いてくるんだ?」
俺が訊ね返すと、飯田は不機嫌さを隠すこともなく顔を顰め、チッと舌打ちする。
「昨日、お前が白雪とドーナツ屋で二人でいるところをクラスの奴が見たんだよ。んで、今朝はあの調子だろ? 隠れて付き合ってんじゃねえかって噂だ。冗談じゃねえ」
……なるほど。昨日のあれを見られたのか。
道理で今朝、教室に入ってすぐに違和感があったわけだ。
あれは噂の真偽を確かめる目と、単なる好奇心、それから飯田みたいな敵意が混ざったものだったんだな。
「んで、どうなんだよ」
俺が一人納得していると、いよいよ我慢できなくなったのか、飯田がさらに一歩詰め寄ってくる。
大方、飯田は白雪のことが好きなんだろうな。
というか、白雪を嫌う奴なんて相当捻くれている奴ぐらいなものだろう。
白雪が俺に抱いている好意を知っている分、返答には困る。
だが、付き合っているかどうかと言われれば、答えは否だ。
「付き合ってないって。ただの友だちだ、友だち」
俺がそう答えると、密かに聞き耳を立てていた周りから安堵の空気が漏れ出すのがわかった。
かくいう飯田たちもまた、不敵な笑みを浮かべる。
「はっ、だよな。お前と白雪じゃあ不釣り合いだもんな」
不釣り合い。
まったくもってその通りではある。
正直なところ、なぜ彼女が俺のことを好きでいてくれているのか、俺自身でさえわかっていないんだからな。
「お前もぼーっとしてんじゃなくて、ちゃんと身の程弁えて動けよ。じゃねえとまた変な噂立てられちまうぜ」
俺の回答に満足したのか、飯田はそう言い残して俺へ背を向ける。
……身の程、身の程か。
それはたぶん、白雪と一緒にドーナツ屋に行ったことを指してるんだろうな。
ドーナツを美味しそうに頬張っていた白雪の顔がよぎる。
なぜだろうか。
飯田の言葉に、妙に苛立つ自分がいた。
自分の中で何かが湧き上がってくる。
面倒ごとには極力首を突っ込みたくないのが性分なのに、俺はつい飯田を呼び止めていた。
「もし俺が白雪と付き合ってたら、飯田はどうしたんだ?」
「あん?」
「不釣り合いだから別れろとでも言うつもりだったのか?」
「何が言いたいんだ、お前」
ギロリと鋭い眼光が俺を射貫く。
不思議と怖くはない。
俺は薄く笑いながら言った。
「もしそうなら、それこそ
「――っ、てめぇっ!!」
飯田の体がすぐ近くに現れたと思った次の瞬間、左頬を痛烈な衝撃が襲った。
殴られた、と理解した時には体育館の床に倒れていて、飯田が俺を見下ろしながら言う。
「お前、あんま調子乗んなよ。一回遊びに行ったぐらいでよ」
それはこっちの台詞だ、と言い返そうとして、口の中に鉄の味がした。
口の中を切ったらしい。
ふらふらと立ち上がると、鼻からも血が垂れてきた。
「せんせー。神原くんが練習中に転けたみたいでーす」
飯田が声を張り上げて先生を呼ぶ。
女子の監督をしていた担当教師が慌てて近付いてきた。
「おい、大丈夫か」
「っ、大丈夫です……」
「そう言うが、血が出てるじゃないか。おい、保健委員。神原を保健室まで連れてってやれ」
「は、はいっ!」
先生の声で、白雪が慌てて駆け寄ってきた。
……そういえばうちの保健委員は彼女だった。
「一人で行けるって」
「無茶しないで。これも保健委員のお仕事だから」
……初めて正しい用例で使われたな、その言葉。
白雪に付き添われる形で体育館を出る間際。
視界の端に飯田を捉える。
彼はどこか悔しげに俺を睨み付けていた。
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