第24話 呼び捨て

 晴れて正式に友だちになった俺たちは、その記念に駅前のドーナツ屋へ行くことになった。

 なんでも新作のドーナツが発売されたらしい。


 荷物を持って教室を出た俺と違い、俺と早乙女さんを慌てて追ってきた白雪さんは教室に荷物を置き忘れていた。

 それを取りに行っている間、俺は先に昇降口に降りて彼女を待っている。


 昇降口の壁際に寄りかかりながら、俺は早乙女さんにお礼のニャインを送る。


 彼女がいなければ俺は白雪さんが抱えていた気持ちに気付けず、お互いすれ違い続けていただろう。


 既読はすぐについた。


『貸しひとつね』というシンプルな返信が届き、思わず笑ってしまう。


「どうしたの?」


 ちょうどその時、白雪さんが現れた。


「早乙女さんとちょっと」


 スマホをしまいながらそう返すと、白雪さんはジト目を向けてきた。


「さーちゃんと、なに?」


「いや、さっきのお礼を言ってただけだが」


「ふ~ん」


 怖い。白雪さんがなんか怖い。


「荷物、大丈夫か?」


「うん。待たせてごめんね。それじゃあ行こっか」


 靴を履き終えた白雪さんが俺の方をくるりと向いて微笑む。

 思えば、彼女とこうして校舎を出るのは初めてだ。


 なんだか不思議な気分になりながら、俺は彼女の横について校舎を出た。




 ◆ ◆ ◆




「本当によかったの? ご馳走になっちゃって」


 駅前のミセドの店内。

 注文を終えてトレーを手に置くのテーブル席へ向かうと、先に座っていた白雪さんがおずおずと声をかけてきた。


「いいって。……白雪さんには色々と迷惑かけたし、そのお詫びってことで」


 意図していないことだったとはいえ、彼女に誤解させるような振る舞いをしてしまったのはちゃんと謝らないとな。


 白雪さんはそれでも申し訳なさそうにしていたが、やがて「うん、じゃあご馳走になるね」と笑った。


 白雪さんの前に座り、お互いに手を合わせる。

 思えばドーナツを食べるのは随分と久しぶりだ。


 新作のドーナツを注文した白雪さんに対して、俺は定番どころのものをチョイス。

 こういうとき、俺は冒険しないタイプなのだ。


「う~ん、おいひぃ……」


 いつぞやのオムライスを思い出すリアクションに俺は笑ってしまう。

 たぶん、何を食べても彼女はこんな風に美味しそうにするんだろうなと思った。


 俺もドーナツを食べる。

 もちもちとしたドーナツの食感に砂糖の甘みが追いかけてくる。


 放課後のこの時間に食べる甘味は中々反則だった。


 小腹が満たされていくのと同時に、この一週間、俺の中にぽっかりと空いていた何かも満たされていく感覚を抱いた。


 対面で幸せそうにドーナツを食べる白雪さんを見ているだけで落ち着くものがある。


「ふぁに?」


 つい見過ぎてしまったのか。

 白雪さんが不思議そうに小首を傾げてきた。


「いや、白雪さんは相変わらず美味しそうに食べるなって」


「……そういえば、さ」


 咀嚼を終えた白雪さんが、何事かこちらを見つめてくる。

 彼女はトレーの上の紙ナプキンを強く握りながら、躊躇いがちに口を開いた。


「その、友だちのことをさん付けで呼ぶのって、変……じゃないかな?」


「…………そう、かも?」


 言われてみれば確かにそんな気がする。

 少なくともクラスで友だちのことをさん付けで呼んでいる人はいない。


「友だちなら私のこと呼び捨てにしてくれてもいいんじゃないかなって思うんだけど」


 じぃっと、上目遣いで提案される。

 俺に、断るという選択肢は残されていなかった。


 しかし、呼び方をいきなり変えるというのは中々にハードルが高い。


「ぇっと……」


「(じーっ)」


「その……」


「(じーーーーっ)」


 中々切り出せずにいる俺に、白雪さんの期待に満ちた視線が突き刺さる。

 やがて、俺は小さく息を吐き出してから勢いで一気にその呼び方を口にした。


「し、白雪」


「~~っ、そこは名前じゃないんだ」


「白雪さんだって俺のことは苗字呼びだろ?」


「伊月くん」


「――――」


 俺の反論に、白雪さんはどこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら応えた。

 突然のことに驚いて彼女を見つめ返してしまう。

 そうして、どちらからともなくパッと顔を背けた。


「や、やっぱり名前呼びはなんだか恥ずかしいね……っ」


「だ、だろ?」


「というか神原くん、今、さん付けに戻ってたよ」


「し、仕方ないだろ。そんなにすぐに慣れないって」


 お互いがお互いを責め合う展開というよくわからない状況になる。

 そのことがおかしくて、俺はつい笑ってしまう。

 すると、対座の白雪さん……白雪も、淡く微笑んでいた。




 ◆ ◆ ◆




 ドーナツを食べ終えて、俺たちはそれぞれの家に帰るためにバスに乗り込んだ。

 この時間のバスは中々に混んでいて、俺たちは二人乗りシートに横並びに座る。


 窓際の席に白雪。通路側に俺という配置。


 甘い物を食べたからか、それともバスのどこか心地いい揺れか、あるいは車掌の落ち着いた声か。

 この一週間あれだけ襲ってこなかった眠気が、このタイミングで俺に襲いかかる。


 ……いや、本当はわかっている。


 甘い物を食べたぐらいで、バスに揺られたぐらいで、車掌の落ち着いた声が聞こえたぐらいで、俺の不眠症は治るものではない。


 今、俺が眠気を覚えているのはひとえに、隣に白雪がいるからだ。


 目を瞬かさせていると、車内ということもあって隣から囁くような声が飛んでくる。


「眠たいの?」


「……ああ。でも大丈夫。起きておくのは得意だから」


 俺がそう言うと、白雪はそっと俺の右肩に手を伸ばしてくる。

 そうして服を軽く摘まむと、優しく窓側へと引っ張ってきた。


「いいよ、寝て」


 されるがままに、俺は体が白雪に寄りかかる格好になる。


 右半身に彼女の温もりと柔らかさが伝わってくる。

 頬に白雪の髪が触れ、くすぐったさを覚えると同時にふわりと甘い香りが漂ってきた。

 それはドーナツよりも甘く、落ち着く香り。


「神原くんのバス停で起こしてあげるから」


 甘く、蕩けるような囁き声は、俺の中の葛藤を平気で溶かしていく。

 そうして俺は、白雪に寄りかかって目を瞑った。



 次第に、バスのエンジン音が遠のいていく。



 乗客の雑踏が遠い世界のように感じられていく。






「……ね、神原くん。友だちから始めるってことは、頑張ればその先もあるってことだよね?」





 意識の狭間で、白雪が何か言っていた気がした。

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