第23話 友だち

 白雪さんとの関係に自分なりの答えを出せるまで、彼女に寝かしつけてもらうことをやめることにしてから三日が経った。


 相変わらず夜は眠れず、家には白雪さんの布団が残されたままだ。

 生活が元に戻っただけのはずなのに、なんとなく喪失感に襲われる。


 たった一週間、寝るときに傍にいてもらっただけなのに、俺はその生活に慣れてしまっていたようだ。


 結局白雪さんとの関係性についての答えを出せないまま月曜日を迎えてしまった。


 そして、そんな月曜日の放課後。


 俺は、早乙女さんに壁ドンされていた。




 ◆ ◆ ◆




 中間試験が終わり、真弓高校の生徒たちの意識は来月の頭にある体育祭へ向いていた。

 早速六時間目のロングホームルームでは、クラスの体育祭実行委員主導の下、出場種目の割り振りが行われている。


 真弓高校の体育祭は一日を通して行われ、学年ごとのクラス対抗戦になっている。

 クラス全員参加の綱引きや大縄跳びの他、玉入れや徒競走、クラス代表リレーなんかがある。


 人気のある種目は立候補で大体埋まるが、全員参加の種目を除いてどれか一つは参加する必要がある。

 その割り当てを、黒板の左右に並ぶ体育祭実行委員の四人が意見を募りながら行っていた。


 ちなみに体育祭実行委員のうちの三人は、俺と同じ掃除班で初日の掃除をサボっていたあの三人。

 そしてもう一人は早乙女さんだった。


 早速、クラス対抗リレーのメンバーが出揃い、他の種目への参加者を募り始める。

 俺も選ばないとな。


 種目は全部で五つ。


・100m走

・借り物競走

・玉入れ

・騎馬戦

・二人三脚


 100m走はリレーにも出ていた足自慢の連中が出るとして、騎馬戦や二人三脚は激しいし大変そう。

 ということで残った玉入れか借り物競走のどちらかだが……玉入れは去年参加して散々だったんだよな。


 過去の反省から借り物競走に決めた俺は、その順になって手を上げた。

 借り物競走はあまり人気がないのか、ジャンケン勝負になることもなく、無事に参加が決まって一安心。


 ホッと胸を撫で下ろしていると、黒板横の早乙女さんと目が合った――気がした。


 そしてそれが気のせいでないことは、すぐにわかった。


「ちょっと神原、面貸しな」


 帰りのホームルームが終わり、荷物を纏めていた時だった。

 突然早乙女さんが険しい表情で声をかけてきた。


「面って……」


 乱暴な物言いと教室内で声をかけられたことに面食らう。

 だが、早乙女さんの後ろでクラスメートたちが物珍しげに眺めていることに気付く。

 その中には白雪さんの姿もあって、俺と早乙女さんの背中を困惑気味に交互に見つめている。


 俺は慌てて荷物を纏めて立ち上がった。




 ◆ ◆ ◆




 連れてこられたのは四階の渡り廊下。

 四階の北校舎には空き教室や物置しかないのでここを通る生徒はいない。


「それで、いきなりどうしたんだ? というか、用があるならニャインで言ってくれればいいのに」


 普段ひっそりとクラスで過ごしている俺がひょんな形で注目を浴びてしまった。


 抗議のニュアンスを含みながら訊ねると、突然早乙女さんが詰め寄ってきた。

 そうして、右手を俺の後ろの壁にドンとつけると、ほとんど至近距離で口を開く。


「なんで姫のこと避けてんの?」


「……別に、避けてるわけじゃない」


 早乙女さんが俺を呼び出す理由なんてそれしかないよな。

 間近に迫る早乙女さんから顔を逸らしつつ、俺は答える。


「避けてんじゃん。姫に告られたのがそんなに嫌だったん?」


「なんで知って――」


「姫から全部聞いた」


「……別にあれは告られたわけじゃないって。ていうか、近い近い」


 俺はするりと早乙女さんの壁ドンから抜け出す。

 それから鋭い視線を向けてくる彼女へ説明する。


「白雪さんに付き添ってもらうのをやめたのは、彼女の力を借りても寝れなくなったからで、自分なりに整理できるまでやめておこうって話だ。他意はない」


「でもあんた、教室でも全然姫と話さないじゃん」


「それは避けてるわけじゃなくて、元々そういう関係だったからで……」


 そう。元々、俺たちは単なる会話もしたことのないクラスメートに過ぎなかった。

 保健室での、そして俺の家でのあの時間がなくなったことで、元に戻っただけだ。


 だからこそ、俺は白雪さんとの関係を測りかねてもいた。


 俺がそう言うと、早乙女さんは深くため息を吐く。


「姫は姫で考えすぎだけど、あんたはあんたでめんどくさ」


「白雪さん?」


「あの子にも言ったよ? そんなに神原のことが好きなら教室でどんどん話せばいいじゃんって。そしたら『そんなことしたらクラスの皆に神原くんが好きってバレちゃうじゃんっ』……って」


「――っ」


 それって俺に聞かせてもいいことだったのか?


 とんでもない告白に思わず顔が熱くなる。

 ……でも確かに、白雪さんなら言いそうだよな。


 あの夜の白雪さんを思い出しつつ納得する。

 そんな俺に、早乙女さんは続ける。


「それとさ、こうも言ってたよ。『それに、神原くんにこれ以上嫌われたくないって』」


「……は? え、俺が嫌う?」


 一瞬聞き間違いかと思った。

 衝撃自体は先の告白を上回るもので、たぶん今の俺は間抜けな顔をしている。


「そ。あんたが避けてるから、姫はあんたに嫌われたって思ってんのよ。親友としては悲しんでる姫を見てられないから、こうしてちょっかいを出しに来たってわけ」


「ちょちょ、ちょっと待て。どうしてそうなるんだ。俺が白雪さんを嫌うわけないだろ?」


 あれだけ世話になって、しかも自分のことを好きでいてくれている彼女のことを嫌いになれるわけがない。


 俺が慌てながら捲し立てると、早乙女さんはどこか冷めた目を向けてきた。


「だって、あんたのやってることって言ってることの正反対じゃん。あんたがどう思っていようが、この一週間姫と話してないでしょ? そりゃあ嫌われたって思うし」


「いやそれは……」


 でも確かに言われてみれば、白雪さん視点ではそうなるのか……?


 俺はとんでもない間違いを犯しているのではなかろうか。


 冷や水を浴びせられたような気持ちで考え込む俺に、早乙女さんは突然優しい声をかけてくる。


「あんたの言う自分なりの整理ってのがなんのことかわかんないけどさ。人と付き合うときに一々細かいこと考えてたらしんどくない? 話したいなら話す、そうじゃないなら距離を取る。それだけっしょ?」


 なんというか、含蓄がある。

 素直にその通りだと思った。


「あんたは姫のこと好きなの? 嫌いなの?」


 その問いで、改めて白雪さんのいないこの一週間を振り返る。

 覚えていたのは寂しさ。

 彼女との時間を求めている自分に気付いて、同時に虚しくなっていた。


「……好きに決まってるだろ。ラブじゃなくてライク的な意味でだけど」


 ただ、それが白雪さんが俺に向ける感情と同じなのかまではわからない。

 それがわかるほど、俺は彼女のことをよく知らない。


 俺が素直な自分の気持ちを吐露する。

 すると、早乙女さんは顔を背後の曲がり角へ向けた。


「だってさ、姫」


「ぅえ? バ、バレて……」


「そりゃあんだけ教室でど派手にやったんだし、姫なら気になって付いてくるでしょ」


 早乙女さんの声に、曲がり角からひょこりと白雪さんが姿を覗かせた。

 ……なんでわざわざニャインじゃなくて教室で呼び出したのかと思えば、白雪さんに聞かせるためだったのか。


 ということは、さっきまでの話を聞かれていたということになる。


 熱くなる顔を押さえているうちに、白雪さんが恐る恐るといった様子でこちらに近付いていた。


「ご、ごめんね、立ち聞きなんて……」


「いや、俺の方こそ色々と誤解させたみたいで……悪かった」


 気まずい。

 何より気まずいのは、俺たちがお互いに謝り始めた瞬間に、早乙女さんがヒラヒラと手を振ってこの場から去って行ったことだ。


「か、神原くん」

「し、白雪さん」


「「――っ」」


 短い沈黙の末、お互いが同じタイミングで口を開いてしまい、また黙り込む。


 いじいじと両手の指を絡ませる白雪さんを見下ろしながら、俺は意を決してもう一度口を開く。


「あのさ、白雪さんが迷惑じゃなければ、教室で話しかけてもいいかな」


「も、もちろん言いに決まってるよっ」


 俺の言葉に食い気味に白雪さんが乗っかる。


 ……冷静に考えると、なんで俺はクラスメートに教室で話しかける許可をもらっているんだろう。

 いや、そうか。

 それこそが俺が彼女との関係性を見いだせずにいた理由なのかもしれない。


 俺は一瞬頭をよぎった単語を脳内で反芻する。

 それは以前にも脳裏を巡り、一蹴した言葉だった。


「俺は、白雪さんの気持ちには答えられない。答えられるほど、俺は白雪さんを知らないから」


「っ、……うん」


「でも、もし良かったら友だちから始めないか?」


 一度俯いた顔がパッと上がる。

 白雪さんの綺麗な瞳が俺を捉え、ゆっくりと見開かれる。


 それからへにゃりと、目尻に涙を滲ませながら笑った。


「――喜んで」


 不眠症の介抱をしてくれる保健委員のクラスメートは、こうして友だちとなった。

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