第18話 告白……?
家に帰ると中々いい時間になっていた。
買い込んだ食材を冷蔵庫に仕舞い、浴槽に湯を溜め始める。
「とりあえず軽い仕込みだけやっとくから、お風呂が溜まったら先に入りなよ」
「神原くんはどうするの?」
「俺は白雪さんの後に。……あ、後がいいなら言ってくれ」
自分が入ったお風呂に男が入るのが嫌か、あるいは男が入ったお風呂に入るのが嫌か、その辺りの乙女心というか女心はわからない。
どちらも嫌だと言われたらシャワーで済ませるつもりではあるが。
果たして白雪さんは顔の前で手をわたふたとさせて首を横にぶんぶん振る。
「そういうわけじゃないの。ただ、折角だし神原くんが料理するところを見ておきたくて」
「そんなところ見て面白いのか? 仕込みって言っても玉ねぎとか鶏肉とかを切るだけだし、本格的に作るのは風呂を上がってからだが」
「いいの」
「……まあ、白雪さんがいいって言うならかまわないけど。時間はあるしな」
これが学校終わりだったら時間の効率も考えて入っておいて欲しくはあるが、幸いまだ17時になったばかりだ。
明日は日曜日だし、翌日のことを考える必要もない。
何やら楽しそうな白雪さんと共にキッチンへ向かい、冷蔵庫に仕舞ってあった玉ねぎと鶏肉を取り出す。
「神原くんはエプロンしないんだね」
「一人暮らしでエプロンする方が稀じゃないか? 汚れたら着替えたらいいし。白雪さんはエプロンする派なのか?」
「私はするよ。お母さんが『あなたはエプロンをしないとダメ』って」
「あ~、手先が不器用とか言ってたもんな。お母さんの賢明な判断か」
食材が頻繁に飛び散ったりするなら、確かにエプロンを着けた方がいいだろう。
「え? なにが?」
俺の納得の呟きに、白雪さんが不思議そうに小首を傾げる。
「いや、なんでも」と即座にとぼけるが、白雪さんの目は鋭い。
「……お母さんから何か聞いたの?」
口は災いの元とはよく言ったものだ。
俺は包丁とまな板、それから玉ねぎを置きながら目元を拭う。
「うっ、涙が」
「まだ玉ねぎ切ってないよね。ね?」
なんか怖い。
俺は両手を挙げて観念した。
「前にお母さんと二人で車に乗った時に少しな。でもまああれだ、今の時代料理なんてできなくても困らないし」
「べ、別に料理できないわけじゃないんだよ? ……しないだけ、でね」
尻すぼみになる声。
その声をかき消すように、『お風呂が沸きました』という聞き慣れたアナウンスとメロディが流れる。
気を取り直して、俺は包丁を手に取った。
「お~、職人さんみたい」
「そんな大げさな」
玉ねぎをみじん切りにするだけで、白雪さんが歓声を上げる。
なんというかむず痒い。
玉ねぎを切り終え、次に鶏肉の下処理に移る。
筋を取り除き、包丁の刃を滑らせるようにして薄く開く。
すると、先ほどまでの楽しげな雰囲気を一転させて、白雪さんがどこか申し訳なさそうに口を開いた。
「神原くん、ごめんね」
唐突な謝罪の言葉に面食らい、俺は思わず手を止めて彼女の方を向く。
「急にどうした?」
「……その、さっきスーパーで、勝手なこと言っちゃったから。もし神原くんが望むなら、私の方からさーちゃんに話しておくよ?」
「もしかして早乙女さんの提案を遮った話?」
俺が訊ねると、白雪さんは小さく頷いた。
それでようやく俺も納得する。
そもそもの話、白雪さんがこうして俺に付き合ってくれているのは、俺の不眠症の治療のためだ。
頭を撫でることで俺の不眠を改善する効果があると知った彼女が、手助けをしてくれているだけのこと。
その治療の幅を広げることは俺にとって利のあることであり、早乙女さんの申し出を試した方が良かったのではと後悔しているんだろう。
(でもまあ、早乙女さんも本気で言っていたわけではないと思うしな)
ほとんど話したことのないただのクラスメートの、それも異性の頭を撫でるなんて、いくら不眠症のためとはいっても嫌に決まっている。
優しすぎる白雪さんが例外なだけで、早乙女さんだって本当はやるつもりはないはずだ。
そういう意味では白雪さんが罪悪感を抱く必要なんてないし、何より彼女の選択も間違ってはいない。
もし俺が白雪さんに頼む勢いで早乙女さんの提案を受け入れていたら微妙な空気になっていたに違いない。
そこを彼女が割って入ることで、俺も早乙女さんも傷つかない結果となった。
その結果、俺に対する申し訳なさを覚えているのだから、白雪さんは本当に優しすぎる。
俺は一度包丁を置いて、彼女の方へ体を向ける。
「白雪さんが俺と早乙女さんのことを考えてくれたのはわかってる。別に気にしてないし、早乙女さんに頼むつもりもないよ」
これ以上彼女に気苦労をかけるのも忍びなくて、俺は元気づけるように笑いかける。
だが、白雪さんの反応は芳しくない。
彼女はぎゅっと服の裾を掴みながら、何かに耐えるように俯いている。
その雰囲気に声をかけるのを躊躇って再び下ごしらえに向かおうとしたとき、ポツリと声が零れた。
「……違うの」
「え?」
「違うの」
もう一度、強く同じ言葉を繰り返す。
そうして彼女は俺を見上げた。
「私は神原くんが思っているような人間じゃない。神原くんのためとか、さーちゃんのためとかじゃなくて……私が、嫌だったの」
彼女はそこで一呼吸置いて、何かを告白するみたいに前のめりに叫ぶ。
「――神原くんが、私以外の女の子に頭を撫でられるのが、嫌だっただけなのっ」
言い切った口はきゅっと引き結ばれて、前のめりだった上半身はすぐに引き戻され。
狭いキッチンで彼女の声が反響しているような錯覚に襲われる中、白雪さんはまた俯いた。
ぐわんぐわんと、頭を揺さぶるような得も言われぬ衝撃が駆け巡る。
(それって、つまり……?)
彼女の言いたいことを纏めようとして黙り込んでいると、途端に顔を上げた彼女は「や、やっぱり、お、お風呂借りるね!」と言ってキッチンから逃げるように去って行く。
慌ててその背中を追いながら「タオルは脱衣所に置いてあるのを使ってくれ」と叫ぶが、返事は来なかった。
脱衣所の扉が閉まり、物音がする。
風呂場の中折れ戸の独特の開閉音が響き渡った後、静寂が室内を襲う。
妙に広く、そして静かに感じられる室内で、俺は白雪さんが消えていった廊下を眺めながら口元を押さえる。
「今のって、……え?」
自意識過剰でないのなら、そういうことなのか?
彼女は優しさからではなく、
そんなはずがないだろうと、理性的な自分が頭の中で諭してくる。
だが、でも、なら。
俺の頭の中は一向に纏まらず、鶏肉の下処理のことは完全に吹き飛んでいた。
シャーッという水音が聞こえてくる中、「もしかして白雪さんは俺のことが――」なんて自惚れた考えまで脳裏をよぎったのだった。
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