第19話 ライクじゃなくてラブ的な
しばらく頭を抱えていると、遠くから声が聞こえてきた。
最初は気のせいかと思っていたが、幻聴ではないらしい。
声は脱衣所の、その奥から聞こえてきた。
「か、神原く~ん……」
悲鳴じみた声に何かトラブルでもあったのかと、慌てて廊下へ出る。
脱衣所の扉の前で、俺は中へ向けて声をかけた。
「どうした?」
「あ、神原くん。……その、リビングに置いてある私の鞄を持ってきてくれないかな? ……着替え、持ってくるの忘れちゃって」
「あー……わかった、任せろ」
そういえば白雪さんは何の準備もなく脱衣所へ飛び込んでいた。
タオルやシャンプー類は備え付けのものがあるが、着替えまでは流石に用意されていない。
悲鳴のような声を上げていた理由にも得心がいき、俺は急いでリビングへと戻る。
そうして彼女の荷物を片手に脱衣所の扉をノックした。
「白雪さん? 入るぞ」
「う、うん」
脱衣所の扉を開き、着替えを取り出しやすいように中折れ戸の近くへ運ぶ。
「――っ」
誤算だったのは、曇りガラスの向こうに白雪さんの姿があったことだ。
てっきり湯船に浸かっていると思っていたのに、右往左往していたのか、あるいは頼み事をしている状況でゆっくりすることを申し訳なく感じたのか。
ともかく、曇りガラス越しに、肌色の陰影が浮かび上がっていた。
記憶に焼き付く前に顔を背ける。
「こ、ここに置いておくから。それじゃあごゆっくり!」
扉を閉める音に重なって「ありがとう」という声が聞こえた気がした。
「お風呂、気持ちよかったよ。ありがとう~」
少しして、風呂から出た白雪さんがリビングへ戻ってきた。
グレーのショートパンツに、ゆったりとした白シャツ。ザ・部屋着といった装いだが、……いかんせん思春期男子には刺激が強すぎる。
白くて細い足は剥き出しになっているし、ゆったりとしている服だからこそ強調されている部分もある。
おまけに、風呂上がりの女子は暴力的だ。
しっとりとした黒髪はいつも以上に艶やかで、湯上がりで赤みを帯びた顔は扇情的で。
漂ってくる匂いは、嗅ぎ慣れたもので――。
「っ、俺も風呂に入ってくるよ! 上がったら夕食にしよう。テレビでも見ててくれ」
「は、はい」
不思議そうな白雪さんの声を振り払うようにして、俺はリビングを後にした。
◆ ◆ ◆
「んぅ~、おいひぃ~~~~!」
オムライスを頬張り、白雪さんは満面の笑顔を浮かべていた。
「気に入ってくれて何より。お眼鏡に適ったってことでいいのか?」
「うんうん! 卵トロトロだしチキンライスも完璧だし、お店のより美味しいよ!」
「流石にそれは言い過ぎだろ……」
オーバーリアクションに嬉しさ半分、呆れ半分。
ともあれ他人に料理を振る舞うのなんて初めてなのでそれなりに緊張していたが、ひとまず安心する。
俺もスプーンでオムライスを掬い、一口。
「……うまい」
「ふふん、でしょ?」
「なんで白雪さんが得意げなんだ」
それにしても、いつも作っている時よりも美味い。
普段一人で自炊するときは調味料の配分とかは目分量で適当だったが、白雪さんに振る舞うとあってレシピ通りきちんと測ったのが功を奏したのか。
一人だと、濃ければ濃いほど美味いだろ精神が働いちゃうんだよな。
レシピ通り作ることの偉大さを痛感しつつ、食べ進める。
時折、白雪さんの方を窺うが、彼女はオムライスに夢中のようだ。
風呂に入る前のあの会話について気にしている様子もなく、追求する雰囲気でもない。
悶々としている俺がなんだかバカみたいだ。
食事を終え、白雪さんが食器洗いを申し出てくれたので俺は彼女の寝床の準備をしていた。
寝室にスペースはあるが、同じ部屋で寝るわけにもいかない。
リビングのソファをずらして場所を作り、そこに、白雪さんが持ち込んだ布団を敷いていく。
「そういえば来週、中間試験だね」
皿洗いの水音に紛れて、彼女が声をかけてきた。
俺は一度手を止めて白雪さんの方を見る。
「そうだな。水曜日からの三日間」
「神原くんは自信あるの?」
「こう見えて試験の成績はいい方なんだ。なにせ、普段寝れないときは勉強していることが多いからな。時間だけはある」
「羨ましいなぁ~……っていうのは不謹慎、だったよね。ごめん」
「いや、別に気にしてないって」
中間試験が終われば五月の主だった学校行事はなくなり、次の大きなイベントは六月頭に開かれる体育祭になる。
寝不足の中、動き回らないと行けない体育祭は正直苦手だ。
とはいえ、クラス対抗戦で一位をとるために奮闘するクラスメートがいる中で手を抜くわけにもいかず、毎年へろへろになるのだ。
そんな状態でもろくに眠れないのだから、不眠症というのは質が悪い。
(でもまあ、今年に限って言えばその心配もなくなりそうだな)
白雪さんのお陰である程度の活路は見え始めていた。
食器洗いと寝床の準備を終え、俺たちは順々で歯磨きを行う。
何せ洗面台は一つしかないからな。
女の子には女の子の寝る前の準備がある、とのことで、先に俺が歯磨きをさせてもらう。
入れ替わるようにして白雪さんが洗面所へ向かうのを確認してから、俺は寝室へ入った。
いつものようにアロマストーンに精油を垂らしつつ、床でストレッチを始める。
バイトのある日はいつも以上に入念に。
そんなことをしていると、白雪さんが戻ってきた。
「ストレッチ?」
「そう。自律神経が整うんだとかなんだとかで入眠しやすくなるらしい。ま、今のところ効果は感じてないけど、やらないよりはいいだろ?」
「本当に色々と試してるんだね……」
感心するような、あるいは同情するような声。
白雪さんはそのまま俺のストレッチを眺め、不意に覗き込んできた。
「ね、背中、押してあげよっか?」
「え? ……じゃあ、頼む」
答えるや否や、前屈をする俺の背中に白雪さんの手が触れる。
髪先や額、頭で感じ慣れたその感触が場所を変えただけなのに、ぞわりとした感覚に襲われる。
白く細い指が、しっとりとした手のひらが、俺の背中を押す。
俺は努めて息を吐き出しながら前へと倒れていく。
一度、二度、三度。
前屈を繰り返した時だった。
ふと、白雪さんが俺の背を押す力が緩んだ。
「さっきの話なんだけどね」
両の手のひらが俺の背中にぺったりと添えられた状態で、白雪さんが耳元で囁く。
――さっきの話。
それが何を指すのか、考えるまでもない。
「その、気にしないでね? ……保健委員としての使命感? から、つい言っちゃったっていうか、ほんと、そういうのじゃないかもだから」
疑問混じりの言葉。勢いのない声。耳元から遠のいていき、自信なさげに揺れている。
きゅっと、背に添えられていた手のひらがか細く握られたのを感じて、俺は思わず振り返った。
「――っ」
彼女は、白雪さんは俯いたまま肩を震わせていた。
俺が振り返ったことにも気付かない様子で、何かを必死にこらえるようにして。
あり得ないことだ、と何度も俺の脳裏をよぎっていた仮説が蘇る。
というよりも、この期に及んで「そんなはずがない」と一蹴できるほど、俺は鈍感ではいなかった。
「……あのさ、俺の自意識過剰だったら殴って欲しいんだけど」
それでも保険を張ってしまうのは、やっぱり自信がなかったからで。
だけどこのまま気付かない振りをすることもできない。
白雪さんが小さく頷くのを確認してから、俺はその決定的な言葉を口にする。
「白雪さんって、俺のことが好きなのか? ライクじゃなくて、ラブ的な意味で」
さらに強く、背中が掴まれる。
沈黙が下り、徐々に白雪さんの肩の震えが治まっていく。
そうしてさらに時間が流れ、ようやく顔を上げた白雪さんは真っ赤な顔を不満げに膨らませていた。
「……………………好きでもない男の子の家に泊まりに来るわけないじゃんっ。ライクじゃなくて、ラブ的な意味でっ」
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