第16話 お泊り会
花屋ロータスの朝は早い。
開店時間は朝の九時三十分だが、準備はそれ以前から始まっている。
五時頃には軽トラックで市場へ花の仕入れに行くし、帰ってきたら入荷した花の手入れをしないといけない。
土日は俺もその仕入れに付き添うことになっているので、五時になる前に家を出る。
といっても俺の場合は苦ではない。
どのみち眠れない夜を過ごすぐらいなら、何かやることがあった方が気が紛れる。
それでお給料を貰えるなら一石二鳥だ。
そんなこんなで花屋ロータスの裏手の駐車場で進さんと合流し、軽トラックに揺られて市場へと向かった。
天井のパイプがむき出しの殺風景な市場。広い空間にコンテナ台車が並ぶ区画を抜けると、通路が狭まってくる。
そんな通路の両脇には、この空間に彩りを添えるように売り物の花が並んでいる。
いつものように進さんの後ろに付き従い、事前に注文してあった花を業者から受け取ると、市場をぶらぶらとふらつきながら花を吟味していく。
進さんのお眼鏡にかなった花をいくつか購入してから軽トラックへ戻り、積み込む。
元々、進さんは一人で仕入れ作業をしていたが、二年ほど前に荷積み中に腰を痛めてしまい、若い人手を求めて求人を出したという経緯があったりする。
なので、積み込み作業のほとんどは俺の仕事になっていた。
ちなみに平日も朝に入りましょうか? と訊ねたら、学生は学業も大事だからと断られてしまった。
花屋ロータスに戻る頃には空もすっかり明るくなっている。
軽トラックの積み荷を地下の作業場へ降ろし、一息つく間もなく薫さんたちと共に購入した花の手入れに取りかかる。
俺は水揚げという作業を主に担当している。
花を少しでも長持ちさせるために必要な作業だ。
仕入れたばかりの花の茎を水の張られたバケツの中に突っ込み、水中で茎の端を切る。
こうすることで水を吸い上げやすくなるそうだ。
単に水揚げといっても花の種類によっては別のやり方をとることもあるが、そういったものは薫さんが担当している。
見ると、ちょうど手にしたハンマーで茎の先端を叩いていた。
それらが終わると、一度地下の冷蔵庫に仕舞い、店内の掃除やディスプレイの準備に取りかかる。
進さんは引き続き地下で花束を製作。薫さんは今日店頭に出す花の値札を作っていた。
そんなこんなでようやく開店時間が迫ってくる。
花屋というのは意外に重労働だと、バイトを始めてからわかった。
午前の仕事を終え、昼休みに入る。
商店街の弁当屋で弁当を三つ買って帰り、店の裏で会議室にあるような長机を囲んで俺たちは食事していた。
ちなみに弁当代はいつも出してくれる。
賄いだと言って笑っていたけど、あれって飲食店限定の話だよな……?
どちらにせよ食費が浮くのはありがたい。
家庭的な味の弁当に舌鼓を打ちながら、俺はちらりと壁掛けの時計を確認する。
バイトが終わるまであと二時間と少しだ。
「今日は随分と時間を気にしてるのね? この後何かあるの?」
対面に座っている薫さんが不思議そうに訊ねてくる。
俺、そんなに時計見てたのか?
もしそうなら雇い主の彼女たちからすれば面白くないだろう。
「す、すみません」
仕事に集中していなかったと責められても仕方ない。
俺が謝ると、薫さんは愉快そうに笑う。
「別に責めてるわけじゃないのに。神原くん、すぐに謝っちゃう癖、なんとかした方がいいかもよ?」
「俺、自分が悪いときしか謝っていないつもりですけど」
「ならなんでもかんでも自分が悪いって思う癖、なんとかした方がいいわね」
薫さんの言葉に目が点になる。
別にそんなつもりはないんだが……。
「実はこの後待ち合わせがあるんです」
「ほら。俺の言ってたことあながち間違いじゃないだろ?」
進さんが得意げに口を出してくる。
春が来た、という話のことを言っているんだろう。
「だから違いますって。俺と彼女はそういうんじゃ――」
「彼女! ほら、な!」
……もうダメだ。
何を言っても裏目に出る気がする。
何やら楽しそうに会話を続ける蓮見夫妻から意識を逸らすように、俺は弁当に集中することにした。
◆ ◆ ◆
無事に15時に仕事を終えて退勤するや否や、白雪さんに連絡した。
すると、すぐに返信が来た。
『今から行くね!』
その言葉通り、俺が家に着くのとほとんど同じタイミングで、見覚えのある車がマンション近くに洗われた。
「神原くん、こんにちは」
「こんにちは。早い、な」
現れた白雪さんは、当然のことながら私服だった。
ゆとりのある白シャツに、爽やかな青のワイドパンツ。
髪型もいつもと違って編み込みがされていて、少し大人っぽい印象を受けた。
一瞬見とれていると、運転席から白雪さんのお母さんが顔を覗かせてきた。
「こんにちは。いいところに住んでるのね」
「あ、今日はありがとうございます」
「いいのいいの。ほら、さっさと運んじゃいましょう」
言うや否や、白雪さんがトランクを開けて大きなバッグを取り出してきた。
「持つよ」
「いいの?」
「当たり前だろ。これは布団か?」
「うん。大丈夫? 重たくない?」
「こう見えて重労働には慣れてるんだ」
ふんっと気合いを入れて布団の入った鞄を抱える。
白雪さんのお母さんが「男らしい~」と語尾に音符でも付きそうな調子で冷やかしてきた。
白雪さんは白雪さんでまだ荷物があったのか、別のバッグを取り出している。
荷物を抱えてトランクを閉めた俺たちに、お母さんが声をかけてくる。
「それじゃ、娘を頼んだわよ」
「はい。ありがとうございました」
頼むのは俺の方だ。
俺が頭を下げる中、彼女の声は隣に立つ白雪さんへ向けられる。
「それじゃ、姫乃。頑張るのよ」
「ちょっと、お母さん!」
「わははっ、じゃ~ね」
俺が顔を上げるのと同時に車が走り出す。
振り返ると、なぜか白雪さんは顔を真っ赤にしていた。
「私服の神原くん、なんだか新鮮だね」
エレベーターに乗り込むと、白雪さんが唐突にそう言ってきた。
「俺も同じこと思ってた。制服姿しか見たことないからな」
「なんだか本当にお泊まりに来たんだなって、緊張してきちゃった……」
恥ずかしそうなその声に、俺は思わずドキリとしてしまう。
……このタイミングでそんなことを言い出すなんて、心臓に悪いだろ。
俺はエレベーターの階数表示を見つめながら平静を装う。
「まあ、泊まりっていう感じはしないけどな。俺に付き合ってもらうわけなんだし」
「つ、つつ、付き合う?!」
「いやだって、俺が眠るために付き合わせてるわけだし」
「ああ、うん。そうだよね、そうなんだけどね」
「……?」
何を慌てているのか不思議に思っていると、エレベーターがゆっくりと止まった。
「お邪魔しま~す」という白雪さんの声と共に家に上がり、ひとまず荷物を適当な場所に下ろしていく。
「神原くん、もう寝る?」
「いや、流石に夕食を食べてからにしたいな。生活リズムを崩したいわけではないし、ベッドに入る時間は夜にしたい」
「そっかぁ。うん、そうだよね。せっかくのお泊まりなんだし」
そう言いながら白雪さんは持ってきた荷物をがさごそと漁っている。
忘れ物がないのか確認しているのだろうか。
「結構な荷物だな。何持ってきたんだ?」
「……神原くん。女の子には色々と必要なものがあるんだよ?」
「わ、悪い」
なぜか睨まれた。
しかし改めて、自分の家に白雪さんがいるのは妙な気分だ。
しかも私服で。何というか、違和感がある。
「あ、そうだ。いつものお礼に夕飯をご馳走させて欲しいんだが、何か食べたいものはあるか?」
「え? いいよいいよ! そんなの悪いって」
「それは俺の台詞だ。貴重な休みの日に付き合ってもらうんだから、せめてこれぐらいさせてくれ」
もちろん、この程度のことでお礼になるとは思わないが、このまま何もしないよりはずっといいだろう。
俺の懇願に、白雪さんは「んぅぅ」と唸るように悩んだ後、パッと表情を咲かせた。
「わかった。じゃあお言葉に甘えるね」
「そうしてくれると助かる。で、何か食べたいものはあるか? この辺りなら大抵のものは食べれると思うし、なんなら出前をとってもいいが」
「う~ん、そうだなぁ……」
今度は頬をぷくぅと膨らませて考え込むと、何かを思いついたように顔を上げた。
「なんでもいいの?」
「もちろん」
「じゃ、じゃあ、神原くんのご飯食べたい!」
「俺の?」
「うん!」
妙なことを言い出すんだな。
まあ自炊はしてるから料理が不得手というわけではないが、それでもプロと比べられるクオリティでは到底ない。
「いいけど、そんな大したものは作れないぞ? 味付けだって適当だし、俺、味濃い方が好きだから」
「いいのっ」
様々な保険を張ろうとするが、彼女はその笑顔ですべてを一蹴した。
かくして、俺たちは晩ご飯の食材を求めてスーパーへと繰り出した。
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