第15話 保健委員とクラスメート

 バイトを終えて家に帰るや否や、風呂に入る。

 湯船に浸かり、浴室の天井を見上げながら深く息を吐き出した。


「妙な一日だったな……」


 思わず零れ出た呟きが浴室に嫌に響く。



 早乙女さんがバイト先に現れ、俺が働いていることがばれた後。

 彼女は俺に詰め寄ってきた。


「あんた、姫と最近なんかあった?」


「姫……? ああ、白雪さんか」


 そういえば白雪さんは親しい人から姫の愛称で呼ばれていたな。


「姫、最近昼休み教室にいないんだよね。訊いてもはぐらかされるし」


「だからってどうして俺に」


「だってあんたも普段教室にいないじゃん? それに姫、いつもあんたのこと気にかけてるから」


「白雪さんが俺を?」


 まあ心配性な彼女のことだし、不眠症の俺を気遣ってくれているのだろう。

 そんな納得をする俺をよそに、早乙女さんは難しそうな顔をする。


「四月からあんたのことは気にかけてたみたいだけど、その気にかけ方が変わったっていうかさ。距離が近くなった……みたいな?」


 早乙女さん自身も上手く消化できていないのか、自信なさげに続ける。

 彼女の洞察力が鋭いなと一瞬思ったが、四月からというのならただの勘違いだろう。


 しかし、どう誤魔化したものか。

 思い悩んでいると、地下の作業場から声が飛んできた。


「お~い、神原くん。ちょっと来れるか?」


「はい! すぐ行きますっ」


「そっか、あんた今仕事中だもんね」


 俺たちのやり取りに途端に申し訳なさそうな表情を浮かべ、早乙女さんはごそごそと懐からスマホを取り出す。


「な、連絡先交換しないか? 姫との話、もっと訊きたいしさ」


「別に話なんて何もないって……」


 大体、仕事中の店員から連絡先を聞くのはいいのか?


 疑問に思う俺だったが、進さんを待たせている手前、素直に申し出に応じることにしたのだった。




 作り置きのカレーを食べながら、スマホのトークアプリ、ニャインを開く。

 トーク画面には早速「ひめの」と「さあや」の欄がそれぞれ追加されていた。


 まさかこの二人と連絡先を交換するとは思ってもいなかった。

 今のところ早乙女さんから連絡は来ていないが、俺がうっかりボロを出すと、白雪さんにまで迷惑がかかってしまう。


 さてどうしたものかと対策を練っていると、不意にスマホが震えた。

 早乙女さんからか、と身構えたが、画面に表示されていたのは「ひめの」からのメッセージだった。


『今日さーちゃんとバイト先で会ったんだって?』


 そういえばあの二人は親友だったな。

 話が言っても不思議ではないが……、ドタバタしたせいで、俺があの花屋で働いていることを黙ってくれるよう頼むのをすっかり忘れていた。


 ひとまず肯定のメッセージを返そうとした時、白雪さんからのメッセージが続いた。


『神原くんのバイト先について、言い触らさないように私から頼んでおいたけど、迷惑だったかな?』


 流石は白雪さんだ。


『いや、助かる。そのことについて話し忘れてたからさ。後でニャインで伝えておこうとは思っていたが、早いに越したことはないし』


『え、神原くん、さーちゃんのニャイン持ってるの?』


『今日交換したんだ。バイト先で』


『ふ~ん』


 そこでパタリとメッセージが途切れる。

 俺から話すようなこともないため、そのまま食事を続けていると、やや間を置いてまたスマホが震えた。


『明日のこと、お母さんに話したんだけどね。遅くなりそうなら泊まってきたらって』


 カランと、手にしていたスプーンが皿の上に落ちる音が響く。

 画面に表示されたメッセージに俺は目を疑った。


『お母さんが言い出したのか?』


『うん。もちろん、神原くんが迷惑でなければ、だけど。どうかな?』


 いやどうかなって……。


 というか、白雪さんの母さんは俺のことを同性の友だちか何かかと勘違いしているのだろうか。

 いやそれはない。この間会ったばかりだし。


 混乱しつつ、現実逃避気味な問答を繰り返しながら頭を悩ませる。

 しかし実際問題、俺のバイト上がり時間によってはこの間のようなことが起こらないとも限らない。


 なら初めから泊まるつもりで予定を組んだ方がいいのか……?


『ちなみに、この間来たから知っていると思うけど、俺の家はベッド一つしかないが』


『それは大丈夫。うちで余ってるお布団、持って行ってくれるってお母さんが』


 なんでそんなに乗り気なんだ、白雪さんのお母さんは。


 諸々のリスクとリターンを天秤にかける。

 しかしまあ、俺が寝れたから勝手に帰っといて、というのも中々に不義理で自分勝手な話ではあるか。


 そう結論づけた俺は、白雪さんにメッセージを返した。


『わかった。それじゃあ明日は俺の家に泊まりということで。何か用意しておくものはあるか?』


『ううん、大丈夫。お泊まりセットは持って行くから。明日、バイト頑張ってねっ』


 そう残して、例のミジンコマンのスタンプが送られてきた。

 可愛いかどうかは疑問の残るスタンプだが、白雪さんが送ってきたものだと思うと不思議と愛着のようなものが湧いてくる。


 会話も一段落ついてカレーを食べ終える。

 食器を洗い、明日に向けて軽く掃除でもしようかと思ったところで、今度は早乙女さんからメッセージが来た。


『ごめん、あんたのバイトのこと姫に話しちゃった』


 てっきり俺と白雪さんの関係についての問いが最初に来ると思ったが、早乙女さんは律儀な人らしい。

 白雪さんからの口止めを受けて、俺が周りに話して欲しくないと知ったんだろう。


 これまで話したことはなかったが、いい奴だな。


 白雪さんにはすでに話していたと伝えると、彼女は胸を撫で下ろすような猫のスタンプを送ってくる。

 それから核心に迫るような問いをぶつけてきた。


『やっぱしあんたたち繋がってたんだね。姫から口止めされたときには確信してたけど、なんか意外』


 ……藪蛇だったか。


『あんたたちどういう関係なん? 姫に聞いてもはぐらかされたんだけどさ』


 白雪さんは白雪さんで俺の不眠症について黙ってくれているらしい。


 それにしてもどう返したものか。

 つい先ほど、明日家に泊まる約束をしたばかりだからなんとなく決まりが悪い。


 友だち、というのも少し違う気がする。

 単なるクラスメートでは納得されないだろうし。


 考えれば考えるほど、俺たちの関係性を形容する言葉が見つからない。

 まあ、人間関係なんてそんなものかもしれないし、俺が複雑に考えすぎという可能性もあるが。


『どしたん?』


 というメッセージが来るぐらい考え込んでから、ようやく俺は親指を画面上で滑らせた。

 そうして送ったメッセージは、


『保健委員とクラスメート』


『なんそれ』


 ごもっともである。

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