第12話 追及
「おはよう。今日もよく眠れたみたいね」
金曜日の昼下がり。いつものように、という表現が似つかわしくなるほどに、俺は連日保健室のベッドで寝ていた。
たまたま火曜日のような生徒が保健室に現れなかったのが幸いした。
そんなこんなで、目を覚ました俺を風祭先生が出迎える。
「おはようございます。今は……五時間目ですか」
時計を見れば、五時間目の授業が終わるまであと十分程度だった。
今から急いで出席するよりも、六時間目から行った方がいいな。
それは風祭先生も同じ認識だったのか、すぐ傍のソファに座るように促してきた。
「ここ最近、しっかり……というのは語弊があるけど、以前よりは眠れてるからか顔色もだいぶマシになってきたわね」
「もう病人みたいな顔ではないですか?」
以前の風祭先生の言葉を借りて訊ねると、彼女は薄く笑う。
「そうね。今はただの寝不足の人の顔。学校で一、二時間は眠れてるみたいだけど、それでも普通の人からしたら随分短い睡眠時間なんだからね?」
「わかってます。ただ、目は覚めちゃうので……」
白雪さんのおかげで深い眠りにつくことはできるようになったが、まだ長い間眠ることはできない。
眠る体力がないのか、体が眠り方を忘れたのかはわからないが。
とはいえ、以前までと比べたら体の調子はかなりいいし、頭もすっきりしている。
不眠症が治りつつある、という事実も気持ちを軽くしていた。
「このタイミングで伝えるのは心苦しいんだけどね」
俺がこの一週間を振り返っていると、風祭先生が口を開く。
彼女の表情を見て、俺はなんとなく察した。
「昼休みの保健室利用について、ですよね」
「ええ、その通りよ。この三日間、神原くんは眠ることができた。それ自体は喜ばしいことよ? だけど、あなたにベッドを貸していたのはあなたが不眠症だから。眠れるのなら話は変わってくるの」
それは俺自身も懸念していたことだ。
寝不足だから、あるいは眠たいからという理由だけで授業を欠席していいわけがない。
「もちろん、あなたの不眠症が完全に治ったわけではないということはわかっているのよ? 白雪さんの補助がないと、また眠れないかもしれない。ただやっぱり、保健室は寝るための場所ではないの」
「わかっています」
あくまでも保健室は休むための場所だ。
風祭先生が不眠症の俺を見かねて利用させてくれていたのも、休むためだったから。
それがこの三日間は眠ることができている。
休むためから眠るためへ利用目的が変わったなら、当然制限も受ける。
「もちろん、体調が悪かったりしたら遠慮なく来て欲しいのよ? ただ、寝不足だからという理由だけでベッドを貸し出してたら真似する生徒も出てくるの。神原くんの症状を単に寝不足と表現できないことはわかっているけど、他の子たちがどう思うかは……ね?」
「そんなに申し訳なさそうにしないでください。風祭先生には感謝しています。色々と便宜を図ってくださって」
俺が今までベッドを利用していたのも、ある意味綱渡りだっただろうに。
今までの感謝も込めて、俺は一度深く頭を下げた。
「何にしても、神原くんの不眠症の完治に向けた糸口を発見できたのは先生としても安心よ。今までは何をしても眠れなかったんでしょう?」
「はい。……本当に、何をしてもダメだったんです。白雪さんに頭を撫でてもらう以外は。……情けないですよね?」
頭を撫でられる行為には慣れつつあるが、客観的に今の俺が情けない事実は変わらない。
だが、風祭先生は一切笑うことなく、真剣な表情で受け止めてくれる。
「あまり自分を卑下するものではないわ? いい? 人間は誰しも、寄りかかれる誰かを求めてるものよ」
「先生もそうなんですか?」
「当たり前でしょ。残業で夜遅くに誰もいない家に帰って、ふと思うことがあるわ。寂しいなって。……あ~、結婚したい。……結婚」
風祭先生の焦点が俺から逸れてどこか遠くを見つめ始めた。
……なんか空気が重くなったな。
気まずさに目を泳がせる。
やや待って、風祭先生が戻ってきた。
咳払いをしながら、真剣な表情で俺を見つめてくる。
「まあそれはそれとして、神原くんもわかっているでしょう? いつまでも白雪さんに頼ってはいられない。もっと根本的な解決方法を考えないと」
「……はい」
「彼女に頭を撫でられることで眠れるということは、あなたの不眠症は精神的なものの可能性が高い。もっと言えば、寂しさを抱えているのかも」
「…………」
「その寂しさを解消するか、向き合えるようになれば不眠症も治るかもしれないわ。私は専門家ではないから、あくまでも私見だけど」
「いえ、……たぶん、その通りだと思います」
心当たりがないわけでもなかった。
だから、たぶん風祭先生の分析は当たっている。
とはいえ、それをどう解消すればいいのか……。
俺が思い悩んでいると、チャイムがなり始めた。
いつの間にか五時間目が終わったらしい。
俺は立ち上がり、風祭先生に頭を下げる。
「色々とありがとうございました」
「またいらっしゃい。相談ならいつでも乗るわ」
ありがたい言葉を受けて、俺は保健室を後にした。
◆ ◆ ◆
「姫さぁ、最近昼休みどこ行ってんの~?」
五時間目が終わった休み時間。
次の授業の準備をしていたら、さーちゃんが不躾に訊いてきた。
その質問に心臓が飛び跳ねる。
「ど、どこって……?」
声が上擦った。
さーちゃんが半眼で私を見つめてくる。
「だって最近教室にいなくない? 声かけようとする前にすぐどっか行くし、お昼も一緒に食べてくんないじゃん」
「あ~……あはは……」
返す言葉もなくて、私はただただ笑う。
さーちゃんの言うとおり、私はここ数日昼休みになるや否や、保健室へ向かっていた。
理由は言わずもがな、神原くんの頭を撫でるため。
……保健室で私たちがしていることを知られるわけにはいかないから、人目を忍んで教室を抜け出していた。
さーちゃんからしたら怪しむ理由しかないわけだけど……。
「わかった、男だ」
「……っ、ち、違うよ」
なんてことを言い出すんだ、さーちゃんは!
なぜか名探偵然とした態度で得意げに言い放ったせいで、クラスの注目が私たちに向くのがわかる。
お、男って……確かに保健室で神原くんと二人きりだけど……でも付き合ってるわけじゃないしっ
熱くなった顔を隠すように俯く。
「なになに、水臭いなぁ。親友のあたしにぐらい教えてくれたっていいじゃんかぁ。うりうり、言ってみなせぇ」
「だから違うからぁ……」
否定の言葉を口にするけど、その声音が弱々しいことは自分でもわかった。
為す術なく俯き、さーちゃんの追求をなんとか逃れようとしていると、教室後方の引き戸が開く音がする。
反射的に顔を上げると、神原くんが現れた。
……よかった、ちゃんと眠れたみたい。
ホッと胸を撫で下ろす。
神原くんが席に着くのを視線で追っていると、さーちゃんがポツリと呟いた。
「……な~んか、怪しいなぁ」
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