第11話 本音

 夕食をご馳走になっている間に日を跨ぎ、帰りの最終バスを逃してしまった。

 仕方ないので腹ごなしに歩いて帰ろうと思っていると、白雪さんのお母さんが「車で送ってあげる」との申し出を受けた。


 なぜか許してもらえたとはいえ、俺は謝罪に来た立場だ。

 夕食をご馳走になったばかりか送迎までしてもらうのは……と固辞したが、「大人として娘の友だちをこんな時間に一人で帰せない」と言われてしまえば返す言葉もない。


 いつの間にか白雪さんのお父さんの姿はダイニングにはなく、隣のリビングのソファで盛大ないびきをかきながら寝ている。

 陽気なお父さんだなと思っていたが、白雪さんは終始恥ずかしそうにしていた。


 そんなこんなでお父さんのいびきが響き渡るリビングを出て、玄関へと向かう。

 靴を履き終えて振り返ると、白雪さんが小さく手を振ってきた。


「神原くん、今日はありがとう。また明日ね」


 淡い微笑みを浮かべる白雪さんが口にしたのはただの別れの挨拶。

 俺もすぐに返せばいいのに、どうしてだか言葉が詰まった。


 ……いや、理由はわかっている。

 白雪さんのご両親には許してもらえたが、俺はまだ自分を許せてはいなかった。


 自分の私欲に彼女をただ巻き込み続けていいのかと、疑問と不安が胸中に渦巻いていた。


「……ああ、また明日」


 結局、俺は問題を先送りする形で気の利かない挨拶を返し、白雪家を後にした。


「神原くん、こっちこっち」


 駐車場に停まっている赤い車が一瞬光り、鍵が開く。

 運転席へ乗り込む白雪さんのお母さんに続いて俺も後部座席に乗ろうとした時だった。

 お母さんがどこか悪戯っぽい笑顔を浮かべて助手席をトントンと叩く。

 ここに座れということらしい。


「し、失礼します」


 クラスメートのお母さんの隣に座ることに緊張を覚えつつ、俺は素直に従う。


楢坂ならさか駅前でいい?」


「はい、お願いします」


 行き先を定め、車がゆっくりと走り出す。

 車内に洒落た洋楽か何かが流れ始めた。


 まるで面接でも受けるみたいにかちこちになって座っていると、隣から声が飛んでくる。


「一人暮らしなんだって? 大変じゃない?」


「最初は大変でしたけど、今はもう慣れました」


「ご飯とかどうしてるの?」


「基本は自炊してます。たまに面倒な時は外食しますけど」


「偉いじゃない! 娘にも見習って欲しいわ~」


「白雪さんは……姫乃さんは料理が苦手なんですか?」


「あの子、手先が不器用だから。保健委員なんでしょ? 絆創膏、ちゃんと貼れるのかしら」


 お母さんの冗談に思わず笑ってしまう。

 ……冗談、だよな?


 それにしても、白雪さんって不器用なのか。

 なんというかそんなイメージなかった。


 ……俺の頭を撫でる彼女の指使いはとても繊細だったし。


「まあたまにはうちに遊びに来なさいな。今日ぐらいのご飯だったらいつでも出してあげるわ」


「…………ありがとうございます」


 この親にしてあの子あり、というのは俺が思うのは失礼だろうが、ピッタリの言葉だと思う。

 なんにしても、白雪さんが優しすぎる理由の一端を垣間見た気がした。


 これまで(法定速度を守って)快調に飛ばしていた車が赤信号に捕まる。


 車が停まったことで揺れが収まり、先ほどまでとは違った気まずさが生まれる。

 そんな中、俺はずっと気になっていなかったことを口にすることにした。


「……俺、てっきり二度と白雪さんに関わるなって言われると思っていました」


 俺の呟きに、前を向いていた白雪さんのお母さんが初めてこちらを向く気配がした。


「どうして?」


「どうしてって、親の立場からしたら心配する物じゃないですか? 夜遅くまで一人暮らしの男の家で二人きりなんて」


 なのに、二人は俺を責めることなく、どころか温かく歓迎してくれた。

 結構な覚悟をしてきたつもりなのに、ある意味拍子抜けした感じだ。


 俺の疑問に答えてくれる前に、信号が青に変わって車が動き出す。

 軽いGで体が座席に押しつけられる。

 ちょうどBGMが終わり、別の曲に切り替わる間の数瞬の静寂。


 そこで、お母さんが深い声音で口を開く。


「そうね、心配したわ」


「…………」


「でもね、娘からあなたのことを連絡されて、安心もしたの」


「安心?」


「この子なら任せられるっていう意味よ」


 そう話すお母さんの声は、今日一番優しい気がした。

「もっとも、あの人には逆効果だったみたいだけど」と、笑いながら付け加える。


 娘を夜遅くまで拘束していた俺に、どうしてそんな信頼を……?


「ピンと来てないみたいね」


 眉を寄せていると、どこか呆れた声が飛んでくる。


「この際だから改めて言っておくけど、今日のことは神原くんじゃなくてあの子が悪いんだからね? 遅くなるって一報入れてればよかった話。神原くんのためとか、そういうのは関係ないから」


 母親然とした声で淡々と語る。

 そうして彼女は続けた。


「だから、神原くんは今回のことを負い目に感じる必要はないわ。それに娘も神原くんの力になりたがっていることだし、神原くんが迷惑でないなら、今後娘を避けないであげてね」


「――っ、どうして」


 どうして俺が白雪さんを避けようと考えていることがわかったのだろう。

 思わず運転席の方を見る。

 彼女は前を向き、ハンドルを握ったまま僅かに口角を上げた。


「これでも人の親よ? 真面目な子が考えそうなことぐらいわかるわ。それに、あの人と違って私はあなたのことを娘から……いえ、なんでもないわ」


「え……?」


 一体何を言いかけたのだろう。

 訊ね直そうと思ったが、とても答えてくれるようには見えなかった。


 だが、なぜか。

 白雪さんのお母さんはまた悪戯っぽい笑みを浮かべていた。




 ◆ ◆ ◆




「送っていただきありがとうございました」


「はいはい、またいらっしゃい。娘も喜ぶわ」



 楢坂駅前のロータリーで降ろしてもらい、走り出した車を見送ってから家へ帰る。

 風呂に入り、いつものルーティンをこなして寝室に入る頃には、時刻は2時を回っていた。


 慌てて家を出たから、ベッドの上は少し荒れている。

 軽く整えてから横になり、ゆっくりと目を瞑った。


 瞼の裏に、白雪家で食事をした時の光景が蘇る。

 赤ら顔で陽気なお父さん。窘めながらも優しいお母さん。どこか所在なげで恥ずかしそうにしていた白雪さん。


 白雪さんとは昨日初めて会話らしい会話をしたばかりなのに、まさかその翌日にこんなことが待っているなんて予想だにしなかった。


 白雪さんのお母さんに、俺が迷惑に思っていないなら白雪さんを避けないであげてと言われた。


「迷惑に思うわけ、ないよな」


 ふと隣を見る。

 もちろん、誰もいない。


 数時間前まで、ここには白雪さんがいた。

 白雪さんがいて、頭を撫でてもらって、そして俺は寝ていたのだ。


「…………なんか、寂しいな」


 口を衝いて出た言葉は、紛れもない本音で。

 クラスメートの女子にそんな思いを抱いていたことが恥ずかしかったが。

 最早誤魔化せない、俺の本心だった。

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