第10話 白雪家

 白雪さんに俺のことを伝えてもらった後、俺たちは駅前のロータリーからバスに乗り込んだ。


 この時間は流石に人が少なく、学生の姿もない。

 制服姿の俺と白雪さんが妙に目立っている気がする。


 空席が目立つ車内だが、俺たちは横並びに座っていた。


「今日は不思議な一日だね」


 彼女のご両親にどう謝ろうか考えていると、窓際に座る白雪さんがぽつりと零した。


「不思議?」


「だって、私が神原くんの家にお邪魔して、これから神原くんが私の家に来るんだもん。不思議じゃない?」


「遊びに行くわけじゃないんだけどな……」


 何が楽しいのか、白雪さんはふふっと笑う。

 俺としてはこの後のことを考えて陰鬱な気持ちなのだが、彼女の方はそうでもないらしい。


 母親に俺のことを伝えてもらった後も、白雪さんは「お母さん、気にしてなかったよ」とフォローしてくれたが、そんなはずがない。

 大事な娘が事前の連絡もなく、夜遅くまで男の家にいたと知ったら気が気でないはずだ。


 家には両親が二人とも揃っているらしい。

 こちらとしては誠心誠意謝るしかないが、状況からして許してもらえるかは怪しい。


 バスはほとんど停車することなく、目的のバス停がアナウンスされた。

 白雪さんが頭上の降車ボタンを押した。


 降車したバス停のすぐ傍には閑静な住宅街が広がっている。

 街灯もそれなりにあるが、薄暗い場所はどうしてもあって、どこか頼りない。


 一緒に来てよかったと思いながら、俺は白雪さんの後に続いた。


 緩やかな坂を上るようにして歩き続ける。

 程なくして、白雪さんは一軒家の前で足を止めた。


「ここが私の家。……緊張してるの?」


 白雪の表札が掲げられた家の門前で振り返った白雪さんは、俺を見て覗き込むように訊ねてくる。


「当たり前だろ。……一応、殴られる覚悟はできてる」


 俺の覚悟を白雪さんは「なにそれ」と小さく笑い飛ばしながら、門扉を開けて中に入った。


 白雪さんが扉に鍵を挿していると、玄関先が明るくなる。


「お帰りなさい、姫乃」


「ただいま、お母さん」


 白雪さんに続く形で土間に上がったときだった。

 にこやかな笑顔と共に、白雪さんのお母さんが現れる。


 似ているな、と一瞬思ったが、そんなことを考えているよりもやることがある。

 俺は白雪さんのお母さんへ向けて体をくの字に曲げた。


「か、神原伊月です。この度は本当に申し訳ございませんでしたっ」


「ちょ、神原くん? 謝るってそういうこと……?!」


 白雪さんの慌てた声が飛んでくる。

 一体他に何があるというんだろう。


「まぁまぁ、ここで話すのもなんだから上がっていきなさいな。ね、神原くん」


「え、でも……」


 お母さんのおっとりとした声に顔を上げる。

 彼女はなぜだかにんまりとした笑顔を浮かべている。


(本当に怒っていない、のか……?)


 戸惑っている俺に、白雪さんが「せっかくだしあがっていきなよ」と言ってくる。

 ちゃんと謝罪できていない状態で帰るわけにもいかず、俺は靴を脱ぐ。


「お、お邪魔します」


 二人に続く形で廊下を進み、奥の扉をくぐる。


「君が神原くんか」


 通された部屋はLDKの間取り。

 ダイニングテーブルについていた男性が、眼鏡の向こうから鋭い視線を向けてきた。


 白雪さんのお父さんであることを悟るや否や、俺はまた反射的に頭を下げた。


「神原伊月です。お邪魔します」


「ふむ。姫乃は上に行ってなさい」


「え、でも……」


「いいから」


 お父さんの強い語気に圧されながら、白雪さんは俺の方を窺ってくる。

 俺が小さく頷き返すと、「わかった」と言ってリビングを出て行った。


 トントントンと階段を上る音がする。

 白雪さんの気配が完全になくなってから、俺は改めて二人に向かい合い、頭を下げる。


「この度は大事な娘さんを夜遅くまで拘束してしまい申し訳ございませんでした」


 ぎゅっと目を瞑り、誠心誠意頭を下げる。

 どんな罵声も受け入れるつもりでいた。


 重い沈黙が降りる。


 壁がけ時計の秒針が刻む音がいやに大きく感じられ、足の横で軽く握る手がじめっとする。


「顔を上げなさい」


 深く渋い声に、俺は少しの間を置いてから顔を上げる。

 白雪さんのお父さんはテーブルの上に両肘を置き、顔の前で両手を絡ませていた。

 そうして、鋭い眼差しを向けてきている。


「それで」


 お互いの視線が交差する中、また一つ、重々しい口調でお父さんが言葉を紡ぐ。


「君は、その、なんだ。……娘とは、その、あれだ。つ、つ…………」


 ぷるぷると、お父さんが震え出す。

 言葉に詰まっている。


 彼から俺へ向けられる怒りは相当なものなのだろうと感じつつ、俺は次の言葉を息を呑んで待つ。


 傍らから飛んできた「お父さん、しっかり」というフォローの言葉を受けて、白雪さんのお父さんは深く息を吸い込む。

 それからまた鋭い眼光を俺へ向けて、ゆっくりと口を開いた。


「君は、娘と……付き合っちゃったりしてるのかね」


「……え?」


「――いや! いい! 皆まで言わなくても! わかっている、わかっているとも。だが、なんだ、こんな夜遅くまで家で二人というのは……わかるだろう?」


「……あの」


「なんだ!」


 お父さんの血走った目に気圧されつつ、俺は気を強く持つ。


「俺と白雪さんは、その、付き合っていないです」


「……なんだと?」


 妙な勘違いが起きているみたいだ。

 元々きちんと説明するつもりだったが、俺は居住まいを正して、事の経緯を二人に話すことにした。




 ◆ ◆ ◆




 ……どうしてこうなった。

 俺は目の前の光景が受け入れられなくて、頭を押さえていた。


「いやぁ、神原くんだったか。君もどうだ、ほれいっぱい」


「ちょっとお父さん! 神原くんは未成年ですよ!」


 バシバシと、隣に座る白雪さんのお父さんがビールが注がれたコップを片手に俺の背中を叩いてくる。

 つい先刻まで厳格なお父さんというイメージだった彼の顔は赤らみ、とても陽気になっていた。


 キッチンに立つ白雪さんのお母さんが窘めるように言っているが、効果はいかほどか。


 俺が不眠症であり、その解決を手伝ってもらっていた一連の流れを説明してから、お父さんはなぜか「祝杯だぁ!」と言い出して飲み始めた。

 上機嫌のお父さんに導かれるまま席につき、お母さんのご厚意で遅めの夕食までいただいている。


「もー、お父さん。恥ずかしいからやめてって……」


 対面の席で食事をとっている白雪さんが顔を真っ赤にして抗議の声を上げている。


 お父さんの陽気な笑い声が響き渡る。


 なんだかよくわからないが、どうやら俺は許されたらしかった。

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