第3話 突拍子もない提案
「あ、あれは違うの。その……ごみ、ごみがついてたから、とってあげようと思って」
視線を彷徨わせながら思いついたように話す白雪さん。
季節が冬なら窓から差し込む斜陽のせいにできたかもしれないが、生憎と窓の外にはまだ青い空が広がっている。
誰の目から見ても明らかなほどに真っ赤な顔で、白雪さんは今度は不服げに俺を睨んできた。
「と、というかどうして神原くんは保健室のベッドで横になってたの? 体調が悪くないなら勝手に使うのはよくないと思うんだけど」
「いや、俺は……」
至極真っ当な指摘に、俺は事情を説明しようとして口ごもる。
俺が不眠症に悩んでいることは、一部の教員を除いて誰にも話していない。
中学時代はそれで散々な目に遭ったからな。
(でも、白雪さんなら話しても大丈夫か……)
彼女なら言いふらすような真似はしないという謎の確信があった。
何より、このまま誤魔化せる状況とも思えない。
「誰にも言わないで欲しいんだけど」という切り出し方をすると、白雪さんは真っ赤だった顔を一転、真剣な表情で俺の言葉を待つ。
「簡単に言うと、俺、不眠症なんだ。そんなに大層なことじゃないんだけど、いつもあんまり寝れなくてさ。それで風祭先生のご厚意で、昼休み中は保健室のベッドを借りてるんだ」
俺がそう言うと、彼女は納得した風に頷いた。
「そうだったんだね。……それでお昼休みはいつも教室にいなかったんだ。教室にいるときも寝てばっかりだったのはそういう事情が……」
後半は独り言のようにもにょもにょと呟いていて上手く聞き取れなかった。
だがまあ、納得してくれたようで何より。
「まあそんなわけで掃除も手伝わなくていいからな?」
「それとこれとは話が別だよ。ほら、二人でやった方が早く終わるし」
「お、おい」
止める間もなく、白雪さんが机を運び出した。
結構頑固なところがあるんだなと苦笑いしてしまった。
……結局、なぜ俺の頭を撫でていたのかは訊ねそびれたが、今更話を蒸し返すのもあれだろう。
重たそうに机を運ぶ白雪さんを横目に、俺も慌てて動き出した。
「話したくなかったら全然大丈夫なんだけど」
教室前方の掃き掃除も終えて、俺が席を元に戻し、白雪さんが黒板の掃除をしている時だった。
不意に白雪さんが切り出してきた。
「不眠症ってどういう感じなの? 眠れない、ってことだよね?」
それが茶化し目的の質問でないことは、彼女の気遣わしげな声音から感じ取れる。
こちらに向けられた華奢な背中はどこか不安げに俺の返事を待っていた。
「そうだな。白雪さんは目が冴えて寝付けないって経験はないか?」
「あるよ。夜遅くまでテレビ見ちゃったときとか、遠足とか旅行の前日の夜とか」
「たぶん、一番近い感覚としてはそれだと思う。体がだるくても、頭がボーッとしていても、なぜか寝付けなくて、寝れない感じ」
症状にも色々あるが、俺の場合は何時間でも寝付けない。
体が限界を迎えたその瞬間に電池が切れるみたいに意識が途絶え、最低限の充電がされたら強制的に目が覚める。
だから寝たという感覚は薄いし、目覚めは最悪な気分だったりする。
「じゃあ教室でいつも寝てるのは、眠たいから?」
「いや、あれはどっちかっていうと体力の温存だな。動くと疲れる……というか、面倒だから」
自分で話してて思ったが、俺って割とろくでもないやつだな。
白雪さんにもどん引かれてそう。
……と思ったが、いつの間にかこちらを振り向いていた彼女はどこか憂いを帯びた表情をしていた。
それからおずおずと俺の方を窺うように彼女は口を開く。
「だったら教室の掃除も面倒だ~ってならなかったの? みんな帰っちゃってるんだし、やってられるか~って」
「それとこれとは話が別だからな」
俺がそう言うと、白雪さんはきょとんとした。
最後の机を戻し終え、小さく息を零しながら続ける。
「俺まで掃除をサボったらクラスのみんなに迷惑がかかるだろ? ただでさえ教室ではだらしなく過ごしてるんだ。これ以上不眠症を言い訳にはできない」
「――――――――」
俺が眠れないのは俺の問題だ。
そのせいで誰かに不利益を被らせたくはない。
俺が教室で一人でいるのだって、突き詰めればそこに行き着く。
普通じゃない俺が普通の奴らとつるむと問題しか起きないんだから。
「ん、どうした」
心の中で自分を戒めていると、白雪さんがボーッと俺を見つめているのに気が付いた。
彼女の瞳は俺に向いているのに、どこか遠くを見ているようだ。
声をかけると彼女は弾かれたように動き出し、「えへへ」となんだか嬉しそうに笑った。
その笑顔の意味がわからなくて眉をひそめると、彼女は胸の前でそっと両手を合わせてやっぱり嬉しそうに口を開く。
「神原くんとちゃんとお話しするのって今日が初めてだけど、やっぱり私の思ってた通りの人だなーって」
「それって褒めてるのか?」
「もちろんっ」
思ってた通りって、どう思われていたんだ?
クラスでいつも寝てる陰キャとか、そんな感じだろうか。
深く追求すると傷つきそうな気がしたので、俺は黒板の溝の掃除に移ることにした。
「あれ? でも体調不良じゃなかったなら、どうして神原くんは五時間目の授業を休んだの?」
掃除を終えて教室内の窓を閉めていると、またしても白雪さんが訊ねてきた。
「神原くんのことだからずる休みしたわけじゃないよね?」
「どうだろうな。傍から見たらずる休みになるのかも。その時間、俺は保健室のベッドで寝てただけだから」
「じゃあ不眠症が治ったの?」
「そういうわけじゃないんだけどな……」
さっきの説明でここ数年、ずっとまともに眠れていないと説明したばかりだったから誤解させたみたいだ。
ただ、誤解を解くにはまた話を昼休みの出来事に戻す必要がある。
そしてそれは白雪さんにとって、何より俺にとっても避けたいことだ。
(……まさか、白雪さんに頭を撫でてもらったおかげで寝れたって説明しろとでも?)
「そんなのどんな羞恥プレイだよ!!」と心の中で叫ぶが、言葉を濁す俺に、白雪さんは不思議そうにしている。
「いやー、その……なんていうか……」
「はいっ」
「まあ、あれだ、あれ……」
「はいっ」
なんとか誤魔化せないか言葉を探す俺に、白雪さんは相槌を打ってくれる。
「…………」
俺は結局、正直にことの顛末を話すしかなかった。
そうしてまた、教室内の状況が振り出しに戻る。
俺の顔は風邪を引いたときみたいに熱くなっているし、白雪さんは気まずそうに両手の指をいじいじと絡めている。
だが、先ほどと違って今は掃除を終え、この場を解散する口実ができていた。
内心で深呼吸してから、俺は軽い調子で声をかける。
「掃除も終わったことだし、白雪さんが教室に残らないなら戸締まりするけど、どうする?」
「あ、忘れ物を取ったらすぐに出るね」
「別に急かしてるわけじゃないからごゆっくり」
パタパタと早歩きで窓際後方の自席へ向かった白雪さんは、机の中から一冊のノートを取り出し、鞄へ仕舞っている。
その間に俺は自分の荷物を肩にかけ、後ろの引き戸を施錠してから廊下へ出た。
「ごめん、お待たせ」
はにかんだ笑顔と共に白雪さんが教室を出てくる。
俺は彼女に笑いかけながら鍵穴に鍵を挿した。
ガチャリという硬い音が廊下に響く。
遠くから吹奏楽部の演奏が聞こえてきた。
「改めて今日は助かった。ありがとう。お礼ってわけじゃないけど、何か手伝って欲しいことができたら声をかけてくれ。……白雪さん?」
振り返ると、白雪さんは何やら難しい顔をしていた。
うんうんと考え込む素振りを見せ、やがておずおずと顔が上がる。
「か、神原くんっ」
なぜか上擦った声で彼女は続ける。
「……ぁ、あの、私が頭を撫でたから、神原くんは眠れたんだよね?」
「そ、そうだと思う。……たぶん」
どうしてそんな恥ずかしいことを確認してくるのだろう。
俺にとっても白雪さんにとっても、あれは黒歴史に類するエピソードのはずなのに。
しかしてその理由はすぐにわかった。
白雪さんは一度顔を伏せると、口元をきゅっと引き締め、やがて意を決したように顔を上げた。
「――だったら、また撫でてあげようか?」
「え?」
真っ赤な顔。潤んだ瞳。綺麗な黒髪が一房、頬の前に垂れる。
しかしそんなことを意に介さずに、彼女は俺を見つめていた。
突拍子もない提案に真っ白になった俺の頭は、そんな彼女を見て「綺麗だな」なんてくだらない感想を抱いていた。
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