第11話 二人の公子

 宵闇に抱かれたモルテ=ポッツの港では、辺境騎士団の兵士たちが長い列をつくっていた。

 兵士たちの乗船を指揮するのは、引き締まった細い身体に、波打つ金髪の持ち主、タンクレディ。

 彼は落ち着きながらも、厳しい口調で、組み分けされた兵たちが混乱せずに乗船できるよう、的確な指示を出して回っていた。

「誰が船を貸すと申した」

 戦装束のロベールが、松明を掲げる兵たちを伴って彼の元に現れる。

 その声を背中に受けたタンクレディは、ゆっくりと、一段高い桟橋の上から振り返った。

「久しいな…俺の姿を見て、驚かないのか?まさかだろ、だって感動の再会だぜ?」

「相変わらずだな…兵たちが、突然、お前が現れて軍船を徴用したと、泡を吹いて報告してきたわ。フラムの軍船を二隻、水先案内も受けずに無断で入港させ、さらに人様の領土に火を付けた貴様が…なんという言い様か!貴様は、よもや歓待されるとでも思ったか?厚顔無恥な狂った弟よ」

「二隻では足らないのだ。もう一隻あるが、あれはすでに兵を満載している。悪いが、ぐずぐずしてはいられないんだ。パヴァーヌの連中が、そろそろ火を迂回して港までやってくる」

 ロベールは、鞘に納めた一振りの刀を持ち上げた。

 その眼光には、陰鬱な殺気が宿っていた。

「その船は、悪魔どもの都市を焼くためのものだ。もう一度言う…船は貸せない」

 タンクレディは桟橋の端まで歩み寄り、しゃがみ込んで弟の目線に近づける。

「その魔剣の力で、アルリングの豪族たちを黙らせたのか。お前にしては、上出来だよ…まったく、少し見ないうちに立派になったと、俺は感心したさ。だがな…そいつは、もう抜くな。それを抜く度に…きっとお前は破滅に近づいていく…それは、そういうシロモノなんだろ?」

 タンクレディは手を伸ばして、ロベールの白い髪を摘み上げる。

 ロベールはそれを手で払うと、周囲の兵たちに語りかけた。

「おやまぁ…冗談だろ?戦に大敗した死に損ないが、この私に指図しているぞ?多くの兵と40隻もの船を失った男が!竜の襲来に怯える祖国の民を見放し、辺境を横から掻っ攫う軍勢に与した男が!今さら、公子気取りか?…信じられない。私の前にいるのは、悪魔の遣わしたまやかしの類ではあるまいか!」

 タンクレディは、面倒臭そうに鼻頭を掻くと、ひょいと桟橋から石畳へ飛び降りた。

「なぁ、ロベール…この国は、今やお前のモンだ。正当な権利だし、異論など毛頭無い。俺は、それを邪魔するつもりはないんだ。だから、戻らなかった」

「ふん、正直に言えばいいだろう。私の下に付くのが嫌だったと。あいも変わらず好き勝手に行動し、そしていよいよ、満を辞しての登場か。我がモルテ=ポッツに災厄を擦り付けに!」

「それは、成り行きだ!文句はパヴァーヌ王に言え!」

 チッタヴィルの名を持つ男たちは、鼻をつけ合わす近さで言い争った。

「船は貸せぬ、すぐに兵たちを降ろせ」

「すぐには使わないだろ?パヴァーヌ軍がいる限り、どうせ船は出せない。ここで騎士団に借りを作れば、何かと有利に交渉できるようになる」

「なぜ、私が騎士団に借りを求めると思う!?洋上には、要塞化された拠点が点在する。私が整備させた!陸からの攻勢だけでは、もはやこの国を陥落させることは不可能だ!陸軍しか持たぬパヴァーヌなど、恐るるに足らない!増してや、フラムの海軍力に引けを取るほど、モルテ=ポッツは落ちぶれてもいない!クェルラートが弱体化した今、この国を脅かすものなど、どこにも存在しないのだ!」

「なぁ、落ち着け…船を貸してくれたら、パヴァーヌの捕虜を分けてやる」

 ロベールは、タンクレディの胸を刀の鞘で小突いた。

「要らぬわッ!奴隷ならば蛮族どもで足りておる!」

「そうじゃない。捕虜交換のためだ」

 ロベールは顔を顰めた。

「軍事同盟でも組んだつもりなのか?騎士団の大将でもないお前が?笑わせる!私は、パヴァーヌとは手を組んだとしても、貴様とは手を組むつもりはないわ!」

 タンクレディは、両手をあげながらすまなそうに呟いた。

「…だが、お前の想定はとっくに覆されちまってるよ。相手は、もうすっかりやる気だ」

 ロベールは、弟の顔を怪訝そうに睨みつけた。

 その時、敵の襲来を告げる鐘が、港に轟いた。

「ロベール殿!敵軍が港の防壁に取り付きました!」

 ロベールの顔に怒りが満ちた。

「敵とは!?」

「はっ…パ、パヴァーヌ軍です。すでに交戦が始まっております!至急、ご指示のほどを!」

 顎を突き上げ、モルテ=ポッツの支配者は弟に首だけを向けて、静かに問うた。

「これも、お前の筋書きなのかッ…」

 いくら凄んでも、彼の弟は動じる素ぶりもない。

「予測できたはずだ。パヴァーヌにしてみれば、行き掛けの駄賃程度にしか思っていないんだ。お前がどう対応しようが、どの道、何癖なんていくらでもつけられる。こうなる運命だったのさ。戦は避けられない結果だ。俺も参戦する、共に戦おう!」

 その時、西の防壁の方角から、どんッと爆発音が轟いた。

 クソッと舌を鳴らし、ロベールは鞘を夜空へと高々く掲げあげた。

「一介の騎士の助力など必要ない!我が公国の軍勢と、このイズモがあれば…私は無敵だ!」

 白い長髪の隙間からイヤリングが顔をのぞかせ、篝火の炎を反射させた。


 砦の中から、兵舎の中から、続々と兵士たちが現れ、西側の防壁へと駆けつける。

 豪族たちの手勢だ。彼らが連れているのは、その多くが蛮族からなる奴隷兵たちだった。中には、3mを超す巨体のオーガーまで含まれた。馬に乗る豪族の側には、さらに奇怪な出立ちの者たちがいた。黒いローブを頭からすっぽりと被り、さまざまな装飾を施した短い槍を杖のように付いて歩くその姿は、まるで蛮族たちの族長か、祈祷師のようだった。

 辺境騎士団の騎士の一人が、タンクレディの元に駆け寄り、これは一体何事かと、質問を投げかけた。

 タンクレディが簡潔に答えると、騎士は驚愕の声を上げた。

「蛮族を軍勢として使役するとは…末恐ろしいことを考える…反乱が起こったらひとたまりもない」

「…そうだな。だが、もうこの国には軍勢を組めるほど、人は残っていないんだよ」

「あの黒いのは、まるで魔術師ですね…」

「正確には、呪術師だ。蛮族どもの精神を束縛している。これが、この国のやり口だ」

「未だに、その手の者がこれほどまで、生き残っているとは…しかし、これならパヴァーヌ軍にも対抗できそうですな」

 タンクレディの表情は浮かない。

「見掛け倒しでなければな…それよりも、他の者たちにも状況を知らせろ。予定通り、乗り込みが完了次第、沖合に出て待機だ。急がせろよ!」

「我々も共闘しないのですか?」

 二人は、辺境騎士団が拝借していない、モルテ=ポッツのガレー船団が移動を開始する姿を見つめた。帆を畳んだまま、数十本の櫂が規則正しく、ゆっくりと船を出航させていく…。

「先に高みの見物を決め込んだのは、ロベールの方だ。それに、蛮族どもが自軍・敵軍・援軍の区別がつくのかどうかも判らん。姫さんの指示があるまでは、予定通りに行動しろ」

「了解しました!」

「おい、待て!」

 他の船に向かって走り出そうとした騎士を、タンクレディは呼び止めた。

「それから、ここの指揮はお前に任せた。しっかりやれよ!」

 動揺する騎士を尻目に、彼は奴隷兵たちの集結地へと向かった。


 一方、夜になってようやく鎮火した葦原にて、再集結を果たしたパヴァーヌ軍は、港の西側に布陣していた。

 モルテ=ポッツの街の周囲は、堅牢とは言えないまでも、5mほどの高さを持つ城壁で隙間なく覆われている。とりわけ南側の港は、城砦と一体化した構造で、等間隔に設置された塔に守られていた。攻城兵器の類は、平原に待機する本隊に残したままだ。どの道、ぬかるんだ葦原を越えてここまで運ぶのは、至難の業。だが、パヴァーヌ王にはまだ別の懐刀が残っていた。

 それは、辺境騎士団の主力部隊を一気に壊滅させる手段として、残しておいた懐刀だ。


 夜の闇に覆われた葦原が束の間、まるで極小の太陽が出現したかのような、眩い閃光と熱波に侵された。


 モルテ=ポッツの城壁の中で、敵の侵略に怯える市民たちは、爆音と振動に身を震わせた。

 内臓を揺さぶる破裂音、そして静寂…。

 次に轟いたのは、パヴァーヌ兵たちの歓声だった。

 再び馬上の人となっていた王は、腰を浮かせてはしゃいでいた。

「どうだッ!?防壁が吹っ飛んだぞ!見事なまでに、すごいぞ!一撃じゃッ!」

 新任の賢人ウルバンも、これには目を丸くした。

「初めて見ました!なんという威力!このまま、敵もろとも城砦を破壊してしまいましょう!」

「ところが、そうもいかんて…」

 一転して冷静な王の声に、ウルバンはきょとんとする。

 王の元に、杖を付き、ローブを纏った三人の者たちが近づいて来ていた。

 顔を隠し、その人相は窺い知れない。

 何故かは解らないが、側にいるだけで背筋が凍えるような、異様な冷気を纏っていた。

 ウルバンは思わずレースのハンカチを取り出し、鼻にあてる。

 一人は足を引きずり、一人は片腕をだらんと垂らし、一人は不気味なまでに震えている。

 王は、彼らに褒章袋を渡した。

「学会の魔術傭兵たちじゃが、今日の働きは終いだ。連発すると死んでしまうのでな…酷使せぬようにと、念書にも著名させられておる」

 魔術師たちは皮袋を受け取ると、無言のまま一礼し、去っていく。

「初めて…見ました…」

「さて、兵たちはすでに突撃しておるぞ。儂も出向くとしよう!お前も着いて参れ!」

 王は、カーテンウォールに穿たれた大穴に駆けつけたが、なぜか壁の内側から、攻め入ったはずの友軍兵たちが押し戻されて来た。

 兵たちが掲げる松明が照らし出したのは、壁と同じ背丈を持つ巨大な蛮族、オーガーの戦士の姿。

 果敢に槍を繰り出す兵士たちを、オーガーはその長い腕を活かして、横なぎに吹き飛ばした。

 ここにいるのは、持ち前の闘争心と、常日頃からの飢えによって猛り狂う、裸同然の蛮族では無かった。手足の腱を金属製の防具で守り、なめし革で作られた巨大な革鎧と、同じく巨大な金属製の棍棒を装備した、重装備の巨人兵だ。

 それも、後から二体、三体と増えていくではないか。

「怯むな!えぇいッ怯むな!弓を持つ者は、顔を射よ!騎士たちはランスを構えるのだ!」 

 王は剣を掲げながら兵たちの間を走り、鼓舞する。

「下がれ!場所を空けろ!」

 騎士たちが助走する空間を確保しようと、兵たちを押し除ける。そこへオーガーたちが詰め寄った。

 カンッ、カンッと弓が鳴り、バシッ、バシッと弩が矢を放つ。

 騎士たちはランスを太ももに突き立てるが、助走が足りずにオーガーたちの突進を止めることもできない。

 騎士の身体が宙を舞い、軍馬は草原に投げ飛ばされた。

 全身に矢を受けながら、それでもオーガーたちは怯まない。

 後続から小柄な蛮族たちも参戦し、葦原は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

「松明を拾え!灯りを絶やすな!」

 王は下知を飛ばしながら、後続の部隊へと移動する。ここからは、先の戦場が視界に入らない。

 夜の闇と味方の悲鳴に怯える兵士たちの前に、王は毅然とした姿で現われ、そして言った。

「皆、覚えておるか!?何のために、お前たちはここにおる?我らは、蛮族を一掃するためにこの地まで来たのだ!それを思い出せ!この国は、蛮族たちを味方に引き入れた、邪教の巣窟だ!敵は、蛮族とそれを操る邪教の類だ!パヴァーヌのもののふどもよ、蛮族を倒せ!敵は少数だ!波状攻撃で必ず撃滅できる!蛮族を倒すのだ!それがお前たちの使命ぞ!第二隊、突撃せよ!行けッ行けッ!突撃だー!」

 鬨の声をあげて、後続部隊が前進した。

 王は、兵たちの士気を見て満悦の笑みを浮かべる。

 王の腹はすでに決まっていた。

 再集結を果たした友軍は四千弱。これを城壁の内部に送り込むことができれば、勝利は確定する。城壁を取り囲み、各所で波状攻撃を行う、通常の攻城戦を実行するための数的な余裕はない。それを有利に運ぶための、攻城兵器すらこの場にはない。だから、一発勝負の魔術を使って、穴を開けたのだ。この局地戦での一点突破だけが、勝利へのただ一筋の道となる。

 第三波を送り出した後、近衛騎士の首元に、火矢が突き立った。

 王のすぐ隣で、近衛騎士は落馬した。

「海からの攻撃です!早く移動を!」

 ウルバンが指差す南側、夜の闇の中に、複数の船影が浮かび上がった。

 その甲板に無数の光点が揺らいだかと思えば、それは火矢となって夜空を彩る。

「全軍、突撃ぃぃぃ!行けッ行けッ!港に進め!留まれば死ぬぞ!進むのだ!」

 王が火矢の雨をくぐるのは、本日で二度目だ。多くの兵たちが服を燃やしても、王座を守護する神の恩恵によるものか、此度も王は無傷で切り抜けることに成功した。

 穴の空いた防壁へ戻ると、果たして戦場は港内部へと移っていた。

 雪崩れ込んだ兵たちは、モルテ=ポッツの防衛線を一気に後退させる。

 王は近衛と賢人を引き連れて、自らも港の敵を殲滅してまわった。

 積み上げられた木箱の間で、蛮族たちが打ち倒される。

 桟橋の上では、黒いローブの男が海へ突き落とされた。

 城砦への門は開かれたままで、マチコレーションの洗礼を浴びた兵たちの屍を乗り越え、友軍の一隊が果敢に突入していく。

 もはや、勝敗は決したかのように思われた。

「ロベールはどこだ!ロベールを探せ!城砦を隈無く探すのだ!」

 逃げる蛮族の背中を槍で突きながら、王は周囲の兵たちに下知した。

「お前の目は節穴か?お探しのロベール・ギスカールなら、ここにある」

 夜の闇の中から、モルテ=ポッツの騎士たちを引き連れ、その君主が姿を現した。

 パヴァーヌ王の周囲は、いつの間にか敵に囲まれていた。

「ほう、最後の悪あがきか。しかし、この状況、いつまでも続かぬぞ。降伏するのなら…」

 ギスカールは、刀の鍵を開けた。

 そして、ゆっくりと刀を抜き放ちながら、王の言葉を遮る。

「安心しろ、長くは掛からぬ…」

 夜の闇の中で、妖刀はぬめりとした青白い微光を放ち、美しい鞘鳴りを奏でる。

 それはまるで、刀自身が唄っているかのような不吉な響き。

 身幅は狭く、厚みのある片刃の刀身は緩やかに反り返る。

 刃には、白波の紋様が波打っていた。

「死を告げる歌が、聞こえたか?これが今宵、貴様の子守唄となる…」

 ギスカールの形相が、狂気のそれへと変貌してゆく…。

「魔剣の妖気に当てられおったか…しかし、魔剣を持つ者は、貴様だけではないわ!」

 パヴァーヌ王は槍を捨て、帯剣を抜き放った。

 その絢爛な剣は、松明の光を受けて、凛と輝く。

「王を守れ!」

 互いの近衛たちが二人の間に進み出で、豪と剣を打ち鳴らす。

 勝負は互角…深傷を負い、または落馬し、昏倒し、やがて近衛たちは沈黙した。

 パヴァーヌ王と、ギスカールの間を阻む者は居なくなる。

 ゴクリ…。

 パヴァーヌ王は唾を飲み込んだ。

「賢人、お前は何故に敵に向かわぬ…」

 ウルバンは、表情だけで王に慈悲を懇願した。

「行けッ」

 王の剣がウルバンの馬の尻を叩いた。

 闇の中に、円形状の紅色の光が燃えた。

 それを、切断された胴鎧の断面だと知った王は、血の気を失った。 

 慌てて馬を反転させるが、背後には蛮族の奴隷兵たちが立ちはだかっている。

「うぬぅ…万事休す…か」

 しかし、王座の守護神アルノルドは、まだ彼を見捨ててはいなかった。

 王の窮地を知ったパヴァーヌ兵たちが、奴隷兵の背後を襲い活路を拓く。

「奴を殺せ!ロベールだ!」

 王は馬を走らせ、包囲を脱出する。

「やれやれ、呼びつけよるから来てやったものを…なんとも天邪鬼な客人よ」

 ギスカールは下半身のみとなった主人を乗せて佇む馬の鞍から、短刀を引き抜くと、手首を返してそれを投じた。脚の腱を切られた馬が転倒し、王は石畳に投げ出されてしまう。

 しかし、ギスカールの元へは、槍や剣、斧を手にした兵士たちが殺到していた。

 ギスカールは馬の鞍を蹴り、単身、夜空へと舞い上がる。

 中空で刀を鞘に納めつつ、自ら敵軍の只中へと飛び降りた。

「雪華飄々」

 一陣の風を生み、妖刀は再び鞘にすぅと納まる。

 …チン。

 鞘に円鍔が触れた音を合図に、周囲の兵士たちは紅の光の輪を纏い、二倍の数となって転がった。

 取り囲む両陣の兵士たちは、指一本動かせずにたじろいだ。

 松明の燃える音、遠方での戦いの音…。

 王の口は乾ききり、もはや唾さえ飲み込めない。

 だが、それでも彼は王者だ。一兵卒と同じでは無い、という気概をここで発揮した。

「てき…敵は一人ぞぉぉぉ!」

 裏返り、悲鳴にも似た王の啖呵を受けて、兵たちも声を絞って、おおッと応える。

「弓を撃て!槍で刺せ!取り囲んで殺せ!生かしておくな!」

「貴様に武士の気概は無いのか?」

 ギスカールは穢らわしい虫を見下ろすように、愚痴をこぼした。

 弦が鳴り、飛来した矢を彼は刀で叩き落とし、あるいは身を躱す。

 近くの敵に近づき、矢の死角をついて敵を屠る。

 ギスカールの前に、槍は空を切り、剣は二つに折られた。

 剣をしかと握ったままの両腕を切り落とし、肉薄する兵士たちの間を舞うが如く、しかし確実に急所を突き、切り裂き、次々屠ってゆく。

 彼の周囲に屍が積み上がり始めた時、クォレルがその右肩にめり込んだ。

 それが、最初の一矢となった。

 足首を掴む兵士の手を切り離し、再び死の舞を続けるギスカール。

 だが、魔剣の力に身を委ねる彼の身体は、無尽蔵の体力を持っているわけでも、ましてや研鑽を積んだ鋼の肉体である訳でも無かった。

「やれ、もう少し堪えぬか…」

 三本の矢を二本まで躱し、残りの一矢を胸に受けた。

「戦馬鹿のゾルヴィにも劣らぬ我を持ってして、このていたらくとは…情けなや」

 ギスカールは目線を巡らすが、パヴァーヌ王の姿は、すでに何処かへ消え失せていた。

「仕様がないのぅ…しからば、あと百程度の命は、吸わせていただくか…」


 葦原の茂みに座り込み、パヴァーヌ王は胴鎧の留め紐を外して、投げ捨てた。

 兜はいつ失ったのか記憶に無い。

 髪は汗まみれで、背中もズボンもぐっしょりと濡れていた。

「阿呆らしい、あのような化け物相手に…とても付き合い切れぬわ!」

 王は辺りに敵が潜んでいないか、改めて周囲を見渡し…悲鳴をあげた。

「騎士国の王も、逃げる時は逃げるのね…あ、そうか。今日だけで二度目、だったかしら?」

 二人の騎士が、背後に立っていた。

 一人は、癖の強い金髪を胸まで伸ばした細身の騎士。

 そして、もう一人は銀の髪を後ろで結い上げ、同じように輝く白銀の甲冑を纏った女騎士だった。

 王は剣を拾い上げ、ぜいぜいと息を吐きながらも、なんとかして立ち上がった。

「ここに来て、ようやっと姿を見せたな…我が魔剣と一騎打ちで勝敗を決める算段か?」

 王は言いながら、必死に闇を見渡し、退路を確認する。

「奴の剣は、まがい物だ」

 タンクレディが言うが早いか、アマーリエの大剣が鞘から飛び出した。

 甲高い悲鳴と、微かなフラクシン発光を残して、パヴァーヌ王の剣は折れた…いや、断たれた。

 アマーリエは鼻から深い息を吐いて、剣を納める。

「…まだ、痛むか?」

 タンクレディは主人の傷を労るが、主人はそれを無視してへたり込んだ王の耳元でゆっくりと囁いた。

「貴方は、まだ殺さない。何故なら…皇帝に続いて貴方を殺めたら…いい加減、私の立場が無くなるじゃない。だって、そう思わない?今は、西方諸国の存続をかけた戦いの最中なのだから、最も活躍するだろうと、期待を集めている貴方を殺しちゃ…ねぇ?」

「…何が望みだ?」

「そうねぇ…」

 アマーリエはたっぷり時間をかけてから、厳しい口調でつげた。

「まずは、捕虜の交換に応じて頂戴」

「もっともだ。賠償も付ける。そなたが制覇した地も、返還しよう」

 王は二つ返事で答える。

「10年間の不可侵条約と、交易の許可を」

「10年は無理だ。長すぎる」

「…」

「前例が無い長さだ!諸侯たちの反発を抑え切れぬ!」

「判っているのかしら?ここならば、誰にも気付かれずに、貴方を殺せるのよ?モルテ=ポッツの兵に殺されたと言えば、きっと誰にも疑われない。反感を買うのは、この国。傷つくのは、私の良心だけ…」

「儂が権威を損なえば、この交渉も無意味となるぞ」

「ふむ…一理あるわね。それに…残念ながら本心で言っている事も、判ってしまう…なら、5年にしましょう」

「むぅ…承知した…善処しよう」

「最後に、すぐに兵を退いて、本来の責務を全うしなさい」

「是非もない」

「戦神アドルフィーナの御名において、クラーレンシュロス伯ルイーサが、パヴァーヌ王オーギュストと誓約を交わすわ」

「パヴァーヌ王オーギュスト・ファン・ラ・セラテーヌが、騎士神アルノルドに誓う」

 王はタンクレディに引き起こされ、単身、夜の葦原へと消えて行った。

「途中で誰かに殺されるかもな…」

「なら、それまでの男よ」

「よく、殺さなかったな。恨み積年なんだろ?」

「流石にね…生かした方が、千倍お得だし。でも、2年前の私なら、きっと堪えてなかったわ」

 アマーリエは、夜空を見上げた。

 タンクレディもそれにならう。

「今回は、大活躍だったわね。礼を言うわ、タンク」

「どうした?惚れたか?」

「馬鹿ね…」

 アマーリエは微笑んだ。

 タンクレディは、空を見上げる彼女の横顔を見つめた。

「なぁ…俺なら…」

「?」

 振り返るアマーリエの瞳に、星空が映っていた。

「…いや、なんでもない」

 夜空に広がる世界では、人の世の趨勢などつゆ知らず。

 モルテ=ポッツの炎の明かりとその熱は、天の雲にすら届くことはない。

 静かな夜空に、一筋の蒼い流星が尾を引いた。



 全身に46本の矢と、数え切れない太刀傷を受けたロベールは、奇跡的にも助け出された。

 それから数日間、白鯨リル神の神官たちが懸命に処置を続ける中、昏睡状態のまま目を開かない。

 アマーリエが彼を見舞ったある日、事件が起こる。

 海原の遥か先、黒い煙が天に伸び、きのこの傘のように上空で広がっていることを人々が発見する。

 聞くところによれば、それはクェルラートという都市のある方角だと言う。

「今になって…燃えたか…」

 アマーリエたちは、ロベールの呟きを聞いた。

 タンクレディが呼ばれ、彼に声をかけるが、その一言を最期に、モルテ=ポッツ公は息を引き取った。


 葬儀の後、タンクレディが公位を引き継いだ。

 彼は、アマーリエと同盟を結び、共にクェルラート侵攻を成す決意を民に宣言する。

 先公を失い、多くの男たちと、奴隷たちを失い、さらには兵站まで焼失し、失望の底にいた民と豪族たちは、共にパヴァーヌ軍を撃退させた戦友を心より歓迎した。

 最後にモルテ=ポッツ公タンクレディ・ディ・チッタヴィルは、奴隷の依存から脱却した新たな国づくりを民に約束した。クェルラートとの因縁に終止符を打ち、海運業を中心として国を発展させること。それが、新たな指導者が自ら掲げた目標だった。


 風の無い早朝のこと、朝靄が海を覆う中、タンクレディは一人小舟を漕いで海に出た。

 静寂の海。

 彼はひと振りの刀を掴むと、それを海中へ投じた。

 そしてしばらく、無言で海を眺めていた…。




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