第10話 脱出
螺旋階段を降りながら、クルトは前を走る黒騎士に話しかけた。
「どこへ向かっている?いつまで降りるんだ?いい加減、目が回りそうだ…」
黒騎士は無言で走り続ける…灯りはどういう魔法によるものか、ハルトマンの来訪に合わせて、備え付けのランタンが自動的に明かりを灯していく。
ランタンの灯りが揺れ、ずしん、と大きな振動が伝わった。
「随分と荒れてるみたいだが…狙われてるんだっけな?…いったい、何をした?」
「お得意様…といったところかな。それも、随分と古い付き合いで、おかげで太らせてもらった。あの頃は、奴から搾取するのに夢中でな…今になって思えば、生贄だったのかも知れぬ」
「…よくわからんが…顧客を激怒させちゃダメだろ。お前には、商売の才覚は無いようだ」
「かも知れん…私自身、金を使ったことは一度も無いしな」
やがて二人は、地下水路の船着場に出た。
「おい、随分すんなり逃げるな…。この砦に籠っていれば大丈夫じゃないのか?相手がいくら竜とはいえ、生物だろ?…生物がこの砦を破壊し尽くせるとは、さすがに考え難い」
「私は経験済みなのだ。都市を破壊されたと伝えたはずだ。お前も手伝え」
二人は倉庫を開き、小舟に大きな袋を積み込む。
「これは?」
「食糧など、必要な物を詰め込んでおいた」
「準備万端な訳か。そこら辺はハルトマンらしくないな」
「そうでもないさ。冒険に必要な品をあらかじめ準備しておくアイデアは、ハルトマンが読んだ本から得たものだ。その準備があったからこそ、主人公は夜襲を仕掛けてきた悪の帝国の軍隊から逃れ、はるか遠くの恋人の待つ国へと旅を続けることができた」
「なるほど…その話は長くなりそうだから、先に舟を出そう」
クルトは停泊ロープを外し、桟橋を蹴ると舟に乗り込んだ。
ハルトマンは下流に向けて、舟を漕ぎ始める。
「ハルトマン、その都市の話なんだが…まさか、お前の領地だったのか?」
「気になる相手がいてな…その者が都市を支配下に治めたという情報を、私の一人が得た。会ってみようと思い、訪れてみたのだが、到着した時には…すでにその者は都市を去っていた。私が支配者になったのは、成り行きだ。だが、有益な情報も得た。血を呑ませる、という方法を知ったのも、その都市での事だ…そろそろ、外に出る」
「お前の仲間は、放っておいていいのか?」
「竜は、私の血を追っている。ある程度は残ってもらわねば、こちらが狙われてしまう。私はまだ、この個体を失いたくないし、お前の命も救いたい」
舟は石積みの水路を静かに進み、やがて明るみに出る。
外は黒い煙と、木が燃えた臭いが充満していた。
「自分で燃やした煙に隠れて、敵が逃げていくとは、奴にっては皮肉なもんだな」
水路はやがて、グランフューメの支流に合流し、そして本流へと二人を誘う。
そんな二人のことなど知る由もなく、アッシュとナタナエル、クルムドと野伏の面々は、巨大な竜が堅牢な砦を破壊していく様子を震えながら眺めていた。
長い鉤爪を備えた前脚が、尖塔に穴を開け、まるで子どもが積み木を倒すが如く、破壊していく。
「アリクイという動物を知っているか?あんな感じで、蟻塚に指を突っ込んで襲うんだ」
クルムドが嫌な例え方をした。
「古の魔導士たちが、滅んだと言う話しも頷けます」
ナタナエルの呟きを、アッシュは訂正する。
「正確なところはきっと、竜を滅ぼしたのは魔導士たちで、魔導士たちを失脚させたのは、剣士たちだよ」
時を遡ること数日…はるか南方で、アマーリエが似たような話をしたことは、当然ながらアッシュは知る由もない。
「それ、今必要な情報ですか?」
ナタナエルは竜の姿に目を奪われたまま、問い返す。
「アリクイよりも必要な事さ…だって、最終的な勝利者は、俺たち剣を持つ者たちなんだから」
クルムドは笑った。
「アシュリンド卿、私たちを鼓舞しているおつもりですかな?」
アッシュは頭を掻きながら答えた。
「いや、別にそういうつもりじゃ…待って、よく見るとあの竜の身体はボロボロじゃないか?ほら、腹のあたりとか!」
ナタナエルは唸った。
「私もさっきからそう思っていましたが…どうでしょう…元からそういうもの、かも知れませんし…何せ、竜を見るのは、初体験ですので」
「だろうな…しかし、傷を負ってなお、あの元気さだとするのなら、いよいよもって、末恐ろしい」
クルムドが腕組みをして語ると、尖塔の一つが、完全に崩落し、煙の中に消え失せた。
「よし、そろそろ行こう…」
アッシュの言葉に、ワンテンポ遅れてからナタナエルが反論した。
「え…は?撤退ですよね?」
「何を言っている、あの煙の中にクルトがいるかも知れない。ペンダントを見ろ、ハルトマンだって、まだ砦の方向にいる。今なら、誰からも邪魔されることはないだろう」
「今行くなら、誰かに邪魔された方が、マシですよッ!」
ナタナエルの悲痛な叫びは虚しく、アッシュの背には届かない。
「では、先に参る!」
クルムドがまるで楽しくて仕方ない、とでも言うような無邪気な笑みを浮かべつつ、アッシュの後を追う。
「えー…」
完全に引いた声で呟き、頭を抱えるナタナエルの様子を、不安な面持ちの野伏たちが見つめていた。
彼らは、ナタナエルが留まれば、共に残るつもりなのだろう。
ナタナエルの目と、野伏たちの目線が合わさった…。
「だ…ダメですよ、日和見は…良くありません!さぁ、行きましょうぅぅ!」
彼女の語尾は、今にも泣き出しそうなほど、震えていた。
草原を爆炎吹き荒れる砦の方向へと走る…近寄るにつれて、熱風が襲ってきた。
先行する二人は、砦から逃げ出そうとするゴブリン数体と鉢合わせになり、それを切り伏せた。その後二人は、立派なゲートハウスの脇ある、開けっぱなしの小さな通行用門から内部へと侵入した。
野伏たちを引き連れるナタナエルも、そこを目指す。
…が、蛮族の死体を飛び越え、門の眼前まで来た時、突如としてゲートハウスが崩れ始めた!
落下する石片が、ずしんッ、ずしんッと次々に地面に沈み込み、一同の足元を揺らす。
見上げれば、ゲートハウスの上に巨大な竜が張り付いていた。
竜の大きく裂けた口元からは、まるで無数の剣を噛み砕いたかのような、恐ろしげな牙が並び、メラメラと燃える炎と白煙を口角から吹き出していた。
怒りに満ちたその相貌に、ナタナエルたちは思わず脚がすくんだ。
赤い角膜と黄色い虹彩からなる瞳が、眼下で怯える人間たちを見下ろす。
グルルルルルル…長い首をグネリとくねらせながら、竜が唸った。
「め、めめめめ目が合いましたぁぁぁ…」
悲鳴をあげながら、ナタナエルと野伏たちは、来た道を全速力で引き返した。
砦の中に侵入した二人は、手分けして互いの目的とする人物を探すことにした。
アッシュはクルトを、クルムドはハルトマンを。
砦の城壁内の道は所々崩れ、白い煙が充満していた。
石造の建造物でも、木材は大量に使用されている。もし、このまま延焼が進めば天井は崩れ、砦は崩壊するだろう。アッシュの想定では、クルトは十中八九、牢に監禁されている。ゴブリンたちは竜に怯えて、右往左往しているだけだ。きっと囚人の事など忘れているに違いない。このまま牢に閉じ込められたままでは、助かる見込みは薄いだろう。
「急がないと…」
アッシュはまず、地下への道を探すが、倉庫の奥で怯える蛮族を見つけただけだった。
「となると…キープの地下か!くそッ、どこがキープだ!?」
人ひとりがやっと通れる通路で、ゴブリン2体に襲い掛かられた。
剣を叩き落とし、ミドルキックで押し倒すと、その隙に明るい方向へ向けて走り出す。
流石に、ゴブリンたちは追って来なかった。
中庭に出て、砦の構造を把握する算段だったが、これは間違いだった。
中庭に落下した櫓が炎を吹き上げ、熱気と煙で何も見えない。
咳き込みながら、進める道を探っていた時…。
衝撃波が、炎上する櫓の残骸と、アッシュの身体とを舞い上げた。
アッシュの鼓膜がキーンと高鳴り、炎と煙と煤が、世界を覆い尽くした…。
石壁に叩きつけられ、アッシュは朦朧となる。
グルルルルルル…。
彼の目の前には、馬車ほどもある竜の顔が迫っていた。
竜の吐息に獣特有の臭いは感じられなかった…ただ、灼熱の熱気だけを帯びていた。
「なるほど、熱で滅菌されるわけか…」
朦朧としたアッシュは、どうでもいい事を口走った。
竜は、細長い顔の左側面だけをアッシュに向ける。
紅の角膜が伸縮し、竜の瞳が小さく哀れな人間の姿を捉えた。
アッシュは身体をゆっくりと起こすが、膝はガクガクと震えて力が入らない。
「はは…俺も馬鹿なことをしたもんだな…」
今思えば、ナタナエルの意見は正しい。
膝は、言うことを聞かない。
竜が首を伸ばし、さらに迫った時、アッシュはついに死を覚悟した。
炎と煙の中から、鳥の羽を背負った人影を見た。
それはまるで、剣の亜神かの如く神々しく…優しく彼を抱きしめた…。
竜が無慈悲な咆哮をあげた。
咆哮は声にはならず、鉄をも溶かす死の炎流を生み出す。
アッシュは、通路の奥で目を覚ました。
目の間には、エルフの少年がいた。
彼はアッシュの燃えた服を上着で叩き、懸命に消化している。
アッシュは自分の燃えた足のそばに、たくさんの小動物たち…いや、異様なほどに無数の動物たちが、燃えて半ば炭と化して朽ち果てていることに気がついた。
「…鳥?…」
消化を終えた少年は、アッシュの身体を抱き起こした。
「馬鹿な真似をしてくれた!クルトはもう、脱出している。僕たちもここから逃げるんだ!」
少年は、涙を流している。
「…待っ…ごほッ…君は…?」
煙で目が開かなかった。
「ル=シエルだよ、忘れたの?」
「さ、こっからはもう、歩くしかない!痛むだろうけど、逃げないと死ぬよ!」
「…あ、待って。まだ他にひとりいるんだ」
「ごめん、僕の力ではこれが限界だよ…悪いけど今、僕が救えるのは、君一人で精一杯だ」
アッシュは少年に肩を抱かれながら、崩れゆく砦から抜け出した。
砦から出てくる二人を見つけて、ナタナエルたちは駆け寄り、彼らを担ぎ上げると大急ぎで稜線まで運んだ。
アッシュの火傷の具合を確かめると、彼の焼けたズボンは、黒く爛れた脚の皮膚にこびり付き、はがそうとするとひどく痛む様子だった。
「すまない…ひどい犠牲を払ってもらった」
アッシュは、ル=シエルの袖を掴んで、謝罪した。
「それは後でいい。火傷が進行しないうちに、早く治療するんだ。ギフトはまだ使えるんだろ?」
「あぁ…大丈夫、死にはしない…よ…外側の傷は、治しやすいから…」
灰色の髪の騎士は、かつて蛮族たちとの決戦によって重傷を負ったハルトマンを癒した、不思議な癒しの力で、自らの足を治療し始めた。
一同は目を丸くして、その奇跡に食い入る…。
それはまるで、時間の早回しかのようだった。
「おおお…」
一同が感嘆する中、彼は目を閉じて傷の治療を聖霊に願う。
筋肉が露出し、ぐちぐちとした火傷は徐々に赤みが引き始め、やがて皮膚が再生し、煤などの不純物を外に押し出していく…固まったヨーグルトのような状態になったところで、彼は大きくため息をついた。
「今日は、これが限界だ…どうやら完治は無理だ…でも、これでなんとか一人で歩ける」
アッシュの額には、汗の粒が吹き出していた。
「野伏の薬草で消毒を。痛みも抑えてくれます」
野伏のひとりが、治療薬を作り始めた。
「あぁ、頼むよ」
竜が砦の破壊を続ける轟音の中、野伏は干した草の葉に軟膏を塗り、アッシュの脚に布で巻きつけた。
草原の風が、焼けた木材の煙を一同の元まで運んで来る。
「…クルト卿は…だめだったのですか?」
煙に咽びながら、ナタナエルは重い口を開いた。
「水路を伝って小舟で逃げる姿を見た。あのまま大河に出て…恐らくは北に向かうんだと思う。南は今、蛮族たちの巣窟だからね」
エルフの少年が、アッシュの代わりに答える。
一同は顔を見合わせ…野伏たちの目線が、ナタナエルに集中した。
彼女は一同を代表して、次の質問をした。
「ところで…アシュリンド卿は、竜の呪いを解くこともできるのですか?」
アッシュは、額の汗を拭いながら、首を捻った。
「…どう言うこと?」
彼の答えに、ナタナエルは肩を落とした。
「…いえ、すみません。見たところ、身体は元気なようですし…このままでも、旅を続けるには何も問題はない…ですよね!どちらかと言うと、こちらの姿の方が、私の好みですし…」
ナタナエルが、取り繕った笑みを浮かべた。
「無事だったか!」
背後から煤まみれのクルムドが現れ、ナタナエルと野伏たちは飛び上がった。
「なんだ?ひとり増えてるじゃないか…アシュリンド卿、怪我をしたのか!?…ん?どうした?」
意図を悟ったハーフエルフの少年は、一同に自己紹介をした。
「クルト・フォン・ヴィルドランゲの同郷で、ル=シエルと申します。以前、辺境騎士団の元にいました。クルトとハルトマンの二人ですが…」
クルムドが、あぁ、それなら…と話を引き継ぐ。
「煙でよく見えなかったが、二人仲良く小舟を漕いでいたぞ。今、ハルトマンと認めたな?証言者がこれでまた増えた。私の旅も、ようやく終着点が見えて来たというわけだな。猛り狂う竜なんぞは、そうっとしておいて…我らは二人を追跡しよう!」
一同は、荷物をまとめて準備を始める。
「ところで…」
アッシュはル=シエルに尋ねた。
「クルトの事をどうやって知ったの?」
ル=シエルは、ニヤリと笑った。
「姫から聞いたのさ」
「…ぇ、辺境騎士団に合流したのかい?ここまで、どうやって…そういえば、さっきは…」
ル=シエルは、アッシュの包帯の具合を確かめると、彼の背中を叩いた。
「詳しい話は、後でいいじゃない!さ、痛むだろうけど、ここにいたらまた竜が襲ってくるかも知れない。早く出発しよう!」
頬に残る涙の筋を拭って、ハーフエルフの少年は、爽やかな草原の風のような声でそう促した。
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