第8話 ロベール

「ロベール公子…ご乱心を!?」

 アルシングの議席を持つ豪族たちが、彼の居室に集まっていた。

「乱心とは何だ、不躾な…私は冷静だ」

 しかしその者は、恐怖の形相で目を大きく見開いたままだ。ロベールは、その目線を追って自分の左手を見やった。

「ひッ!」

 見慣れぬ刀が握られていた。それを反射的に放り投げると、掌には血糊がベッタリと張り付いていた。

「血…ち、違う!私ではない!あいつがやったのだ。男だか、女だが定かではないが…そう、あれはエルフだ!確かそうだ…すぐに捕らえよ!侵入者だ!今すぐ探して捕えるのだ!」

 部屋の中には、豪族たちと、その一人の死体以外、何者もいなかった。

「公子…お気を確かに!」

「何を言う、私は冷静だと言っておるだろうに!早く、探すのだ!何処かに潜んでいる、きっと魔術に違いない。呪術師たちを召喚しろ!」

 豪族たちは、遠巻きに距離を保ったまま、ロベールの様子を恐ろしげに見つめているだけだった。

「…そ、そうか、これは…ギスカールがやったのだ!」

 豪族たちに改めて動揺の波が伝播する。

「ロベール公子、弟君のギスカール殿は…先の遠征でご逝去なされております」

「私が、しらいでか!?弟の魂が、私の身体を一時、乗っ取りおったのだ!故に、記憶が…」

 ロベールはそこで愕然とした。

 …記憶があったのだ。

 覚えているのは、まるで高熱にうなされている時のような靄のかかった記憶ではあるが、自分がとてつもない殺意を覚え、今まで習ったことも、まして実行したこともない鋭い刀捌きで持ってして、眼前の男を斬り…また斬り…そして、斬り刻んだ。

「おいたわしや…」

「待て…今の私は、冷静だ…ギスカールは…私と共にある。この身体に、ギスカールは天界より舞い戻った。もはや私は…ギスカールと共にある。証拠は、この太刀筋だ。ロベールである私には、不可能なことだ…」


 モルテ=ポッツは、チッタヴィル家を公家と仰ぎ、公家代表が議長となり、豪族たちが集うアルシングという会議体を形成する。それはいわば、まつりごと全てに関わる最終決定機関だ。古バヤール帝国時代から引き継がれる独特の政治構造で、公家と言えども、アルシングの場で過半数の賛成を得られなければ、外交交渉、軍事行動はおろか、法改正、予算審議すら通すことは出来ない。そして、豪族たちの求める指導者の姿とは、戦に長け、四肢はたくましく、頭脳は聡明な威風堂々たる偉丈夫である。それはただの人種や国民性といった好みの問題ではなく、実質的に重要極まりない理由があった。それは、蛮族の奴隷という爆弾を内包する社会構造だ。力…それも腕力の類を顕示でき、容易に脅しに屈しない強い精神力と堂々たる威風こそが、奴隷反乱という爆発を抑え込むための不可欠要素とされてきたのだ。ロベールは、頭脳以外の点において、豪族たちからの信頼を得られていなかった。


 その事件の日から、ロベールは、自らの名に、弟のギスカールの名を付け加え、呪われた刀を帯剣することになった。

 狂気こそが、彼が藁に縋ったものだ。

 人々を畏怖させるため、彼は狂人を演じるのだ。

 だが、演じること自体に苦労はなかった。一度刀を握れば、自然と狂気は舞い降りた。だが、苦心したのは、それを抑える事の方だった。国政に従事する者にとって、多くは苦悩と忍耐に時間を割かねばならない。狂人のままで務まる役回りではないのだ。

 ロベールは鍛治に命じ、刀に錠前をかける事にした。それを解放する鍵は、イヤリングとして身につける。

 これは、存外な効果を生んだ。

 イヤリングを見せつけることで、反抗的な豪族たちや呪術師たちは、大人しくなるのだった。

 しかし、呪術師たちの束縛を打ち破り、突発的に反抗する蛮族は後を絶たない。

 ロベールにとって、蜂起した蛮族の討伐は、格好のアピールの機会となった。

 そして、魔剣の力を解放する度に、その容貌も徐々に変化していく。

 彼の艶があり美しかった金髪は色が抜け始め、すっかり白髪となってしまった。

 いつしか、やつれたような白い肌と、くまのある相貌、そして波打つ白髪が、新たなモルテ=ポッツ公のシンボルとなった。



 モルテ=ポッツ公子ロベール・チッタヴィルは、四人兄弟の長男として育った。

 父はモルテ=ポッツ公であり、武勇、知性ともに優れ、豪族、市民を問わずに多くの信頼を向けられていた。

 弟たちはいずれも身体がたくましく、一番細身の弟タンクレディですら身体能力は群を抜いて秀で、剣技、馬術において兄弟の中で一番の達者ものであった。しかし、長男であるロベールは生まれつき身体が弱く、胆力に劣り、運動は苦手で、商船で貿易に出れば体調を崩し、狩りに出れば落馬して骨を折った。

 いつも父からは不肖の身を庇われ、兄弟たちからは白い目で見られていた。

 ついには、男の子ならば誰しも一度は熱狂する遊び、奴隷同士で戦わせる剣闘試合のごっこ遊びからも、のけ者にされてしまう。それは木製の剣と、樽の蓋を盾に改造した庶民にも浸透した遊びであったが、ギスカールの容赦ない剣戟を浴びて、あわや耳が千切れるかという怪我を負ったからだった。それ以来、父はロベールに剣士ごっこで遊ぶことを禁じた。

 タンクレディは城下に住む同年代の男子をよく連れて来た。快活で行動派な弟には、身分を問わず多くの友がおり、彼とは対極的な立ち位置にいるロベールは、内向的で外にあまり出たがらず、これといった友は存在しなかった。

 ある秋の日、兄弟たちとその友たちは、埋立地に実を成らせる栗の木を発見した。それは、食用に植えれた小さな栗林だったが、樹木の少ないモルテ=ポッツで育った子どもたちにとって、木の実は大変に珍しいものだった。

 とかく、男子たるものは、愚かな遊びを思いつくものだ。

 その時に一緒にいた子どもたちは、長男のロベール、次男のタンクレディ、三男のギスカールと、さらにタンクレディの友人ロイの4人だった。

 今回のそれは…茶色く固くなった栗の実を何秒掴んでいられるか、という遊びだった。自分で掴むだけならば手加減ができてしまうため、他の者が拳を両手で覆い、力一杯に握る、という内容で即席のルールが完成した。

 最初の挑戦者は、三男のギスカールだった。タンクレディが力を込める役で、彼は36秒という成績を残した。

 次は、タンクレディがギスカールの握力に耐える番だ。しかし、100秒を数えるまで、彼はギブアップをしなかった。ロベールにとっては、それは絶望的な数字に思えた。

 100秒なんて、僕には絶対無理だ…。ロベールは、内心焦りを覚えた。

 次は、タンクレディの友人ロイという下級貴族の子息の番になった。

 ロベールは、自分が最下位にならないために、力を込める役をかって出た。

 タンクレディとギスカールが声を揃えて、カウントを開始する。

 1秒、2秒、3秒、4秒…。

 ロベールは、めいいっぱい力を込めた。

 早く参ったと言えっ…!

 しかし、いくら力を込めても、その友人は、眉ひとつ動かさずに耐え続けた。

 ロベールが額に汗を伝わせる中、ついに、100秒を超えた。

「すごいぞ、ロイ!間違いなく優勝だ!」

 タンクレディが友を祝福して喜ぶ。

「ロベール兄さん、二人してズルをしたんじゃないだろうな」

 ギスカールが怪訝な表情で、ロベールを睨んだ。

「違うよ…僕は、精一杯握ってた!握ってたのに…」

 ロイは、自分の手を開き、不思議そうに眺めていた。

 その手のひらからは、ぷつぷつと血が溢れ始める。

「ロイ…本当に痛くないのか?耐えすぎだろ…馬鹿だな、遊びなのに」

 タンクレディは、ロイの頭に手をおいて労ったが、ロベールだけは表情をこわばらせた。

 ロベールは、知っていた。

 兄弟たちも、兄の様子が尋常でないものだと気付いた。

「知ってるぞ…これは、病気だ…この病気を知ってる!」

 ロベールは恐怖に慄き、後ずさりする。

「なんだよ、言いがかりか?みっともないぞ」

 タンクレディが、ロベールを叱りつける。

「病気だよ。これは、らい病だ…これは…らい病だ」

「違うよ、そんな病気じゃない。やめろ、黙れ」

 タンクレディがロイを庇うため、兄の頭を引っ叩いた。

「いや、絶対、らい病だ!らい病患者だ!隔離しないと、みんな移るぞ!」

 ロベールはそこから逃げ出した。

 後で思えば…あの時に、こんな気持ちがあったことは否定できない。

 栗の実を握る、痛い思いをしたくない。

 すぐに根を上げて情けない想いをしたくない。

 いや、むしろそれは事実だ。

 伝染すると信じられている、この病気を理由に、馬鹿げた遊びから逃げたい、という気持ちは確かにあった。そしてその記憶が、彼を後々まで自責の念に苦しませることになるとも知らずに…。

 らい病事件の次の日、ロベールは中庭で一人、蟻が虫の死骸を運ぶ姿を眺めていた。

 死んだつゆ虫を、5、6匹の蟻たちが互いに場所を入れ替えながら、忙しなく少しずつ動かしていく…。

「お前らは力持ちなんだな…」

 それぞれの個体は、バラバラな方向に引っ張っているように見えるのに、なぜか進む方向は一定なのを不思議に感じた。小石を置くと、それを乗り越えた。大きな石を置くと、しばらく右往左往したが、それでも迂回に成功する。

 そろそろ飽きて来た頃に、中庭に面する回廊を歩く、大人たちの会話が耳に入った。

「…らしい。なんでも、タンクレディ様はそのご友人をお庇いになられたらしいが、長子のロベール様がいたく恐れられ、その話を耳にした公は、らい病患者の追放をお命じになられたという話だ…」

 ロベールは頭に血が上った。

「なんで、僕の名前が出るんだ!?らい病患者だぞ?病気が悪いんじゃないかっ!僕が悪いみたいな事を言うな!」

 二人の大人にそう怒鳴りつけると、ロベールは気まずくなり、自室まで駆け込んだ。

 バヤール平原と辺境を遮る山脈の片隅に、らい病患者たちの集落があるという。父は、ロイをその集落へ連れて行くように命じたのだった。

 それ以来というもの、タンクレディはロベールに対し、私用で話しかけることが無くなった。


 それから8年後、末弟のアスカールを加えた四兄弟が集う部屋で、ギスカールがどこからか拾ってきた噂を、タンクレディに告げた。

「覚えているか?ロイが死んだらしい…去年のことだそうだ」

「…そうか」

 タンクレディは、それだけ答えると、ロベールを一瞥するが、長男は目線をそらした。

 結局、誰一人、感染者は現れなかった。

「話は変わるが…アルシングで、クェルラート攻略の話が具体的に話されているらしい。今日、俺たちが集めれたのは、きっとその件だな」

 ギスカールは兄たちに告げた。

「なんで、今さら“向こう側“を攻めるんだ?交易相手だろ…豪族たちは何を考えている?」

 タンクレディは、馬鹿げた話だと言わんばかりに両手を広げる。

 これに、ロベールが反論した。

「クェルラートは、モルテ=ポッツの民を拐って奴隷にしている!そもそも、そんな相手と交易関係にあること自体が間違ってるんだ。蛮族と商売をする国だと、西方世界からは、俺たちは白い目で見られてるんだぞ?」

 タンクレディは顎を突き上げて言い返す。

「西方世界がなんだ?ここは辺境のほとりだぞ。今さら、分不相応な見栄を張ってどうする?俺たちは古の部族の伝統と文化を後生大事に抱えながら、一生地味に暮らす運命なんだよ。手前の立場をわきまえろってんだ」

「では、拐われた者たちはどうなる!?見捨てろと言うのかっ!」

「だから、何で今さらって話だろっ!俺たちが生まれる前から、略奪なんて頻繁に起きていたんだ。ただ、この都市は守りが固くて、直接の被害はなかっただけだ。お前の知らない、名もない集落では日常茶飯事なのさ。だが、そもそもだ!俺たちだって捕らえた蛮族や、向こう側から買い集めた蛮族を使役してるだろ?魔術で心を操作して、生物としての尊厳を奪っている。おあいこだろ!?だから、今さら何を正義面して、剣を振り上げるのかって話をしてるんだ」

 言葉に詰まり、押し黙った長兄を尻目に、ギスカールが間に入る。

「俺の考えは、二人とはちっと違う。最近、向こう側はたいそう商売が繁盛しているらしい。西方の沿岸地帯から略奪の限りを尽くした船が、荷を満載にして戻ってくるからだ。なんでも最近では商売上手な奴がいて、都市はそりゃ、豊かになってると言う。だから、これは正義の戦いなんて、そんなツマラナイ話しじゃない。略奪さ!これは、略奪のための戦争なのさ!」

 タンクレディは、げんなりとして言い返す。

「いくらなんでも俺だって、戦争をするくらいなら一欠片の正義をポッケに入れておきたいと願うぞ?お前は、異常だよ。そんなんだから、喧嘩のやり方もえげつないんだ」

「だからさ!この俺は戦争に向いていると思わないか?」

 ロベールは、ギスカールの口調に嫌悪感を抱いた。

「僕だって、もう大人だ。貴族として戦争に行ってみたい!」

 歳の離れたアスカールが、負けじと会話に参加する。

「お前は、剣技があまり得意じゃないだろ、あまり無理するなよ。ま、うちの長男よかは、幾分マシだがな」

 タンクレディは末弟の肩をポンと叩いて、そう毒づいた。


 その会話の後、兄弟たちは出兵が決定したことを、父から告げられる。

 噂話の情報は正しく、クェルラートへ侵攻し、蛮族の奴隷となっている者たちを解放する、というのがその目的だと言う。出兵は艦隊の増強が完了する二年後となった。

 兄弟たちは、二年の歳月を練兵と自己鍛錬の日々で過ごした。

 果たして、その出兵前夜を迎えた戦勝祈念の宴にて、父は長男の出兵を唐突に、取り下げた。流石に面子を無くしたロベールは必死に反論するが、父は頑とした態度で断った。

 一族がいない間、誰かが国に残り、民を統治せねばならない。それには、後の混乱を避けるためにも、嫡男たるロベールが最も相応しい…それが理由だった。

 宴もたけなわの喧騒に紛れて、タンクレディが耳元で囁いた言葉を、ロベールは一生忘れなかった。

「内心、ほっとしてるんだろ?良かったな…意気地なしめ」


 遠征隊は全滅した、との知らせを受け取ったのは、それから4日後のことだった。


「お前らが皆んなして居なくなるもんだから、こっちは大変だったんだぞ…」

 ロベールは、眼下で広がる戦を眺めながら、独り言をつぶやいた。

 支配層たる人間たちが激減したことによる、奴隷たちの蜂起。

 求心力に劣るロベールを見限り、謀反を企てる豪族たち。

 増税による軍事力の再強化と、増税への民の反発。

 クェルラートの支配者交代と侵攻の予兆。

 古の竜の復活とクェルラート軍の消滅。

 クェルラート再攻略の議決と準備。

 辺境騎士団の突然の来訪。

 パヴァーヌの脅迫状。

 そして、現在…領土内では、両者の争いが展開している…。

 十中八九、パヴァーヌが勝つであろう…が、その後はどのような行動に出るであろうか。また逆に、辺境を制覇する騎士団が勝ったのちは、どうなるだろうか。

 いずれにしても、一族の無念を晴らすべく、弱体化したクェルラートを即座にでも侵攻したいロベールの願いは、周到な準備期間を経て、つい先日までは目前に迫っていた…と言うのに…今は急激な速度で遠のいて行く…そのように思えてならない。

「今はもう、あの頃の俺ではない。天界からしかと、目を開いて見ているがいいさ。俺は恐怖の力で、豪族たちや、奴隷たちを従わせることができるようになった」

 ロベールは一人、拳を握る。

「アルシングの連中だって、一度この刀を抜けば皆、俺に恐怖する!俺は、強い支配者になったんだ…そうだ、誰よりも強い!無敵と謳われた辺境騎士団の長だって、俺は負かしたぞ!パヴァーヌが何だっ!戦が怖いだと…馬鹿にするな!もう金輪際、誰一人として、俺を馬鹿にすることは許さない!」

 ロベールは左手で剣の柄を握り、すぐさま右手でそれを抑えた。

 息が上がり、額から汗が滲む…。

 両手の力が強まり、プルプルと筋肉を震わせて…。

 ロベールはなんとか、左手を引き剥がすことに成功した。

 左手の甲に爪が食い込み、血が滲んでいた。

「お前たちのどちらか…勝者が、俺の相手になる。すぐに捻り潰してくれるぞッ」

 不吉な形相で、彼は拳を櫓の柱に叩きつけた。

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