第5話 黒騎士

「うぉえ…」

 吐瀉物が、硬い床に当たってピシャピシャと音を立てる。

 幸い、自分の足元に撒いたそれは、部屋の暗さのおかげでよく見えない。

「くそっ臭えな…」

「やはり、お前には効き目が弱いようだ」

 闇の中に、赤い光点を二つ認める。

 目覚めたばかりのクルトには、それが瞳であることに気づくのに、しばらく時間を要した。

 甲冑の音を響かせて、赤い瞳の持ち主はクルトに近づいて来た。

 窓の外から、雷光が差し込み、瞬間、その姿を垣間見せる。

「…まるで、闇から生まれた暗黒騎士だな…くそ、気持ちが悪い…熱があるのか…」

「私の血を飲んだからだ」

「なん…っ?」

 クルトは口に残った唾液を残らず、床に吐き出した。

「無駄だ。ワインとは訳が違う。頭の先からつま先まで、すでに血管に侵入して身体中を巡っている」

 しわがれた老人のようであったが、この声色、イントネーションには覚えがあった。

「お前…まさか、ハルトマンか」

「正確には、カラスだ」

「なんだ、通り名のつもりか?」

「何でもよい。ハルトマンでも、何でも好きなように呼ぶがよい。そうだ、この暗さでは、お前には不便であろう…灯りをつけてやる」

 言うが早いか、壁に掛けられた数個のランタンに、同時に火が灯る。

 ここは、石造りの円形の部屋。縦に細長く穿かれた窓が、等間隔で並んでいる。どうやら、矢狭間のようだ。とすると、ここは砦か城なのだろう。そこから見える外の景色は、深夜であることを告げている。星月は曇天に隠れ、時折、雲の上で雷光が迸る。かなり時間をあけてから、控えめな音量の雷鳴が届いた。

 黒騎士は、ハルトマンで間違いなかった。

 4年前にトーナメント会場で出会い、意気投合した騎士が、椅子にもたれるクルトの前に立っている。

「懐かしい、かな…」

「お前は、誰だ」

「先ほど、名を呼んだではないか。お前の言うところの、ハルトマンだ。正真正銘、同一人物であり、また別人とも言える」

「ハルトマンは、魔剣の迷宮で死んだ」

「その通り。皆が姫と呼ぶ、クラーレンシュロス伯の甲冑が生成した試練の迷宮で死んだ。だが、その身体と記憶は、今も私が引き継いでいる。だから、お前との出会いの場所が森の中の祭りであったことも知っているし、お前へ向けられた友情も未だに、私は持ち合わせている。間違いなく、私はハルトマンだ」

「…お前は、何者だ?」

 ハルトマンは、クルトの前に膝をつき、目線を揃えて答えた。

「それは、実に難しい質問だ。実のところ、この3、4年の間、ずっと自分自身に問い続けているのだ…自分は何者で、何を成すために生まれてきたのか…あるいは、こうも考えている。それは、ハルトマンの問いなのではないか。自分自身は、実は何者でもなく、数多の記憶によって、今も私はただ単に、混乱し、困惑し、翻弄されているだけなのではないか、とも」

「…まるで、思春期の男子だな」

「それが皮肉ではなく、現実的な状況として…とも言えるのだ」

 雷光を反射するアーメットの奥にある、騎士の表情は読み取れない。

「昔の友情のよしみで、少し力を貸してもらいたい。私が満足すれば、解放すると約束しよう」

「残念だが、蛮族を率いて西方世界を支配しようとする手助けなら、お断りだ。俺は、お前を討伐し、ハルトマンの身体を埋葬する。この身体が、自由になれば、今すぐにでも」

 だが、クルトの身体は、拘束されているわけではなかった。

 ただ、椅子に座っている。

「身体が動かないのは、私が抑制している所為だ。でないと、聡明で直情的なお前は、瞬時に私を敵とみなし、襲いかかるだろうと、ハルトマンの記憶が教えてくれているからだ。だから、お前が抱えている大きな誤解を、まず先に正しておきたい。私が制御下に置いている個体数は、それほど多くはない。今、この大きな戦さを仕掛けているのは、私ではないのだ」

「お前が、蛮族の集団を率いて、男爵軍の後輩を襲ったことは知っているぞ。さっき、俺に血を呑ませた、と言ったな。そして、効き目が弱い、とも。その手を使って、蛮族どもを傀儡のように支配しているのだろう。そうでなければ、いつもの種族、いくつもの部族からなる奴らを、一軍として結束させることなどできないはずだ」

 ハルトマンは立ち上がると、円形の壁づたいにゆっくりと歩き始める。その姿は、幾分かぎこちなさを感じさせるが、生前の彼の立ち居振る舞いを連想させる面影があった。

「…血を呑ますと言うことは、良いことばかりではない。記憶を引き受ける代わりに、経験則、思考傾向、価値観までをも呑み込むことになる。その苦悩は…恐らく人間には理解しかねるだろう。それを考慮すれば、現在、蛮族を支配する何者かは、思考の混濁を回避し、少ない影響力で効率的に大多数を支配する術に長けている者だとも言える。その者は、力の使い方に長じている。蛮族と人間の思考傾向、社会構造などにも熟知していると考えるのが妥当だ…私は、恐らくその者には勝てぬだろう」

 ハルトマンは、歩みを止め、クルトに向き合った。

「私は、最初に統合したこの男の意思に、大きな影響を受けていると実感している。そして、私自身、それに愛おしささえ覚える。私にとっては、親のような存在なのだからだろう。だから私は、可能な限りお前たちの力になってやりたい、とさえ思ってしまう…まぁ、得体の知れない死人使いの戯言なぞ信じられない、というのは私にすら理解はできるのだが…」

 漆黒の騎士はクルトに近寄り、再び膝をついた。

「私の願いを言おう。さすれば、お前も少しは納得がいくはずだ」

 彼は黒いグリーブをはめた指を、二本立てた。

「まずは自らの生存、次に友愛だ」

 クルトは眉に皺を寄せながら、まじまじとかつての友を見つめた。

「それが、人間たちが使う暦で言うところの、3年をかけて見出した、自らの存在意義だ。しかし、友愛というものは…線引きがとても難しく、曖昧模糊として自分本位なものだと感じる。これの本質を理解するには、まだしばらく掛かろう…しかし、今は胸の内に湧いてくる言葉に従う他あるまい」

 彼は、自分の胸に親指を当てた。

「ハルトマンという人物は、人間たちの社会観念でいうところの“人間の屑“と言うべき男だった。しかし、友愛に目覚めた時、彼は人間社会の一員として迎えられるに至った。誰もが追い求める価値観、剣とパン、そして金…それらを凌駕する第四の価値基準を、彼は己の人生の中に見出したのだ」

 ハルトマンは次の言葉で締め括った。

「私も、それに倣いたい」

 クルトは首を振り、しばし俯いた。

「ご高説は胸に沁みるがな…残念なことに、お前が人族の社会に同化できるとは思えない。死人を支配できる力を持った者なんぞ…到底、剣の民たちは受け入れないだろう」

「…だろうな、理解はできている。だからそこまでは、望んではおらぬよ。自らの生命の存続と、友愛の対象とするわずかばかりの者たちへの助力が叶えば、ひとまずは満足だ」

「その中に、アマーリエも入っているのか?」

 黒騎士は頷いた。

「そして、お前も」

「…顔を見せてくれ」

「それは、おすすめしない。本来の人間の血と、私の体液は同じ働きをしない。お前はきっと、衝撃を受けるだろう。その反応を、私自身…ハルトマンの心は、それを見るのが辛い…」

 クルトは顔を見上げて、力強く言った。

「俺の中の…心のうやむやを消し去りたい。納得する必要があるんだ。お前の顔を見せてくれ」

 ハルトマンは沈黙した。彼にも心の葛藤があるのだろうか…。

 意を決したように、黒騎士はアーメットの留め具を外した。

 ランタンの灯りと、雷光が、その素顔を照らした。

 しばし、クルトは無言のまま、友の顔に向き合った。

「…で、俺に何をさせようと言うつもりだ?俺が従うかどうかは、それ次第だ」

 黒騎士はアーメットを戻してから、答えた。

「剣技を教えてほしい」

 クルトが反応を返すまで、やや間があった。

「雷光を落としたり、宙に浮いたり、街を焼き尽くしたり、お前の力なら何でもできるだろう?」

「いつ、そんなことを言ったのだ。できれば何の苦労もない。お前たちの神は、私の声を聞くことはない。姫のように、魔剣の力を解放することもできぬ。蛮族たちが使う魔術の理屈は理解したが、軍勢を焼き払うような力には程遠い。だから、生存のための術として、お前から剣技を教わりたいのだ」

「…ハルトマンが、知っているだろ?」

「彼の得意とするところは、短剣を用いた体術だ。だが、それも我流に過ぎぬ。長剣と乗馬を教えたのは、彼の従者なのだ。しかし、私が判断するに、それすら洗練されたものとは言い難い。言うまでも無く、蛮族たちの剣術は…剣術と言えるほどの代物ではない。何世代にも渡って、研鑽を積み、創意工夫を凝らし、取捨選択された歴史ある剣術を、私は身につけたいのだ。それには、文字や言葉で伝統を継承する力に長けた、人族に頼る他あるまい」

「文字や言葉で伝統を継承する力、か…感慨深い言葉だな」

「それこそが、人族が蛮族を凌駕する文明の力だと、私は結論に至った」

「…そのために、俺を攫ったのか?」

「お前を攫ったのは、別の個体だ。お前が敵の将にとって重要な人間だと悟り、交渉の切り札とすることを目論んだようだ」

「それは…あれだぞ。お前が全てをコントロールしている訳ではない…と言っているようなもんだ」

「その通りだ。それぞれに個体の影響を受ける。よって、完全なる支配ではない。あくまで、これは同化なのだ。お前の事だ、私を見れば、自ずと知れよう。隠すつもりもない。私は、血を呑ませた者の心と身体に入り込み、その者と一つになれる。もし、死んだとしても、身体の腐敗を緩め、活動し続けることができる。どうだ…理解したか?」

「まぁ、言葉通りには…だが、俺は身体が動かせない。どうやって教える?口頭で指示すればいいのか?」

「解放する」

 言うが早いか、クルトは床を蹴り上げ、椅子を起点に後ろへ飛び退き、そのまま背を向けて疾走した。

 彼の手が扉のノブに触れた時、その動きはまるで時が止まったかのように静止する。

 …。

「完全に支配はできなくとも、これだけ近ければ、抑制させることは可能だ。忘れるな、お前の身体には、今なお私の一部が宿っているのだ」

 クルトの手が自由を取り戻し、ノブを掴んだ。しかし、彼は扉を開けようとはしなかった。

「関節が痛む…頭もだ。正直言って、また吐きそうだ」

「安心しろ、お前の身体が、私の支配に打ち勝った証拠だ。2、3日もすれば快復するだろう。それが早まれば、私も助かる。だから、食事と寝床も用意しよう」

 突然扉が開き、ぶよぶよと太った蛮族たちが、木の膳を手にクルトの真横を通り過ぎていく。

 焼き上がったばかりの羊の肉が、一瞬で部屋の空気を支配する。

「おい、蛮族の飯を俺に喰えっていうのか?」

 ブヒッ…。太ったホブゴブリンが、クルトを見て何か言った。

「彼らにしてみれば、胡椒と香草を使った料理など、ヘドが出る、というシロモノだ。安心しろ、人間の好む料理は、私が心得ている。石鹸で手を洗い、清潔な皿に盛り付けるやり方も、給餌の担当者たちには徹底させているよ」

 ホブゴブリンたちは、机と椅子を用意し、厚い布を敷いた。骨や食べ残しを机の上に置く、パヴァーヌ流の食卓だ。人参の葉の上に置かれた羊の串焼きと、蒸した人参とジャガイモが、木製の大皿に盛られた。さらに、木製の杯に水と葡萄酒を注ぐと、蛮族たちは退出した。

「パヴァーヌでは、身なりを整えた蛮族に給仕を任せる貴族もいる。別段、珍しい光景ではない」

「この食材は、どうしたんだ?」

 ハルトマンは、石造の部屋を両手で示した。

「東方騎士団の砦の一つだ。食材は限られているが、籠城戦の準備はできていたから、しばらく滞在するに不自由はない。本来のあるじは、他の砦に撤退した。放っておいても、腐らせるか、蛮族たちが食い散らかすだけだ。罪悪感なく食すがいいさ」

「これを食ったら、俺もお前たちと同罪だな…」

「気にするな、誰もそうは思わんし、想像もできぬ」

 ハルトマンは、顔を見せておいて正解だった、と言いながらアーメットを外し、食事を始めた。

「…お前も食うのか?」

「用意させたのは、私だ。その権利はあるだろう」

「…いや、そうだが…そういうんじゃなくて」

「お前も食え。一週間もろくに食べていないはずだ。食べて、体力をつけろ」

 クルトは串焼きの匂いを嗅ぎ、肉をひっくりがして状態を確かめた。

 ハルトマンのしわがれた口に串が運ばれ、黄色くなった歯が、肉を串から引き抜いたのを見て、クルトは疑うことを放棄した。

 人参の葉まで残すところなく、全て胃に収めたクルトは、そこでようやく一息ついた。

「東方騎士団といえば、ここはバヤール平原の北端ということになるが…アマーリエたちは今、どこにいる?」

 ゆっくりと静かに食事を続けるハルトマンは、口から羊の骨カスを取り出すと、それをテーブルに置く。

「南へ向かっているようだ。詳しくは分からぬが…お前を探す余裕が無くなったのであろう。でなければ、あれの性格上、お前を捨て置くとは思えぬ」

 クルトは額に手を当てて思案した。

「何はともあれ、お前の身体には休息が必要だ。だが、約束は果たしてもらう。今晩は休み、明日の朝から稽古をつけてもらうぞ」

 扉が再び開き、ホブゴブリンたちが食器を机ごと持ち上げて運び出すと、大きなダイヤウルフの毛皮を数枚、床の上に広げていった。


 ピーッ、ツーゥ。

 朝の到来を告げる鳥の声が聞こえた。

 目を開かなくても、クルトにはその声の主が判っていた。

 涼しい土地を好み、越冬の時だけ海を渡って南下するヒヨドリだ。普段は単独行動を好み、渡りの時期にだけ群れを成す。糸で吊られているかのような、その独特の飛び方は、身を隠す場所のない渡りの最中に、チョウゲンボウやノスリやハヤブサといった猛禽類からの不意打ちを回避するために身につけたものだ。

 小型の鳥にはめっぽう強気に出るが、実のところ彼らも弱者であり、故に用心深い。

 まるで、人族の様だ。

 他にも、たくさんの鳥を知っている。

 青く美しいオオルリ、同じく青く美しく、加えて黄色のアクセントが魅力のルリビタキ、ヒタキの仲間で渓流で良く見かける黄色い腹のキビタキ、山奥にひっそりと巣を作る茶色で地味なミソサザイ。でもやはり、クルトは猛禽類が好きだった。中でも、小柄で大きな黒目を持つチョウゲンボウが好みだった。

 鳥に詳しくなったのは、幼馴染の影響だ。

 同郷で戦災孤児という同じ境遇の彼は、クルトを兄の様に慕っていた。

 少々…口うるさいところがあったが…。

 シュバルツシルトの森で、シュバルツェンベルグ王ハインリヒ3世に拾われ、騎士となった際にも、従者として共に行動し、国中を旅した。

 エルフの血を半分受け継いだ友、ル=シエルとは、一度クルトと共にハインリヒの元に帰還し、そしてクルトがクラーレンシュロス伯の元へと離反した際に、袂を分かったきりだ。

 夢現の中で、クルトはル=シエルの歯に噛んだ笑みを思い出していた。

「朝だ。起きろ」

 ハルトマンのしわがれた声に、クルトは覚醒した。

 いつ寝たのかも判らない。しかし、細長い窓からは朝の光が差し込んでいた。

 寝返りすると、毛皮の寝床の横には、水瓶と用達し用の木桶が置かれていることに気づく。

「まるで、幽閉だな…」

「出来れば幽閉そのものだと、思っていただきたい。私を納得させたら、それも終わるのだ」


 旧知の間柄の二人の騎士は、互いに距離を開けた奇妙な関係を続けた。

 漆黒の騎士は、左足を一歩踏み出しながら、左手に持った剣をギュンとしならせる。その刀身すれすれに、クルトの突きが黒騎士の喉元まで一直線に伸びた。

「そのフェイント癖は、いい加減直せと言っているだろう」

「どうやら、身体に染み付いているようだ」

「言い訳はいい。フェイントは相手を圧倒し、挙動を掌握して初めて効果を生む。相手の方が上手だったり、逆に無我夢中で身体を捨てて挑んでくるような相手には、フェイントは命取りになる。わざわざ、先手を相手に譲るよなもんだからだ。いいか、フェイントには頼るな。相手の身体の中心を、相手よりも先に貫くことだけを優先させろ、基本だ。基本は必ず、覚えておけ」

 ハルトマンの電光石火の突きがクルトを襲う。

 しかし、その切先は容易に弾かれ、軌道を逸らされた切先が相手の肩を掠めた時には、すでにクルトの切先がハルトマンの左脇下に届いていた。

「通常の人間よりも、腕力がある事を活かせ。どんなに強い力がこもっていても、突きは小さな力で容易に弾くことができる。小さい力で済む分、相手は余裕を持って反撃に転じられるんだ。突きに相手が反応したら、今度は相手が突き返して来れないように、剣圧をかける事を忘れるな」

「まるで、神官たちの問答のようだな」

「へらず口を叩く前に、しっかり身体に刻め」

 クルトが突く切先を、ハルトマンは剣の腹で弾き、そのままの勢いで相手の首元を狙う。しかし、その軌道はこびり付く様なクルトの剣圧によって逸らされ、彼の脇に挟まれた。後退しながら身体を回転させ、同時に左手でハルトマンの腕関節を押し上げると、クルトは剣を奪うことに成功し、それを左手に持つ。すると、ハルトマンはクルトの眼前まで一気に距離を詰め、その両腕を封じるとガツンと頭突きを見舞った。

 まるで猪の突進を受けたかのように大の字に倒れ、クルトは唸った。

「いい判断だ…今の俺の敗因は、奪った相手の剣など、捨て置けということだ。相手の敗因もしっかりと分析して、同じ行動を取らないように心掛けろ。でもまぁ…接近戦においては、教えることはないだろう」

 二人の稽古は、クルトの体力が続く限り繰り返された。

「長所を活かせ、相手の軸足を蹴るのもいい。そうだ…なるべく接近して、相手を押し倒せ。力任せに大振りはするな、お前の力だと、剣が曲がっちまう。おし、いいか?バインドになったら…こうするッ」

 ハルトマンが両手で支える剣を、クルトは相手の力を利用して回転させ、剣の柄が握り辛い体勢を作り出すと、十字鍔に引っ掛けて一気に体重を乗せ床へ落とす。次の瞬間に、ハルトマンの拳がクルトの手首を打ち下ろし、彼もまた、剣を落とした。

 手首を揉みながら、クルトはバイザーを籠手に引っ掛け、押し上げた。

「そうだ、これがお前の長所だ。長所を活かせ。じゃぁ、少し…休むぞ…」

「立ちくらみがしているのだろう?そういう変化は感じ取れる。続きは、また明日にするとしよう」

「やれやれ…えらくタフな弟子だと、こっちが持たない」

「食事を摂って、休め」

 ゴブリンたちが階段を登ってくるまでの間、クルトは矢狭間の窓から外を眺め、ハルトマンに訪ねた。

「このところ、天気が安定しないな。少し晴れたと思ったら、急に雲が出て雷が鳴る。この地方は、いつもこんなか?」

 ハルトマンは少しの間、天井を眺めてから答えた。

「この地方に詳しい者はいないようだ。だが、これは魔術による天候操作なのかも知れぬ。陽の光を浴びて、灰になったり石になったりはしないが、夜の闇を好む彼らには陽の光は強すぎるのだ。蛮族には、魔術に通じる者が多くいる。数の力と、魔術の力…そこが、人族に勝る彼らの長所なのだろう」


 5日目、二人の剣戟は激しさを増していた。クルトが復調した証拠だ。ハルトマンもこれまでになく、膂力を込めた斬撃を繰り出す。すると、その剣戟を受けたクルトの剣は、水色に輝く火花を灯した。

 突然、ホブゴブリンが、扉を開けて飛び込んで来た。

 クルトには解らない言葉をハルトマンに告げ、しばらく二人は無言で見つめ合う…。何らかの情報交換を行ったのだろう。ホブゴブリンは無言で立ち去った。

「何だ、誰か来たのか?」

「実は、厄介な相手に目を付けられている。それによって、支配した都市を丸ごと焼かれたので、ここまで逃げてきたのだ。北の端まで来れば、よもや特定はできまいと踏んでいたのだが…」

「それは、どんな相手だ。例の蛮族の支配者なのか?」

「むしろ、天敵だろう。間も無く判る。自分の目で見るのが早いだろう」

 クルトは、矢狭間から平原を見渡した。視野が狭いので、場所を変えて周囲を見渡すが、眼下のバヤール平原に軍勢の姿はなく、人界の境の象徴である大河グランフューメにも船団の影はなかった。

「何も見えないぞ」

 クルトがそう言って振り返った直後、矢狭間からオレンジ色の光と熱風、そして地揺れが彼を床に薙ぎ倒した。

「なんだッ!?魔法か!?」

 かつて、山の民との戦闘において、はたまたグラスゴーの街で内城壁を破壊するため、ギレスブイグが行使した魔術を思い出した。

 隣接する塔の櫓が半ば破壊され、炎上していた。そして、その炎をまるで湯浴みでも楽しむが如く、櫓に取り付く巨大な生物の姿に、クルトは茫然自失となる。

「行くぞ、どうせ敵わぬ相手だ。逃げる他あるまい」

 まるで火山が火を噴くかのような、地響きにも似た咆哮が、砦の石壁を揺るがした。

 城代よ、姿を現せ…太古の伝書から飛び出した巨大な竜は、まるで砦に潜む者たちにそう告げているような、激しく挑戦的な咆哮を轟かせた。

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