第4話 水たまりの公国
モルテ=ポッツ公国。その起源は、蛮族の大侵攻から逃れるため、古代バヤール帝国のとある一族が、深く生い茂る葦原に足を踏み入れ、開拓した町に始まると言われる。誰もが定住を諦めるような、泥土と沼ばかりの不安定で病魔が巣食う劣悪な土地だからこそ、戦乱から逃れ、ひっそりとした静かな暮らしを紡いでこれたとも言い換えられた。
しかし、現在の「水たまりの国」は、地中深く打ち込まれた杭の上に、石造りの建造物が立ち並ぶ近代的な小都市へと変貌を遂げていた。周辺地域の集落も合わせれば、人口は5万人ほど。人間がその過半数を占めるが、蛮族の奴隷も実に2万を数える。社会構造に必要不可欠となるほどの規模で、蛮族の奴隷を内包する国家は、西方世界においては、ここが唯一であった。また、古代の魔術師の血統が、細々とだが、今も受け継がれているという噂もある。
そんな謎に満ちた辺境の片隅にある都市国家が、西方からの視線を奪ったのは、ごく最近の出来事である。
蛮族と人族が共存するという、大河を越えた地にある魔界の都市、クェルラートへの侵攻である。
近郊の都市と連合を組んだにせよ、派遣したガレー船団は実に40隻を数え、陸軍国家の雄が軒を並べる西方諸国の為政者たちを驚愕させた。その結果もまた、一方的な敗退として幕を下ろした事で、王たち、諸侯たちの頭を悩ませるに至る。そしてこの帰結は、辺境の片隅の都市がその地位からのし上がるかも知れぬ、という懸念を払拭させた。なぜなら、最大動員数に逼迫する数の兵を失った国家は、主たる労働力を失い、容易く再起できるものではないからだ。西方の為政者たちは、再び辺境の片隅の都市の名前を忘れることとなる。しかし、為政者たちは失念していたのだ。この国の主幹産業が奴隷によって支えられているということを。
葦原に覆われた広大な湿地帯を、二千人の行列が進んでいた。
見通しの効かない迷路のような道を、辺境騎士団の軍勢は、商人の案内で進んで行く。板を敷いた道はまだ良い。足首まで浸かる泥濘の道は、荷車の通行を妨げ、補給部隊を指揮するイーサンは、轍にはまった馬車があれば駆けつけ、その脱出を助けて回ることになった。その後方には、同じように四苦八苦する酒保隊が続く。
多くの脚によって深くなる一方のぬかるみを埋めるため、葦を敷いて補強する役目を負わされた兵たちは、身の丈以上に伸びた葦原を、悪態を垂れながら薙ぐことで気を紛らせた。
ぬかるみに嵌った足を引く抜く者、重い荷物に喘ぐ者、ずっと同じ葦の景色にげんなりする者、多くの者たちのため息が、一つの重苦しい合奏となって合わさり、それはまるで巨大な竜のうめき声かのようだった。
「本当に、この道で良いのか?」
道案内を務める商人は、同じ質問の繰り返しに辟易していた。
「酒保隊の数が、半分ほどに減ったそうだよ」
後続の様子を確認してきたミュラーの報告に、白銀の騎士団長は、熱でもあるかように馬の背に、力無く揺られながら淡々と返答する。
「商人たちは商機に敏感だわ。この軍の雲行きが怪しくなってきていることに、気づいたのでしょう。それに、こんな道を進むのは、誰でも願い下げよ。蚊も多いし、疫病が発生しかねない」
ミュラーは悲痛な面持ちで、アマーリエの横顔から目を背けた。
アマーリエは冷たく暗い視線を、左手の地面に向ける。
葦原の中に、犬ほどの頭を持つ大蛇が潜んでいた。
パチンッと、誰かが頬にとまった蚊を叩いた。
大蛇は、獲物の数が尋常でないことに危機感を覚え、音も立てずに反転し、葦原の奥地へと姿を消した。
「やっと、抜けました」
商人の安堵した声が聞こえたかと思うと、葦原は急に開け、5mはある木製の防壁が姿を現した。板で補強された道は10mほど続き、閉ざされた門の前で終わっている。その道の左右には、堀池…いやむしろ、沼というべきものが塀沿いに続いていた。
「全軍、停止!停止!」
ミュラーが後方へ向けて指示を出すと、小隊長たちがその合図を後方へと繋いでいく。
アマーリエは、馬を止めて、無表情のまま首を傾げた。
…。
ミュラーが馬を進め、息を大きく吸い込む…が、その息は声に生まれ変わることは無かった。
「構えぃっ!」
「!?」
号令一下、塀の上から一斉に兵士が姿を現し、短弓で狙いをつけられる。
葦原の奥から、3羽の鴨が慌てて空へ逃れた。
ミュラーは両手を上げながら、唯一弓を構えていない者に向けて話しかけた。
「驚かさないでくれ。敵意がないのは、見ればわかるだろう?聖教皇を盟主とする、君主会議の同盟軍だ。モルテ=ポッツァンゲラ公に相談がある。取り継ぎを願おう」
指揮官と思しき男は、兜を脱ぐと斜に構えた姿勢で塀に肩肘をついて答えた。
「兵站が欲しいのなら、金を払うことだ。金がないというのならば、それ相応の態度を示せ、さすれば施しをしてやらんこともない…だが、略奪を働こうというのなら、お前ら全員を沼地に沈めてやるぞ。この土地は、よそ者が好き勝手に歩けるような場所じゃない事を、まず何より先に知っておくべきだと、忠告してやろう」
「あぁ、肝に銘じるよ。だから、早く取り継いでくれ。ここにいるだけで、蚊に食われ続けてるんだ。もう1秒だって待てる気がしない」
指揮官はミュラーの顔に凄みを効かせつつ、唾を吐いてから、奥に消える。すると弓兵たちは、警戒を続けたまま、張り詰めていた弦を緩めた。
ミュラーは後ろ首を蚊に刺され、ボリボリと掻きながら振り返り、アマーリエに毒づいた。
「だいぶ前から知っていたはずだ。わざと待たせている…」
アマーリエは返答しない。その彼女の元に、イネスが馬を寄せて耳打ちした。
「弓兵は48人。そのうち、36人が蛮族です」
アマーリエは、冷たい眼差しで弓兵たちを見上げた。
「門を開く、まずは8人だ。8人だけ、先に入れ。その他の者たちは、しばし待たれよ」
先ほどの門兵の指揮官が再度現れ、そう宣言した。
「俺は、しばらく身を隠す」
いつの間にかアマーリエの傍にいたタンクレディが、そう告げるのを聞いたかどうか…アマーリエは、ただ黙然と馬を進める。
騎士たちは互いに顔を見合わせ、騎士団長の次を行くミュラーを除いて、自然と年功序列の列が出来た。慌てて、イネスがその列を追い越し、役得とばかりにミュラーの前に割り込んだ。
「あぁ、くそっ…」
シュタッツは列に漏れ、ペルスヴァールと悔しさを分かち合う。
「きっと、驚きますよっ」
二人の騎士に、道案内を務めた商人が、にこにことした顔で声をかけた。
「おい、なんだ、こりゃ…」
商人の予言通り、騎士たちは感嘆の声をあげた。
門を抜けると道は石畳に変わり、左右には再び水を蓄えた池が掘られていた。そして、道の先には白い花崗岩で造られた堅牢なカーテンウォールが聳えていた。
後ろの木製の門が閉ざされ、それと連動するように、正面の門が開いていく…。
出迎えの騎兵に先導され、街並みを右へ、左へ、まるでレース編みの糸のような複雑な細い道を進む。
建物は花崗岩を四角く荒削りした土台の上に建ち、木材と漆喰を用いている。隣接した建物は隙間なく合体しており、お隣り同士、一枚の壁を共有しているようだ。どの建物も3階建以上あり、小さい窓がたくさん設けられている。迷路のような通りはどれも狭く、時に建物の下を潜り、時に小さなアーチ状の橋となり、細い水路の上を渡る。
「今までに見た、どこの街よりも清潔で、人工的で…とても窮屈だ」
スタンリーが誰に話しかけるともなく、端的な感想を述べた。
「おい、みろっ!」
オラースが興奮気味に、ミシェイルの馬のグラッパーを叩いた。
迷惑顔のミシェイルは、愛馬の立髪を撫でて労りながら、オラースが指差す方向を見て、目を見張る。
通りの両隅で頭を垂れた姿勢でいる市民の列は、その半数ほどが背丈、体型、髪の色、肌の色が異なっていた。
ミシェイルは、癒しの手フランツェスカのトリスケルを手に取り、口づけした。
「この国は、蛮族を奴隷として使役しております…」
先導役の騎兵が、動揺を察して注釈を述べてきた。
「礼儀作法、身だしなみ、言葉使い、清潔な下着、どれも調教済みですのでご安心を。街を自由に歩いている者は、ヒエラルキーこそ下等市民ですが、法に準じ、仕事に励み、税を納めることは人と変わりありません」
オラースがポンと手を叩いた。
「聞いたことがある!内海の向こうにも、人と蛮族が一緒に暮らす街があるとな!」
水先案内人は馬を止めると、オラースの方へ一礼してから強い口調で語った。
「大変恐れながら、一言申し上げます。クェルラートのような人外魔境と、我がモルテ=ポッツとを混同なされては困りますな。特に、陛下の耳にそのようなお言葉が入らぬよう、くれぐれもご留意を願います」
再度一礼し、彼は再び馬を進める。
やれやれ…という目線を同僚たちから向けられ、オラースは首を縮めた。
「この先の広場で、陛下がお待ちです。クラーレンシュロス伯爵陛下は、お一人で中央までお進みください」
道を譲られ、アーチをくぐると、そこは全面石造りの荘厳な趣の広場となっていた。
さほどに広い、というわけではない。しかし、正面には石造りの城砦が天を突くかのように聳え、左右は大理石の列柱と、大理石の裸身像が並ぶ、威風堂々としたフォーラムに挟まれている。この国の中枢…まさにそれに相応しい威厳を備えた広場であった。
「嫌な雰囲気だ…ちょ、アマーリエ」
広間の中央には、三人の姿。中央の人物が姿勢正しく直立し、左右の人物は頭を垂れて片膝をついている。広場の両端、フォーラムの手前には兵士たちが、まるで裸身像の真似事をしているかのように、微動だにぜず美しい直線で整列していた。
「陛下のお許しがあるまで、他の皆様は、広場の石に足を踏み入れてはなりませぬ」
ミュラーは、兵士たちに行く手を妨げられる。
広場の中央の石畳だけ、色味の違う石材が使われ、その表面がどこの石よりも綺麗に仕上げられている。彼らが不可侵と言う範囲は、自ずと察しがついた。
「このまま、行かせるのか?姫は様子が変だぞ」
「そりゃぁ…そうだよ」
スタンリーの言葉に、ミュラーは下唇を噛んだ。
「この地を治めるギスカールだ。名を述べよ、アドルフィーナの慈愛を受ける者よ」
「クラーレンシュロス伯領のルイーサ」
「なるほど、猛々しい名よ」
アマーリエの足が、ふと止まる。
ギスカールと名乗った男との距離は5m。そこで、アマーリエは膝を曲げて来訪者の礼を示す。
互いの配下たちが見守る中、広場の中央で二人の君主が対峙した。
ギスカールの風貌は、少女のように美しい肌、細く長い眉に端正な顔立ち。大きく開かれた胸元まで無造作に垂れ下がるその波打つ髪は…アマーリエの髪よりもさらに白い、純白。背は人並み、四肢は細く長く、白いタイツに包まれた太ももは、細くしなやかで、ダンスを踊らせたらさぞや華麗に舞ってみせることだろう。まるで絵に描いたような貴族…しかし、その双眸は残忍で疑り深く、今にも斬りかからんばかりの覇気を秘めている。
何よりも、その白髪が異様だった。
さらに、華奢な身体に不釣り合いな覇気も、不気味だ。
例えるならば、ナイフをクリームで飾り立てた上等なケーキとでもいうべきか。
アマーリエは、いつもの口調で話しかけた。
「軍を従えての来訪、お許しいただきたい。のっぴきならぬ事情により、貴殿のお力をお借りしたい所存…」
「この国が欲しいのであろう?」
アマーリエは目線を上げ、相手の意図を読み取ろうと努めた。
「ならば、すでに攻撃しています」
「辺境を制覇して回るのが、お主ら辺境騎士団の生業なのであろう、何故そうしない?」
「お言葉ながら…」
「遠慮はするな、欲しいのであろう?」
これは、挑発なのか…アマーリエは、困惑した。
「どうした、いらんのか?そんな訳はなかろう、なぁ?」
「私の話を聞くつもりはないと?」
「話など、どうでも良い。国をやろうと言っているのだ、受け取らんか?」
アマーリエは不穏な空気が、まるで霞のようにこの男から増大するのを感じて身構えた。
ギスカールは、小姓の手から一振りの刀を抜き取り、言い放った。
「ただし、私に勝ったら、の話だ。お前が負けたら、俺は何も協力しない。たとえ君主会議とやらの、お偉方の軍勢だろうが、どんな崇高な目的を持っていようが、俺の知ったことではない」
二人の小姓たちは、姿勢を低くしたまま引き下がり…。
二人の決闘が始まった。
そして、アマーリエはわずか、2合打ち合っただけで、敗退した。
アマーリエは夢を見ていた。
それは過去の記憶だと、彼女は夢の中で思った。
トーナメントに向かう旅の途中、山越えの途中に蛮族に襲われた時のリフレインだった。
果敢に剣を構えたアマーリエだったが、彼女の眼前で、父ハインツは豪胆、烈撃を持って是とするその剣技を繰り出し、蛮族たちを呆気なく打ち払ってしまった。
出る幕は、まるで無かった。
アインスクリンゲの血を振り払うと、よく引かなかった、と彼女の頭をガシ、と撫でた。
「お力になりたかったのですが…」
「お前のドレスが幾らしたと思っている。この旅では、大人しくしてもらわねば、儂が困る」
そう言って、父は笑った。
北の森で、騎士たちの祭典、トーナメントが開催される。アマーリエは、幼少より領内の騎士たちと親しくしていた所為もあり、トーナメントへ出かける、という父の言葉に歓喜した。彼女の心を明るくした理由は、もう一つある。修行以外では、初めての二人旅でもあった。
「お父様が実際に蛮族と戦うところは、初めて拝見しました。その…稽古通りの剣裁きに、感動しました」
「ふむ、いつ何時も、稽古通りに。それが大事だと解ったか。だが、重要なのは剣裁きよりも、足捌きにある。それを忘れるなよ」
「はい。繰り返し、ご教授いただいていること、理解しています」
ハインツは木の幹に腰掛け、アインスクリンゲをかざし、眺めた。
「しかし、こいつは…困ったことに、儂に力を貸してはくれんようだ。いずれお前の物となる。さすれば、きっとお前のために秘めた力を差し出すはずだ。だが、その前に、儂のわがままに付き合ってもらいたいのだ。今回の旅の目的は、そこにある」
父の言葉には、逡巡が含まれているような…そんな気がした。
「それは、どのような…?」
「ふふ、すでに準備は済ませてある。後でのお楽しみだ」
父が用意したわがまま…それが婚姻話であったことは、当時のアマーリエは思いもよらなかった事だ。
目が覚めると、夜はまだ明けていなかった。
片田舎の宿の一室…近所で酒を呑んで楽しむ、大人たちの歓声が部屋まで届く。
上機嫌な大人たちは、酒樽を棒切れで叩き、聞いた事のない歌を合唱している。
「…お父様?」
同じ部屋、隣の寝台で、いつもは激しいいびきをかいているはずの、父の気配が無かった。
私が寝たので、お酒でも呑みに行ったのかしら、とアマーリエは考えた。
もう一度、寝よう…そう思った時、ベッドの上に生暖かい液体と、ぬるりと滑る何かがあることに気づいた。
手を戻し、匂いを嗅ぐと、それは血だった。
「お父様っ…」
アマーリエは目を覚ました。
湿気の強い風、麻布で覆われた天井、窓の外からは木槌の音と、労働者たちの歌声。
身体を起こそうとして、ずきんっと下腹部に痛みを覚えた。腰骨の上あたりに包帯が巻かれ、そこから心臓の鼓動に合わせるように、重い痛みを感じる。
アマーリエが部屋の中を見渡すと、誰かが、部屋の外へと退出して行く後ろ姿があった。
寝台のすぐ傍に、ヴァールハイトと甲冑が積まれていることを確認する。
甲冑の腹部には、傷一つない。
魔力を削られ、傷がついたとしても、この甲冑はアマーリエから魔力を吸い取り、自らを再生させる。だが、あの太刀筋は…。
「あの時は、光らなかった…」
腹部をさすりながら、アマーリエは呟いた。
ふと、自分の首からトリスケルが刻まれたペンダントがかけられていることに気づく。
それは、白鯨リルのものだ。
部屋には、寝台と武装の他に、台座に掲げられた四本の杖もある。
杖の先端は複雑な意匠が施されており、それぞれ違ったデザインを持つ。
アマーリエは痛みにうめきながら、窓の外を眺めようと身を起こした。
「おいおい、頼むから神殿からは出ないでくれよ。傷の治りが遅くなる」
急いそと部屋に入ってきたのは、白い肌に白髪の優男。その腰には、見慣れぬ設えの両手剣があった。
男は、アマーリエの背を支え、寝台に横たえさせる。
「内臓にまで達していたと聞いて、肝を冷やしたさ。君は細いから、手加減を間違えた。今、君に死なれたら、とても面倒なことになるからね」
大人しく横になったアマーリエは、どす黒い視線を男に向け続けている。
「困惑しているのか?無理もない。でも、ああするしか方法を思いつかなかった。私が有利な位置に立ち続けていると、民に証明しなければならなかった。君の軍勢に怯えて、言われるがままなんじゃないかって、思われると私の身が危ない。今は、とてもデリケートな時期なんだ。君にも体面はあるだろうが…」
アマーリエは黙したまま、男の目を睨みつけている。
「…君のお腹に傷をつけたことは、謝るよ。だから、こうして治療してるんじゃないか。これだけの奇跡、どんだけ神殿に貸しをつくったと思う?君に解るか?でも、もう慣れっこだろ。傷なら他にも…あぁ、何でもない」
「手加減したっていうの?」
「そこか…」
男は壁にもたれて、話を続けた。
その話を聞きながら、アマーリエは彼の耳元で光るイヤリングに注視する。それは、まるで鍵のような、風変わりな意匠が施されていた。
「最初から、殺すつもりはなかったさ。私が勝利する姿を民に見せつけることが出来れば、それで良かった。あぁ、判った。なるほど、君は負けず嫌いだ。剣士という輩は大抵そうだが、自尊心を一度傷つけられると、根に持つからな。君みたいのを、知っているよ。厄介なこと、極まりない…君は私の苦手なタイプのようだ」
「鎧には、触れなかったわ。その感触は無かった…可笑しな剣術を使うのね?」
アマーリエは男の帯剣に視線を送るが、左の腰は壁際にあり、隠れている。
「あ…剣術については、秘伝なんだ。あまり話せない。そういう決まりだ」
アマーリエの眉間に皺が刻まれた。
「その剣も、不思議な形だった」
「家宝の剣だ。詳細は秘密だ。君の剣にだって、何らかの秘密があるはずだろ。だから、俺もそれは尋ねない」
男は、両手を開いて壁を作る。
アマーリエは、珍しいものでも見るように、目を見開いた。
「…じゃぁ、私みたいな厄介な人…とは?それは、女性?」
「…女性?あぁ、そんなのもいたな。だが、俺が思い出したのは、兄弟のことだ」
「その女性は、エルフだった?」
男は言葉に詰まった。
「君は、いつもこんな話し方をするのか?質問攻めで…とても話しずらい」
「では、名前を教えて」
「まだ伝えて無かったか?ロベールだ」
「…ギスカールは、貴方の兄弟?」
「いやいや、俺の名はロベール・ギスカール・ディ・チッタヴィル、判ってるだろうが、モルテ=ポッツ公だ」
「ポッツァンゲラ公は、剣を握るとまるで別人になるなんて、初耳だわ」
ロベールは、指を立てて否定した。
「いやいやいや、その呼び名には、侮蔑が込めれている。私たちはモルテ=ポッツと呼んでいる。大した違いじゃないが、大事なことだ。民の前では、決して口にするな」
「…そう、知らなかったわ。侮蔑を込めたつもりは無いので、謝りはしないけれど、今後訂正するわ。配下にも徹底させる」
ロベールは微笑んだ。
「君は、家庭教師に評判が良かったろ?」
アマーリエは小首を傾げた。
「…普通よ。なぜ?」
ロベールは指を眉間に当てて、目を閉じてみせた。
「あ、普通か。実力者は、大抵そう言うのさ。いえ、こんなのは普通ですよ、てな。私は、評判が悪かった…なぜだって?見て判るだろう?…威厳がないのさ。すぐに謝るし、話は要領を得なくて長い。威厳ある言葉は、簡潔で明瞭なもんらしい」
「そうかしら。今は二人だけなのだから、それでいいのでは?話だって、私には楽しく感じられてるわ」
「本当かい?」
「ええ、お世辞ではないわ」
「そうか」
「そうよ」
「君の疑問は、そろそろ解消できたかな?」
「まだあるわ。例えば…外の音は何?」
ロベールは、窓から首を出して下を覗いた。
「造船所の音だ。職人たちが作業をしながら、唄っている」
「どんな船を造っているの?」
ロベールはアマーリエの顔を見て、やや考えてから答えた。
「ガレー船だ。200人乗りの中型船だ」
「…戦争の準備なのね」
「あぁ。でも、ほとんどそれは終わっている。港の外にまで、竣工した軍船でいっぱいだ。漁師たちは、迷惑がっているよ。まぁだから、今は大詰めといったところだ」
「クェルラートを再び攻める?」
「それが、国を引き継いだ時からの…私の役目みたいなもんさ」
ロベールは悲しげに微笑んだ。
「蛮族の反乱をどうやって、封じているの?」
「教育と報酬、そして罰則だ」
「嘘よ」
「では、調教と言い換えたっていい」
ロベールは鋭い眼差しを向けた。
「この街には、魔術師がいる?」
「いるさ、そりゃぁ…何人かは…普通だろ?」
「はぐらかさないでよ」
「いるか、いないかなら、いるだ。それ以上は、言えるわけがないだろう?魔術師はどこでも嫌われ者だ。だから、魔術師たちは秘密主義を貫く。かく言う私も、秘密は大好きでね。彼には共感している」
「私の騎士たちは、無事?」
ロベールは話の切り替えについていけない様子で、返答にやや間があった。
「まぁ、それは大変だったよ…色々とな。幸い、人死は出ていない」
「牢の中?」
「まさか。高位の者に対する処遇は、心得ているつもりだ。それに、この城砦の牢獄じゃ、とても数が足りない。だから、今は船の中だ。兵舎にも入りきらんから、港に浮かべた船の中に詰め込んだのさ。言っておくが、新造の軍船だぞ?出て行く時には、しっかり掃除してもらうからな。昨晩なぞ奴ら、甲板の上で薪を始めやがった。縁起の悪い!」
「そう、とりあえず…そろそろ良いわよ。貴方の疑問に答える番だわ」
ロベールは、姿勢を変えて「では」と始めた。
アマーリエは、帯剣に架けられた金属製の封印を目に捉えた。
「まず、君主会議とやらで、どんな話をして、どうして今、お前たちがここにいるのかを教えてもらおうか」
アマーリエははじめに、君主会議での議題進行の様子をかいつまんで説明した。
「まて、諸侯らが話したのは、蛮族のことだけか?」
「…と言うと?」
「もっと重大なことがあっただろう!?」
アマーリエは、両手を広げてみせた。
「竜だ!思い出したか?お前は辺境の支配者だろう、知らないわけがない。古代の竜が蘇ったんだぞ?蛮族は、今までも撃退した歴史はあるが、竜は別格だ。古代の魔術師ですら、敵わなかったくらいだ」
「違う、撃退できたわ。敵わなかったら、今の私たちは存在しない」
「新しい真言魔術の開発成果でな。時を操る魔術によって、竜たちを化石化することは出来たが、魔術師たちも無傷では済まなかった。魔法王朝は衰退し、剣士たちの時代が訪れた」
「“戦記“に詳しいのね」
「それは、西側の書物だ。私たちには、別の古代文書が伝わっている。おそらく戦記よりも、もっと詳しく記された、正しい内容のものがな」
「その真偽はともかく、機会があれば拝見したいわ」
「よそ者には、見せられない」
「…でしょうね。何となく、そんな気はしたわ」
「いや、そうか。気づいたぞ、お前だな。お前が情報を閉ざしたんだ」
「どうしたの、急に…?」
「いいさ、きっとそうだ。動機は解らないが、それは後回しだ」
アマーリエの口角が、ほんの一瞬、釣り上がった。
「なぜ、パヴァーヌ王に追われている」
「なぜ、追われていると考えるの?」
「かまをかけるな。書簡を受け取っている。辺境騎士団に協力するな、という内容のな。お前たちは、同盟軍じゃないのか?」
君主会議以降、平野での進軍の経緯を語ると、ロベールは唸った。
「湿地帯に侵入してくる蛮族を追い払うのは、本当に骨が折れた。次は騎士国からの隷属を要求するかの如くの書状…果ては、辺境を制覇する騎士団の到来…」
ロベールは、続ける。
「クェルラートの船団が、フラムで燃えたことを知って、私たちは報復の機会が訪れたと歓喜していたんだ。そして今年、積年の恨みを晴らすため、その軍船の準備が整った。その矢先に、君たちはやっかい事を引き連れて登場した…それを知れば、私たちの気持ちも、いくらか理解できるか?」
「…そうね、お察しするわ。手加減するつもりが、ついつい本気を出してしまうのも、そういう事情を察するに、無理からぬ事だわ」
「いやいや、手加減したぞ」
「そうね、はい、はい。おかげで命拾いしましたわよ」
「君だって、手加減したのだろうに。私は、君が本気を出す前に、ケリをつける必要があった」
「私が手加減ですって?ご冗談。目一杯本気でした」
「この国は狭いんだ。広場はあそこしかない!大穴でも開けられた日には、泥濘が染み出して沼になってしまう。杭の上に新たな杭は打てないんだ…と言っても、分かるまいが」
アマーリエは堪え切らず、笑い出した。
「いやいや、何だよ。笑うとことか?」
「だって、そんなに必死になって説明しなくても…」
「…笑い顔を、初めて見せたな」
「はぁ…お腹が痛い…そうかしら、でも当たり前よ。ピリついて当然の関係なんだから」
ロベールも微笑んだ。
「そうだな。不思議なもんだ。他国の君主の方が、気軽に話せるなんてな…」
「それね…君主会議に出てみて、私もそれを感じたわ。案外、そんなものなのかも」
「そうか、そんなものか…」
不思議な沈黙が流れた。
小鳥の囀りが、部屋に響く。
ややあって、ロベールは思い出したように咳払いをして話を続けた。
「さて、質問の続きだ。君たちの要望は何だ?船を借りたいのか?」
「数隻でいいわ。航路で辺境に兵たちを輸送したい。費用が必要ならそれも払うわ」
「予想通りの答えだが、それはダメだ。全員運び切るのに、1ヶ月はかかる。大型船は全てクェルラートへ向かわせなければならない。だから、船は貸せない。君の望み通りには…できない」
アマーリエは腕組みをして答えた。
「条件があるのでしょう?もったいぶらないで」
ロベールは一度目を閉じてから、結論を伝える。
「やけに察しがいいな…それが君主としての君の才覚なのだろう」
そう前置きをしてから、彼は瞳に強い意志を込めて語った。
「約束は忘れてないな?…独力でパヴァーヌ軍を排斥しろ。その後は…協力してもいい」
アマーリエは、深いため息をついた。
「待って…」
「話は以上だ。これは、交渉ではない。勝者は…この私だ」
「それができるのなら、そもそも…」
アマーリエの言葉は宙を泳いだ。
ロベールはにべもなく、背中を見せて足早に戸口まで進み…ふと、歩みを止めた。そして、背中を向けたまま問いかける。
「時に…バヤール平原との境の山脈に、小さな隠れ里があると聞く。ここに来る道中、側を通過したはずだが…?」
「知らないわよ。山脈は蛮族たちの巣窟になってる様だから、きっと…」
「…そうか」
ロベールはそれきり、部屋から出て行ってしまった。
「くそっ…」
アマーリエはリルのトリスケルを掴み、窓の外に向かって振りかぶり…その手を止めた。
ピーッ、ツー。
一羽のヒヨドリが、窓枠に留まっていた…。
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