第3話 曇天

「ルイーサ、おいで」

 父の声はいつも通りに優しく、そして威厳に満ちていた。

 積年の賜物ともいうべき知識、冷徹な判断力、先見の明…父の言葉に反抗心を抱いた時もあった。しかし、淡い期待や稚拙な願望は、いつも自分自身を裏切り続けた。一年、また一年と成長するにつれ、父の言葉の正しさを理解し、反対に自らの思考を愚かしいものと感じるようになった。

「おいで、ルイーサ…」

 騎士相手に、剣の稽古をしていたのだけれど、ムッと感じた自分の感情にアマーリエは向き合った。

 …邪魔をされて、私は苛立っている。

 ただ、それだけのことだ。

 父の言葉はいつも正しい。

 何か、今でなければならない、重要な用事があるに違いない。

「ごめんね、ハルトマン。お相手は、また今度」

 白髪混じりの髪を後ろに束ね、口髭を蓄えた騎士の顔は、背丈の違いの所為で陽光と重なり、良くは見えない。しかし、彼が優しく微笑み返していることだけは、なぜかはっきりと理解できた。

「お気になさらず、姫。さ、お急ぎください」

 剣を腰に戻すと、アマーリエは父の声がする方へと走り出した。

 クラーレンシュロス城のベイリーは、子どもの彼女にとっては、手に余るほどの広さだ。戦神アドルフィーナ神殿の前でボードワン神官とすれ違い、彼女は父の居場所を尋ねた。

 彼は、右手の方を指差した。

 厩の前では、灰色の髪の少年、アッシュに出会った。彼女はまたも、父の居場所を尋ねた。

 彼は、もっと奥だと答えた。

 石畳の暗くて細い通路を抜けると、ようやく、微笑む父の姿を見つけることができた。

「さぁ、こっちへ」

 アマーリエは父の太く、大きな手を握り一緒に歩き出す。

「ハルトマンがね、私は小手打ちが上手いと褒めてくれたわ、きっとすごい剣士になるだろうって!すごいでしょ?」

 二人は、立木の枯れた中庭へと進む。その先には、古ぼけた神殿があった。

「ねぇ、私、騎士になれるかしら?」

「さぁ、こっちへ」

 誰も訪れる人がいなくなって久しい、寒々しい中庭に、ぽつねんと取り残された小さな祠。

「お父様…あのね…私…そっちには行きたくないの」

 嫌な予感がした。

 何か、良からぬ者たちが、その祠に屯しているような、そんな気配を感じていた。

 何故かは判らない。しかし、悪い予感は必ず当たる、とアマーリエはこの時、確信していた。

「さぁ、こっちへ」

 父にいざなわれた祠の内部は、長い間手入れがされておらず、机は傾き、椅子は倒れ、木々が生い茂り、天井からはところどころ、陽光が差し込んでいた。

 大丈夫だ…と自分に言い聞かせる。

 しかし、それは淡い期待でしかなかったと、彼女はすぐに悟った。

 柱の影…。

 机の下…。

 はたまた神像の後ろに…その者たちはいた。

 ぞろり…と、狭い影にひしめいていた。

 槍を背中に突き立てたまま、戦意を露わに猛る戦士。

 沈黙したままの赤子を抱える、両目が腐り落ちた母親。

 首を探して這い回る犯罪人。

「嫌だよ…嫌な人たちがいる…帰ろう、お父様」

 しかし、父の手はまるで鉄のように固く、アマーリエの手を握って離さない。

「慣れておくのだ、ルイーサ。これは、お前のためだ」

 溢れるはらわたを、両手で押さえる子ども…決闘裁判に持ち込まれた私が、初めて殺めた年上の男の子。

 長剣にもたれかかる姿勢で、喉元を大きく割かれた優男が、アマーリエに手を挙げて挨拶をしている…辺境制覇に乗り出した私が、最初に倒した辺境の僭主マンフリード。

 太った腹を気にするようにポンポンと叩いている、禿頭の太った巨漢の胸元には、深々と短剣が突き立っていた…ロロ=ノアに暗殺された、ハロルド叔父さん。

「いやだ、もう…見たくないッ」

 父の手は、冷たく、固く、まるで硬直した死人のようだった。

「いやだ…」

 机の上に座る騎士が、アマーリエを見つけて手を振った。

 時がその速度を上げていく…陽光が角度をずらし…騎士の消え去った下半身を曝出した。

「よう、アマーリエ。元気そうでなりよりだ」

 それは、金髪を短く刈り上げた騎士、クルト・フォン・ヴィルドランゲだった。


「嫌よっ!」

 アマーリエは、頬を震えながら、身を起こした。

「大丈夫だ…きっと大丈夫!」

 ミュラーが、彼女の肩を抱いていた。

 騎士たちがクロエ神殿の中から、壊れた机や扉、蛮族の死体などを外へ運び出している。

「…どれほど、眠っていたの?」

「ほんの数分だよ」

 タンクレディが、二人の元に駆け寄った。

「もう、大丈夫…」

 アマーリエは、ミュラーの手をそっと解いた。

「厠の下が、古代の下水に繋がっている。そこから逃げたに違いない。これから追う!」

 彼は捜索隊に志願する者を集め始めた。

「俺も行きます!騎士団長殿」

 アッシュが走り寄り、アマーリエに許可を求めたが、彼女は首を振った。

「あなたは、私の従者よ。私は、ハルトマンからあなたを託されているの」

 アッシュの下瞼は、赤く腫れていた。

「俺の所為なのです!俺が、望んだから…」

 アマーリエは一瞬目を見開いたが、しかし優しく彼を抱き寄せた。

「俺は…クルト卿が妬ましかった…強く逞しい騎士でありながら、騎士団長にも心から信頼されて…でも、彼の所為で、騎士団長はすっかり変わってしまった…いっそ、いっそ消えてくれと、何度願ったことか…」

「いいのよ、それはきっと、あなただけじゃないから…」

 二人の前には、騎士たちが武装を整えて集まっていた。

「アマーリエ、全員行きたがってる…」

 ミュラーが心痛な面持ちで告げた。

「無理よ…連絡手段はどうするの?補給線は?物資を誰が守るの?大橋には、誰も向かわないつもり?全員は、無理よ…軍が崩壊するわ…騎士一人のために、許されない」

「俺もだ!」

 タンクレディが力強く語る。

「俺も、先輩風吹かせて、グランマエストロに取り入ってるあいつの事が、気に入らなかった!だが、あいつはお前だけのものじゃない!気に入らないところも含めて、俺はあいつを気に入っていた!探しに行くぜ!斥候隊と騎士の2小隊だけでいい、きっと見つけて来る!」

 アマーリエは立ち上がり、スタンリー、ワルフリード、オラース、ミシェイル、イネスら一同の顔を見渡すと、深呼吸を一つしてから、しっかりとした口調で命を下した。

「騎士1名に徒士12名をつける。アッシュ、跪きなさい」

 一同は息を飲んだ。

 アマーリエはヴァールハイトを抜き放つと、従者の肩にその腹を当てる。

「…アリシュリンドです」

 俯いたまま、アッシュは自らの本名を告げた。

「アリシュリンド…家名は?」

「知りません」

 アマーリエは静かに目を閉じ、アリシュリンドに簡略的な騎士の叙任式、アコレードを行った。

「クラーレンシュロス伯ルイーサ・フォン・アマーリエの名において、汝、アシュリンド・ハルトマンを灰色の騎士に封じる」

 不意を打って、ガンッと頭頂部を剣で叩かれたアッシュは、思わず顔を歪める。

「痛みは汝の良き友であり、痛みは汝の師である。痛みこそが、汝を正しき道へと導くであろう」

 騎士たちが、新たな仲間を拍手で迎えた。

 スタンリーが、自分の盾をアッシュに投げて寄越す。

 アコレードは、簡潔に修了された。

 そのタイミングを見計らって、一人の騎士が進み出る。

「私も、加えてください!新参者故、軍全体のご迷惑にはならぬかと、何卒っ!」

 ナタナエル・ギャビネット。彼女は、ラバーニュが連れて来た新参騎士の一人だった。

「これ以上は許さぬっ!」

 半歩前に足を踏み出したタンクレディは、アマーリエの制止の声に、くそっと天を仰いだ。

「捜索隊の先任はアシュリンドです。彼を隊長とし、ナタナエルは副長とします。斥候隊の中から、腕の立つ者たちを選びなさい。従者の同伴も許します。アシュリンドに馬と鎖帷子を…」

 ミュラーは気丈に振る舞うアマーリエに添い、小声で意見を伝える。

「オラースの隊も加えては?」

「こらからいよいよ、蛮族の勢力圏深部に入ろうという時に、彼らの働きは欠かせないわ。この集落の残飯を漁るのは酒保隊に任せて、進軍の準備を整えて頂戴。すぐにでも、グランフューメ周辺の敵を掃討しに向かう」

「では、我ら捜索隊はこれにて」

 騎士たちが見送る中、騎馬2組、徒士13名の捜索隊は、古代バヤール帝国時代に築かれた下水道に沿って、平原の彼方へとその姿を小さくしてゆく。

 その背中から目線を無理やり引き剥がし…アマーリエは東方への前進を命じた。


 だが、それからわずか翌日の朝、思わぬ事態に軍の前進は妨げられることになる。

 聖教皇が盟主となる君主会議連合軍の中で、最強の軍勢パヴァーヌ軍、彼らによる辺境騎士団への妨害行為だった。


 その日の朝は、アマーリエの天蓋前には、主だった騎士たちが集まり、伝令たちがひっきりなしに往来していた。

「パヴァーヌ軍は、平野を散開していたのではなかったのか?」

 オラースが伝令に詰め寄る。

「申し訳ございません、イーサン卿からの報告では、すでに補給線上の村を占拠するかのように、全軍が集結しているとのことです。それしか、私にはわかりません」

「散開してみせたのは、欺瞞だったんだろう。真面目に蛮族たちを掃討しているかのように見せて、僕らを油断させるのが、第一の目的。行動範囲を広めることで、他の諸侯らを遠ざけるのが、第二の目的なんだ」

 ミュラーがパヴァーヌ王の意図を推測する。

「なら、本気で我らを追い立てるつもりか?」

「どいつもこいつも、ライバルを蹴落とすチャンスと見るや、蛮族のことなどすぐに頭から消え失せるものなのか」

「聖教皇に使いを送れないものでしょうか?聖教皇ならば、奴に首輪をつける事ができるはず」

「今頃、どこにいるかも定かじゃないわよ…いえ、君主会議のあの雰囲気から言って、パヴァーヌ軍の後方にいる可能性は高いかも…」

 スタンリー、ペルスヴァール、シュタッツ、アマーリエが意見を述べ合う。

「すると聖教皇は、すでに手の内か…」

「とは言え、制御下にあるわけじゃないと思う。適当な情報で納得させて、後方に待機させているのだろう。最も、これは推測に過ぎないことを忘れちゃだめだ」

「ならば、ミュラー。これからどう行動するのだ?酒保隊が同行しているとはいえ、兵站路を断たれては、そう長くは持たぬぞ」

「集結したパヴァーヌ軍は…」

 スタンリーの問い詰めに、ミュラーは冷や汗を禁じ得ない。

「騎兵2千に、歩兵1万8千…もしくは、それ以上よ」

 アマーリエの答えに、一同は落胆した。今の遠征軍は、パヴァーヌの騎兵戦力だけで、分断され蹴散らされかねない。パヴァーヌ騎兵は、重装で知られている。

「勘違いだと、思いたいな…」

「実際に村を占領され、守備隊は追い出されたのだから、もはや確定だろう。我らをどさくさ紛れに殲滅する気だ」

 シュタッツの呟きは、スタンリーの言葉で淡い幻想と消えた。

「ミュラー、お前ならこれから、どう攻める?」

 スタンリーはミュラーに、参謀としての意見を尋ねた。

「バヤール平原は広い。定石ならば、前線を広げて投網で掬うように捕捉するだろう。でも、僕たちは騎士団だ。相手もそう思っている。歩兵は捨て置き、騎士たちによる一点突破に出ることで、アマーリエを本国に逃がそうとするかも知れない。だから、包囲網はやたらに広げられないはずなんだ。そう考えれば、正面対峙さえ避ける事ができれば、活路は十分にあるはずだ。大きく進路を変更して、他の諸侯に合流してもいい。諸侯の目があれば、さすがに今回は諦めるはずだ」

 ミュラーの意見が終わるが早いか、タンクレディが馬を駆って天蓋までやってきた。

「イーサンからの新情報だ!ラバーニュ卿が裏切ったらしい!」

 一同は言葉を失い、会議の空気は一層と重苦しくなった。

 後背の補給戦を絶たれた報に続き、パヴァーヌ王国との国境線を守備するラバーニュが裏切った。

 蛮族掃討戦のためアマーリエが本国を留守にする機会を狙っての、パヴァーヌ王が周到に準備した一連の工作としか、思われなかった。

「言わんこっちゃないな。奴は続けての居残りに猛反発しておったからに」

 スタンリーが顔を手のひらで覆いながら、嘆いた。

「今思い返せば、彼は元々、日和見な言動が多かったように思います」

 ワルフリードの呟きに、アマーリエが片手を振りながら返した。

「それは、ないわ。うそよ」

「俺はそいつを知らないからな、グランマエストロが嘘だと言うなら、嘘なんじゃないか?」

 タンクレディの日和見な態度に、騎士たちが苛立ちの視線を向ける中、ミュラーが命じる。

「タンク、戻ったばかりで悪いが、斥候を連れて直接、イーサンの部隊に合流して情報を集めて欲しい」

「勿論、承るさ。でも、できれば補給部隊を追い越して、直接パヴァーヌ軍を見ておきたい。いいかい?とっ捕まる様なヘマはしない、そこは保証する」

 ミュラーは、判断をアマーリエに委ねた。

「いいわ。お願い」

「そういう事ならば、ご期待にお応えしますよ、グランマエストロ。斥候、3騎着いて来い!」

 彼は赤毛の軍馬に華麗に跨ると、馬首を返し、颯爽と出発する。斥候たちが慌てて跡を追うのも待たずに、あっという間に稜線を越えて、見えなくなってしまった。

「奴のあの性格は…羨ましいな…数年前のクルトを思い出す」

 オラースが思わず口にしてしまい、スタンリーに脇を小突かれた。

「そうは言っても、最悪な状況も想定しておかないと…」

 話を戻したミュラーの顔は、すっかり青ざめていた。

「ラバーニュの言動は、表の顔。彼が望んだスタンスよ」

 アマーリエは、虚報との見解を崩さない。

「だが、現にこうやって裏切ったではないか」

 スタンリーは神経質に口髭を撫で付けながら食いつく。

「だから、嘘なのよ。いい?彼は常にその機会があったのよ。ここにいる誰よりも、いつも、どんな時でもやろうと思えばできる立場だった」

「パヴァーヌ王が、使いを寄越したのだろう、今こそ謀反の絶好の機会だと」

 スタンリーは髭いじりをやめ、腕組みをして問うた。

「そうね、絶好の機会だわ。でも、それはパヴァーヌ王にとっての、よ。きっと誘いはあった。それは事実かも知れないわ。私がパヴァーヌ王なら、それは試すわ」

「だから、裏切ったのではないかと…はて、ラバーニュにとっては、そうではないと?」

 スタンリーは今度は腰に手を当てて首を捻る。その姿を横目に、ミュラーが顎に手を当てて思案を始めた。彼はすでに別の思考を始めている。それを悟りつつ、アマーリエは話を続ける。

「状況的にはそうなのかも知れないけれど、彼の心境では別段、今が特別という訳ではないわ」

「戦況よりも心境を重視するのか?ラバーニュが?」

「スタンリー、誰だって色々と考えを巡らすものよ。状況次第で動きを変えていては、それは野生動物と同じ。もし仮に、今謀反を起こすとすれば、その理由は何?」

 皆の目線がミュラーに集まった。

「みんなが思っている事は、当然の話だよ。兵も少なく、騎士団長も不在。組織だっての堅固な反抗に遭わない今がチャンスだ、とね。でも…」

「彼の手持ちの兵では、ハロルドを囲む事だってできないわ。それをするには、少なくても3万以上は必要。加えて、私の帰還、あるいは後背地からの援軍を考慮すれば、短期間でハロルドを陥落させないといけない。それには、5万以上は見積もらないと。パヴァーヌからの援軍だって、この時期に万単位の増援を送れるとは考えにくい。最後に、その動機だけれど、今なら防衛力が弱いから、というだけ。でも、それって、何だか無理に言い訳しているみたいじゃない?」

 ミュラーが捕捉する。

「謀反を起こすのならば、ハロルドの陥落が絶対条件になる。あそこが健在である限り、どこに居ても襲われかねないからね。でも、考えてみれば…例えば内通者がいて、容易に開門させ、ハロルドを占領できたとしても、それから何ができる?彼の基盤はアマーリエ西部だけだ。今の辺境騎士団の領土は、ハインツ殿健在であった頃から比べ、倍以上の広さがある。新たな民…辺境諸族にとって、ラバーニュの影響力は皆無と言っていい。そして、ラバーニュの性格から言って、新たな領土の支配権を大人しくパヴァーヌに譲って、その対価として悠々自適な隠遁生活を送る様なことは考えないだろう。彼は、結構な俺様気質だからね」

 ワルフリードが別の意見を言う。

「しかし、動機は他にも考えられる。家族を奪われて、脅されているとしたらどうでしょう」

「悪いけど、語弊を恐れず言うけれど…あのね…貴方たちってそれほど家族が大事なの?」

 ワルフリードは、これは異なことを、と言い返す。

「他の者は知りませんが、私は何よりも大切に想っておりますぞ」

「本当に、一つだけ選ぶとすれば、それは家族なの?私に対する忠誠とか、そんな話は別としてよ」

 一同は胸に問うかのように、沈黙した。

「考えたことがない訳ではないはずよ。きっと、誰だって一度は悩むし、問われることだってある。剣に生きると決めた人間が、我を捨てて戦を放棄できる?名誉ある戦場に、同僚たちが甲冑を並べて隊列を組んでいる中、自分だけは、病気の奥さんの看病を続けるのかしら?…どうなの?きっと、私はできないと思うわ」

 ミュラーがアマーリエを制した。

「まぁ…アマーリエ。僕も含めて、騎士は我を通す人間が多いのは確かだけれど、実際にそんな天秤を突きつけられるまでは、どう行動するかなんてわからないさ。忠義や信念を秤に乗せるような例えは、やめておこう。それよりも、さっきの続きを考えようよ…今なら、本隊が居ない分、一気に深くまで侵攻できる。君が言うように、ハロルドは陥せないだろう。しかし、逆に言うならばハロルド近郊までは、勢力圏に置くことができるのだから、今試す価値はあると、言えるんじゃないか…皆はそう考えているよ」

 アマーリエは、しれっと答えた。

「でも、そのうち私が戻ってくる。いずれ、数ヶ月後か何年後かには、いずれ…必ずね。私には、その前例があるわ」

 一同は再び沈黙。

「ラバーニュは、私を恐れている」

 一同は、うなづきながら呟いた。

「奴はいつも、へらず愚痴を叩いてはいたが…」

「輪光の名は、伊達じゃない。アマーリエの人間ならば、誰もが知っている」

「大地に大穴を開ける現場を目にしたら…」

「アインスクリンゲは失ったが、まだヴァールハイトがある」

「パヴァーヌ王が、平原での殲滅を彼に約束したらどうだろう?」

 これには、ミュラーがため息混じりに答える。

「それでは、パヴァーヌ王にとって、ラバーニュを使う意味がない。無駄に領土を奪われるだけ、損にしかならないから、そんな自信があるならラバーニュと連携する策は選ばないだろう。だから、仮にそれを持ちかけられても、ラバーニュはそれを信用しない」

 ワルフリードがミュラーに問う。

「では、逆にだ…新たな疑問が生まれる。パヴァーヌ王も独力で、辺境騎士団を殲滅できるとは考えていない?」

「残念ながら…」

 アマーリエは腰をあげて、ゆっくり歩きながら続ける。

「パヴァーヌ王は、やる気十分よ。私を殺すか、それが不可能ならば少しでも優位な状態を確立し、その上で婚姻を要求する気でいるわ」

 スタンリーが口髭を撫で付けながら、低い声で返した。

「暴れ馬を慣らす自信があるのか…恐れ知らずよ」

 冷たい視線を送るアマーリエを他所に、彼は続ける。

「ならば、陽動程度の目論見で、ラバーニュを動かすかも知れぬ。騎士団崩壊後に、簡単に始末できると踏んでな」

「でも、ラバーニュだっていいように使われるだけの馬鹿じゃないわ。彼がもし、謀反を起こすことがあるとすれば、それは私が死んだ後の話よ。私が存命の限り、彼にとって、その時ではない。それに、数年かけて取り組んでいる防衛ラインの構築は、彼の立案と設計によるものよ。私は全面的に承諾して、彼は思い通りに仕事に取り組んでいるわ。まぁ、予算はないけれど…さらにもう一つ、これは私から彼へのオーダーがあるわ」

 アマーリエは皆の視線を確かめてから続けた。

「辺境諸族からの物産をハロルド経由で、パヴァーヌ東南部の商人へ売るの。高価な物産は稀だけれど、今まで交流の無かった地から運び込まれる、珍しい品々よ。きっと取引量は増えるに違いない。これでパヴァーヌ東南部の領主たちは、少なからず潤い、防壁強固なクラーレンシュロス領へ、金を物資と兵を浪費してまで、わざわざ攻め込もうという気概が薄れていく…であろうという寸法よ。皆には悪いけれど…当然ラバーニュ自身にも儲けは生まれる。どう?今の彼の立場を思えば…なかなかに充実している日々だとは思わない?」

 騎士たちからは、ラバーニュめ、そんな話は一度も口にせんかった、と愚痴が生まれた。

 男たちの愚痴を手で制し、ミュラーが結論を急ぐ。

「つまり、これはパヴァーヌ軍による虚報だと断言するんだね」

 アマーリエいわく。

「最初からそう言っているわ。でも、これはいい結論…という訳でもないのよ」

 ミュラーは皆に聞こえるように、声に張りを込めた。

「アマーリエの言うとおりだ。補給路の断絶と、内乱の虚報…本当にこれがパヴァーヌ王による虚報だった場合、事態は事実だった場合よりも、さらに悪い方向になる」

 スタンリーが後を継ぐ。

「これは、後方へ転進させねばならない様に仕向ける罠、ということか」

 ワルフリードが続ける。

「パヴァーヌの狙いは…会戦か!」

 アマーリエが結論づける。

「一点突破さえ許さない、重厚な布陣で待ち構えているわ。彼には、そうは簡単に逃がさない、という自信があるのよ。どう言うわけだか知らないけれど、そういう心境であるのは確かね」

「この兵力差だ。会戦であれば、半日もあれば楽に殲滅できる」

 スタンリーのうめく様な呟きに、ミュラーはうなずいた。

「一点突破は恐らく備えがある。だから、ここは道を引き返すわけにはいかない」

「だが、三方は蛮族が焼き払った荒野。捕捉されぬよう、ジグザグに平野を進み、食糧を失いながら蛮族とも戦う羽目になるのか」

 シュタッツの言葉をミュラーが続ける。

「あるいは、霊山幽谷を抜けて、グラスゴーへ向かうか」

 ワルフリードが言う。

「道がないから、独立自衛を保てた街だが…商人ならば、知っている者がいるかも知れない。酒保隊で情報を集めてみよう」


 数時間後、タンクレディは約束通り、パヴァーヌ軍の陣容を偵察して戻ってきた。

 まるで巨大な竜の鱗のように、兵たちを幅広く、そして奥行き深く配置して、すでに前進を開始させているという。彼は、道を選ばず進める、この大平原を憎らしく語った。

 転進の命は、兵たちに少なからぬ動揺を与えた。

 当初一年で帰還すると明言してしまったことが、裏目に出たのだ。一度、軍事行動を始めると、取り巻く情勢は時として激動の様相を見せる。「どうやらこのままでは、今年中に領地に戻ることは難しいのではないか。最悪、補給が底を付くかもしれないぞ」。そんな疑念が兵たちの心に広まったのも無理はない。全体の行動目標は、総司令官の頭の中にあるだけで良い。一兵卒に至るまで、その目標を明確にしすぎると、時としてそれが足枷となるのだった。


 オラースの先遣隊が、南の山脈へと向かう。

 険しい谷と、深い森によって守られたグラスゴーへの合流ルートを探るためだ。

 だが、その天然の要害こそが、かの街を長きに渡りハイランド王国からの干渉を妨げてきた。ワルフリードの言葉は正しかった。その役を全うするだけの機能は、アマーリエの進軍を阻む際にも健在であった。

 一縷の望みは、商人たちの間で流れる噂話程度の情報…。

 その昔、辺境の民がバヤール平原まで進出し、略奪を行なっていたという。その時に使われたのが、「山賊たちの峠」と呼ばれる険しい隠れ道。今でも山賊たちの根城と考えられ、実際にその道を試したという商人はいなかった。

 東に戻れば、パヴァーヌ軍が待ち構えている。かといって補給がないまま、蛮族たちが跋扈する平原北部へと転進するのは自殺行為だ。西に進めば、船なしでは渡れない大河と蛮族の大軍。西南には、荒海と呼ばれる内海と、アマーリエの勢力化にない辺境の国が、道を閉ざす。今は、とにもかくにも、その道を頼むしかない。


 オラースの先遣隊には、強引に金を握らされて渋々連れて来られた商人たちの他にも、野伏や狩人を出自とする者たちを斥候隊から引き抜き、さらに視力に秀でる近衛隊のイネスが合流していた。恣意効果を期待した煌びやかな甲冑は脱ぎ、土色の革鎧と外套に着替えての参加だ。

 彼女の視力と、大胆不敵な行動力は、此度の偵察任務において、遺憾無く発揮されることとなる。

 先遣隊は、商人たちの頼りない案内に従いながら、本隊から南に30kmほど離れた地点まで到達した。途中に焼き捨てられた村の中を通り抜けたが、生存者は皆無、蛮族の姿さえ無かった。

「複数の種族の異なる蛮族たちが、そろって南に向かっている様です」

 足跡を探った野伏が、不吉な状況を告げた。

 村は煤の臭いがきつかったので、離れた場所で、夜を明かす。

 夜に徘徊する野獣や蛮族の類は、夜目が効く。そして「火を恐れる」というのは迷信でしかなく、獣の類であっても、お構いなしに襲ってくるものだ。だから、平原の真ん中で薪を燃やすことは避けた。

 村の井戸で汲み上げた水で葡萄酒を薄め、焼きしめたパンの欠片をふやかして口に含ませて強引に飲み込む。あとは、少しだけ干し肉をかじるという食事を摂り、順番で仮眠をとり、日が昇りきる前に出立した。

 朝日を浴びて群青色の空に浮かび上がるグラスゴーの山脈は、まるでバヤール平原を隔絶するカーテンウォールのように長々と、且つ高々と誇らしげな勇姿を見せつけた。

 山の傾斜には、山頂に降りそそいだ雨を運ぶ渓流が数千の帯となり、そこに深い森を茂らせる。乾いた風が通る平原地帯とは、まるで別の世界が広がっていた。

 ここで、およそ150名の隊を5分割し、口伝で伝わる山賊たちの道を示す“ある目印“を探すことになる。

 イネスはオラースと別れた後、森の境界線を3時間ほど歩いた。

 すると、商人が森から突き出した白い岩塊を指差した。

「本当にありやがった…でかしたぞ、お前!」

 金髪のツインテールを靡かせながら、イネスは商人の背中をバンバンと叩いて労った。

 目印だ。

 一行は、森の中へと分け入る。

 初夏の森は、生命の息吹で溢れていた。

 大樹は一斉に新芽を芽吹き、我先に陽光を獲得せんと競い合う。

 下生えでは花々が咲き誇り、新たな種を膨らませる準備に余念がなく、虫たちは始まったばかりの短い生を謳歌するかのように、這うものたちは若草を喰み、翼あるものたちは木立を縫うように舞い踊る。

 幸い、下生えは進めぬほどには成長しきっておらず、昨年から枯れたまま残る、蔓の類を短刀で切り開く程度で済んだ。

 先遣隊、野伏、狩人からなる一行は、背中にじっとりと汗を含ませながら無言で道を切り拓いた。

 軽口を叩いたり、歌を唄ったりせずに、ただ黙々と滑りやすい斜面を慎重に、確実に踏破していく彼らの姿勢は、出自による性分だったのかも知れない。

 …今回は、その性分によって救われた。

 イネスの先をゆく野伏が、拳を握って後続を制止させた。

 イネスは弓を構えて、茂みすれすれに腰を落とす。

 野伏が、前方やや左を示した。

 木立の間に、動く影があった…二足歩行で小ぶり…小鬼タイプの蛮族だ。

 少し離れた岩の上にも、2体…何かを話しながら陽を浴びている。

「どうしますか?あの数ならば、撃退できますが…」

 野伏がイネスの元に来て、小声で指示を仰いだ。

「陽の光が傾斜していて、見分けが難しい…下生えもあるし…他にも、もっといる可能性がある。この木に登れば、あたりを見通せるかな」

「木の上は、目立ちます。相手が正面だけとは限りません」

「んー、正面だけならなんとかなる訳で、正面だけで無かったら、なおさら知っておく必要あるよね」

「では、散開して、周囲を捜索します」

「いいよ、面倒だし、各個撃破されたら、やじゃない。やっぱ、登ってみるよ。バレたみたいなら、そん時は教えてよね」

 イネスは弓を背に回すと、ロープを取り出し、それで幹を抱きかかえるようにして、ぐんぐんと杉の木を登り始めてしまった。野伏の男は、感嘆の声を上げた。

「身体が軽いとはいえ…まるでリスだな。俺も子どもの頃なら、負けはしなかったが…」

 午前の森の空気は湿気が抜けきらず、やや霞がかかっていた。

 斜めに伸びる木々の影はいく筋ものストライプ模様を生み、風の止まった静寂の空間を飾り立てる。

 …静か過ぎた。

 朝の囀りの時間は過ぎているとはいえ、木々の間を飛び交うシジュウカラの姿さえ無い。

 ところどころに白く濃い靄が停滞している。

 鼻腔が微かな異臭を感じ取り、イネスの脳にその答えを告げた。

 不思議なことに、理解すれば視覚はその能力を倍増させる。

 朝靄では無かった。

 今朝方まで、火を焚いていた者たちの姿を、一つ、また一つとイネスの眼球は捕捉し始めた。

 コボルド、ゴブリン、ホブゴブリン、オーガー、イネスの見知らぬその他の種族たち…。

 この森は、蛮族たちの見本市と化している!

 降りようと、下を見た瞬間、右足が支えを失い「めきりっ」と湿った音を発した。

 イネスはめくれた木の皮が、グローブを突き抜けて手に刺さるのもお構いなしに、一気に降りた。

「撤収!森から出ろ!」

 一同は枯れ枝を割りながら、全速力で落ち葉とふかふかとした土に覆われた斜面を滑るように降りた。

 手を伸ばして外套を掴んでくる立木の枝、土がお土産を持たせるかのようにブーツの中に入り込み、木の根がせっかちな人間たちの足をすくって転倒させた。

 土と木の葉を舞上げながら、10mほど転がり落ちたイネスは、土を被ったフードを押し上げ、斜面を見上げる。

 すると、大小様々な蛮族たちが、お祭り騒ぎよろしく、威勢よく斜面を転がり落ちて来る。

 数本の矢が、イネスの耳元を掠めて、立木に突き立った。

「急げッ、急げッ!とにかく、降りろッ!」

 肩に矢を受けて怯んだ狩人の背中を押し、ジタバタと転がるばかりの商人の襟首を掴んで引っ張り上げた。

「走るか、死ぬかだ!死んだ気で走れ!みんな腹ぺこらしい!喰われて死ぬか、走って死ぬかだ!」

 自分でも何を言っているのか分からないが、今はとにかく「走れ」だ。命がある限りは、「走り続ける」しかないのだ。矢を受け、あるいは転倒して、負傷した者が遅れ始めた。もとより、商人たちは軽装の割によく転ぶ。人族でも、足の速さを自慢とする者がいるように、蛮族にも個体差はあるようだ。かといい、とても称賛する気にもなれない俊足の持ち主が、しんがりのイネスに追いついた。

 必殺の跳躍、とばかりに蛮刀を振り翳しつつ、斜面を飛んだ小鬼の喉元に、白樺の矢が突き立った。

 その矢羽は、ルリカケスの装飾が施された、イネスお手製の24本のうちの1本。

 左利きのイネスは、弓を引きながら、人差し指にはめた指輪にくちづけをする。トリスケルは剣神ゾルヴィック。弓の神ではないが、12神柱切っての荒神である彼女を、イネスは純粋に愛していた。

 カンッ、カンッ。

 イネスのコンポジットボウが、乾いた弦の音色を奏でる。

 二体、三体、四体、五体…そして六体と、足の速い小鬼たちが射抜かれ、勢いそのまま、壊れた人形のように四肢を暴れさせながら、斜面を転がり落ちてゆく。

 走っては射り、降っては射る。

「森を抜けます、イネス様、早くッ!急いで!」

 足を射抜かれた野伏が、イネスの身体を押しやった。

 イネスがその袖口を掴んだいなや、一本のず太い槍が野伏の背中に突き立ち、腹部から穂先が顔を出した。

「ごめん」

 イネスは男を諦め、全速で走った。

 藪を飛び越え、倒木の下を転がってくぐり、仲間の後を追う。


 その時、彼女の五感に不可思議な現象が起きた…。


 まず、音が消えた…耳鳴りのようにズーンと低い振動だけが鼓膜を揺さぶる。

 時間は急激に減退し、悪夢にうなされた時のように、ゆっくりと走る自分。

 そして、徐々に自分が分離してゆき…先行して走る別の自分の背を追うようになる。

 その自分の背に、若木の幹ほどもある槍が刺さり、それは左の肩甲骨を砕き、もつれるように回転しながら、土を巻き上げて倒れゆく…。

 その姿に追いつき、すぐ足元に見下ろす形になった時、イネスは唐突に理解した。


 時間は元の速度に戻り、右手に飛んだイネスの左肩の服を、ごうと飛来した太槍の穂先が掠める。

 矢筒に手を伸ばすと、最後の一本だった。

 前を走る商人が、後頭部を射抜かれて顔面から転がる。

 その身体を飛び越えながら、イネスは身体を反転して最後の一矢を迫り来る蛮族に放った。

 白樺の矢は、3mはあろうかというオーガーの右眼球に吸い込まれるように突き立つ。

 脳がいまで達したはずの一矢を喰らっても、オーガーは疾走をやめること無く、地面を後転する人間を掴みにかかった。

 それを再び飛び退いて躱わすと、イネスは全力疾走に専念する。

 燦々と日差しを浴びる草原に出ても、オーガーの胆力は衰えず、両者は速度を拮抗したまま走り続けた。

 散開する他の人間を無視し、オーガーは己が瞳を潰した小柄な女に狙いを定めた。

 二人の疾走は、しかし無限には続かなかった。

 イネスの瞳が、まるで神が使わせた使者の如く、正面に現れた一対の人馬の姿を捉えた。

 前足で宙を蹴り上げた後、騎士は彼女に向かって馬を進め、やがて疾走に移る。

 疾駆する騎士は、イネスの傍すれすれを交差し、凛と掲げたランスをオーガーの下腹部に突き通した。

 深々と刺さったランスはそのまま砕けるが、オーガーはたまらず土煙を上げながら転倒した。

 騎士は馬首を返すと、背後からオーガーの後頭部に剣を振り下ろす。

 大木のようなオーガーの首は一度では落とせず、二度、三度と試みたのち、騎士は剣が曲がってしまったことに気づいて、諦めた。

 オーガーはすでに絶命していた。

 イネスは、森を振り返る。

 数十体の蛮族たちが、トボトボと森へと引き返していく姿があった。

 蛮族たちは別段、陽の光に弱いわけではない。眩しくて、苦手なだけだ。きっと空腹のまま走り続け、限界が来たのだろう。このまま、無限に続く大平原で、追いかけっこを演じ続けるほどの気力は、すでに残っていないというわけだ。それに、眼前でオーガーが倒されたなら、やる気も失せよう。

 平原まで走り出た蛮族たちは森の中に戻り、餌食となった男たちを奪いあっての乱闘に参加した。

 イネスを救った騎士は、息を吸うだけで精一杯の彼女の元へ、馬首を巡らせる。

「やれやれ…えらく足の速いオーガーだったな。オメェがさぞかし、好みのタイプだったんだろうぜ」

 神の使いは、布切れで剣の血を拭いながら、ガハハと笑った。

「危うく…お前に…惚れるところだったよ…」

 オラースはいったんは驚き、そして光栄です、とばかりに馬上で礼を示す。

「ところでお前、なんで剣を使わない?折れてんのか?」

 顎先からぼたぼたと汗を滴らすイネスは、毒づきながら大の字になって倒れた。

「ちくしょ、剣を持ってること…忘れてた…」

「しっかりしろぉ、剣神の神官殿がよぉ」

 オラースは馬を降り、サーレットを脱ぐと、イネスの横に腰かける。

「しかし、まぁ…よぉ…。この森は、どこもこんなもんだ。俺の小隊は、全滅しちまった…。道理で、平原で出会す蛮族の数が少ないわけだ。平らけた場所にいるよりも、奴らは森や山の方が、居心地いいんだろうよ。きっと、恐ろしい数の蛮族が潜んでやがるぞぉ…こりゃ、グラスゴーもあぶねぇか?」

「…姉貴なら、きっとうまくやるさ」

 オラースは、イネスの顔を見下ろして呟いた。

「お前よりも、ずっと器量良しだからな。まぁ…だいぶ、ウマクヤルだろうさ」

 オラースの額に、小石が投げつけられた。


 オラースは隊を集結させ、本隊の元へ帰投することを決めた。

 いくらアマーリエの軍勢が二千を数えるものであっても、山岳地帯での行軍は一列にならざるを得なく、蛮族の大軍に襲われでもしたら大損害となる。この時点で、グラスゴーへの山越での逃避路は、絶望的と言えた。

 残る道のりは、グランフューメの河口地帯に広がる沼地の公国、ポッツァンゲラからの海路だった。

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