第一話 恋する事故物件⑦

「天木さん。私、今夜も金魚草に行って九時過ぎに何が起こるのかを確認してきます」

「……大丈夫か?」

「人のいい塩畑夫妻のことです。七瀬と友達だと打ち明ければ、きっと閉店後も店内で待つことを許してくれますよ」

「そのことではない」

 織家の返答を否定し、天木は織家の目を見た。

「きっとまた、怖いものを見ることになるぞ」

 そう告げられて、織家は天木が心配してくれていることを理解した。その気遣いに、思わず笑みが漏れる。

「そんなの、今更じゃないですか」

 その返しに、織家は自分自身で驚いていた。そんな台詞せりふを言えるようになったことを成長と見るべきか。それとも、毒されていると見るべきか。

 だが、今回の件に積極的な理由ならきちんとある。

「七瀬は、真剣に悠樹さんに恋しているんです。人と霊の恋なんてどんな形で着地するのかわかりませんけど、せめて私は近くで見届けてあげたいんです」

「なぜ君がそこまでする? 七瀬くんとは、昨日会ったばかりなのだろう?」

「そうですね。出会ったばかりで、どんな人なのかもまだよく知りません。でも、私を友達と呼んでくれたから助けになりたい。……って思ってたんですが、それだけじゃなかったんです」

 天木は不思議そうに目を細めている。

「私はきっと、霊に関する悩みで頼られたから助けたいと思ったんです。天木さんが、事故物件の悩みを持ってくる他人を助けるのと同じように」

「……助けるというのは少し違う。僕はただ、白い家を解決するために余所の事故物件の怪異を調査しているだけだ。むしろ、人の不幸を利用していると言ってもいい」

「それでも、助けられた人は感謝していますよ。私もその一人ですから」

 天木は、コーポ松風に出る霊を追い出してくれた。実家の開かずの間に閉じこもる父の生き霊を解放してくれた。それがうれしかったから、自分も同じことを誰かにしてあげたい。七瀬の件に関する行動力の根源には、きっとそんな動機が含まれている。

 織家の覚悟を聞いた天木は、照れているのか頭をぽりぽりとくと、オフィスチェアを回して背を向けてしまった。

「無茶はするなよ。僕の方でも、解決の方法を考えてみる」

「……はい。お願いします」

 果たして、今夜も悠樹は現れてくれるだろうか。そして、四階の窓の外の悠樹の姿は織家にも見ることができるのだろうか。


    ◆


 その日の午後八時三十分頃。織家は、えて閉店間際を狙って一人で塩畑ビルを訪れた。エレベーターで五階に上がり、金魚草に入店する。店内に、客の姿はなかった。

「いらっしゃいませ……って、織家! 今日も来てくれたんだ」

 バイト中の七瀬は、すぐに織家に気づき笑顔を咲かせた。

「ねぇ、七瀬。できれば私も九時過ぎまで一緒にここに残って、悠樹さんの姿を見てみたいんだけど……一緒に塩畑さんにお願いしてくれる?」

 織家が本気で問題を解決しようとしていることは、この言葉だけで十分伝わったのだろう。七瀬は、少し泣きそうな顔でうなずいてくれた。

 耕作に自分と七瀬が友達であることを打ち明け、彼女のバイトが終わるまで店内で待たせてほしいと頼むと、彼は快く許可してくれた。

「でも、大丈夫かい? 昨日も話したが、ここにいたらおそらく飛び降りの音を聞いてしまうことになると思うけど」

「大丈夫です」

 不安げな耕作に、織家はきっぱりとそう告げた。普段の自分であれば嫌がる場面だろうが、今は七瀬を助けるという使命感が恐怖心を上回っている。

 織家は、ガラスに最も近いすり際の席のうちの一つに腰掛けた。お冷で閉店まで粘るのも失礼な気がしたので、カフェラテを一つ注文する。程なくして、七瀬が注文の品をお盆に載せてやって来た。歩き方も様になっている。

「お待たせしました。カフェラテです」

「ありがとう。……今日は、悠樹さん出てきてくれるかな?」

「きっと出てきてくれるよ。そしたら織家のこと、友達だって紹介するね」

 にこりと微笑み、七瀬は立ち去っていく。織家はむずがゆい気持ちを静めるように、カフェラテに口を付けた。


 閉店時刻の九時を迎えると、店内は異様な緊張感に包まれた。

 七瀬から聞いていた通り、芳美さんは今日も一足先に店を出ているので、店内は織家と七瀬、耕作の三人のみである。今にして思えば、芳美が先に帰るのは、自宅の家事以前に『息子が自殺する音を聞きたくない』というもっともな理由からなのかもしれない。

 もう、いつ落下音が聞こえてきてもおかしくはない。かなり大きい音であることはわかっているので、それがいつ鳴るのかと身構えていると、のどが急激に渇いてくる。だが、カフェラテはずいぶん前に飲み干しており、閉店時刻の前にお冷も回収されてしまっていた。

 仕方ないとあきらめた──そのせつ。視界の端で、黒い影が窓の外を落ちていくのが見えた。間髪をれず、ドンと強い衝撃音がビル全体を震わせる。

「ひっ!」と、織家はたまらず耳をふさいだ。直後に、今度は店内の電気が全て消える。どういうわけか、非常灯がつく様子はない。

 それでも、外の街灯や向かいのビルの明かりなどが入ってくるので、どこに何があるのかを見て取れるくらいの明るさはあった。

 おびえる織家に対し、七瀬は平然とした様子でスタスタと手摺際まで移動する。ここに来た目的を思い出した織家も、意を決して席を立ち七瀬の隣へと移動した。

「……ほら、出たよ」

 七瀬が示すのは、吹き抜けから見下ろした四階の窓の外。そこには、確かに高校の夏服のような格好の背が高い男性の姿があった。七瀬が好きになるのも頷ける容姿をしており、どこか思いつめたような表情を浮かべている。

 ──だが、それだけではない。

 視線を感じ、不意に頭を上げた織家は絶句する。五階の窓の外にも、いるのだ。昨日織家が目撃した、全身が無残につぶれた悠樹の霊が。

 彼は血にれた両手をガラスに押し当てて、何かを訴えるうめき声のようなものを上げている。

 正面には、落下後の姿をした悠樹の霊が間違いなくいる。その下にいるれいな状態の悠樹の霊は、複雑な表情でこちらを見上げていた。そして、隣で階下に目を奪われている七瀬には、どう考えても五階の悠樹の姿は見えていない。

 混乱の最中さなか、電気が復旧して照明がついた。それに合わせてどちらの悠樹も姿を消し、室内が明るくなったことで鏡のようになったガラスには、並び立つ織家と七瀬の姿が映し出されていた。

「大丈夫かい?」

 ちゆうぼうから出てきた耕作が、申し訳なさそうに気遣いの声をかける。

「この時間帯は、毎晩のようにブレーカーが落ちることを伝え忘れていた。怖い思いをさせてしまったね」

「いえ、大丈夫です……」

 平気なふりをする織家の隣で、七瀬がひねり出すように声を発した。

「……ごめん、織家。私、もう気持ちを抑えきれない」

 そう口にすると、彼女は耕作の方へ歩み寄った。

「すみません、マスター。私、昨日の話を聞いちゃったんです。その……ここで飛び降りたのが、マスターの息子さんの悠樹さんって人だって」

 七瀬が打ち明けると、耕作は申し訳なさそうにまゆを垂れた。

「……そうか。話せば君が気を遣うと思って黙っていたんだ。申し訳ない」

 耕作の謝罪に、七瀬は謝る必要などないと言うように首を横に振った。

「停電になると、いつも窓の外に霊が……悠樹さんが浮かんでいるのが見えるんです」

「ああ、前にもそう言っていたね。私と芳美には見ることができなかったが、君がそう言うのなら、悠樹はそこにいるのだろう」

「それでですね、私……バイトの度に窓越しに会っているうちに、悠樹さんを好きになってしまったんです」

 七瀬は、ついに秘めた想いを吐露した。

 亡くなった息子のことが好きだと聞かされ、親である耕作は何を思うだろうか。もしかすると、ひどく傷つくかもしれない。

 それでも七瀬は、恋心にふたをし続けることができなくなったのだろう。きっと、吐き出さずにはいられなかったのだ。七瀬の今の気持ちは、天木と特別講義で再会した時、自分のことを思い出してほしくて大声を出した織家のあの時の感情と似通っているのかもしれない。

 伝えたくてどうしようもないことは、恥じらいや常識で必死に抑え込もうとしても、勝手にあふれ出てしまうものだろう。

 七瀬の気持ちを聞いた耕作は、涙をぼろぼろと流していた。

「ありがとう、七瀬さん! ありがとう……! 君のような素敵な子に想われて、きっと悠樹も喜んでいるよ」

 どうやら、受け入れてはもらえたようだ。かなわぬ恋だとしても、これで七瀬の気持ちが全て無駄になるわけではなくなった。そのことを、織家は心底嬉しく思った。

「こちらこそ、ありがとうございます。こんなの馬鹿みたいだってわかってたんですけど、言わずにはいられませんでした。織家にも協力してもらっていたんです」

「そうか……ありがとう、織家さん」

 耕作に涙を流しながら礼を言われ、織家は微笑み頭を下げた。七瀬は笑顔を見せ、ぐっと伸びをする。

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