第一話 恋する事故物件⑧

「伝えたらスッキリしました!……これで、悠樹さんのことを諦められます」

 無謀な恋の落としどころとしては、織家も七瀬の判断は正解だと感じる。これにて事故物件で巻き起こる数奇な恋愛も終わるのだと思った──その矢先だった。

「……七瀬さんは、というものを知っているかい?」

 耕作が、涙でぐしゃぐしゃになった顔をハンカチできながら尋ねてきた。聞き慣れない言葉に七瀬は織家の方を見たが、織家もわからないので困り顔を返すことしかできなかった。

 ハンカチをしまった耕作が説明する。

「冥婚というのは、供養の一種だよ。結婚せずに亡くなってしまった故人に相手を見つけて、形だけの結婚をしてもらうんだ。形は違えど、世界各地に似通った風習が根付いている。息子に何かできることがないか探しているうちに、私はこの冥婚というものを見つけたんだ」

 死者との結婚。そう聞くと、織家にはどうしても恐ろしいものに思えてならない。七瀬も同じ心境のようで、考え込むように床を見つめている。

「急にこんな話、怖いよね? でも、そんなにおっかないものじゃないんだ。さっきも言ったけど、単なる供養だよ。死者と結婚したからこの先結婚できないとか、そういった縛りは一切ない」

「それをすると、悠樹さんは成仏できるんですか?」

 七瀬は静かに問う。

「……どうだろうね。でも、七瀬さんなら悠樹もきっと気に入るはずだ」

 耕作のその言葉が後押しになったのか、七瀬は視線を上げると「わかりました」とうなずいた。

「ちょっと待って! 形だけとはいえ、結婚だよ? もう少し考えてから決断したら?」

「いいの。私の気持ちに噓偽りはない。私、悠樹さんと冥婚します」

 織家の制止を聞かず、七瀬は気持ちを固めてしまった。耕作は「ありがとう」と繰り返しながら再び感涙している。

 本人たちが良ければ、もう織家が口を挟むことではないのかもしれない。七瀬の恋はある意味で成就し、塩畑夫妻は息子を供養でき、悠樹も冥婚したことで成仏できるかもしれない。

 だが、ぬぐいきれない不安要素がある。──織家にしか見えなかった、五階の窓の外の悠樹の霊のことだ。

 腕や足がじ曲がった血まみれの悠樹は、ガラスにへばりつき恨みのこもったような声で何かを訴えていた。一体、五階と四階のどちらの悠樹を信用すればいいのだろうか。

「それじゃあ、冥婚の細かい説明に入ろうか」

 耕作が笑顔で提案した、その時だ。

「お邪魔します」

 金魚草に、一人の男性が入ってきた。その顔は、織家のよく知る人物だった。

「あっ、天木さん!? どうして……」

 天木は織家の疑問に答える素振りは見せず、すっと自身の体を横へ移動する。天木の後ろには、帰ったはずの芳美ともう一人──先ほど四階の窓の外で見た、綺麗な方の悠樹の姿があった。

 芳美は、焦り顔の耕作へ申し訳なさそうに告げる。

「ごめんなさい、あなた……バレました」


    ◆


 閉店後も、明かりがともり続けている金魚草。

 織家、七瀬、天木が横並びで座り、テーブルを挟んだ対面では気まずそうな顔をした悠樹が縮こまっていた。

 天木が認識している時点で、この悠樹とおぼしき人は霊ではない。だが、先ほど四階の窓の外に出た霊とうりふたつの見た目をしている。これはどういうことなのか。

 塩畑夫妻はというと、飲み物を準備するという名目で揃って厨房に引っ込んでいる。詳しいことはさっぱりだが、やましいことをしているのがバレたのだということは織家にも理解できた。夫妻も腹をくくる時間が欲しいのだろう。

「自己紹介してもらってもいいかな?」

 天木が促すと、向かいの席に座る彼はおずおずと口を開いた。

「……俺、ともっていいます。……悠樹の五歳下の弟です」

 何となく、織家にも話が見えてきた。飛び降り自殺が五年前で、年の差は五歳。つまり、智樹の今の年齢は悠樹の死亡時と同じくらいということになる。

 ここで、夫妻が飲み物をお盆に載せて戻ってきた。テーブルの上に、次々とあめいろの液体が入ったグラスが置かれる。香りからして、レモンティーのようだ。

「ノンカフェインですので」

 時間が時間なので、眠れなくならないよう気を遣ってくれたようだ。だが、芳美のそんな気配りをうれしく思えるような状況ではない。夫妻は智樹の隣に腰掛けると、誰かがレモンティーに口をつけるのを待たずして、耕作が口火を切った。

「七瀬さん、申し訳ない。我々は、君をだましていた」

 耕作と芳美が、深々と頭を下げた。そんな両親を見て、智樹も遅れて頭を下げる。しかし、現状では何に対し謝られているのか理解するのは難しい。

「待ってください。一から、わかるように説明してください」

 七瀬の言い分をみ取り、耕作はぽつりぽつりと語り始めた。

「……このビルで長男の悠樹が亡くなったことは事実で、毎晩九時過ぎに聞こえてくる落下音に関しては本当の怪現象なんだ。……ただ、七瀬さんが今まで見ていた悠樹の霊だけは違う。あれは、我々が作り出したインチキ。正体は、ここにいる智樹なんだ」

「私が見ていたのが智樹くんだったのは、何となく察しています。でも、一体どうやって……」

だ」

 七瀬の疑問に答えたのは、天木だった。聞き慣れない単語に首を傾げる織家と七瀬に対して、塩畑家の面々は一様に苦い顔を浮かべている。

「何ですか、それ?」と、織家は問う。

「ガラスを用いた古典的な視覚トリックのことだ。某有名テーマパークのアトラクションでも採用されているぞ。難しく思えるかもしれないが、何のことはない」

 天木が指さしたのは、吹き抜けを挟んだ先にある壁一面の窓ガラスだった。そこには今、テーブルに向かい合って座る織家たち六人が鏡のように反射して映し出されている。

「ペッパーズゴーストとは、のことだ。室内が屋外より明るい場合、ガラスはこのように中の様子を鏡のように映し出す。映し出された姿は、外の景色を透過する半透明の姿でガラスの向こう側に存在しているように見えるだろう? まるで、幽霊のように」

 天木は、塩畑家の方へ視線を移した。

「芳美さんが一足先に退勤するのは、下のフロアで智樹くんと合流するため。落下音を合図に耕作さんが五階のブレーカーを落とし、それに合わせて芳美さんは定位置に立つ智樹くんの頭上のスポットライトのスイッチをつける。おそらくは、調光できるタイプでしょう。明る過ぎると、室内の余計なものまで窓に反射してしまいますから。さらに言えば、智樹くんの足元の床は黒く塗られていました。これもガラスへの映り込みを極力智樹くんのみにするための工夫と思われます」

 天木の説明を聞きながら、織家はこれまで集めてきた情報を頭の中ではんすうする。

 室内の方が暗くなれば、窓は日中と同様に外の景色を透過する。先ほどの停電時に五階の非常灯がつかなかったのは、室内を少しでも暗くするために耕作がえてつかないようにしていたと考えられる。

 そして、昨日ビルを外から見張っていた時、五階の停電に合わせて四階がほのかに明るくなったのを天木と空橋は目撃していた。あれは智樹の姿をガラスに映すための最低限の明かりだったのだろう。

 窓に映り込む智樹の姿は、さすがに真下の地上から見上げても見ることはかなわない。これが店内にいた七瀬にだけ四階に浮かぶ智樹が見えていた理由である。

「……どこで気づいたんですか?」

 力なく、芳美が天木に尋ねた。

「最初の疑問は、四階のすりを付け直す気がないところでした。空橋にテナント募集を委託しているのに、四階を使える状態にする気がないというのは妙です」

「それは、直したところで借り手が見つかるとは限らないからじゃないんですか?」

 織家は、思い浮かんだ可能性を横から差し込む。

「ビルというのは、用途にもるが一般的に階数が高い方が家賃も高い傾向にある。景色や日当たりがよく、人目も気にならないし虫も少ない。セキュリティの面でも、地上階より優れている。五階を使用している今、塩畑ビルの目玉は四階だ。それを放置しているというのは、つまり最初から四階を貸す気がないと受け取れる。現に、手摺を付けなかったのは、ペッパーズゴーストを行う際に智樹くんの前に手摺が映り込まないようにするためだったわけだからな。むしろ、最初から意図して手摺を外していたとも考えられる」

 何も言わない塩畑一家の反応が、天木の推測を静かに肯定していた。天木は話を次に進める。

「ペッパーズゴーストを利用していることには気づけましたが、わからない部分は多かった。幽霊役が誰なのか。そして、こんなことをする理由は何なのか。ただ、四階さえ見張っていれば現場は押さえられると踏んでいたので、こうして行動に移させていただきました」

 その結果判明した幽霊役は、悠樹の弟の智樹だったわけである。そして、こんなことをした理由も判明している。──亡くなった息子に、冥婚相手を見つけるためだ。

「……全て、天木さんの言う通りです」

 意気消沈している耕作は、レモンティーの水面に映っているだろう自身の沈んだ顔とにらみ合いながら、主張を吐露し始めた。

「私は、悠樹には幸せになってほしかった。いい大学に入るよう言ったのも、息子の幸せを願ってのことだった。ですが、結果的にそれが悲劇を招き……悔やんでも悔やみきれません。ですから、せめてもの供養のために結婚相手を探すことにしたんです」

「それで冥婚ですか」

 天木の言葉に、耕作はうなずいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る