第一話 恋する事故物件⑥

    ◆


 次の日の午前十時。織家は横浜駅近くのコーヒーチェーン店にいた。

 テーブル席にモカブレンドのカップを置く織家に続き、七瀬がじゆもんのように唱えた注文で出されたクリームやソースが盛りに盛られたフラペチーノを片手にやってくる。

 座るなりストローでそれを一口飲むと、七瀬は「やっぱこれだよねー」と顔をほころばせた。

「私の分、おごってもらってよかったの?」

 織家は、テーブルの上のモカブレンドを見ながら申し訳ない気持ちで問う。

「いいのいいの! 積極的に動いてくれたお礼だよ。昨日出会ったばかりの相手からの無茶なお願いなのに、義理堅い女だねぇ」

 昨晩のバイト先への訪問を、七瀬は『自分の恋愛成就のために必死に動いてくれている』と受け取っているようだった。織家は七瀬が霊と結ばれることで、牡丹灯籠のような結末になるのではないかとして動いているので、奢られる理由が正しいのかは何とも言えない。

 というか、無茶なお願いだという自覚はあったようだ。

 本日七瀬をここへ誘ったのは、織家である。理由はもちろん、昨日織家が見たものも踏まえて七瀬から話を聞くためだ。のどを潤してから、早速本題に入る。

「七瀬は、昨日飛び降り自殺の霊に出会えたんだよね? その時のこと、詳しく教えてくれる?」

「何か織家、探偵みたいだね」

 七瀬は何気なく言ったのだろうが、織家の内心は複雑だった。自分も事故物件調査が板についてきてしまったのかもしれない。織家の気持ちなど知る由もなく、七瀬は昨晩のことを語り始めた。

「織家たちが帰った後、結局もうお客さんは一人も来なくて、九時の少し前からマスターと二人で閉店作業に入ったの」

「耕作さんと二人で? 芳美さんは?」

「ああ、奥さんはいつも先に店を出るの。一足先に帰って、晩御飯の準備や洗濯物を取り込んだりするんだって」

 その辺りは、夫妻が二人で決めたルールなのだろう。夫は店を綺麗にして明日に備え、妻はその間に自宅の家事に着手する。実に合理的だ。

 織家たちはビルの外で霊が出るのを待っていたが、芳美らしき人が出てくる姿は目撃しなかった。従業員用の裏口から出たのだろうか。

 七瀬は、語りを再開する。

「でね、私がすり際の座席の椅子をひっくり返してテーブルの上に載せてた時、外からドンッて大きな音が鳴ったの。これが例の飛び降りの音。その後、急にブレーカーが落ちて真っ暗になったわけ。まあ、私にはいつものことだから、あんまり驚かなくなったけどね」

 その内容は、織家が外から見ていたものと一致している。そして、問題はここからだ。

「ガラスってさ、外が暗くて中が明るいと、室内が鏡みたいに反射して映るじゃん? でも、室内も同じように暗くなったら、元通り外が透過して見えるんだよね。でね、見下ろすと半透明の彼が窓の外に浮いてるわけ。……でも、昨日はいつもとちょっと違ってた」

「何が違ってたの?」

「彼の表情が、何となく元気がないように見えたの。まあ、亡くなっている人に元気も何もないかもしれないけど。その後、電気が復旧して彼は消えてしまった」

 織家は、より多くの情報を引き出そうと質問を続ける。

「……その霊の見た目、もう少し詳しく教えてくれる?」

「ええとね、足が長くて高身長で、髪は短めの黒。目は少し切れ長で、何よりかっこいいの!」

 あの夜に七瀬から受信したメッセージでわかってはいたことだが、やはり織家が見た悠樹の姿と、七瀬の見た悠樹の姿とではがある。

 いっそのこと自分が見た姿を伝えようかとも考えたが、それははばかられた。自分の好きな人がズタボロになった様子を話すなど、嫌がられるに決まっている。

 それに、織家は自分が強い霊感持ちであることを、七瀬にはまだ教えたくなかった。霊が見えて、霊を好きになっている七瀬なら、織家を気味悪がったりはしないだろう。だが、この霊感のせいで嫌われてしまった過去は、織家の中でトラウマとして深く根付いてしまっている。

 せっかく学内で自分のことを友達と言ってくれる人に出会えたのだ。打ち明けるタイミングは、慎重に見極めたい。

 ふと、ここで織家は疑問を抱く。

「……待って。七瀬、さっき『見下ろす』って言わなかった?」

 五階から同階の窓の外を見る場合、そんな表現にはならないはずだ。織家の問いに、七瀬は「だって、彼が出るのはだから」と説明した。

 塩畑ビルは、道路側一面がガラス張りの吹き抜けスペースになっている。落下防止の手摺格子から見下ろせば、七瀬が四階の窓の外を見ることは十分可能だろう。

 情報をまとめると、七瀬がれいな状態の悠樹を目撃したのは四階の窓の外で、織家が見るも無残な状態になっている悠樹を見たのは五階の窓の外。つまり、それぞれが見ていた悠樹は別物ということになる。

 織家の目には、四階の外にいたという霊の姿は見えなかった。これまでの人生で、霊が見えて困ることは多々あった。しかし、霊が見えなくて困る経験はこれが初めてだった。

 一つの魂が分離して、生前と死亡当時の両方の姿で現れ、各々が見せたい相手に姿を見せる。はたして、そんなことが起こり得るのだろうか。

 綺麗な状態の悠樹が意図して七瀬にだけその姿を見せているというのなら、悠樹の方も彼女に気があると思えなくもない。そう考えると、天木の説いた牡丹灯籠の話はより現実味を増してきた。

「……ねぇ、織家」

 混乱している織家に、七瀬が小声で話しかける。その表情は、いつの間にか暗く沈んだものへと変わっていた。

 彼女は、そっと言葉を紡ぐ。

「私ね、昨日の織家たちの話にちゆうぼうでこっそり聞き耳立ててたの。それで、聞いちゃったんだ。……あの人は、マスターたちの息子さんだって。悠樹さんって言うんでしょ?」

 塩畑夫妻が七瀬に自殺者の正体を打ち明けていたのかどうかは、織家も気にはなっていた。どうやら、七瀬は昨日までそのことを知らなかったようだ。

 一切関係のない自殺者が出る職場と、亡くなった息子の霊が出る職場では、居づらさに差も生まれるだろう。七瀬にバイトを辞めてほしくないからこそ、夫妻は霊が自分たちの息子であることをまだ打ち明けていなかったのかもしれない。

「……七瀬は、霊に恋愛感情を抱いてることを塩畑さんたちに打ち明けてるの?」

「そんなわけないじゃん! 相談した相手は、織家だけだよ」

 七瀬の目元は、少し潤んでいるように見えた。

「どうしよう、織家。亡くなった息子さんのことが好きなんて打ち明けたって、マスターたちを困らせるだけだよね? 悠樹さんの霊とは進展なんて全然ないし……やっぱり、幽霊と恋愛なんて無理なのかな」

 弱音を吐露する七瀬を前に、織家はかける言葉を見つけることができなかった。


    ◆


「……なるほどな」

 事務所に戻った織家から話を聞いた天木は、オフィスチェアの背もたれに身を預け、腕組みをして思案する。

「あの夜の停電の瞬間、五階の窓の外の霊と同時に、四階の窓の外には織家くんでも目視できない同一人物の霊が存在していたと……。どうにも不可解だな」

「はい。私も何だか納得できなくて。まあ、霊が起こす事象に納得も何もないのかもしれませんけど」

 自分のデスクの椅子に腰掛けた織家は、深いためいきをフローリングの上に落とした。

「四階か……。ならば、あれは無関係ではないのかもしれない」

「あれって何ですか?」

 天木の思わせぶりな言葉に、織家はうなれていた頭を上げる。

「君は五階の霊に夢中で気づかなかっただろうが、五階が停電した時、四階のフロアがわずかに明るくなったのを僕と空橋が見ていたんだ。その後、五階の電気が復旧すると、四階の明かりも消えてしまった」

「四階は空きフロアですよね? 停電時につく非常灯の明かりなんじゃないですか?」

「ブレーカーは、各フロアのテナントごとに設置されるのが基本だ。現に五階が停電した際、一階の明かりは消えていなかった。そう考えると、五階のブレーカーが落ちたところで四階の非常灯がつくことはないだろう」

 しかし、その明かりが霊感ゼロの天木に見えている以上、霊現象ではないことは確実である。一体、何が重要でどこに着目するべきなのか。それを見定めるためには、やはりまだ情報が足りない。

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