第一話 階段の怪談⑦


    ◆


 家財道具付きのサービスはあくまで元々新田が住んでいた二〇三号室だけなので、開けてもらった一〇三号室は当然ながらもぬけの殻だった。掃除はこまめに行っているようで、ほこりまっているようなことはない。

 天木がまっすぐ目指したのは、八畳間の角。つまりは、謎スペースが隣接している部分である。しかし、内見していた織家が事前に伝えた通り、そこはひび割れた砂壁で一面をふさがれているだけであり、扉などは設けられていない。

「内からも外からも、中を見るのは無理よ」と、天木の後ろから新田があきらめを含む声をかけた。壁に手を添えていた天木は、不意に何か思いついた様子で人差し指を足元の畳へ向ける。

「では、床下からのぞくのはどうでしょうか?」

 天木の提案に、それなら中が見えるかもしれないと織家はひとみを大きくする。しかし、新田はすぐに首を横に振った。

「実は、前にこの部屋のキッチンが水漏れを起こした時に、水道業者の人に床下へ潜ってもらったことがあったの。その時に事情を話して確認してもらったんだけど、謎の空間は基礎もしっかりと仕切られていて、中は一切見えないって言われたわ」

 つまり、壁のみならず基礎も四方をぐるりと囲まれているということ。無縁墓を単に床下に隠してしまうのではなく、わざわざ別空間を作って切り離したのは、修理や点検で業者が床下に潜ることで発覚しないようにするためだったのだろうか。新田の父は、無縁墓の存在を徹底的に隠したかったらしい。

 完全な密室ということならば、中を確認する方法は一つしかない。

「新田さん。壁を少し壊してもいいですか?」

 天木はちゆうちよすることなく、何なら笑顔まで添えて新田に尋ねた。そのあまりにストレートな提案に、新田は笑いながら「修理代を払ってくれるなら構わないわよ」と答える。すると、天木は胸ポケットから銀色に輝くボールペンを取り出し、逆手に握り込んだそれを思いきり振り上げた。ドンという音と共に、ペンが内壁に深く突き刺さる。

「ちっ、ちょっと、お兄ちゃん!?」と、織家が慌てて声を上げた。

「これはタクティカルペンと言ってね。高強度でできているんだ。災害などで車の中に閉じ込められた時はガラスを割り脱出するのに使えるし、いざという時には武器にもなる」

「誰もそんなこと訊いてないってば!」

 織家は恐々といった様子で、新田の方を見た。彼女はポカンと口を開けたまま固まってしまっている。まさか本当に壊すとは夢にも思っていなかったのだろう。しかしながら、冗談のつもりであっても破壊の許可を出したのは自分なので、何も言えないといった様子で険しいながらもどうにか笑顔を作っていた。

 刺しては抜いてを繰り返した天木は、壁に直径十センチほどの穴を空ける。ペンを胸ポケットに戻すと、彼は代わりにスマホを取り出した。それを穴の中へ入れて、フラッシュをき謎スペースの内部を撮影する。

 穴から引き出したスマホの画面を、織家と新田が両側から覗き込む。そこには──確かに、四角い石のようなものが写し出されていた。

 写真なので正確なサイズは測りかねるが、大きくてもせいぜい二リットルのペットボトルくらいだろうか。現代の墓石と比べると、ずいぶんと小さい。形はいびつではあるが、四角形に削り出されている。墓石以外でこれに当てはまるものは、少なくとも織家の頭の中には何も思い浮かばない。

「……父は、本当のことを言っていたのね」

 ポツリとそうこぼした新田は、複雑な表情でしばらくの間天木のスマホの画面を見つめていた。


    ◆


 翌日。

 午前中の大学の講義を終えた織家は、横浜駅に降り立っていた。理由は、天木に呼び出されたからである。向かう先は、天木の設計事務所。メッセージアプリには、丁寧にも地図データが添付されていた。

 織家が普段生活している大学圏内はそうでもないが、横浜駅前ともなれば大都会である。高いビル群がひしめき合うように並び立ち、ついつい見上げてしまう田舎者丸出しな癖はいまだ抜けない。

 事務所を目指しながら、織家が考えるのはやはり階段に現れる霊のこと。昨晩も足跡はしっかりと一段上がっており、十六段目に到達していた。上り切るまで、あと一段。いざとなればまた板を置くことで時間稼ぎはできるかもしれないが、それにも限界がある。もう時間は残されていない。

 はやる気持ちのせいもあってか、織家は事務所までなかなか辿たどり着くことができないでいた。

「うーん……おかしいな」

 スマホの地図を見下ろしながら、一人首をひねる。

 天木の事務所までは、横浜駅から徒歩七分と表示されている。しかし、かれこれ二十分はこの辺りをうろうろと彷徨さまよっていた。というのも、目的地周辺まで来たのにそれらしき場所がどうしても見つからないのだ。

 近辺のビルには全て足を運んだのだが、ビルのフロアマップのどの階層にも『天木建築設計』の文字はない。会社として営業している以上、名前を伏せているなんてことはないだろう。

 天木が住所を間違えたのか。それとも、マップの方の不具合なのだろうか。天木に連絡を取ろうかと考えたところで、織家は人一人がやっと通れそうなビルとビルの隙間の向こうに建物を見つける。

 吸い寄せられるようにそこを通り抜けると、ビルに囲まれるようにして立つ二階建ての家屋が現れた。

 焼杉の黒い外壁に、屋根の骨組みの茶色がいいアクセントになっている。窓は真新しく、丸や三角形など洒落しやれたデザインのものがポイントで使われていた。屋根のがわらからは築年数を感じるので、古いものを改装した建物なのだろう。隣地との境界は竹の塀で仕切られており、数本だけ植えられた細木の緑色が外壁の黒によく映えていた。

「お洒落な建物……カフェとかかな?」

 織家は竹の塀に固定されている小さな木の表札を見る。すると、そこには『天木建築設計』と探し求めていた社名が彫り込まれていた。


    ◆


「遅かったな」

「どこかのビルの中だとばかり思ってましたよ……わかりにくすぎます」

 椅子に腰かけて悠々とコーヒーをすすりながら出迎えた天木に、織家は開口一番文句を言い放った。

「日当たりの悪さとビル風が難点だが、隠れ家のようで素敵だと評判はいいんだぞ?」

 織家もここを見つけた時は不覚にもワクワクしてしまったので、これ以上の反論はぐっとみ込んだ。靴を脱ぎ来客用スリッパに履き替え、改めて事務所全体を見渡す。

 建物の内装は、外観とは真逆の白で統一されていた。シンプルながらもお洒落に見えるのは、彩度の高い赤や青などをメインとしたインテリアのセンスなのだろう。広々と使うために元々あった間仕切り壁は大胆に取り払ったらしく、一階がほぼ丸々一室と化している。補強のために入れたとおぼしき新しいはりや、柱間に材木を斜めに入れた耐力壁が、き出しの状態で要所ごとに見受けられた。

「従業員さんはいないんですか?」

 辺りを見渡しながら、織家が問う。現場に出ているのだろうか。

「今は僕一人でやっている」

 この『今は』という言い方が織家には引っかかった。つまり、以前は誰か他の社員がいたということになる。単なる転職なのか気になるが、せんさくするような真似はしなかった。

「天木さんって、ここの二階に住んでいるんですか?」

「いや、ここはあくまで職場だ」

 ならば、二階には何があるのだろう。仕事のスペースも、資料などの置き場も、一階だけで十分賄える広さがある。物置辺りが無難だろうか。

「気になるなら、好きに見てくるといい」

 階段を見上げていた織家の思考を読み取り、天木が許可を出す。織家は好奇心に動かされるまま、すりつかみ二階へと上った。

 二階には三部屋あり、うち一つのドアをそっと開けてみる。ほこりっぽい空気を漂わせる薄暗い室内には、壁面のほぼ全てに本棚が並べられていた。どの棚にも、書物がびっちりと収められている。

 部屋に足を踏み入れて背表紙に目を通していくと『呪い』や『ようかい』、『怪異』や『幽霊』などといった単語がよく目についた。つまりは、全てオカルト関係の書物なのである。

 少し怖くなり後ろに下がると、テーブルに腰をぶつけた。振り返ると、その上にはくぎの刺さったわらにんぎようや片腕のない日本人形、血のようなものが染みついたお札や謎の仏像など、じゆぶつめいたものが乱雑に積まれている。

「~~ッ!」

 声にならない悲鳴を上げて、織家は逃げるように階段を駆け下りた。

「どうだ。すごかっただろう」と、なぜか自慢げな天木。

「凄かったです」と、織家は引き気味で答える。両者の言う『凄い』の意味は、全くみ合っていない。

 今になって、織家は従業員が辞めた理由を何となく察した。真上にあんな部屋があったとなっては、働く気がせてもおかしくはないだろう。

 鳥肌を落ち着けるように服の上から二の腕をでている時、事務所のインターホンが来客を告げた。

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