第一話 階段の怪談⑥

「さあ、狭いけど上がって」

 新田に招かれ、織家と天木は玄関で靴を脱ぐ。玄関とつながっている狭いキッチンの背面には調理家電類がひしめき合うように並び、ふすまを一枚隔てた先にある八畳の畳間に入ると、白いローテーブルとテレビと小さな本棚があった。それらが、織家の目にはどうにも浮いて見える。

「家財道具が、どれも新しいですね」

 れたお茶を運んできた新田へ天木が発した一言で、織家も違和感の正体に気づく。古い内装に見合わない新品のものばかりだから、ミスマッチに見えていたのだ。三人分ののみを下ろしたお盆を胸に抱えて、新田は「そうなのよ」と少し自慢げに話し始めた。

「私、元々は紗奈ちゃんが使ってくれている二〇三号室に住んでいたの。でもひざを悪くしちゃってからは階段の上り下りがつらくてね。あんなことがあって以降は入居者も減る一方だし、引っ越し資金もかかるならもういっそ家財道具一式をそのまま残した状態で貸し出そうって思ったのよ。その方が助かる入居者も、絶対にいるだろうから」

 織家がコーポ松風を選んだ理由の一つが、まさにそれである。他人が長年使っていたものを嫌がる人もいるだろうが、織家的には新生活の準備資金を少しでも浮かすことができるのなら万々歳だった。

「おかげで助かってます」

「いいのよ。でも、あの西洋だんは大事に使ってね。お気に入りだから」

 織家の部屋に残されている家具類の大半は二束三文の値もつかないものだが、新田の言う西洋簞笥だけは他とは異なっていた。長い月日をかけてんだ美しいあめいろをしており、五つ縦に並んだ引き出しにはそれぞれ凝った装飾の引手がついている。足元は、湾曲したデザインが愛らしい猫脚となっていた。

「前から言ってますけど、あの簞笥だけでも持っていかれませんか? この部屋にも置くスペースがありそうですし」

 人のお気に入りの品が部屋にあるというのは、借り物を返しそびれているような気分になりどうにも落ち着かない。織家の申し出に、新田は困ったような笑みを張りつける。

「あの簞笥、とても重たいのよ。最低でも二人分の男手は必要だけど、そんな当てもないしね。私に息子でもいたら話は別なんだけど」

 新田は独身であると織家は聞いている。独身だからこそ、住まいはワンルームであるこのアパートの一室で十分なのだろう。

「まあ、簞笥なんか下ろそうとしたら、先にびた階段が抜け落ちそうだけどね」

 冗談のつもりなのだろう。新田は自分で言って笑っているが、毎日階段を利用する二階の住人である織家にとってはあまり笑える冗談ではなかった。

 そして、話は本題へと移る。

「紗奈が困っている件を、単刀直入にお話しします」

 従兄という設定上やむなくであることは理解しつつも、天木による不意の呼び捨てに織家の心臓が跳ねる。それを右手で抑え込みながら、黙って天木の話に耳を傾けた。

 とうとうと、天木は織家が現在体験している怪現象について新田に話した。織家は今まで、新田にこのことを打ち明けることができずにいた。それは霊の存在を主張しても信じてもらえない経験が理由でもあるが、何より新田にとっての収入源であるコーポ松風を悪く言うような形になってしまうことがはばかられたのだ。

 話を聞き終えると、新田は案の定深いためいきを湯吞の中に落とした。

「……やっぱり、まだ出るのね」

 発言から察するに、新田は階段に霊が出現することを知っている様子だった。織家は身を乗り出して尋ねる。

「大家さんは、あの階段で何か見たことがあるんですか?」

「……半年くらい前に、紗奈ちゃんの部屋にはあらくんっていう別の入居者がいた時期があったの。私はその霊を見たことはないんだけど、退居前に彼から聞いた話は、紗奈ちゃんの体験している内容とほとんど同じだったわ。その後も同じ部屋に何人か入居したけど、ひと月もすれば皆出ていってしまうのよね」

 つまり、足跡の主は少なくとも半年前から出現しているということになる。次いで、天木が質問した。

「新田さんは、二階の二〇二号室の男性が亡くなった時はこのアパートにいましたか?」

「ああ……かわくんのことね」

 新田は、記憶をさかのぼるようにけんの辺りを指先でまんだ。

「ええと……そうね。あの時はまだ二〇三号室に住んでいたの。夜中に雷でも落ちたようなすごい音がしたから飛び出していったら、階段の下で久米川くんが倒れていたのよ。あの日は雨も降っていたから、多分足を滑らせたのね。片足が変な方向に折れ曲がってるうえにピクリとも動かなかったから、即死だったと思うわ。その後は警察や救急車が来て、大騒ぎになったっけ」

「その久米川さんという方は、どんな人でしたか?」

「普通の若い男の子よ。ひょろっと痩せてて、大きめの眼鏡をかけてた。若手のアニメーターで、いつも日をまたぐような時間に帰って来てたわね。うちのアパートを借りるくらいだから、やっぱりお金に余裕がないみたいで、家賃を待ってくれと言われたのも一度や二度じゃなかったのは覚えてるわ。まさか、あんなにあつなく亡くなってしまうなんて……」

 新田が湯吞を持つ手は、かすかに震えていた。織家が視線を新田の顔に移すと、唇は何か言葉を発しようとしているが、言いにくいことなのか、なかなか言葉が出てこない様子だった。

「久米川さんの事故に、何か心当たりでも?」

 おびえた様子の新田へ、天木が直球の質問を投げつける。新田は深く息を吐き、どうにか落ち着きを取り戻していた。

「そんなき方して……あなたたちも、アパートの東側にある謎の空間が怪しいとは思っているんでしょう?」

 後々問うつもりだった謎スペースについての話題が、新田の方から飛び出した。

「コーポ松風は、亡くなった私の父が建てたのよ。あの空間は、新築当時からあったわ。私もあの空間が気になって何度か父に尋ねたのだけれど、はぐらかされるばかりだった。でも、一度だけ酒に酔った父が口を滑らせたことがあったの」

 新田は一呼吸置き、告げる。

「あの中にはね──があるんだって」

 墓とは、その家系に代々引き継がれていくものである。では、跡継ぎがいなくなった墓はどうなるのか。当然誰にも管理されず、荒れ果てていく一方となる。無縁墓とは、その名の通り縁の無くなった墓のことを指す。

 今でこそ墓は基本的に寺などが管理する墓地に立てられるのが一般的だが、古い墓は街中の片隅に今でもこっそり残っていたりする。

「父がアパートを建てるためにこの土地を買った後で、伸びきった雑草の中から無縁墓を見つけたらしいの。でも、掘り返したところで親族が見つかるわけもないし、埋葬費用で不動産屋とめることになってしまう。何より、掘り返して人骨が出てきた場合、そのマイナスなイメージが周囲に知られることが嫌だったんでしょうね。人の死が絡んだアパートがけんえんされることは、私も身に染みてわかっているから」

 事故物件のレッテルを貼られたアパートの大家である新田は、悲しそうにまゆを垂れつつも話を続けた。

「父としてはアパートは絶対に建てたいけど、敷地内に墓があるのは嫌でしょ? かといって、墓石だけを処分してしまうのも憚られた。その結果が、あの謎の出っ張りらしいのよ」

 つまり、新田の父は無縁墓に一切手をつけなかった。建物の位置を調整して、墓石の四方を最小限に囲い込む形でアパートを建築し、無縁墓の存在を隠したのだ。

「では、久米川さんの死も、荒木さんや紗奈が体験した階段の心霊現象も、全ては謎スペースに潜む無縁仏の仕業だと?」

「私が勝手にそう思っているだけよ。本当はあの空間を解体して掘り出し、きちんと埋葬してあげるべきなんだけど、年金とほぼゼロの家賃収入で暮らしてる私にそんな余裕はなくてねぇ。それに、無縁墓の話自体が父の作り話の可能性だって捨てきれないから」

 わざわざお金をかけて解体しても、何も出てこないかもしれない。気が進まないのも納得できる理由だった。

 天木は少し考える素振りを見せると、顔を上げて新田に打診する。

「謎スペースが隣接している一〇三号室を見せてもらうことはできますか?」

 その申し出を、新田は快く了承してくれた。

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