第一話 階段の怪談⑤

 階段は残り二段なので、今夜のところは大丈夫だろう。しかし、ドアを挟んだ向こうにある階段に得体の知れない何かが今夜も出現することに変わりはなく、一人きりというのはやはり怖い。

 そんな織家の気持ちを察してか、天木は妙案を思いついたと言わんばかりに人差し指を立てた。

「もしかして、心細いのか? だったら、僕が君の部屋に泊まるというのはどうだろう? そうすれば霊の出現に立ち会うこともできるし」

「そんなの、駄目に決まってるじゃないですか」

「いや、確かに僕には何も見えないだろうが、君に見てもらえば解決へのヒントが」

「問題はそこじゃないです! もういいですから、帰ってください」

 オカルトが好きなのは結構だが、それに気を取られてデリカシーに欠けるというのはいただけない。そんな態度にあきれた織家は、天木の帰宅を促し背中を押した。

「わかった。帰るよ。だが、その前に一ついいか?」

 天木は背を押す織家の手から逃れると、アパートの外壁際まで戻った。そこでは、朽ちかけた木製品が息を潜めている。棚が三段階段状に並んでいるので、おそらくは植木鉢などを飾るフラワースタンドなのだろう。その天板を、天木はちゆうちよなくむしり取った。

「少し借りるぞ」

「それ、私の物じゃないです。というか、壊してから言われても……うーん、いいんじゃないですか?」

 元々本来の役目を果たせる状態ではなかったのだから、天板があろうとなかろうと同じことだろう。何の権限もない織家の許可を得た天木は、階段を上るとそれを十五段目、つまり足跡のある段の上に横向きで置いた。

「……天木さん、何をしてるんですか?」

「実験だよ。女子トイレのドアを三回ノックすると現れる花子さんしかり、出会い頭に自分はれいかと尋ねてくる口裂け女然り、一定の法則に縛られている怪異は珍しくない。この場所に出る、なぜか毎晩一段ずつしか階段を上らない霊も同じだ。さて、ここで疑問が生まれる」

 天木は大真面目な顔で、自身の足元にある板を指さした。

「この板を置くことにより、十五段目と十六段目の間に新たな段差が生まれた。果たして、霊はこの板を一段としてカウントするのだろうか? 非常に興味がある」

「──ふざけないでください!」

 織家は、突発的に天木を怒鳴りつけた。両手を強く握り締め、天木をにらみつける。

 これでは自分は、まるで実験台ではないか。織家は本心で階段に出る霊におびえており、成り行きでこうなったとはいえ、天木が本当に解決してくれるかもしれないと少し期待もしていた。しかし、ふたを開けてみれば状況はオカルトに興味津々な彼の実験に付き合わされているに過ぎない。

 怒鳴られたことにしばしぼうぜんとしていた天木だったが、むっとした表情を見せると反論の口火を切った。

「ふざけてなどいない。僕は大真面目だ」

「実験だなんて、面白半分じゃないですか」

「言い方が気に入らないのか? だが、考えてもみろ。あの板が霊に一段と認識されたのなら、霊が階段を上り切るまでの時間を延ばすことができるんだぞ」

「──あ」

 本当だ。天木は、織家の不安をないがしろにして好奇心だけで行動しているわけではないようだった。目に見えて大人しくなった織家を前に、天木はバツが悪そうに頭をく。

「とにかく、一晩様子を見てくれ。明日また来る。念のため、連絡先を交換しておこう」

「あ、はい」

 言われるがままに、織家はメッセージアプリのIDを交換した。連絡先一覧に、天木悟の名前と初期設定のままのアイコンが追加される。

「何かあったら連絡をくれ。深夜でも構わないからな」

 それを別れの言葉に、天木は背を向け歩き始めた。織家は彼の背中を見送りながら、改めて画面上の『天木悟』という名前に目を落とす。

 元とはいえ、あこがれの人の連絡先を手に入れたことを喜ぶべきなのか。それとも、変なオカルトマニアの連絡先を追加されてしまったと落ち込むべきなのか。哀歓を上手うまく制御できないまま、織家はスマホをポケットにじ込んだ。


    ◆


 翌朝。織家はドンドンと玄関ドアをたたく音で目が覚めた。インターホンなどという便利なものはついていないので、来客の知らせはノックで受け取ることになる。

 もぞもぞと布団からい出した織家は、耳に違和感を覚える。触れてみたことで、自分が昨晩階段を上る足音を聞きたくないがためにイヤホンをつけたまま眠ってしまったことを思い出した。

 身を起こすと、壁に貼ってある昨日の天木の特別講義のポスターが目に止まった。隠された正体を知ってしまった今となっては、にこやかに微笑む印刷された彼にもうときめきは感じない。

 がしたポスターを丸めて押入れにしまったところで、再びノックの音が聞こえた。時計を見ると、時刻はまだ朝の七時だ。こんなに朝早くから非常識だなと思っていると、三度目となるノックを鳴らされる。

 まだ学友も作れていないので、アパートの場所を知っているのは連帯保証人になってくれた叔父おじくらいだ。なので、訪ねてくるとすれば大家か、そうでなければ望んでいない勧誘辺りだろう。

 そっと玄関へ歩み寄り、ドアスコープをのぞく。すると、そこには天木の姿があった。

「えっ、天木さんっ!?」

「おはよう織家くん。出てきてくれ」

「ちょっと、今すぐには出られません!」

「昨日ちゃんと『明日また来る』と伝えただろう。なぜ準備していないんだ?」

「こんな朝早くから来るなんて、普通思いませんよ!」

 無神経な発言に、織家はドア越しに言い返す。すると天木は、直接顔を合わせることをあきらめて「では、ドアスコープからこちらを覗いてくれ」と提案してきた。

 言われた通りにすると、玄関の向こうに天木が見えた。昨日の講義の時と同様に、身なりはきちんと整えられている。

 彼が両手で掲げているのは、木製の板材だった。それは昨日の夕方、彼が階段の十五段目に置いていたものだ。板材には、しっかりと右足の黒い足跡が押しつけられている。

「成功したようだぞ。これで昨晩の分の一段はノーカウントにできたはずだ」

「……そうみたいですね。ありがとうございます」

 対抗策の成果は出た。しかし、織家は不安をぬぐいきれない。それはそうだろう。現状は、恐怖を先延ばしにしているだけ。気持ち的には、より高いところから落下するためにきゆうこうばいを上るジェットコースターに乗っているようなものだ。

「準備ができたら、一緒に大家さんの話を聞きに行こう。すでにアポは取ってある」

 だからこそ、未来で待つ恐怖から途中下車する策を考えなければならない。そのためにも、まずは情報集めだ。織家はドア越しに返事をすると、準備をするため部屋の奥へと引っ込んだ。


    ◆


 コーポ松風の一〇一号室で暮らしている大家のにつは、六十代半ばの人が良さそうな女性である。髪は一本も残さず白髪になっており、織家を見つけるといつもニコニコとあいさつしてくれる。ふくよかな体形は、せているよりも幾分健康的に見えた。

「急なお願いを聞いていただき、ありがとうございます」

 新田に礼を述べる天木の顔には、大学で講義中に見せていた人当たりのいい笑顔が輝いている。こうして比べてみると、昨日コーポ松風に来て以降織家に見せている態度や口調とは、ずいぶん異なっていた。織家への態度の方が、天木の素の状態なのだろう。客の前とプライベートでイメージが違うというのは、別段珍しくもないことだ。

「いいのよ。お客さんなんて滅多に来ないから、おばさん張り切っちゃうわ。それにしても、紗奈ちゃんにこんなにかっこいい従兄いとこのお兄さんがいたなんてね」

 首を傾げる織家へ、天木は「話を合わせてくれ」と耳打ちした。どうやら、天木がアポを取った際、勝手にそういうことにしたらしい。確かに、オカルト大好きな建築士が調査に来ましたというよりは、従兄が心配で来てくれたという設定の方が新田の信頼を得られそうではある。

「じっ、自慢のお兄ちゃんです」

 引きった顔で答えると、天木が隣で若干笑いそうになっていた。

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