第一話 階段の怪談③

 憧れの人との急接近にドキドキが止まらない一方で、ふと冷静になって考えてみると、すごい秘密を知ってしまったように思えてきた。さわやかな好青年というイメージの天木に、オカルト趣味というのはそぐわない気がする。内緒にするよう頼まれたということは、天木自身もその趣味が世間一般であまりよく思われないと自覚しているようだ。

 そんな秘密を打ち明けてくれたのは、織家が見える側の人間だと確信しているからなのだろう。

「そんなにあっさり、私が見える人だって信じていいんですか?」

「では、試してみよう。君に見える霊の特徴を教えてくれないかな?」

「ええと……」

 本当は直視したくないと思いつつも、織家はいまだ壇上でたたずんでいる霊に目を向けた。

「白髪で丸眼鏡をかけた男性です。七十代くらいですかね? せ型で、ストライプ柄のスーツを着ています」

「なるほど。やはり、見えるというのは間違いないようだね」

 見えていることに噓偽りはないが、なぜ今の発言が噓つきでない証拠になるのだろうか。くまでもなく、天木は語り始める。

「この大講義室では、三年前にきりはらさんという教授が講義中の心臓発作で亡くなっている。入学したばかりの君は知らないだろうけど、それ以来という噂が学生の間で流れていたんだ。君の上げた特徴は、事前に調べた桐原教授の特徴と一致している。研究熱心な、いい教授だったそうだよ」

 さらりと述べているが、その中には無視できない内容があった。

「ちょっと待ってください。事前に調べたって……それじゃあ、まるで天木さんは教授の霊が出るから講義の仕事を受けたように聞こえるんですけど?」

「そうだけど」

 けろりとした顔で、天木は織家の考えを肯定した。自分の発言のおかしさに気づいていない様子の彼を前に、すっかり浮かれていた織家の脳はようやく落ち着きを取り戻してきた。

 憧れていた人は、少し変なのかもしれない。怖い話や都市伝説が好きという程度なら意外な趣味としてみ込めるが、本業を建前としてオカルトな噂を調べに来たとなれば、それは少しやり過ぎな気がする。

 織家が今まで天木悟という男に対して勝手に抱いていた幻想は、ぺりぺりと少しずつがれ落ちてきているように思えた。

「それで、教授はどんな様子かな?」

 天木に問われて、織家はやや戸惑いつつも自分の気づいた点を述べる。

「えっと……何か、ずっとボソボソとつぶやいています」

「呟いている? 何を?」

 わからないという意味を込めて、織家は頭を横に振った。天木のピンマイク越しに霊の呟きも聞こえはしたが、二人の言葉が重なっているせいもあり、ほぼ聞き取ることができなかったのである。

「なるほど」と一人で納得した天木は、壇上で見せていたものと同じ人当たりのいい笑みを織家へ向けた。そして、あまりにも急な提案を口にする。

「織家くん。君、僕のところでバイトしないか?」

「バイト……ですか?」

「事故物件ってわかるかな? 事件や事故で人が亡くなったりした物件を指すんだけど、ああいった建物は年々増加の一途を辿たどっていて、業界でも大きな問題になっている。だから僕は、率先してそういった物件の調査を行っているんだ」

「調査って……霊が出るか出ないか調べているんですか?」

「それも含むけど、実際に出る場合の対処法などもプランニングしているよ。事故物件のネガティブな事象はよく心理的などと呼ばれるけど、瑕疵である以上それを解決するのは建築士の責務だと考えているんだ。君もそう思わないか?」

「うーん……あまり思わないですかね」

 天木の持論を、織家は引きった苦笑いを浮かべてやんわり否定した。だが、天木はどこ吹く風といった様子で嬉しそうに言葉を紡ぎ続ける。

「いやぁ、それにしても、僕のもくは大成功だったよ。これだけ学生がいれば、一人くらいは霊感のある子がいると思っていたんだ」

 どうやら、この講義にはそもそも霊が見える人材をあぶり出すという目的が秘められていたようである。

 ここまでの流れで、織家の中における天木の存在は『憧れの人』から『元憧れの人』へと降格し始めていた。彼に感じていたドキドキやワクワクとした気持ちは少しずつ消えていき、激しく脈打っていた心臓はすっかり落ち着きを取り戻している。

「それで、どうかな? バイトの件」

 ずいと天木に詰め寄られた織家は「あー、えっと……どうですかね」と煮え切らない返答をこぼした。

 天木の事務所でアルバイトなんて、ほんの数分前までは夢のような話だった。それなのに、今こうして打診されてみると全く魅力を感じない。その理由は、はっきりとしている。天木が欲しているのは、建築学科生としての織家ではない。霊が見える織家なのだから。

 日々当たり前のように見えていても、霊は怖い。だから、極力関わらないというのが織家の結論だ。自ら進んで霊の出る物件の調査に同行するなど、嫌に決まっている。

 なので、織家は断ることにした。

「えっと……バイトは今のところ考えていないんです。学業に専念したいので」

 その場限りの噓である。それを見抜いてか、はたまた単にあきらめが悪いのか、天木は「まあ、そう結論を急がずに」と食い下がった。

「……というか、天木さんっておはらいとかできる人なんですか?」

「できないよ。僕は建築士であり、神職や除霊師じゃないからね」

「なら、調査しても解決なんてできないんじゃないですか?」

「そんなことはないよ。実績はある」

「……なら、そこにいる教授の霊をどうにかできたりします?」

 未だ壇上にとどまっている桐原教授の霊を指さし、織家は訴える。実際、このまま居座られては、ここで講義を受けるたびにビクビクしなければならないので困ることになる。

「もちろん。でも、ちょっと準備が必要なんだ。君は見える人なんだから、他に何か……例えば、霊の出る物件なんかに心当たりはないかな?」

 尋ねる天木は、少し食い気味だった。心なしか、呼吸も荒く感じる。霊感少女に出会ったことで、オカルトへの興味が抑えきれなくなったのだろうか。将来の目標だった人が一変、今や好奇心おうせいなオカルトマニアだ。織家はげんなりとする。

 事故物件なんて、なかなか関わりがあるものではない。だが悲しいことに、織家には心当たりが大いにあるのだった。


    ◆


 大学の最寄り駅から二駅目で下車し、そこから徒歩八分の古い住宅地に立っているのが、織家の住む木造二階建てのアパート『コーポまつかぜ』である。

 間取りは1Kで、はなくトイレは和式だ。部屋数は一階三部屋、二階三部屋の計六部屋。長方形の二階建てに切妻屋根が載っているだけの、シンプルな造りをしている。

 ひび割れたベージュの外壁にはつたが絡み、二階へ続く北側の屋外階段はさびですっかりと赤茶けていた。バルコニーに面した窓が南側を向いているおかげで日当たり良好なところが数少ない取り柄の、築五十年を超えるボロアパートである。

「レトロだな」と、建物を見上げた天木が言葉を選んだような感想を零した。

 大学の講義が終わった夕方頃、織家は天木と合流して自身が部屋を借りているコーポ松風まで連れてきた。理由は──ここが事故物件だから。

「それにしても、霊感が強いのに自ら事故物件を借りるとは。何だかんだと言っておきながら、実はオカルト好きだったりするのか?」

「違います! 家賃の関係で仕方なくです。好き好んで事故物件なんて借りませんよ」

 横浜で生きていく費用を自分でどうにかしなければならない織家にとって、家賃は可能な限り抑えなければならない。事情を話し、横浜中華街に店を構える個人経営のくろねこ不動産というところで紹介してもらったのが、このコーポ松風だった。学生アパートよりはるかに安い家賃は、織家にとってかなり魅力的だったのだ。

 余談だが、担当してくれたそらはしという若い男性が中性的なイケメンだったことも、織家がコーポ松風に決めた理由の一端を担っていたりする。もちろん、天木には言わないが。

 ちなみに、父の協力は得られなかったので連帯保証人は叔父おじに頼み込んでお願いしている。

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