ストラテジスト

Slick

第1話

 ガキの頃から、不確かな賭け事は嫌いだった。

 だから俺は常に、自分が勝つと分かっている賭けだけに挑む。


 例えば、こんな状況はどうだろうか。

 暗黒街に深く入り組む路地の果て、日も差さぬジメジメとした暗がりは闇の取引に最適だ。密造酒、麻薬、その他ありとあらゆる禁制品がべらぼうな高値で売買される一方で、交渉人の命の値段は半端でなく安い。

 その現場を襲撃して、漁夫の利を得るのだ。

 手下は二人もいれば十分だろう。腕の立つ奴と、頭の切れる奴。金で買う忠誠心のほうが安上がりだし、足も付かず手っ取り早い。

 そして俺は、今まさにその渦中にいた。


■ ■ ■ ■



「な、何だお前らッ……!」


 ジタバタと抵抗する交渉人を、ガタイの良い手下が再び取り押さえた。

 羽織った漆黒のコートの裾を捲ると、俺はさり気なく腰の拳銃をちらつかせる。以前、トロい官憲からくすねたものに独自の改造を施したものだ。


「黙らないと、黙らせるぞ?」


 それだけで相手は静かになる。素晴らしい。

 金稼ぎは素早く、抜け目なく。それがモットーである。

 改めて眼前の『稼ぎ』を振り返った。

 一人は麻薬のディーラーで、すでに手持ちのブツは全て取り上げてある。もう一人は若い使いっ走りの交渉人で、顔の下半分がスカーフに覆われていた。その粗布には、地元シンジケートの蒼いエンブレムが描かれている。


「ボス、金とブツは手に入れた。さっさとトンズラしようぜ」


 筋骨隆々としたほうの手下が提言する。だがそれを遮って、青年がヒステリックに声を上げた。


「お、お前ら覚悟しとけよ!? カルテルのボスがこのことを知ったら……」


「誰も来やしねぇよ」


 だが俺は冷ややかな言葉とともに、相手にグッと顔を寄せた。


「ここら辺りじゃ、誰もシンジケートには逆らわない。だから奴らは考えもしないさ……自分の縄張りで問題が起こるなんてな。最も明らかな場所こそ、最高の隠れ家になる」


 言うや否や、俺は相手の下着に手を突っ込んだ。ふぎゃあと情けない悲鳴を上げる青年の身体をまさぐると、素早く手を引き抜く。

 そこには、別な金の包みが載っていた。


「お前らの手口はよく知ってる。表向きの代金と別に、まだ隠し持ってる金があるか探して正解だった」


 とはいえ、これは余分な稼ぎだ。また後で、この辺りの貧民たちにでもばら撒いてやるとしよう。むろん正義の味方を気取る気はさらさら無い。犯罪者は強欲に利益を求めるあまり、自制心に問題のある奴も多いが、俺はそんな下等な連中とは違う。収奪欲求には抗しがたいが、懐に入れる分には節度を保っている。

 すっかり毒牙を抜かれた青年には一瞥もくれず、俺は包みを大男に投げやると――


 ひょいと身を屈めた。


 その瞬間、頭上を弾丸が掠め、背後の煉瓦壁にカンとめり込む。


 ――お生憎さま。


 俺はあえて、ゆっくりと肩越しに振り返った。

 路地の先には二人の男が立っていた。俺の手の者ではない。口元のスカーフと蒼いエンブレムを見るかぎり、カルテルの新手の『代理人』のようである。

 だが俺の視界に入る頃には、二人とも拳銃を取り落として事切れていた。

 その胸の、正確に心臓の位置に刺さった刃。ふと横を見ると、ディーラーを縛っていた別の手下が、空いた片手で三本目のナイフを弄んでいた。


「報酬に見合う働きはしたよ、ボス」


 頭脳とナイフの切れ味が自慢の彼女は、妖艶なウィンクと共に囚人二人の喉も掻っ捌いた。


「目撃者は全員消す、にね」


「流石だな、だが――」


 刹那、俺はコートに手を突っ込むと両の拳銃を引き抜いた。

 真上に向けた銃口が火を噴いた直後、驚きの悲鳴とともに、胸を撃ち抜かれた死体が屋根から転がり落ちてくる。


「一人、取り残しだぞ」


「……ボスのために残してやったのさ」


 正直、誤算だった。ここまで早くカルテルの奴らに嗅ぎつけられるとは。

 だが問題ない。

 なぜなら俺は、自分が勝つと分かっている賭けにしか挑まないからだ。


「ずらかるぞ」


 三人が路地の角を曲がるのと、背後からさらなる足音が聞こえてくるのが、ほぼ同時だった。


 泥をはね上げながら走るそばを、複数の銃声が掠める。

 なんと野蛮な連中だ、と俺は心密かに呟いた。


 最初に餌食になったのはナイフ使いだった。彼女は短い悲鳴とともにバッタリと倒れ込み、そのまま動かなくなった。まだ生きているかもしれなかったが、確認する余裕も義理もない。金で雇った相手は、こういう気楽さが好きだ。

 ちなみに俺の挑む賭けは、俺にとっての安全さで判断される。手下の命など勘定に入れる気は毛頭ない。

 まだ想定内。

 背後で手榴弾のピンを抜く音がして、反射的に真横の路地に身体を捻り込んだ。間一髪、すぐ背後を爆風が通り過ぎていく。大男は助からなかった。

 こちらは少し残念だ。今回の稼ぎは全部アイツに持たせていたのだから。

 だが、俺さえ生き延びれば十分想定の範囲内だ。

 死体を数える声を背後に、俺は悠々と路地に姿をくらました。手榴弾の煙のせいで、奴らは俺の追跡を諦めたようだ。


 だから、俺がいつも勝つのだ。


 今日も。


「止まれ!」


 不意に正面から響いた声に、俺は足を止めた。

 目の前には、やはりスカーフを着けた組織の戦闘員。ただし手ぶらで、しかも一人だ。


「りょ、両手を挙げて、いますぐ跪け!」


 必死に虚勢を張る相手に、俺は薄く微笑み――。


「悪いな、坊主」


 この言葉が唇から離れる頃には、抜いた拳銃のトリガーを引き絞っていた。

 どさりと崩折れる死体を前に、弔問のように華麗なガンスピンを決める。


「俺は、自分が勝つと分かってる賭けにしか挑まないんでね」

「――そんなの賭けとは言わないよ」


 不意に、掛けられた言葉と同じくらい冷たい刃が、背後から喉元に押し付けられた。


 ――な。


「これは……想定外だな」

「やっと意見が一致したわね。銃を捨てな――ボス」


 俺は言われるがまま、拳銃を地面に落とす。


「袖の中にも暗器を仕込んでるのは知ってるわ。それとも、腕ごと切り落とされたい?」

「……よく観察してたな」

「フン」


 遅れてゾロゾロと、武器を抱えた戦闘員たちが路地に突入してきた。この数から逃れることは、もはや不可能だ。

 しくじった。


「金で買った忠誠心を信用し過ぎたね」


 ナイフ使いの言葉を、俺は観念しつつも否定する。


「その逆だ。お前を軽視し過ぎた」

「分かってくれて嬉しい限り」


 彼女が不意にナイフを横にずらすと、俺のコートの左袖を切り裂いた。

 裂けた布の合間から覗く上腕には――蒼いエンブレムのタトゥーが彫り込んである。


「やっぱりね。ボス、アンタがやけにシンジケートのやり口に精通してると思ったら」

「……自分の道を選ぶことを、時代遅れと思わない者もいるんだ」

「なら、組織への忠誠を時代遅れと思わない者もいるのよ」


 そう告げた彼女は、器用に片手で袖を捲くると、自身の同様の入れ墨を示した。


「かつては同じ旗の下にいたってのに、殺さなきゃならないのは残念ね。ついでに言うと、さっき屋根にいた奴はうっかり殺し忘れたんじゃない。あれはボスを油断させた上で、自分の手を汚したくなかっただけよ」

「まいったな。あの時、お前を撃つべきだった」

「たられば論は、もう結構。でも……」


 そう言うと、彼女は相変わらずの妖艶なウィンクで囁いた。


「その分、楽に死なせてやるわ」


 ナイフが一閃され、最後の目撃者も計画通りに消された。

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