第41話 R-05地区基地

 「<UN-E>本部基地より出向という形でこのR-05地区基地に来た、奏栞だ。宜しく頼む」


 「R-05地区基地の司令を任されております、ミロン・ソルンツェフと申します。立ち話もあれです、どうぞ中へ」


 吹雪の中を歩むこと数分。地区基地の出入り口までたどり付いた。

 

 視線の先では奏とミロンと名乗った基地司令が握手を交わしている。


 ちなみに、<Ex-MUEB>は多地域的な作戦遂行を円滑に進める為に、「リアルタイム双方向翻訳システム」なる機能がデフォルトで搭載されている。

 俺や奏の耳にはミロンの話す言葉は全て日本語に聞こえるし、逆にミロンには奏の挨拶は全てロシア語に聞こえているのだろう。ありがたい話だ。

 

 眼前にはずらりと旅団の面々と、出迎えに来たのであろうR-05地区基地の兵士が並び、壮観だ。


 だが、こうして見比べてみると、分かってしまう。


 (((相当参ってるな、こりゃあ……)))


 R-05地区基地の兵士の顔は、歓待の場という事で表情こそにこやかな物であるが、誰も彼も皆青ざめていて、血色が悪い。目の淵に深い隈を浮かべている奴すらいる。

 長旅で多少ならず消耗した旅団と比べてはっきり分かる程に疲れ果てているというのは、正直かなり異常だ。


 それだけ、ここの戦況が悪いということなのだろうか。

 まぁ、じきに詳細が伝えられるだろう。今気を揉んでも詮無き事だ。

 

 この基地を巡る状況に一抹の不安を抱いたまま、基地がある地下空間へと続く、ゲートを潜った。


    ◆


 基地の中は外界の強烈な寒さに反して、かなり暖かかった。なんなら少し暑い程だ。

 元いたJ-地区でも北部の寒さ極まる地域は過剰とも言える程暖房を焚くそうだが、そんなところだろうか。

 なんでも、一度冷えると温め直すのに尋常ではない時間がかかるとか、人間が寒さに耐えれても水道管が凍結、破裂し断水しかねないとかそんな理由らしい。


 人の流れから離れるように、なるべく離れるように移動して割り当てられた自室を目指す。

 理由は明快。数メーター先では雨衣ちゃんが囲まれてにっちもさっちも行かなくなってるからだ。


 「『黒の女王』だ!」


 「英雄、サインして頂戴!」


 などと声が聞こえる。


 当の雨衣ちゃんは人の波に揉まれ困り果てている。

 残念ながら俺にはどうすることも出来ない……というか誠に遺憾ながら『白の死神』であるところの俺が介入すれば更に事態が悪化するような気がする……

 

 そうは言ってもあんな感じで皆が雨衣ちゃんをちやほやしてるのを見ると妙に腹が立ちはするのだが……

 その娘と一番親しいのは俺だぞ……あーんしてもらった事があるしなんなら添い寝してもらったことすらあるんだぞ……

 ……これ以上はなんか地獄の釜が開きそうな気がするのでやめとくか。ここで身悶えのあまり叫ぼうものなら折角の隠密行動が台無しだ。


 ……ちなみにではあるが。<D.E.S.C>の事は、雨衣ちゃんには伝えていない。

 なにせまだ確証が得られたわけではない上に、自らが既存人類種の進化系……あそこに書かれた言葉を借りるのであれば、『人類種からの逸脱』であるかも知れないなどと言われてショックを受けてもいけない。

 俺も、その事を考えると漠然とした不安に襲われるのだから。

 

 もう少し、確かな事がわかって、もう少し、穏当な説明の仕方が思い付くまでは、先送りにさせて欲しい。


 

 ドアを開けて自室に踏み込む。

 手狭ではあるが、割と雰囲気は悪くない。


 鉄とコンクリを基調としていた、無機質かつ殺風景な本部基地の自室に対して、木を主として纏められた西洋風のデザインである。温かみを感じる。

 中にはちょっとした冷蔵庫やらが備え付けてあり、デスクの上には据置式の情報端末と、マトリョーシカが置いてある。客人に向けた遊び心だろうか。


 微笑ましい気持ちになりながらも、<Ex-MUEB>を除装し、EN充電装置を兼ねた保持ラックに収納する。

 本部基地だと<Ex-MUEB>は保管庫で一括管理だったがここでは個人管理のようである。ここも地域差というところだろうか。

 なお、チョーカー部分は翻訳システムを使う為に装着したままである。


 部屋の奥に鎮座するベッドに腰掛け、放り投げたサックの中を確認する。

 最も、持ち出せたものはごく少ないため、わざわざ確かめるほどの事は無いのだが。


 さくさくと中身を漁っていると、硬質でひんやりとした何かが指に触れた。目当ての品だ。


 取り出したのは一丁のP-86制式拳銃。スライドを軽く引き、弾倉内に弾丸が収まっていないのを確認する。……問題なし。


 これに触れていると、どうにも感傷的な気分になっていけない。乗り越えた、とは思っていたが、そう簡単なものでもないらしい。それが、感情に揺れる人間らしさでも、あるのだろうが……


 有馬と河合から、託された拳銃。

 一番荒れていてアイツらの顔すら記憶の底に封印していた時期でさえも、どうにもこれを置きっぱなしにしたまま動く事は出来なかった。

 戦闘で使った事はない上に、整備もロクにしておらず装弾もしていなかったために『国共軍』との戦いでも抜く事は無かったが、一応あの時もホルスターの中には収めていたのだ。


 くるくるとガン・プレイをした後に軍服の太もものホルスターに収める。

 


 その後、襟を少し緩めてベッドに仰臥した。


 とりあえずやるべき事は終わった。

 ならば夕餉なりなんなりで呼び出しがあるまでは少し寝てても……疲れたしな……

 

 目を閉じて、いい感じに眠りの帳が降りてきた正にその瞬間、チョーカーから呼び出しアラートがなった。なんなんだよ!!


    ◆


 眉根を寄せる。

 頭痛がする。こめかみに手をやる。


 「どうして、どうしてこうなった……!」


 数分後、俺は司令室で青緑に光輝く戦術ボードを見ながら、声にならぬ声で呻くハメにあっていた。

 隣には雨衣ちゃんもいる。

 

 そう、先程の呼び出し音は、奏からのR-05地区の現状説明会議へのお誘い。こんな嫌なお誘いってこの世にあるんだ。


 なんでも、<タイタニア型>の討滅を成し遂げた『白の死神』と『黒の女王』の英雄二名がこの会議に出席しないなんてありえない!と言われてしまったそうだ。はっきり言っていい迷惑である。

 正直現場兵士以上の何者でもない俺なんて、そんな事を説明されても良く分からないのだが……ほら雨衣ちゃんも困った顔してる。


 「……以上のことから、戦線は徐々に押し下げられており、攻勢の激しさが故に戦闘と戦闘の合間の休息も満足に摂る事は出来ず、士気が徐々に低下。

 物資に関しても、軍には優先的な配給が執り行われているために現状不足は無いですが、民間人にそのしわ寄せが行っており、安定した量がある、と断言するには少々難しい状況です……

 防衛ラインが市街地のギリギリまで退いていることからも、民間人に多大なストレスが溜まっていることも想像に固くなく、銃後の不満噴出についても勘案事項であるかと……」


 「なかなか、厳しくはあるね……」


 聞こえて来る状況は、事前の予想に違わず、なかなか厳しいものであった。答える奏の声も硬い。


    ◆


 ここで、読者諸兄にはこの世界におけるR-地区……すなわち、かつてロシア連邦と呼ばれ、見る影も無く崩壊した巨大国家の話をせねばなるまい。


 物語の時間軸より遡ること25年程前、<N-ELHH>との戦争が初期段階の頃は、ロシア連邦は戦局を有利に運んでいた。

 

 その圧倒的な人民の数が故に、通常火器での対<N-ELHH>の大原則である「10人以上で<シルフ型>一体を包囲し、一斉射撃での撃破」という状況が作りやすかったが故である。


 雑兵である<シルフ型>以外は、通常火器で相手する事はほぼほぼ不可能であり、度々<エリアル型>などに手痛い損害を被っていたが、それも戦車や自走砲といった兵器を駆使し、当時でも世界の五指に入るであろう軍事力を以てどうにか制圧していた。

 

 中華人民共和国と並んで、「<N-ELHH>戦争収束後の世界の覇権は、ロシアもしくは中国が握るであろう」とまで称されたほどである。



 転機となったのは、6年目の冬であった。

 その頃になると、大国の軍事力をしても、増大し続ける<N-ELHH>の攻勢を抑え込む事が不可能になってきていた。


 徐々に悪くなる旗色。失われゆく支配権。

 国民の不安が増してゆく中、ここで余りにも厳しすぎる冬の環境が牙を剥いた。


 食料を筆頭とした物資の生産が追いつかないのだ。


 極寒の環境と降り積もる豪雪は冬の農耕活動を阻んだ。

 それでもこれまでは広大な領土が故に騙し騙しではあるものの辛うじて戦線と生活が成り立っていたが、支配権を失いつつある今となってはそうもいかない。

 

 食料を失えば、銃後の兵器生産者達の能率も下がる。最早凋落は歯止めが聞かなかった。



 戦場では餓死者、凍死者が続出。弾薬不足により抗うことすら叶わず嬲り殺しにされた戦死者もいた。


 六年目に主戦場となったグロズヌイは血と臓物の海で見渡す限りの真赤に染まり、腐臭が戦場を満たしていたという証言もある。


 飢えきった兵士たちは、死した仲間の骸や、倒した<N-ELHH>の肉すら剥ぎ取って喰らいつき、その有り様は、「ガ島惨劇の再来」「グロズヌイの地獄」とすら称された。

 なお、<N-ELHH>は体内にテドロトキシンを筆頭とする強力な毒性を数種類保持しており、急性中毒症状による死者も大量に現れたことも明記しておく。



 それだけではない。

 分厚い永久凍土は、ピッケルや油圧シャベルの先端を頑として阻み、地下避難所の敷設をも容易にはさせなかった。この特性は、<最終戦争>の折に決定的な破局を齎すこととなる。

 

 人間同士の戦争であれば、条約に基づいて民間人への攻撃を非難することも出来たのであろうが、生憎<N-ELHH>はルール無用である。

 その敵意は兵士だけでは無く、逃げる場所なき民間人にも容赦なく向き、蹂躙した。


 兵士、民間人を合わせたその年の総死者数は、4300万人を超えたとされる。


 そして、転機より9年後、<最終戦争>。

 世界各地を戦場とし、「人類は初めて核兵器の廃絶を成し遂げた」とされる程の馬鹿げた数の戦略兵器が飛び交う人類種の存亡を賭けた総力戦。


 その時には、他の各地では「地下避難所」は「地下街」へのブレイクスルーを遂げようとしていたが、ロシアは未だ、民間人全てを収容する規模の避難所は建設出来ずにいた。

 そうなれば必然、空を飛び交う大規模兵器の破壊に、民間人も巻き込まれる。絨毯爆撃で、焼夷弾で、艦砲射撃で、そして何より戦術核の爆炎と放射能で、人々は死んでいった。

 

 ロシアに於いては、<最終戦争>で人間を殺したのは、<N-ELHH>よりも、むしろ同じ人間であったのだ。



 <最終戦争>が終結し、ロシア連邦からR-地区へとその名称を変える頃には、領土の6割は失われ、国民は<N-ELHH>発見前の1/5までその数を減らしていた。

 

 その逼迫が、10年を隔てた今もなお彼の地に根付いている。

 

 

 人類支配圏の内で、どこよりも滅亡に近い地区。

 これが、R-地区の現状である。

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