第40話 人類圏の極北へ

 <UN-E>本部基地占領戦、そしてその報復として奏が行った<テミス事件>から、数週間が過ぎた。


『国共軍』との戦争状態は未だ継続中であるが、現状は少々の小競り合い程度にとどまり、そしてそのほとんどに<UN-E>が勝利しているため、念頭の勘案事項には上がっていない。

 やはり、その嚆矢となった<UN-E>本部基地占領戦が現状最大の被害である。


 占領戦の際に本部基地にいた兵士や職員の内、その半数が命を失い、総司令官である奏栞も重傷を負った。<UN-E>に於いて類を見ない未曾有の大被害である。


 完全に崩落した<UN-E>本部基地の復旧は当面の間不可能であるという判断が下され、襲撃を生き延びたものの拠点を失う結果となった生存者たちは、旅団キャラバンとして戦場に赴くことを余儀なくされた。

 俺もまた、その中の一人である。


 俺は今、R-05地区へと向かうC-324:全環境適応型長距離兵員輸送車の中の一台にいた。


 陸・海・空を一台で制覇するだけではなく、荒地や高山などの極地すらも己が領域として走り抜ける優れ物である。

 長時間、長期間の移動に備え、車内には一通りの生活設備が備えられている。故に一台あたりの積載人数は少ないのだが、高い生産性をも誇るため数でその欠点をカバーしている。

 直接戦闘に出るわけではないので中々目立たなくはあるが、<UN-E>が保有する車両の中でも高い完成度を誇る逸品である。


 今はJ-地区とR-地区の狭間の海域、旧時代の名を用いるならばオホーツク海を縦断しているようで、耳をそばだてればザザザザと、波をかき分ける音が聞こえる。

 窓から外を見れば、それは見事な流氷が見れることだろう。


 俺はその車内で椅子に座り込んで外界を映し出す窓ではなく、目の前に表示した仮想ウィンドウを眺めていた。

 半透明のホログラムの縁を指先でなぞり、スクロールする。

 下に送られる文字列を慎重に、丹念に、見落としが無いように精査する。

 しかし、求める成果は得られない。歯がゆさの余りに天を仰いだ。

 顔を上向きにしたまま一人ごちる。


 「見つからんな……まぁ得られた情報が少なすぎるもんな……」

 

 <デスク>。

 基地崩落の寸前に敵作戦司令官アーノルドが残した謎めいた言葉。

 それは俺と雨衣ちゃんの二人を示す暗喩であり、俺達が向き合わなければならない業の名である……らしい。


 その詳細を知るため、過去の作戦記録や論文データなど、多様な方面から調査を進めてはいるのだが……得ている情報は<デスク>の三文字のみ。これだ!と思う様な情報にはなかなか巡り合えなかった。


 「……?なんだこれ……」


 それはなんてことはないミス。英語表記であろう<DESK>で検索をかけようとして、<DESC>とKをCと入れ替える打ち間違えをしたワードで検索した、ただそれだけの話。


 しかし、床の鉄色を透かすウィンドウは一本の研究データがヒットしたことを告げている。


 半分導かれるような心持ちで指先を伸ばし、その研究データをロードした。


 それは生命学、その中でも取り分け遺伝子工学として扱われるような内容であった。


 意味不明で奇ッ怪な専門用語の羅列の中で目に止まったのはやはりこの一文である。


 "Dinosaur-like Evolution of human beings on the Species survival Crisis"……直訳すると、『種族的な絶滅危機に於ける人類種の恐竜的進化』……と言った所か。


 要約すると、このような内容であった。



 ――"Dinosaur-like Evolution of human beings on the Species survival Crisis"―以後その頭文字から<D.E.S.C>と呼称する―とは、一言で言うなら、環境・闘争に適応した新人類である。

 

 人類種は有史以来、天敵を知らぬ万物の霊長としての地位を確立してきた。

 だが、その優位性は<N-ELHH>という人類種の天敵の出現によって崩れる事となる。


 膂力、速度、数量。

 闘争という面に於いて人類種を遥かに凌駕する<N-ELHH>との交戦により、人類種はその総数の4割を失い、急速に絶滅の窮地へと追い込まれる事となった。


 種全体の存亡の危機に陥った人類種は、生存と現状からの脱却を果たすべく、より環境に適合した形へと、より闘争へ適した形へと、生命体としての在り方そのものを大きく変えるであろう。


 それは試行錯誤である以上、或いは現人類種が持ち得ない肉体組織の生成という形で現出するかも知れないし、或いは所謂「第六感」的な新たなる感覚機能の獲得という形で現出するかも知れない。可能性は未知数である。

 

 このように在り方が不定であるが故に、<D.E.S.C>に目覚めた者は人類種の革新とも、人類種からの逸脱とも言える極めて不安定な存在である――


 

 「――これはまた、突飛な仮説だな……」


 正直な感想である。


 俺がその方面の知識に乏しく、生物学・遺伝子工学的な観点からのロジックや根拠を読み解けなかったというのもあるのだろうが、<N-ELHH>の発生からたかだか25年程で人間が適応して生命の在り方を変えるというのはなかなか首肯し難く感じる……



 だがその一方で、この論文を前提とすれば腑に落ちる部分もあるのだ。


 奴が残した言葉がこの<D.E.S.C>……つまり闘争に適応した新人類の事だと仮定すれば、俺と雨衣ちゃんという「個人」を指し示すようにこの言葉を用いた奴の口ぶりにも得心が行く。

 

 また、奴はこの言葉を、俺達が向き合わなければならない業である、とも評した。

 <D.E.S.C>が本当に人間の進化系、上位種であり、その肩書きに見合うだけの力を持つのであれば、当然その力を己が利の為に手中に収めようとする者も出るだろうし、その力を危険視して排斥・差別する者も現れるだろう。

 

 力持つ者を利用、搾取し、畏れ、排他する。

 それは、人類が長い歴史の中で繰り返してきた業。その焼き直しにほかならない。

 またしても奴の言葉の意味が通る。通ってしまう。


 そして何より、雨衣ちゃんが<D.E.S.C>であるならば、<タイタニア型>討滅作戦などで発揮した、<N-ELHH>に服従を強いる能力にも説明がついてしまうのだ。



 今抱えている、すべての疑問がこの1ワードで氷解する。


 震える指先で著者の名前をタップする。

 別ウィンドウで著者の詳細な情報が展開された。


 ニコライ・ロマノフ。

 遺伝子工学会における異端児。

 妄想とすら言える研究発表を繰り返し、当人の難儀極まる性格も相まって周囲からは白眼視されている鼻つまみ者。

 今は人類圏の極北の地であるR-05地区で、他者と関わる事の無い隠遁生活を送っている……


 なんの根拠もなく、むしろ怪しがる要素しか無いにも関わらず、脳内に確信めいた予感が閃いた。


 俺の求める答えは、彼の地にあるのだ。


    ◆


 『車内の兵員に告ぐ。当車両はこれより三十分程で目的区域に達する。戦闘員は<Ex-MUEB>を着装後待機モードに移行し、下車準備を整えられたし。』


 天井のスピーカーからアナウンスが鳴り響く。


 「そろそろか」


 俺はこの人類極北の地で、任務遂行と、謎多き学者ニコライ・ロマノフとの対面、この二つを果たさねばならない。


 決意を新たに、全身を装甲材と特殊皮革の頼もしい感触で覆っていく。

最後に手甲つきの手袋を付け、二、三回握っては開いてを繰り返してから、ヘッドバイザーを降ろした。

 随分と久しぶりな気がする。ピリリと引き締まる思いに、軽く息を吐いた。


 俺達が以前使っていた<Ex-MUEB>は基地崩落の際に土砂に埋もれて失われたが、襲撃時に、各員が用いる<Ex-MUEB>の改造、調整などの機体データを保存した記憶媒体を奏が密かに持ち出していたらしい。全く、抜け目が無いというかなんというか。


 その機体データを元に道中で立ち寄った工廠で、各員の<Ex-MUEB>を再生産。

 故に、純白の機体装甲も、因縁を断ち切った『BS-423 形状可変型非実体剣』のひんやりとした握り心地も、背中に頼もしい重みを残す二対四枚の背部ウィングバインダーも、変わりなくあの時のままだ。


 ……もっとも、こいつは元々急ごしらえの現地改修機だったが故に、見た目はともかくとしてもその中身のプログラムはあの時と比べ物にならない程洗練されているのだが。


 着装が終わると同時にギッと音がして車が止まった。

 気密音と共に扉が開く。

 飛び込んでくるは白銀の光景とどこまでも続く車列の群。

 吹雪の先には、これから俺達が本拠にするのであろうR-05地区基地を守護する防護壁が霞んでみえた。

 

 俺は、人類圏の極北へと辿り着いたのだ。

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