白銀命無獄

第39話 プロローグ~白銀命無獄~

 白。

 その光景を表すなら、その一言で事足りるであろう。

 見渡す限りの純白であった。

 

 周囲には強風に煽られた雪が舞う。

 否、舞うなどという生易しいものではない。


 結晶体は横殴りに叩き付けるかのように降りしきり、周囲の白銀の嵩を一刻ごとに増やしていく。

 

 旧時代の頃と変わることなき、その地の過酷極まる自然気象。吹き付ける吹雪と、温もりの一片の存在すら赦さない極寒は、命など容易く攫うだろう。

 その脅威が目の前に視界として体現したかの如き、美しくも残酷な景色であった。


 その白のクオリアの中に、銃声が一つ。

 白無垢を赤褐色の液体が汚した。


 「ハァ………34!」


 ため息の後に男がカウントした。その男は、<Ex-MUEB>着装者である。

 ならば、必然。撃ち抜いた敵は<N-ELHH>に他ならない。


 男は哨戒任務中であった。その中途で<N-ELHH>の集団と会敵し、現状に陥った。

 挙がる戦闘音が次なる敵を続々と呼び寄せ、気付いたときには撤退すらも不可能な環境に追い込まれていた。


 五名いた筈の仲間は、逸れ、殺され、最早一人も男の側にいなかった。

 だが、男とその仲間達が、格別な不運の渦中にいたかと言われると決してそうは言えないであろう。


 <Ex-MUEB>着装者であろうとも、ことこの地においては、六人小隊の内一人を除いて全滅など、さして珍しい話では無かった。


 ガチ、ガチと耳障りな音が鳴り、間断なく続いていた銃声が止んだ。

 しかし、マガジン内には十分な弾数が詰まっている。弾切れではない。


 ならば何故、男の銃器はその役目を放棄したか。

 その答えは銃側面の排莢口にあった。


 見れば、そこにはべったりと怪物の血が付着している。否、固着している。

 飛び散った返り血が極寒の中で凍り付き、動作を阻害しているのだ。


 その銃器は寒冷地仕様として、厳格な凍結処理が施されていた。

 だが、人間の知恵などこの通り。規格外の環境の前には猿知恵に過ぎない。


 「畜生!ここでイカれるかよ!」


 こうなれば最早銃は兵器から重石に成り下がる。

 男は銃を投げ捨て、背後から金属器を抜き取った。


 右手に握った刃は、弧を描くかのようにカーブし、左手のハンマーは、直方体に柄が付いたのみのシンプルな形状である。


 名を、月鎌と槌、と呼ぶ。


 農具を元としたその地の伝統的な武具に、振動切断と振動破砕の近代化改修を施した代物である。


 男は武器を握った手で仮想UIを操作し、戦闘種別を<近距離格闘戦>に変更した。

 

 一度重ね合わせるかのようにぶつけて音を打ち鳴らし、男は駆け出す。背部搭載バーニアが蒼炎を吐き出し、その背を押し込んだ。

 深雪が加速の勢いに押されて飛び散る。


 「セェ……イ!」


 気合を込めた鎌の一閃が敵を捕らえる。雷光にも似た速度の斬撃。

 湾曲した刃の内側が敵の首を収め、断ち斬った。


 足を地面に押し付けて強引に勢いを殺しながら振り向いて、胴をハンマーで殴り飛ばした。敵の体はひしゃげて、10m程も弾け飛ぶ。


 振り抜いた槌を肩に担ぎ直し、そこから真っ直ぐに振り落とす。

 重量の乗った一撃は、ただ一度のインパクトで怪物の体を原型を止めぬほどに破砕した。

 

 屈んだ体勢で突っ込んできた怪物の脳天に刃の先端を叩き込む。


 「グがァ」


 「まだ息があるかよッ!」


 刃の背にハンマーを打ち付けてより深く突き刺す。至近距離から爪を突きたてんとした怪物がらぐたりと力が抜ける。


「ぐっ……」


 脳天から刃を引こうとしたタイミングで男の右腕に鈍い痛みが走った。腕が動かない。


 戦闘種別<近距離格闘戦>は、着装者に莫大な負担を強いる。

 増して長時間の戦闘で疲労し、反動制御が疎かになっていた男にとって、この数合の命のやり取りすらも筋繊維を破断するには十分な負荷だった。


 そして、その隙を見逃す程<N-ELHH>は愚鈍な生物では無かった。

 

 男の鎌の柄を握る手を狙って腕を振るい、武器を取り落とさせた。

 手から離れた鎌は宙で二回転し、刃を下にして湿った雪に突き刺さった。


 男の体勢が崩れる。

 足掻くかのように左手のハンマーを両手で握り直して振るうが、乱れた体勢では敵の体を穿つこと能わず、体躯の真横に落ちた金属が雪を虚しく舞い上げるのみであった。


 その機を逃さぬ怪物との距離が詰まる。

 爪が胸部装甲と激突し、音響を静寂の白原に残した。


 その衝撃に男は耐えきれず、無様にもスッ転んだ。

 四肢のそれぞれに怪物達が何体も集り、仰向けのまま男の動きを封じる。


 爪が、牙が、装甲に突き立つ。装甲は怪物達の凶器では貫徹しない。

 

 だが、そんな事実は最早無関係であった。


 武器もない。四肢は動かない。

 命を奪い去らんとする目の前の脅威に対する抵抗手段が、男には残されていなかった。



 ガリガリガリガリ……ガリガリガリガリ……ガリガリガリガリ……ガリガリガリガリ……


 装甲が爪牙と擦過音を立てる。

 その音響は死を目の前にして、それに抗う手段を持たぬ男に狂を発させるには十分な恐怖を帯びていた。


 「い、嫌だ、いやだ、いやだッ!!やめろ!やめてくれ!死にたくない!いやだッ!助けて、だれかッ!」


 藻掻く。

 助けなど来よう筈もない。助けに入る仲間も皆男と同じ様な末路を辿っている。


 「痛い!いたい、いたい!たすっけ…て、とめて、だれか、だれか、こいつらをとめてぇ!」


 可動性の為に装甲が薄くなっている腕や指といった関節部は玩具かのように弄ばれ、もぎ取られ、奇妙な方向に捻くれている。

 真っ赤な血痕が、雪を染めていた。


 感覚管理機能のお陰なのか、痛みこそあるものの欠損の感覚は甚だ希薄であった。

 その異常性が男の怯えを事更に煽る。


 やがて、装甲の継ぎ目に爪が突き立ち、そこから装甲が剥がされ始めた。命を守る、唯一の手段である装甲が。

 Alert音声がけたたましく鳴り響き、赤いエラーウィンドウが視界を埋め尽くす。


 「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」


高い断熱性を誇る装甲が剥ぎ取られ、極寒の大気と共に抗えぬ死の実感が流入してくる。

肺腑も心の臓も総身の血管の一本一本に至るまで全て凍て尽き果てそうであった。


 「うわァァァアアアアッ!嫌だ!嫌だァァァッ……」


 声は、止んだ。

 

 怪物共が顔面を保護するヘルメットすら剥ぎ取り、その顔面を噛みついて毟り取ったが故だ。


 男を無惨にも解体してその生命を奪い去った怪物達は、興味を失ったかのように男の亡骸から離れて行く。


 雪が、降っていた。


 男の屍にも氷片が落ちたが、それは少しの間をおいて融解して流れ落ちた。

 だが、脈動を失った彼の体から、命在りし頃の残り香の温もりすら奪われるのは、そう先の話ではない。

 そうなれば氷雪を溶かす術はない。ただ、純白の奥底に埋もれるのみである。


 惨たらしい男の屍体すら、雄大にして苛烈なる大自然はまるで何事もなかったかの如く降りしきる雪と氷で覆い隠し、元の有様を取り戻すのであろう。



 その地の名はR-05地区。


 人類種の耐久限界を大幅に上回る極低の気温と、餓鬼地獄から現出したかの如き悪鬼<N-ELHH>が牙を剥く氷雪地獄。

 紛うことなき人類滅亡最前線。


 その地はフランス史に燦然と栄光を遺す軍略皇帝ナポレオン・ボナパルドの侵攻すら阻んだ。


 その地は攻勢を退けるのみにあらず、かの島国へ深刻な内政危機すら齎した。


 その地は史上最悪とされる虐殺者の毒手にかかってなお、不落である。



 その地の旧時代における名を、「シベリア」と呼ぶ。


 新章。白銀命無獄。

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