臥薪嘗胆

李恩

臥薪嘗胆



時の流れに、愛憎は薄れ行くものであるとか。

愛し続けることも、憎しみ続けることも、容易くはない。


月明かりの差す室内に、しょう(寝床)に入って眠れぬまま、凌統はしとね(布団)に起き出して立てた膝に頭を沈み込ませていた。


春秋しゅんじゅうの頃、呉に夫差ふさという王があった。

えつとの戦場で父王を失った男である。

流れ行く年月の中に憎しみを見失うことを恐れたが故に、


宮殿の出入りに際して臣下を庭に置き、

越王勾践えつおうこうせんが父を殺したことを忘れたか!」と叫ばせて、その恨みを忘れぬように勤めたという。


にもかかわらず、呉王夫差の憎しみの心は衰え、越に勝利したその時に、彼は越王を許して助命した。

越王勾践は助命の礼を述べ夫差に臣従し、歴代呉王の墓守となった。


勾践は、王から一転、墓守に転じた屈辱の中、呉への復讐を誓う。

臣下に憎悪の気持ちを告げてもらう必要などない。

日々の生活こそが憎しみを増幅させるに相応しい忍耐の時であったのだ。




おれは、勾践と同じだ。




そう、凌統は自身に言い聞かせる。

日々、父の仇と憎しむ男を、同僚として見ねばならないのだ。

それが忍従でなくてなんであろうか。

逆にいうならば、勾践のように忍従を強いられる日々は、憎しみを薄れさせないはずである。


だが案に相違して、凌統の憎しみは日を追うごとに薄れていた。

本人が認めなくとも、それが真実だった。

憎むに疲れたのでも、飽いたのでもない。

憎むことができなくなっていきているのだ。


理由はいくつもあったろう。

凌統自身の性質が、そもそも粘着質ではないこともあるだろう。

また、彼を取り巻く環境が極めて優しいということもあるだろう。

初陣に父を失った彼に同情を寄せる者も多い。

彼の父に恩顧を受けたものや、彼の父と友誼を結んでいた者もある。

更には、凌統自身の闊達な性質を好む者も少なくないのだ。


凌統は愛情に包まれて育った。

父と父の配下の者は、大層彼に優しかった。

父の友人たちもまた、彼を愛し、我が子のように慈しんでくれた。


そんな環境下に育った者は、得てして、憎しみのような負の感情とは縁遠くなるものである。

人を憎む方法など、誰も教えてくれようはずもない。

なれば、人を憎み続ける術など知るよしもない。




父上…。

統に力を貸してください。

父上の仇を憎み続ける力を、統に与えてください…。




凌統は、脳裏に過ぎ去った父との思いでを幾つも幾つも思い浮かべる。

それをもぎ取っていった男を恨む《うらむ》力に替えるために。

その幸せな時を奪った者への復讐心に替えようと、呻くような努力を繰り返す。


光り輝くような愛に包まれていた優しい時間。

しかし、それを憎悪に替えるのは容易ではなかった。

むしろ失ったものの大きさに、心は哀しみに傾くばかりで、目を押し当てた膝頭はしっとりと涙に濡れた。


これではむしろ逆効果と涙を拭い、

凌統は憎き仇、甘寧を思う。


飄々として悪びれず、こだわりなく人と話しては笑う男。

憎しみの目を向ける凌統のことなど歯牙にもかけず、平気で夜歩きもすれば兵も連れずに単身で行動もする。

いつも腰には愛用の弓をたばさんで、肩で風切るように颯爽と歩く。

その弓が、凌統から父を奪い、今も戦場に出れば多くの敵の命を狩る。


凌統の奥歯がぎりっと、嫌な音を立てて鳴った。


ただの一矢で、凌統の父の喉輪を貫き絶命させた甘寧の弓。

神弓と呼ぶにも相応しいその技量。

純粋に味方であったならば、どれほど頼もしいか知れないその神技が、しかし、凌統の父を一瞬にして骸に変えた。


数えで15の少年の身には、重すぎた父の亡骸。

それを負った背は哀しみに震えた。


思い返せば、今も苦しいあの時のことを、

ようやく憎しみに替えて凌統は顔を上げた。

開け放たれた窓の向こうに白い月が見える。

冷たい光を冴え冴えと投げかけてくる。


まだ、大丈夫。

まだ、憎い。

まだ、憎める。


長い息をついて、凌統は体を投げ出すように寝ころんだ。

憎しみが戻ったことに僅かに安堵する。

そして、ほんの少し胸に痛みを感じて慌てて首を振る。


大丈夫。

憎んで当然の相手を憎むのに、心が痛むなんてあり得ない。

大丈夫。大丈夫。

おれはまだ、闘える。


自身に強く言い聞かせて、ようやく落ち着いて目を閉じる。

深夜の思考はもはや必要ない。

眠りの中に、徐々に身が沈んでゆく。


明日も、憎しみが消えていないように祈りながら、

明日には、憎しみが消えているように心のどこかが願いながら、


矛盾する二つの思いに気づかぬまま、凌統は眠りの中へ…。





おわり



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臥薪嘗胆がしんしょうたんという言葉は、三国時代にはまだありませんでした。

呉王夫差が越王勾践に対する憎しみを忘れぬために薪の上に寝て(臥薪)、越王勾践が呉王夫差を憎しみ続けるために苦い肝を舐めた(嘗胆)というエピソードは、宋代末期から元代の初期に書かれた十八史略の中にその出典を見ます。


一般に、憎しみの深さや復讐を成すまでの困難を表す言葉として使われるようですが、憎み続けることの難しさを伝えるものでもあるように、筆者には思えてなりません。



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