第二十七話 レイラの過去 その4

 デコピン。

 内側に折り曲げた中指を親指で抑えて、伸ばそうとする力を相手の額にぶつける行為。

 俺はそれをレイラに行った。

 地味だが結構痛い――というのはレイラも同じらしく、ぎゅっと目をつむっていたレイラは「あう」と可愛らしい悲鳴を上げた。

「うぅ」

「とりあえず……まあ……勝手に人を眷属にしたことと、それをずっと黙っていたことは、これで許してやるよ」

「……? ???」

 俺が激昂して殴り掛かってくるとでも思っていたのか、レイラは俺の言葉が理解できないというような、よくわからないという感じの表情をしていた。

 その顔のままレイラは言った。

「え……、ん、え?」

「なんだよ」

 俺の言動が理解できていないらしいレイラに、俺はもう一度言ってやった。

「これで許すって言ったんだよ。お前が十数年前に俺を眷属にしたこと……そんでそれをこれまでずっと黙っていたことを」

「……………………な、なんで?」

 たっぷり間を置いて、理由を訊いて来るレイラ。

「なんで……儂を許してくれるのじゃ?」

「なんでって……あー、じゃあ逆に訊こう。レイラ、お前は俺がどうすると思った?」

「えっと……儂を殺そうとして……よくも俺を化物にしてくれたなー……って」

「言うと思ったのか」

「……うん」

「じゃあ、それはなんでだ?」

「え。だって」

 レイラは絞り出すように言った。

「だって……普通は嫌なんじゃろ?」

「…………」

「化物になることは……化物は怖がられるもんじゃから。化物は人と違うから」

 レイラはそう言った。

 その発言は、俺が元々人だと認識しているが故に出たものだろう。俺が人であり、俺が人間社会の中で生きていて、人の生きる世界で化物は排斥されるものだと理解しているから、出たものだろう。

 人であるから、人でない化物は恐怖される。人から化物になることは拒否される。それが普通。もし何かしらの理由によって化物になった事実は受け入れられても、自分勝手な願望のために人を化物にした自分は、激怒されて恨まれて、拒絶されても仕方がない。

 そう思っているのだろう。

 確かに、その考えは正誤で言えば正しいだろう。善か悪かで言われれば善に属する、プラスの考えだ。

 ただ。

「……化物だからって、誰も彼もがお前を拒絶すると思うなよ?」

 その考えは、正しいだけだ。

 善に属するだけで――間違っている。

 そう思ったから俺は言った。

「確かにお前は人じゃないだろうよ。人に拒絶される化物なんだろうよ」

 そのことは、これまで一緒にいて、身をもって知っている。

 けど。

「けどな――お前が化物だからって、俺がお前を拒絶する理由にはならないんだよ」

 俺はそんなことで突き放すような善人でなければ、聖人でもない。

「お前が化物だってのは、お前が持つ一つの側面でしかないだろ。俺はお前がそれ以外の側面を持っているのを知っているし、化物とそれ以外の側面があることを知った上で、お前と一緒にいたいって思ったんだよ」

 例えば、俺が作った料理を美味そうに食べている時や、風呂で気持ち良さそうに髪を洗われている時。

 人の苦労を知らなさそうな顔で丸まって熟睡している時や、休日に森で鬼ごっこをして、楽しそうに走り回っている時。

 俺が学校に行く時に寂しそうに拗ねた顔をした時。

 化物と言うよりは、甘えん坊で、寂しがり屋な女の子と表すべき側面を持っていることを、俺は知っている。

「お前が命の恩人だからって理由だけで、これまでずっと一緒にいたわけじゃない。お前が化物だから、一緒にいたいと思ったわけでもない――俺はな、お前と一緒に過ごして、お前が化物だという一面と、それ以外の側面を知って、その上でこれからも一緒にいたいって思ったから、ずっと一緒にいたんだよ」

 傍若無人で。自由気ままで。わがままで。

 暴れん坊で。短気で。泣き虫で。

 人間嫌いのくせに、孤独が嫌いで。甘えたがりで。

 美味いごはんを食べるのが好きで。辛いものが苦手で。炭酸が苦手で。俺が作ったごはんを美味しそうに食べる――そんなレイラだったから、俺は一緒にいたいと思った。

 一緒にいたいと思った以上、化物としてのレイラも受け入れる。

「誤ったことをしたら正したらいいんだよ。悪いことをしたら叱ったらいい。わからないことがあったら教えてやるし……人外モードになって暴れた時は、また身体を張って止めてやる――だから」

 だから俺は、お前から離れたりしないよ。

 そう言って俺は。

 レイラの頭を撫でた。

 紅い瞳に涙を溜めた、銀髪の化物おんなのこの頭を。

「……ほんとうに?」

 今にも涙が決壊しそうになっているレイラは、訊き返してきた。

 泣き崩れそうになりながらも。

 確認してきた。

「ほんとうのほんとうに? 儂を独りにしない?」

「ああ、しない。これまでもそうだっただろ?」

 俺はそう言った。

 我ながら、淡々とした言葉だなと思った。

 ゆーきだったらここで、もう少し気の利いた言葉を吐いて、女の子の心を落とすのだろうけど……だめだな。泣いている女の子を慰めた経験がほとんどない俺では、こんな言い方しかできなかった。

 しかし、こんな言い方でもよかったらしい。

 言い終わって数秒空けて、俺の言葉に安心したのか、その紅い瞳からはとうとう、溜っていた液体がどんどん零れ出した。

 それはもう、ぼろぼろと。ぼろぼろと。

 大粒の涙が零れ出た。

 レイラは、自分の両目から溢れ出す涙を、何度も拭き取ろうとしていた。

 両手の甲で目をこすって。

 しゃくり上げながら、零れ出る涙を止めようとしていた。

「大丈夫か? ティッシュあるけど?」

「ぐすっ……いい……こんなもの……ちょっとしたら……すぐ……止まるっ!」

 まったく止まる気配がないのに、強がるようにそんなことを言うレイラ。

 ……まったく。

 子供なんだから――泣きたい時は泣けばいいのに。

 そう思って俺は、涙を拭くレイラを自分の方に抱き寄せた。

 自分の胸に小さな顔をうずめるようにして。

 その小さな頭と背中に、両手を回して。

 そして、泣くことを我慢しようとしている――世界一弱い女の子に言った。

「……悪かったな。さっきは、あんな言い方して」

 これまで溜め込んでいたものを、吐き出させるために。

「怖かったんだよな。不安だったんだよな。嫌だったんだよな。痛かったんだよな。苦しかったんよな……どうしたらいいか、わからなかったんだよな」

 もう、我慢しなくてもいいから。

 もう、安心していいから。

「大丈夫。俺はここにいるから」

 だから。

「だから――別に泣いてもいいんだよ」

 そう言うと。

 そう言うとレイラは、涙を堪えられなくなって。

 まるでダムが決壊したように――両目から涙を流した。

「……怖かった」

 レイラは。

 心の底から吐き出すように、言った。

「ずっとずっと怖かった。またこの生活が終わるんじゃないかって……また大好きな眷族に拒絶されるんじゃないかって……ずっとずっとふあんじゃった! もうあんな痛い思いしたくないのに。あんな苦しい思いはしたくないのに! ……どうしたらいいかわからんかった! 本当のことを言ったら怒るって思った! 怒って……儂から離れるって思ってた! また……またどこかに行ってしまうって……また儂の前からいなくなるって思った! 儂は……儂はそれが嫌で……嫌で嫌で……嫌じゃったけど……かなめに怒られるのは、し、仕方ないって」

「……そうか」

「だって……かなめはっ……元々っ、人間……でぇっ! 儂はっ……化物でぇっ」

「そうだな……でも、俺は怒ってないぞ?」

「……うん」

「確かに二歳の時に、お前の眷属になることが決まってたっていうのは驚いたけど……それで俺は、別にお前を恨んでないから」

「うん……うんっ! ごめんなさい……かなめ……ありがとう……っ!」

「はいはい。どういたしまして」

 そう返すとレイラは、俺の胸に顔をうずめたまま、わんわんと泣き始めた。

 それはもう、本当に子供のように。

 涙を堪えることもなく。声を抑えることもなく。

 十五年しか生きていない俺より長生きしていると言っても、レイラはこうやって、誰かの胸の中で泣いた経験はないのかもしれない。

 前の眷属は、レイラの化物の側面を恐れて、逃げたって言っていたし。

 まったく。

 事実上年上だってことはわかっているけど――やっぱりこいつは、子供だな。

 規格外のチカラを持った化物だとしても――誰よりも弱い、女の子だ。

「う。うう……ずず。チーーーンッ‼」

「おい。人のTシャツで鼻をかむなよ」

「ううぅ……ごめんなさい……」

「はあ……まあ、今回はいいけど」

 そう言って俺は、再びレイラの頭を撫でた。

 右手でレイラの後頭部を撫で撫でする。

 そうして、レイラの涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったTシャツを洗濯機に投入することを決意しながら。

 それから俺は――これからのことを考えた。

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