第十九話 疑問
一〇分もしない内に、家に着いた。
あの場所から自宅まで、一〇キロ以上距離が離れているから、通常状態なら全力で走っても一時間近く掛かるが、吸血鬼の能力を行使すればそれくらいの時間で家に着くことができた。
我ながら、人生史上最速で走った。
今ならフルマラソンの世界最速記録を塗り替えられる――とか考えている場合ではなく。
「…………」
住宅街を走り抜け、駅前の繁華街を走り抜け、森を走り抜けて。
自宅の玄関前まで戻ってきた俺は、ズボンのポケットから家の鍵を取り出して、玄関口を開錠した。
家の中に入って靴を脱いで、そのままリビングに直行する。
レイラがいる場所は大体わかる。
家の中だったら――あいつは俺の部屋かリビングにいることが多い。
「ん? おお! 帰ってきた!」
いきなりビンゴだった。
レイラは座布団の上に頭を乗せて、うつ伏せの状態で寝転がっていた。
俺が帰ってきたのを足音か何かで察知していたのだろう。こちらの方を向いていたレイラは、俺がリビングに入った瞬間に目が合い――そしてその瞬間に寝転がった状態から跳ね起きて、俺の方へ近寄ってきた。
「おかえりじゃかなめ! ずいぶん早かったのう?」
嬉しそうな表情を顔に張り付けて、レイラは言う。
その顔は血で汚れていなければ、血の臭いも一切しなかった。
「……レイラ」
「ん?」
念のためそれだけ確認しておいて――俺は冷静に平静に問い掛けた。
「お前、さっきまでどこにいた?」
「ずっとここにおったが?」
質問に即答するレイラ。
嘘を吐いているようには見えなかったが――俺は念を押して確認した。
「本当か? ずっと家の中にいたんだな?」
「うん。そうじゃ」
またしても即答。
やっぱり、嘘を吐いているようには見えない。
しかし、俺はしつこく確認を繰り返した。
「本当に? 本当の本当の本当にだな? 言っておくけど森にもだぞ? 本当に一歩も外には出ていないんだな?」
「?」
すると嬉しそうな顔をしていたレイラは、疑問の表情を顔に浮かべた。
何故、俺が繰り返し同じ質問をするのか、わからないという表情。
「じゃから、さっきからそう言っとるじゃろ?」
レイラは不思議そうにそう言った。
「どうしたんじゃかなめ? さっきから同じ質問をして」
「…………」
そう言われて俺は、先程の出来事をレイラに伝えるかどうか迷った。
伝えたところで意味がないだろう。
あの場にいたのは、レイラじゃないんだから。
「さっき……お前を外で見た」
そう思ったが、俺はいつの間にかそう口にしていた。
自然とそう言っていた。
「うん?」
「お前を外で見たんだ」
「……? ???」
俺の発言を聞いて、レイラはより一層わからないという顔をした。
何を言っているのかわからないという表情だ。首を傾げて、眉を顰めて、俺の言葉の意味を考えているといった顔。
「……何を言っとんじゃうぬは」
案の定、レイラはそう言った。
「儂はずっとここにおったんじゃから、外で儂を見るわけないじゃろ?」
「いや、俺は見たんだよ」
何がしたいんだ――と自分で思った。
自分でも何がしたいかわからないが、自然と言葉が出てくる。
口が勝手に動いて止まらなかった。
「人を喰っているお前の姿を」
「…………」
レイラは何も言わず固まった。
一瞬だが、固まったように動かなくなった。
そして、それから言った。
「それは儂じゃないわい」
ああそれはわかっている。
そう思っているのに、俺はその言葉を言わなかった。
代わりに俺はこう言った。
「レイラ。じゃあお前は俺が外で見たやつは、自分じゃないって言うんだな?」
「……うん。そうじゃ」
「じゃあ質問を変える――お前は人を喰ったことがあるか?」
「…………」
二度目の沈黙。
しかし今度は硬直したという感じではなく、戸惑って黙ったといった感じの、沈黙の仕方だった。
今まで俺を見ていたレイラは、一瞬だけ目を逸らす。
それからレイラは言った。
「ない」
「嘘だな」
俺は言った。
「レイラ、正直に答えろ――別に怒ったりしないから」
「…………。ない」
「レイラ」
俺は再度彼女の名前を呼んだ。
自分ではわからなかったが、たぶん強い口調だったんだと思う。
その証拠に、レイラの肩がビクッと動いた。
「正直に答えろ」
「……じゃから、ないと言っとるじゃろ」
「……はあ」
その言葉を聞いて、俺は息を一つ吐いた。
その返事が返ってくる可能性を考えていたように。
予定調和の嘆息を吐いた。
「そうか――じゃあまた質問を変える」
だから、俺はこう言った。
「お前……なんで俺を眷属にした?」
「……っ!」
そう言うとレイラはわかりやすく狼狽した。
目を見開いて、口を半開きにして。
動揺した表情をした。
そんなレイラに――俺は畳みかけるように言った。
「なあ、レイラ。お前はなんで俺を眷属にしたんだ? 俺はお前に命を助けられた恩があったし、お前は自分のことをあんまり話たがらないから、これまでは『それ』を訊かずにいたけどよ……人間嫌いのお前が、なんで『神崎かなめという人間』を、眷属にしたんだ?」
「…………」
俺の質問に、レイラは答えない。
いや、恐らく答えたくても、うまく言葉が出ないのだろう……レイラは何か言おうとして口を開いたが、閉じ……開いては閉じ――という動作をした。
「……お前が人を殺したり、人を喰ったり、誰かを害することを目的にしていないのは知っている。それはこれまで『視て』きたからな。わかっているよ――けどよ。お前が俺を眷属にした理由はなんなんだ?」
「…………」
「レイラ」
「……そ」
それは……――と。
レイラは消えそうな声で言った。
今まで聞いたことがないほどか細い声。
しかし、それ以上レイラは何も言わなかった。
何も言わず――小さく俯いて黙ってしまった。
「…………」
「…………」
待っていてもレイラは何も言わない。
だから俺は揺さ振りを掛けた。
「レイラ。言っておくけどよ……俺は別に――お前が好きで一緒にいたわけじゃないぞ?」
「……っ!」
そう言うとレイラは顔を上げた。
俺の発言を聞いて、衝撃を受けた顔をこちらに向ける。
その顔を見ながら、俺は続けてこう言った。
「俺はお前が好きで、これまで一緒にいたわけじゃない――わかっていないみたいだから一から説明するけどよ……俺は自分の望む生活ができていたから、お前と一緒にいただけだぞ?」
レイラが更に動揺した表情をする。
しかし、俺は構わず言った。
「正直に言うけど、お前を切り捨てる選択肢はずっと頭ん中にあったんだ……お前がこの家に住みたいって言った時から、ずっとな……まあお前には命を助けられたし、お前と一緒に生活してきたのは、その恩を返すって理由ももちろんあったけど……その理由は一番じゃない――一番の理由は、俺がこの家に帰って、飯を食う生活がずっとできていたから……ただそれだけなんだよ」
人と違うチカラを得たからって――世界征服や、正義の味方を目的として動くような性格を、俺はしていない。
家で飯を食う以外、ほかのことはどうでもいい。
それが俺の目的であり、生きる上での行動指針だ。
俺はただ、毎日ちゃんと家に帰って、飯を食う生活ができていれば、それでいい。
「それができていたから俺は……お前が人類を滅ぼすほどのチカラを持った化物だろうが、自分の身体が人と同じじゃなくなろうが、特に気にしなかったんだよ……俺は善人じゃないからな。お前が『災禍の化身』と魔術師達に言われていようが、お前の中身が人と違っていようが、お前が過去にどんな所業を行っていようが……そんなことはどうでもいい」
そう言うとレイラは泣きそうな顔になった。
その紅い両の瞳からは透明な液体が出てきて、目元から零れ落ちそうになる。
しかし、俺は続けた。
「お前が今人を殺すようなことがあったら、その時は止めたらいいって考えていたしな――だから俺はお前を受け入れたし、結果的にお前は誰も殺さなかったから、お前との生活は今日まで続いた」
俺は言った。
「けど、ずっと頭の片隅で疑問には思っていたんだ――なあレイラ。お前はなんで俺を眷属にした? ――別にクリーチャーズに襲われて死に掛けている人間を見て、可哀そうって思ったわけじゃないだろ? 髪と瞳の色が自分と同じ人間を見て、親近感が湧いたわけじゃないだろ? 俺が一人でこの家に住んでいることを知っていたから、俺を眷属にしたわけじゃないだろ? ……だってそれだと前提がおかしいよな? だってお前は人が怖くて怖くて……人が大っ嫌いなんだから」
海鳥と佐々木がレイラをそう見ているのと同様に――レイラも人を恐怖の対象として見ている。
ゆーきや海鳥、佐々木など……それはレイラが人と接している様子を視て気付いた、レイラを構成する
だから人間嫌いのレイラが何故俺を眷属にしたのか、ずっと不思議だった。
人間嫌いのレイラが何故俺だけ人として見ていないのか、疑問だった。
「なあもし……もしもだけどよ、レイラ」
俺は涙目になっているレイラに言った。
「お前が俺を眷属にした理由って……ただの気まぐれか? 孤独感とか寂しさとか……そういうのを紛らわせるために、たまたま同じ髪と瞳の色をして、たまたま死に掛けていた俺を眷属にしたのか?」
「……違う」
「別に、理由は気まぐれでもいいけど……でもお前、実は俺のことなんて、どうでもいいなんて思っていないか? 孤独感を紛らさせてくれたらどうでもいい。楽しませてくれたら、寂しい思いをさせてくれなかったら――ほかのことはどうでもいい。俺が眷属になって何か酷い目に遭っても――実はどうでもいいとか思っていないか? だって、吸血鬼にとって人間は虫けらみたいなものだろ? 飼っている虫けらの脚が一本二本欠けたところで、虫けらと思ってるやつは何も感じない……子供って無邪気に脚とか羽根とか、平気で捥ぐもんだし……『災禍の化身』と呼ばれているお前が元『人間』の俺が壊れたところで、何も感じないだろ?」
「違う!」
レイラは声を張り上げた。
涙目になりながらも、泣かないように我慢して。
今までとは違う、はっきりとした口調で。
違うと――叫んだ。
「わ、儂はそんな風に思っておらん……かなめのことをどうでもいいなんて……思っとらん」
「…………」
「それに……そんな理由でわしは……かなめを眷族にしたわけでは……ない」
しかし、そのあとに紡いだ言葉は、弱々しい口調で出たものだった。
声量もさっきと同じくらいか細い。
俺は訊いた。
「じゃあ、どういう理由なんだよ?」
「……っ。それは……」
レイラはまた言い淀む。
俯き、唇を噛み、俺と視線を合わせようとしない。
また黙り込んでしまう……と思ったが、レイラは意外にも言葉を続けた。
「言いたく……ない」
「…………」
「言いたくない……でも」
レイラは言った。
「儂はそんな理由でうぬを眷族にしておらん……これは本当じゃ。これだけは本当じゃから……信じてくれ」
そう言ったレイラの表情は、不安と、恐怖を、勇気で押し留めたような表情をしていた。
今にも零れ落ちそうになっている涙を堪えて。
震えながらも――俺の顔をまっすぐ見て。
俺を眷属にしたのは害意によるものじゃないと――そう示そうとする意志が、その表情からは伝わった。
だが。
「……そう言ったら俺が納得するとでも思ったか?」
俺はそう言った。
そう言った瞬間、レイラの表情は絶望に変わった。
「信じてくれ? 理由を言わないのに素直に信じられるわけないだろ。信じてほしいならそこはちゃんと説明しろ」
レイラは目を見開いて俺を見る。
堪えていた涙が、頬を伝って床に落ちた。
「あのな、レイラ。さっきも言ったけど……俺は自分の望む生活ができたら、ほかのことは別にどうでもいいんだ。だから俺はお前が『災禍の化身』だろうが、二人いる人外の片割れだろうが、俺の身体が人と違うものに変えられようが……お前に何か非難するようなことは言わなかった」
災禍の化身だろうが吸血鬼の原点だろうが、そんなことはどうでもいい。
俺の身体が人じゃなくなろうが、怪物に襲われる日々を送ることになろうが、そんなこともどうでもいい。
レイラが過去にどれだけ人に被害を与えたとしても、人を嫌い、恐怖していたとしても。
自分の望む生活ができるなら――俺は何も気にしない。
「けど。もし……もしもだ。……もしお前が俺を害そうって考えているなら。お前が俺を害するために眷属にしたんだったら――」
そこまで言って俺は考える。
もし、レイラが害意によって俺を眷属にしたのなら――俺はどうする?
殺す――とは言わない。俺と同じく『
だが――俺はレイラが最も恐れていることを、知っていた。
だから俺はこう言った。
「俺はお前を見捨てるぞ?」
そう言うと。
そう言うと、レイラは決壊した。
絶望の顔をしていたレイラの両目から、涙が零れ落ちた。
瞳に溜っていた涙がポロポロとポロポロと流れ落ちる。
「……嫌じゃ」
そしてレイラは、とうとう子供のように泣き始めた。
「嫌じゃ。嫌じゃ――嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ! もう一人は嫌じゃ。もう見捨てられとうない! かなめ……頼むから、頼むからそんなこと言わんでくれぇ……!」
大泣きし始めたレイラは、上擦った声でそう叫んだ。
足に力が入らなくなったのか、その場に泣き崩れながら。
レイラは――縋るように俺の服を掴んだ。
「う。ううう……頼む。頼むから……なんでもするから……うぬだけ……うぬだけは」
「泣いたって無駄だ」
スウェットのポケットの部分と、パーカーの裾の部分を握り締めるレイラに、俺は言った。
「必要なのは涙じゃない――理由だ」
そう言って俺は、レイラの手をゆっくりと引き離した。
嫌じゃ嫌じゃとわんわん泣くレイラと、これ以上話することは――もうない。
そう判断して、俺は膝を着いた状態で泣くレイラに背を向けて、部屋を出た。
「嫌じゃ……かなめぇ……お願い……お願いじゃから……」
後ろからそう言われたが、俺は無視して廊下に出た。
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