第十七話 犯人

 家の中は異様なほど静まり返っていた。

 あれだけ雑にドアを壊して家の中に入ったというのに、まるで誰もいないように、反応がなかった。

 いや。

 家の前にいた時から、ずっと魔力の反応があるから、誰もいないことはないけど。

「…………」

 土足のまま家の中に上がる。

 そしてそのまま玄関口に敷いてあったマットを踏んで、居間に続いているであろう廊下を歩く。

 家の中に入って確信したが、どうやらこの家には普段から誰かが住んでいるようだ。

 その証拠に玄関口には男女の靴が二足ずつ置いてあったし、玄関から上がったところには玄関マットが敷いてあった。

 傘立てに差し込まれた数本の傘に、身だしなみをチェックする用の全身鏡。住人のものなのか、二人の男女が映った写真が複数枚入った、おしゃれな写真立て。

 ……家の住人は夫婦なのだろうか?

 わからないが、そのまま廊下の先へ進んでいく。

 途中、風呂の脱衣所やトイレに繋がっていると思われる戸や、二階に続く階段があったが、それらは無視して家の奥へ向かう。

 吸血鬼の位置は、おおよそわかる。

 この廊下を直進して右に曲がったところが、おそらくリビング。

 そこに吸血鬼はいる。

 ……しかしおかしいな。あれだけ派手に音を立てて家の中に入ったんだから、向こうも俺の存在に気付いているはずなのに……なのになんで、さっきから音がしないんだ?

 気配を断とうとしている? ……いや。俺は魔力感知に従って一直線に吸血鬼のいるところに向かっているし、そいつは物音から俺が一直線に自分のところに向かっていることに気付いていると思うから、そんなことはないと思うのだが。

 ……と。

 廊下を半分ほど歩いたところで、俺はある音に気付いた。

 ……ぐちゃ。……ぐちゃぐちゃ――と。

 粘着質な音だ。

 まるで粘り気の多い水分を、多量に含んだ物質を咀嚼する音。

 ……ぐちゃ。ぐちゃぐちゃ……ボキ。バリボリ――と。

 粘着質な音の中に硬い物質を噛み砕くような音が混ざっているのを聴いて、俺は気付いた。

 ああ、これはあれだ。

 肉を喰っている音だ。

 火を通していない、生の――獲物の身体に付いた肉をそのまま食い千切って、咀嚼している音だ。

 だから粘着質な音の中に、たまに噛み砕くような音が混ざってんだ。

 骨を噛み砕く音だな、これ。

 戸が閉まっているのに強い血の匂いがして来たから――間違いない。

 ……肉と骨を吸血鬼が食っているとするなら、それがなんの、何の肉と骨なのかは――連想ゲームのように予想が着く。

「…………」

 俺は血の匂いがする戸へ進む。

 戸の前に到着する。

 戸の前に到着すると、肉を咀嚼する音は更に大きくなり――血の匂いも一層強くなった。

 鉄臭い――誰の身体の中にも通っている液体の臭い。

 この戸を隔てた部屋の中に、吸血鬼がいる。

 おそらく……この街で人を殺している吸血鬼が。

 俺は初め、玄関でそうしたように、この戸も蹴破って、中に入ろうかと考えたが、手でゆっくり押して中へ入ろう……と思い直した。

 相手が肉を喰うのに夢中で、俺に気付いていないようなら、その方が好都合だ。

 そう思い、俺はドアノブに手を掛けて、ゆっくりと戸を開ける。

 すると部屋の様子が少しずつ視界に入った。

 左側の白い壁。木目調の茶色い床。

 庭に繋がっているであろう、窓に設置されている遮光カーテン。

 そして床に転がっている一つの死体と、馬乗りになっている、一人の『人物』。

 戸を開けて中にいる吸血鬼を見るまで――俺はそいつに飛び掛かって、強引に外に押し出そうと考えていた。

 吸血鬼の怪力を使って。

 部屋の壁の素材を無視して無理矢理、外に押し出そうと考えていた。

 だから中にいる『吸血鬼』を見るまでは、俺はそうする気満々だった。

 だが。

「……は?」

 だが結果から言って、俺はそうしなかった。

 戸を開けて部屋の様子がすべて視界に入っても、俺はそうすることができなかった。

 どころかその場を動けず棒立ちになって――無意識に間抜けな声を出していた。

 部屋の中は予想していた通り、凄惨な光景が広がっていた。

 リビングと思われる広い部屋の真ん中には、一人の女性の遺体が寝転がっていて――その周囲の床や壁は、その女性のものと思われる血液がべったりと引っ付いて、酷く汚れていた。

 二〇代くらいに見える女性の遺体はうつ伏せに床に転がっていて、何故だかわからないが、その顔は俺の方を見ていた。

 口からは血を吐いて……両の瞳から涙を流した……生気のない女性の顔。

 その女性は胸から腹に掛けての部分を強引に引き裂かれていた。

 開かれた女性の身体の上には、この現状を引き起こしたと思われる吸血鬼が馬乗りになっていて……引き裂いた部分に顔を突っ込んで、女性の中身を貪り喰っていた。

 凄惨な光景だった。

 猟奇的な惨状だった。

 残酷な様子だった。

 ……しかしそこではなく、俺は遺体の上に乗っかっている『吸血鬼』を見て、固まってしまった。

「……なんで」

 と――俺の声に気付いたのか。

 女性の身体の上に乗って中身を喰っていた人物は、その行為を止めて、上体を起こした。

 獣のような体勢から起き上がって――俺の方を見た。

 そしてその顔を見て、俺は思わず言った。

「……なんでお前がここにいるんだよ」

 その人物は紅い瞳を持っていた。

 その人物は銀色の髪を持っていた。

 その人物は子供の外見をしていた。

 その人物は服を一切身に着けておらず、自分の背丈と同じくらいの長さのある髪の毛で、身体の所々を隠しているだけの格好だった。

「――レイラ」

 つまり――レイラの姿をした吸血鬼が、そこにはいた。

 レイラが人を喰っていた。

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