第十五話 吸血鬼の歴史

『で。かめくんさあ、手伝ってもらえるのはありがたいんだけど――『第二の人外シルバー・ブラッド』は一人にして大丈夫なの?』

 七月六日。期末テストが終了した次の日。

 俺は海鳥と通話をしながら、学校の近くにある住宅街を歩いていた。

 時刻は二二時過ぎ。完全に日が落ち、夜と言える時間帯である。

「レイラだったら別に問題ないよ。俺が家を出るってことはちゃんと伝えてあるし、俺が帰るまでは家ん中でじっとしてろって言ったからな」

『いやー、そう言われても普通に不安だなー』

 まあかめくんが大丈夫って言うなら問題ないと思うけど――と海鳥は軽い調子で言った。

 現在俺は、殺人事件の犯人を捜すため、佐々木と海鳥の手伝いをしている。

 手伝いと言っても、俺は一人で犯行現場の近くを歩き回っているだけで、佐々木と海鳥が行っている調査(具体的に何をやっているのかは知らないが)に直接手を貸しているわけではない……何故、二人の手伝いをしているのに単独行動をしているのかと言うと――海鳥曰く、海鳥自身は猫の手も借りたい状態であるため、俺にはより有効的な手段で犯人捜しを手伝って欲しかったとのことだが……捜査の主権を握っている佐々木は吸血鬼関連の事件を解決する専門家ではない俺に、自分達の捜査を手伝わせることに抵抗の意志を示したため、自分達の捜査に直接的に関わらない手段でしか、俺には犯人捜しを手伝うことが許されなかったそうだ。

 ……別に手伝うための手段なんてなんでもよかったが、『まあかめくんの『魔力探知能力』は私達より優れているし、一人でその辺歩いて、何か発見したら報告してね』――と言われたので、言われた通りそうしながら、俺は事件の情報を貰うために海鳥と通話をしていた。

『それはそうとごめんねー、かめくん。手伝ってって言ったのに、具体的な指示も出さずに一人で行動させちゃって』

 海鳥は俺を単独行動させることに後ろめたさを憶えているのか、申し訳なさそうにそう言った。

「別に構わないけど――俺だったらうっかり犯人に遭遇しても、死ぬことはないし」

『いやー、確かにそうだけどさ? 私としてはそのフジミの身体を活かして、私のボディーガードとかして欲しかったんだけど? ……犯人の手掛りになるものがまったく集まっていないのに、クリーチャーズにも警戒しつつ捜査とかやってらんねー!』

「……荒れてんなおい」

『そりゃあ、複数のこと意識しながら作業していますからね』

 ストレスがマッハで溜まってます!

 ……と。切れ気味に言う海鳥に、俺は「テスト終わりにご苦労様」と返した。『ほんとそれ!』――と、電話の向こうからは返ってきた。

 ……ちなみにだが、海鳥とこうして通話をする前に、ゆーきから電話が掛かってきた。

 ゆーきとのやりとりは以下の通り。

『へえ。じゃあかなめ、海鳥達の仕事手伝うの?』

 電話が掛かってきて、これから殲鬼師せんきしの仕事を手伝うことを伝えると、ゆーきはそのような返事をした。

『俺も手伝おうか? なんなら今から向かうけど』

「やめとけ。お前も家でじっとしてろ」

 人が死んでいる事件に平然と関わろうとするゆーきに、俺はそう忠告をした。

『けど、犯人ってまだ特定されてねんだろ? だったら人は多い方がいいんじゃねえの?』

「いやいや。お前みたいに殲鬼師せんきしでなければ不死身でもない奴が、事件に片足突っ込む方が問題だろ」

 忠告しても事件解決に助力したいと言うゆーきだが、吸血鬼に関する専門家である佐々木や海鳥だって、魔術が扱えるわけでなければ傷をなかったことにできるわけでもない一般人を、積極的に事件に関わらせたくはないだろう。

 ……好奇心で言っているならともかく、こいつは善意で言っているから困る。

「お前が犯人に遭ったらどうするんだよ。……俺や佐々木達に一々守れってか? 犯人が誰だがまだわかっていなくて、確実にお前を守り通せる手段なんてないのに?」

『だー……それもそうか――だったら家でじっとしておくわ』

「ああそうしろ」

 自分が捜査に参加することによって発する可能性がある負利益デメリットを説明すると、ゆーきは足掻かずあっさりと引いた。

 善意から出た言葉であるからこそ、他人にデメリットがあると思えば素直に引く。

 それがお人好しで善人である、ゆーきという友人だった。

「……一応言っておくけど、夜はなるべく外に出るなよ。犯人は一人暮らしの若い女性ばかり狙ってるから、お前が標的になることはないと思うけど、人殺しが自分の住む街にいるってだけでも、用心するのに十分な理由だからな」

『おう。わかってるわかってる』

「そうか――じゃあ電話切るぞ」

 そう言って通話を切ろうと思ったが、そこでゆーきが『ああちょっと待った』と言って来た。

 そのままゆーきは言う。

『……ところでかなめさ。お前これからどうすんの?』

「あん? 何が?」

『生活』

 俺の質問に、ゆーきは端的に答えた。

『かなめさ。今日までレイラちゃんと一緒に住んで、吸血鬼になったことをなるべく隠して過ごしてっけど……これから先もそうやって過ごせるって思ってねえだろ? 主に家族に』

「…………」

『言いにくいのはわかるけど、かなえさんだけにでも言っといた方がいんじゃねえの?』

 あの人ならお前を切り捨てる心配はないだろうし――とゆーきは言った。

 ゆーきの言葉を聞いて、数秒考える。

 それから俺は答えた。

「まあ、そうだとは思うけど」

『じゃあ――』

「けど――今言うのはなしだ」

 俺は言った。

「確かにレイラと一緒に住んでいることとか、俺が吸血鬼になったことは、永遠に隠し通せるとは思ってない……レイラが家にいることは姉ちゃんが家に来たら一発でバレるし、俺の身体が変わっちまったことは、怪我した瞬間を見られたらすぐにわかる――けど、今言うのはなしだ」

『……なんでだよ?』

「姉ちゃんは魔術も――吸血鬼も知らないから」

『…………』

「な? わかるだろ? 姉ちゃんは元々、魔術や吸血鬼を知らない。そんなものは実在しないことを前提に生きている人間だ。……あの人は俺やお前とは違う。俺みたいに眷属にされたわけでも、お前みたいにレイラや眷属になった俺を知っても、離れなかった馬鹿じゃない」

 俺もゆーきも、元々は魔術や吸血鬼、殲鬼師や『第二の人外シルバー・ブラッド』なんて存在とは関わりなく、生きてきた人間だ。

 だが俺もゆーきも、自分達の常識を崩すような存在を知っても、それを拒絶せず、今日まで過ごしてきた――が。

 別にそれは――普通の反応とは言い難い。

「例えば百人の人間がいるとする。魔術や吸血鬼なんてものは現実に存在しないことを前提に生きてきた人達だ。そしてその人たちが俺達と似たような出来事に遭遇して、魔術や吸血鬼と言われるものの存在を知ったとする。……さて。一体何人の人間が、それを拒絶せず受け入れられると思う?」

 ゴールデンウィークの初日に獅子の姿をした怪物に襲われて。

 そこを黒い姿をした人型の化物に助けられて。眷属にされて。

 あらゆる傷をなかったことにできる能力など、人の領域を超えたチカラを与えられて。

 人の常識のじょの字も知らない、『災害』と呼ぶのに相応しい、人の身に余る異能を持つ幼女と共に生活をすることになって。

 日常的にクリーチャーズに襲われて、殲鬼師に監視されて――自他の命が亡くなったり心が崩壊する可能性と、隣り合わせの生活を送ることになると知っても、その生活を過ごす選択をする人間は何人いる?

 そうでなくても。

 友人がいつの間にか謎の幼女と生活を共にしていて。その幼女が『災禍の化身』とも言われている化物で、そのチカラを一度目の当りにして。

 命を失うかもしれない体験を経験しながらも、友人がその化物に属したことを知って。

 魔術を扱えるわけでも、その化物に対抗できるだけの何かを持っているわけでもない、自分がただの人間で、近付けば死ぬ可能性もあるとわかっていても。

 その友人から離れず――友達で居続けようとする人間は、一体何人いる?

「こんなこと、統計を取って資料にまとめた人なんていないだろうから、正確な答えなんてないだろうけど……そんなに多くないと思うぞ? 俺達みたいな選択をする奴は」

 全く知らなかったものが混ざった世界で生きる選択ができる人間は――少ないだろう。

 それがこれまでの自分の生活を徹底的に破壊して、一歩間違えば誰かの命が失われたり、心が壊れる可能性があるとわかっていながらも。

 そういう風にできる人間は少ないだろう。

 そして――その選択をしても『以前の生活に戻りたい』と思わず、後悔しない人間も……少ないだろう。

 多か少かの観点で言えば少で。

 通常か異常かで言えば――明らかに異常。

 俺達はそういう選択をして、これまで過ごしてきた。

『……でもかなえさんだったら、その少ない選択をすると思うぞ?』

 俺の話を聞くと、ゆーきは慎重にそう言った。

『かなめが何を言いたいか、俺には全部理解できないけどさ……でも、もしかなめがかなえさんに今の自分の状況を話して、怖がられたり、逃げられたりするのが怖いって考えてんなら……それは大丈夫だと思うぞ?』

 五年以上付き合いのある友人の言葉。

 俺と俺の姉のことをよく知る友人は、はっきりと言った。

『かなえさんだったら――お前の力になろうとするって』

「まあ……姉ちゃんだったらたぶん、そうするだろうけど」

 俺はゆーきの言葉に同意したが、それでもこう返した。

「でも今言うのはなしだ」

『……うーん。なんか頑なに拒んでっけど……その理由聞いても?』

「ストレス」

 俺は端的に答えた。

「さっきお前が言ったけど。仮に俺が自分の現状を姉ちゃんに話したとしたら、あの人なら俺達みたいに少数派の選択をするだろうよ……お前が言った通り姉ちゃんは、俺の力になろうとすると思う」

 実際になれるかどうかはともかく、姉ならそうすると、俺も思う。

 確実にそうすると言える根拠はないが――俺が人の身じゃなくなったと自ら切り出して、化物になったと姉が知った時……俺と縁を切るか切らないかのどちらかで考えたら……後者の行動を取る姉の姿が、俺には容易に想像できる。

 自然とそう思えるくらいのことは、俺は姉にされている。

「けどな――その選択は精神的苦痛がでか過ぎるだろ」

『…………』

「さっきも言ったけど、姉ちゃんは魔術も吸血鬼も実在しないことを前提に生きている人だ――以前の俺達と同じようにな。……で、その前提で生きていたなら、吸血鬼とか魔術とかの実在を知った時、負荷を感じるだろ――しかも自分の身内が人じゃなくなったと知れば、なおさらその負荷はでかい……それで拒絶して逃げ出してくれたら負荷はまだマシかもしれないけど……そうしないで化物になった弟と、その元凶と向き合う選択を姉ちゃんがしてみろよ――負荷がでか過ぎて姉ちゃんが壊れる可能性が、出てくるだろ」

 きっと俺の力になろうとする姉は――途中でどうしたらいいか、わからなくなると思う。

 魔術を扱えなければ吸血鬼に関する知識もない……その状態で『災禍の化身』と言われているレイラと対峙した時や、レイラと共に生活する俺の様子を見た時……自分が何の行動をすれば正しいのかわからず――ただ過負荷に晒されるだけになると思う。

 ……俺は姉ちゃんが、その負荷で壊れるのが怖い。

「心か身体かはわからない……もしくは両方かもしれないけど、俺は姉ちゃんが化物になったって知って、それでも俺を切り捨てないで、力になろうとしてくれて……でもどうしたらいいかわからなくて、ただ強い負荷を感じ続けて壊れる姉ちゃんの姿なんか……見たくないんだよ」

 そんな結末を迎える可能性があるのに、安易に話そうだなんて思えない。

 容易に巻き込むことはできない。

「まあ……お前が言ったようにいつまでも隠せることじゃないし、いつかは知られることだから……タイミングを見て話そうとは考えてるけどな」

 姉に話すとしたら、夏休みに入ってからのタイミングだ。

 数日だけだが毎年その時期に、姉はうちに遊びに来る。

 その時に話すのがベストだろう。

『……じゃあ、かなめはかなえさんが心配し過ぎて倒れて欲しくないから、吸血鬼になったこと話さねえの?』

「それが一番の理由だけど――今は問題が多過ぎるってのもあるな」

 目的が不明瞭な殲鬼師に、吸血鬼が犯人だと思われる殺人事件。

 前者は目的が確定したわけじゃないが、もし俺とレイラの退治を目的とした場合、『化物おれの血縁者』という理由で人質にされたり、最悪殺される可能性は否定できないし、後者の事件は自立した若い女性ばかりが被害に遭っているから、姉が標的にされる可能性も十分に考えられる。

 姉のことだから全ての事情を話して「来るな」って言っても、仕事も何もかも放り出して、俺の元に来ようとすることは目に見えてるし。

 想定できる最悪の状況は避けたい。

『ほぉーん……まあかなめがかなえさんに言わない理由は大体わかったけど――やっぱシスコンの極みだよなー。かなめって』

 俺が姉に自分の現状を説明しない二つ目の理由を言い終えると、ゆーきはおちゃらけた感じでそんなことを言ってきた。

『自分はかなえさんに心配して欲しくないって言いつつ――めっちゃかなえさんのこと心配してるよな』

「うるせえ。身内を危険に巻き込みたくないって思って、何が悪い」

『いんや? 別に悪くねえよ? ……俺としてはちゃんと理由があったんなら、言うことは特にないし』

「……あん?」

 何か引っ掛かりを感じる言い方だった。

 しかし、その引っ掛かりをどこで感じたのかわからず、尋ねる前にゆーきが『まあ、かなえさんに言いたくないならそれでいいけど』と言って話を進めたことによって、俺はその引っ掛かりを解消することができなかった。

『なんか困ったことがあったら言えよ? 俺はいつでも相談に乗るからさ』

「……何気持ち悪いこと言ってんだお前?」

『おいおい――心配する親友を気持ち悪いなんて言うなよ?』

「いや……急にそんなこと言われても、気持ち悪いとしか思わないだろうが」

 急になんだよ――と言っても、ゆーきは『なんでもねえよ』と言ってはぐらかすだけだった。

 それから互いに一言二言言って、ゆーきとの通話を切った。

 結局、ゆーきはなんのために電話を掛けてきたのか、よくわからない、疑問の残るやり取りだったが……通話の内容を思い出す限り、ゆーきは俺を心配して掛けてきたのかもしれない。

 根拠はないし、これまで直接的にそんなことを言ってきたことのない奴が、なんでこのタイミングで掛けてきたのか……まったくわからないけど。

「……で? 手掛かりはないって言っていたけど、具体的に俺は何をすればいいんだ? 俺にできることなんて、捜査を手伝うってなると、探知器の代わりくらいしかないと思うけど?」

『うーん、何をするも何も、探知器の代わりで合ってるよ。かめくんは私がさっき送ったエリアを適当に歩いてて』

「それでいいのか」

『うん。だって手掛かりはないけど、犯人は大体わかってるし』

「……そうなのか?」

『うん』

 俺は夜の住宅街を歩きながら聞く。

『まあ、犯人はわかってるって言っても、『第一の人外ゴールド・ブラッド』自体は一〇年以上前に退治されているし、眷属自体ももう数えるほどしかいないから、その中に犯人がいるだろうってお話なんだけど……でも、こいつの犯行だ! ……って言い切れる根拠が、まったくないんだよねー……』

「別にいい。教えられる範囲で教えてくれ」

『あー……じゃあまずは最有力候補から』

 頼むと海鳥は説明してくれた。

『まずは『魔獣女帝エキドナ』――ギリシャ神話に出てくる女怪の名前を冠した吸血鬼で、クリーチャーズの生みの親……魔術世界で『第二の人外シルバー・ブラッド』の次に危険視されている吸血鬼だよ』

「エキドナ」

 その単語を聞いて、俺は少し前の佐々木とライオンとの戦闘を思い出す。

 あの時も確か、同じ単語を聞いた。

「その『魔獣女帝エキドナ』って吸血鬼が、なんで最有力候補なんだ?」

 訊くと、海鳥は以下の二つを主な理由に挙げた。

 一つは、レイラが現われてからこの街で発見されるクリーチャーズの数が異様に増えたこと。

 そしてもう一つは――『魔獣女帝エキドナ』という吸血鬼は、レイラを恨んでいるということ。

「……レイラを恨んでいる? なんで?」

『かめくんは知らないと思うから説明させてもらうけど――『魔獣女帝エキドナ』は自分を眷属にした『第一の人外ゴールド・ブラッド』を崇拝してたって言われているの』

 レイラが恨まれていることに疑問の声を発した俺に、海鳥はそう説明を始めた。

『……この辺の説明を簡単にするのは難しいから、ちょっと寄り道させてもらうけど――前にさ、かめくん。私が吸血鬼ってどんな存在って言ったか、覚えてる?』

「フィクションの吸血鬼と、似て非なる存在だろ?」

 質問されたので俺は答えた。

「フィクションの吸血鬼と似て不死身な化物。フィクションの吸血鬼と同じように人の姿をしていて――牙を持つから吸血鬼と呼ばれるだけで、まったく同じ特徴を有しているわけじゃなくて……『第一の人外ゴールド・ブラッド』とその眷属は金髪金眼を有している。『第一の人外ゴールド・ブラッド』はレイラと違ってたくさんの眷属を有していて……逆にレイラは俺以外に眷属を持っていなかった……だろ?」

『うん。よく覚えてるね』

 そりゃ覚えている。

 自分の踏み込んだ世界で脅威と言われている存在の情報を無視するほど、俺は無頓着じゃない。

 対面した時に問題なく勝てるとも思わないし。

『で、話を進めるけど……吸血鬼ってね、第二次世界大戦の後に発見されて、世界最大の魔術組織によって『吸血鬼ヴァンパイア』って名称を付けられて、それで魔術師達に存在が認知されたんだけど……それから魔術世界ではね、吸血鬼狩りっていう行為が、何度も何度も起こったの』

 海鳥が言うには、吸血鬼という、人ならざる者の存在を知った多くの魔術師が、吸血鬼達を狙って行動したそうだ。

 その理由は様々で――例えば不死身の理由を知るためだったり、自分が吸血鬼になるためだったり、人々の生活を守るためだったり、掛けられた懸賞金のためだったり、宗教上の理由だったり、私怨だったり。

 とにかく多くの魔術師が――吸血鬼を狙って行動した。

 しかし。

『でもね……吸血鬼を倒せた魔術師って、ほとんどいないの』

 その理由は明確で、吸血鬼が強過ぎだからそうだ。

 吸血鬼が強過ぎて――そして人間が弱過ぎた。

『かめくんも吸血鬼だから、自分がどれだけでたらめな能力を持っているのか身を持って知っていると思うけどさ――『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属も、大概でたらめな能力を持っているの。まあどんな傷も一瞬で治す規格外の再生能力は、二人の人外とかめくんくらいしか持っていないけどね――でも「首を捥がれても修復する」くらいの再生能力は、他の吸血鬼にも共通していたことなの』

 それはつまり、首を捥がれようが、心臓を抉られようが、手足を切断されようが、あらゆる吸血鬼はその程度の傷を無効化して、肉体を修復することができたということだ……さすがに灰の状態から修復するのは、俺やレイラが規格外過ぎるだけらしいが、それでも、再生速度と再生回数に個体差はあれど、『異常』と呼んでも差し支えないほどの再生能力を、『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属達は普遍的に有していた。

 しかもそれだけならともかく、怪力といった人の領域を超えた身体能力や、個体によってはも、『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属は持っていたらしい。

『これはほんの一例なんだけど、吸血鬼の中には炎を生み出す能力だったり、魔力から物質を生み出す能力を持つ者がいるの……まあそれだけなら魔術師でもできる人は多いんだけど、吸血鬼は個人で起こせる現象の規模が違うの』

 例えば掌から炎を生み出すだけなら、術式さえ知っていたら魔術師なら誰でもできる基礎的なこと――らしい。魔術師じゃない俺にはわからないが、海鳥が言うには、掌から炎を出す程度ならば、魔術の基礎を収めた魔術師なら誰にでもできて、炎を何かしらの用途に特化させた魔術師……つまり、炎を武器とし対吸血鬼用に特化させた術式を構築している、佐々木のような魔術師ならば――人一人を瞬時に焼き殺せる高火力高威力の炎を生み出し、操作することが可能なのだそうだ。

 しかし――海鳥が知るその吸血鬼ならば、佐々木以上の火力で、街一つを焼き尽くす規模の炎を、指先一つで生み出すことが可能なのだそうだ。

『炎を生み出す吸血鬼なら、指先一つで災害級の炎を生み出すことができる。物質を生み出す吸血鬼なら、その能力を使って刀や槍だけじゃなくて、自分の再生能力を上回る速度で肉体の損傷を修復したり、自分の肉体を複数体生み出すことができる……とまあ、こんな感じで吸血鬼は一人一人違う能力を持っていて、しかもそれが魔術師から見てもチートって言いたくなるような域に達したレベルのものばっかり持ってるの――でね?』

 海鳥は一拍置いて言った。

『……逆に吸血鬼を退治しようとした昔の魔術師達の戦闘力って、吸血鬼と比べたら天と地ほどの差があって、まったく話にならないレベルだったの』

 それは佐々木や海鳥が戦闘の時に扱う対吸血鬼用の魔術――『変身術』が当時開発されていなかったことや、不死身の身体と高火力の異能力を持つ吸血鬼に有効な魔術が、ほとんどなかったことが要因だそうだ。

 故に、多くの魔術師が吸血鬼に挑みながらも、退治できた者はほとんどいなかったらしい。

 故に――吸血鬼は魔術師に最強の存在とされた。

 あらゆる傷を修復する再生能力。人の領域を超えた身体能力。人間が扱う魔術とは異なる反則級の異能。金髪金眼の人間離れした美貌。いくら時が過ぎようと変化しない外見。

 多くの魔術師が追い求める要因を持つ――最強の存在。

 それが吸血鬼。

『……でもねー、吸血鬼って、十三年前にそのほとんどが殺されちゃって、もう最強じゃなくなっちゃったんだー』

 海鳥は言った。

 多くの魔術師が戦いを挑みながらも退治できず、最強の存在とされた吸血鬼のほとんどが――ある日唐突に殺されたそうだ。

『この事件は現代の魔術の歴史を語る上では絶対に外せない事件で、魔術師だったら知らない人はいないくらい有名なんだけど――十三年前に一人の魔術師が引き起こした戦争で、『第一の人外ゴールド・ブラッド』のほとんどの眷属は、彼とその仲間達に殲滅されたの……吸血鬼の原点って言われている、『第一の人外ゴールド・ブラッド』も一緒にね』

 『第一の人外ゴールド・ブラッド』を含めた多くの吸血鬼は、一人の魔術師が引き起こした戦争によって――たった一日で殲滅されてしまったらしい。

 その魔術師は『第一の人外ゴールド・ブラッド』と多くの眷属を殺した功績を讃えられて、魔術師達に『人外殺じんがいごろし』と呼ばれたそうだが――その『人外殺し』が引き起こした戦争の名称が、

『『第一の人外ゴールド・ブラッド』殲滅作戦――通称『革命戦争』』

 と――言うそうだ。

『魔術史上最大の復讐劇にして――魔術師達に最も影響を与えた戦争だよ』

 海鳥は『革命戦争』の概要を、簡潔にそう述べた。

 『革命戦争』がどのような経緯で行われて、魔術師達はそれまでまったくと言っていいほど吸血鬼を倒せなかったのに、『人外殺し』と呼ばれた魔術師はどうやって『第一の人外ゴールド・ブラッド』とその眷属達を殺すことができたのか、気になるところだが――『革命戦争』が行われた結果だけ言うと、吸血鬼の数は九体まで減ったらしい。

 ……俺は元の吸血鬼の数を知らないから、その九という数を聞いても、まだ九体もいると思ったらいいのか、それとも九体しかいないのかと思ったらいいのか、いまいち判断が付かないところだが――海鳥に尋ねてみると、記録されている限り『革命戦争』以前には、吸血鬼の数は確実に五〇はいたそうだ。

『まあ五〇って言っても、この数は「確実にいた」っていうだけで、本当はこの一〇倍はいたって言われているんだけどねー』

 世間話をするような軽い口調で、海鳥は言う。

『吸血鬼ってね、発見される前は世界のどこかで人目に付かないようにこっそり生きていたわけじゃなくて、『第一の人外ゴールド・ブラッド』が生み出した異空間の中で生きてたって言われているの……あ、嘘に聞こえるかもしれないけど、この話本当だからね? ちゃんとその異空間も発見されているから』

「……どうやって殺したんだ?」

 さすがに放っておけず、気になったので、俺は海鳥に訊いた。

「『第一の人外ゴールド・ブラッド』もその眷属達も……それまで魔術師達は吸血鬼をほとんど殺せなかったんだろ? ……なのに『人外殺し』って魔術師はどうやって、異空間を創り出すような『第一の人外ゴールド・ブラッド』と、その眷属達を殺したんだ?」

 実際には、『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属は、五〇〇人もいなかったかもしれない。

 記録されている吸血鬼の数の一〇倍というのは、海鳥が実際に見て数えたわけではないだろうから、現存する資料と『革命戦争』に参加した人物の言葉を参考に、魔術師達の間で流れている説の一つなのだろう。

 ……もし五〇〇という数が誇張だったとしても、五〇以上は確実にいた吸血鬼を、『人外殺し』はどうやって殺した?

『ああ――それは簡単だよ』

 問うと、海鳥はあっさりと答えた。

『まずね、さっき吸血鬼を退治した魔術師はほとんどいなかったって言ったけど……別に吸血鬼を退治した功績を持つ魔術師はゼロじゃないの。何事にでも例外があるように……これにも例外があってね――その例外が『人外殺し』なの』

 聞けば、確かに吸血鬼が発見されてから半世紀以上の間、吸血鬼を退治できた魔術師は一人もいなかったらしいが、『革命戦争』が起こるまでの数年の間に、六体の吸血鬼が一人の魔術師によって退治されたらしく、その六体全てを退治した魔術師が――『人外殺し』らしい。

 つまり『人外殺し』は元々、吸血鬼を殺すノウハウを持っていたのだ。

「……でも、それだけじゃ説明付かねえだろ? いくら吸血鬼を殺した実績とノウハウを持っていたとしても、レイラと同等の奴と、五〇〇近くいた眷属を殺せたとは……とても思えないんだけど」

『うん。確かにそれだけじゃ無理だね』

 海鳥はあっさりと認めた。

 あっさりと認めた上で、彼女はこう言った。

『だから『第二の人外シルバー・ブラッド』を使ったんだよ』

「……は?」

 海鳥が言うには『革命戦争』時に『人外殺し』に協力した仲間は、別に全員が魔術師だったわけではないらしい――中には『人外殺し』の意見に賛同した『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属や、吸血鬼と人のハーフを意味する鬼人という存在……も、いたそうだ。

 そしてその中の一人に――『第一の人外ゴールド・ブラッド』とはまったく異なる人外、第二の原点と言われている、レイラがいたという記録が残っているそうだ。

「……あいつが、人に手を貸すとは思えないけどな」

『うーん……まあその意見には私も賛成だけど――でも一説によれば、無理矢理使役させて異空間に放り込んだらしいよ?』

「だとしたらそれができた『人外殺し』は何者なんだ」

 どう考えても人間業とは思えない。

 ……しかし、海鳥自身も自分が述べた一説(という単語を使っている時点で、魔術師の世界でも明らかになっていない事柄なのだろう)に信憑性があると思っているわけではないらしく、『まあ、確かにそう思うのは無理がないけどさ』と言った。

『私だって『第二の人外シルバー・ブラッド』使役説は別に信じてないし――でも「『第二の人外シルバー・ブラッド』がほとんどの吸血鬼を殲滅した」っていうのは事実だから、気になるなら本人に訊いてみたら?』

「……うーん」

 そこまで言うんだったら、海鳥が言うことは事実なんだろう……どういう経緯があってレイラが『人外殺し』側に立っていたのかはわからないが、レイラが『革命戦争』の当事者だというのなら、本人に直接訊いて、海鳥の発言の裏取りをするのもありだ。

「…………」

 ……でもあいつ、自分のことあまりしゃべりたがらないからなあ。

 訊いたら嫌がりそうだ。

『まあ、あの『第二の人外シルバー・ブラッド』が『人外殺し』側に立って戦ったっていうのは信じられないと思うけどさ』

 と、海鳥は俺が沈黙する理由を微妙に外しながら言った。

『でも、『第二の人外シルバー・ブラッド』が関わってたって言われたら、『第一の人外ゴールド・ブラッド』とその眷属達が殲滅された理由に、納得がいくでしょ?』

「んー……まあな」

 確かに、レイラがどういう経緯で『革命戦争』に参加したのかはともかく――あいつが関わっていたと言われたら、『第一の人外ゴールド・ブラッド』と五〇〇近くいた眷属が『どうやって』殲滅されたかの理由に、一応説明は付く。

 あいつなら――例え全人類を相手にしたとしても、勝ちそうなチカラを持っているし。

 同じ人外と言われる存在と、その眷属達を皆殺しにしたと言われても――別に不自然ではない。

 むしろレイラが魔術師である『人外殺し』側について戦ったという事実の方が、不自然に感じる。

 ……本当に協力したのだろうか?

 ……いや。それが事実だろうがなかろうが、今は別にいいか……気になるんだったら帰ってから訊けばいい。

 ……話が大きく逸れたが、本題に戻ろう。

 そう言えば元々、『魔獣女帝エキドナ』がなんで犯人候補筆頭なのか――という話をしていた。

「……で、話を戻すけど――とりあえずレイラが『革命戦争』の時に『第一の人外ゴールド・ブラッド』とその眷属を殺しまくったから、『魔獣女帝エキドナ』って吸血鬼はレイラを恨んでいるって言われている……ってことでいいんだよな?」

『うん。それで合ってるよ』

 海鳥は俺の言葉を肯定した。

 ……しかし、それだと一つ疑問が生じる。

「でも、だとしたらほかの吸血鬼もレイラを恨んでないか? 『革命戦争』後に残っている八体はレイラ以外……全員が『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属なんだろ? ……だったらそいつら全員が、レイラを恨んでいるはずだろ?」

『ああ、その可能性はないよ』

 海鳥ははっきりと否定した。

『だって、ほかの吸血鬼は『革命戦争』時に『人外殺し』側に立って戦ったか、戦ってないけど『人外殺し』に手を貸した吸血鬼がほとんどだもん……生き残ってる吸血鬼の中で、『第一の人外ゴールド・ブラッド』側に立って戦った吸血鬼は『魔獣女帝エキドナ』だけなの』

「……じゃあ、レイラを恨んでいる可能性はあるのは、『魔獣女帝エキドナ』って吸血鬼だけなのか」

『うん。そうだよ』

 海鳥は肯定した。

『それでね。『魔獣女帝エキドナ』は『革命戦争』に負けた後、『第一の人外ゴールド・ブラッド』を殺した『人外殺し』と『第二の人外シルバー・ブラッド』、あと同じ『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属なのに『人外殺し』に手を貸した吸血鬼達を恨んで、彼らに復讐するために行動してる……って言われているの――でも一番復讐したい『人外殺し』と『第二の人外シルバー・ブラッド』は、戦争後にすぐ行方を晦ましたから、二人を探すために『魔獣女帝エキドナ』はクリーチャーズを大量生産して、クリーチャーズに魔術師やほかの吸血鬼を襲わせながら二人を探しているんじゃないかって……魔術師達の間では言われているの』

 海鳥が言うには『革命戦争』のあと、クリーチャーズと言われる吸血鬼達が爆発的に数を増やして、魔術師や吸血鬼達を積極的に襲っているらしい。

 その数は『革命戦争』時にいるとされた吸血鬼の数に迫る勢いらしく――故に、クリーチャーズの退治や、クリーチャーズへの対抗策を持たない魔術師達の護衛が、『変身術』を習得した魔術師達の主な仕事らしいが……倒しても倒しても増え続けるクリーチャーズの存在理由の一つに、『革命戦争』後に足取りが掴めなくなった『人外殺し』と、レイラの捜索があるのではないかと魔術師達の間では言われており――海鳥達はこの街にレイラがいることと、この街にクリーチャーズが頻繁に出現することから、『魔獣女帝エキドナ』はレイラがこの街いることを掴んで、犯行に関わっているのではないか……と考えているらしい。

『……まあでも、『魔獣女帝エキドナ』は「現状考えられる最有力候補」ってだけで、事件とクリーチャーズの出現数には、なんの因果関係もないかもしれないんだけどね?』

 言っておくけど本当に証拠集まってないから――と、海鳥は念を押すように言った。

『正直、私とリアちゃんが『魔獣女帝エキドナ』を最有力候補に考えているのって、『第二の人外シルバー・ブラッド』とかめくんがこの街にいることと、『魔獣女帝エキドナ』が『第二の人外シルバー・ブラッド』を恨んで行動している可能性が高いってだけだから……現場からは『魔獣女帝エキドナ』が犯人と確定付ける痕跡は何も見付かってないし、クリーチャーズを大量に生み出して操れるって言われている彼女が、こんな事件を引き起こして何がしたいのかまったくわからないの……『第二の人外シルバー・ブラッド』に復讐がしたいだけなら、世界各地に存在するクリーチャーズを集結させたらいいし……この街に現われるクリーチャーズの数は本当に異常だから、『魔獣女帝エキドナ』は確実に『第二の人外シルバー・ブラッド』とかめくんの存在に気付いていて、何か仕掛けてると思うんだけど……でも、それが今回の事件と結び付かないんだよねー』

 海鳥は難事件に挑む刑事のような口調で言った。

『『魔獣女帝エキドナ』ってさ、何故だかわからないけど、一般人を狙って危害を加えることはほとんどないって言われているの……だから今回みたいに魔術や吸血鬼と関係ない人を殺すのも、彼女らしくないんだけど……』

「……ほかの吸血鬼はどうなんだ?」

『うーん……ほかの吸血鬼は『魔獣女帝エキドナ』以上に考えにくいかも』

 海鳥は微妙な口調で言った。

『さっきも言ったと思うけど、『魔獣女帝エキドナ』以外の吸血鬼って、『人外殺し』に協力した者達ばかりなんだよね……だからって全員が白って言うつもりはないし、『魔獣女帝エキドナ』以外の『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属の中にも、過去にたくさん人を害した吸血鬼がいるから、彼彼女らが犯人の可能性もゼロじゃないんだけどさ……なんていうか……彼彼女ら一人一人を犯人だと仮定して考えてもさ……『魔獣女帝エキドナ』以上に――らしくないんだよね』

「? らしくない?」

『うん』

 海鳥が言うには海鳥と佐々木が所属する組織には、現存する吸血鬼に関する情報が膨大にあるらしい。

 それは吸血鬼が持つ能力や外見等の特徴から、過去に関連した事件、その吸血鬼が人間だった時の記録など……その情報は他のどの魔術結社よりも膨大かつ正確らしく――海鳥達はその膨大かつ正確な情報を参考にし、事件の情報と照らし合わせて犯人を捜索しているらしいが……しかし、どの吸血鬼のデータを今回の事件の情報と照らし合わせてみても、物凄い違和感を憶えるそうだ。

『例えばさー、吸血鬼の中には『略奪の吸血鬼モーラ』って二つ名を持つ女性がいるんだけど……彼女は無類の男好きって言われていてね? 危険度で言ったら『第二の人外シルバー・ブラッド』と『魔獣女帝エキドナ』の次に高い、三番目に位置する吸血鬼なんだけど』

「へえ……で?」

『でね――彼女は過去に六〇人以上の男を堕として、五〇〇人以上の魔術師を殺した記録を持っているんだけど……『略奪の吸血鬼モーラ』が引き起こした事件には必ずと言っていいほど男が中心にいて、今回みたいに女性だけを狙った事件を起こしたことは一度もないの』

「……だから『略奪の吸血鬼モーラ』って吸血鬼は、犯人の可能性が低いってか?」

『『略奪の吸血鬼モーラ』だけじゃなくてほかの吸血鬼「も」……なんだけどね』

 海鳥は言った。

 この街で起こった事件は、死体に残っていた魔力以外に、犯人に関する痕跡がまったく発見されないことが特徴だそうだ。

 通常であれば、被害者の身体には咬み痕のような外傷に、衣服の乱れ……死体が発見された部屋を幾つかの検査に掛ければ、どこかしらに犯人に関する痕跡が見付かるはずらしいが……死体に残留していた魔力以外には、調べても調べても、犯人に関する手掛かりが一切出てこなかったらしい。

 故に海鳥達はその理由に、犯人が持つ何かしらの能力が関係しているじゃないかと踏んでいるらしいが……現存する吸血鬼の中に、そのような現象を引き起こせる能力を持った吸血鬼は――一人もいないそうだ。

『ほかの吸血鬼を危険度順に言うとね――『略奪の吸血鬼モーラ』の次が『紅蓮の吸血鬼アヴェンジャー』。『創造物質クリエイト』。『神出鬼没ゴースト』に『影食の吸血鬼シャドー・イーター』……それに『串刺しの吸血鬼ドラキュリア』。全員が過去に人を殺した経歴を持った吸血鬼ではあるんだけど……一般女性のみを狙った事件を起こした吸血鬼は一人もいないし――全員が持っている能力的にも……この事件の犯人とは思えないの』

「……ふうん」

 海鳥の発言に俺は頷いて……そこで気付いたので、質問した。

「……なあ。吸血鬼って俺を除いたら……確か全員で九体いるんだよな?」

『うん? そうだよ?』

「……だとしたら、一人少なくないか?」

『ん? ……あー……』

 すると海鳥は思い出したように唸った。

『……そう言えば影が薄過ぎて忘れていたけど――『幻影ファントム』って二つ名の吸血鬼がいるんだよ』

「ふぁんとむ?」

『うん』

 海鳥は言った。

『吸血鬼の中にはね、いるの……外見がわかっていなければ能力もわからない――でもその能力の痕跡だけで確実に実在する……って言われている吸血鬼が』

「……なんだそりゃ?」

『まあ、魔術師わたし達の間で流れている都市伝説みたいなものなんだけどね?』

 海鳥が言うには――初めはある国の小さな村で確認された、おかしな現象らしい。

 その国の小さな村は悪しき魔術師の魔術の実験場にされており、その村の住人はその魔術師の実験体として、毎日一人ずつ生贄にされていたそうだ。

 戦う術を持たず、その魔術師の所為で逃げ出すこともできなかった村の住人達は、次は自分が生贄にされるかもしれない恐怖に震えながら、毎日毎日、生贄に選ばれた隣人の悲鳴を聞きつつ、異常になった日々を過ごしていたそうだが――しかしある日突然、その村を訪れた何者かによって、村を支配していた悪い魔術師は成敗されたそうだ。

「……今の話におかしなところあったか?」

『ううん。まだおかしな点は言ってないよ?』

 おかしな現象が起こるのはこれから――と海鳥は前振りをして。

『それでね。この話自体は悪い魔術師が捕まってめでたしめでたしで終わるんだけど――不思議なことに、誰もその村を訪れた者について覚えていなかったの……その村の住民も、成敗された魔術師さえも』

 それがその村で確認されたおかしな現象。

 村の住人は、自分達が何者かに助けられたことは覚えていながら、自分達を助けた者に関するあらゆる情報を記憶していなかったそうだ。

 成敗された魔術師も同じ――その魔術師も自分が何者かと戦って敗北した事実を憶えていながら、自分を負かした人物についての情報は記憶していなかったそうだ。

 外見。

 性別。

 人種。

 身に付けていた衣服に、体格や声など……実際にその者としゃべった者はしゃべった事実自体は覚えているそうだが、その人物の特徴は何一つ記憶していなかったそうだ。

『私達が扱う魔術の中にはね? 人の記憶を消したり、誤認させたり、操作するものもあるから……最初は記憶操作系の魔術に長けた魔術師の仕業だと思われていたんだけど……そういう魔術に掛けられた人間の身体には、どこかしらに魔術の痕跡が残るから、あとからその村を訪れた正義の魔術組織の組合員が、使われた魔術だけでも明らかにしようとその住人と魔術師を検査に掛けたんだけど――結果だけ言うと、なんの異常も見付からなかったの』

 異常がなかった。

 それはつまり、人の扱う魔術では必ず残る痕跡が、まったく発見されなかったということらしい。

『さすがに魔術の痕跡がまったく見付からないのは不自然過ぎるから、その村は徹底的に調査されただけど――その結果わかったのは、その村で起こったおかしな現象は、誰も村を訪れた人物を憶えていないってことだけじゃなくて、成敗された魔術師も、何故か無傷だったことなの』

 村にいた悪しき魔術師は、自分の元を訪れた何者かと戦い、その結果敗れて、縄で縛られた状態で発見されたそうだ。

 しかし魔術師が証言するには、自分は何者かとの戦闘でいくらか傷を負ったはずなのに、その傷が幻だったように、なくなっていると述べた。

 事が最初の一件だったために、当初魔術師の間でその事件が知られた時は、その魔術師が記憶違いをしていると思われたらしいが――ここ一〇年で類似した事件、現象が合計で一〇〇件以上も発見されているらしく、しかもその内の何件かでは、事件の当事者が瀕死の重傷を負っていたはずなのに、気が付いたらその傷がなくなっていたという証言が、何件も報告されているらしい。

 故に、数年前から魔術師達の間では、人の扱う魔術では説明できないこの事柄を、顔も能力もわからない吸血鬼の仕業と考え、その事件、その現象を起こす者に『幻影ファントム』という二つ名を付けたそうだ――そしてそれから似たような事象が起こる度に、『幻影ファントム』の仕業と考えるようになったらしい。

『『幻影ファントム』が持っている能力はねー、記憶の操作に長けた精神系と、他人の傷の回復に長けた治癒系の二種類の能力を持ってるんじゃないかって言われているの。……まあ、そもそも一つの『固有能力』を持っていて二つの現象を起こしているのか、異なる二つの『固有能力』を持っているのかも、わかってないんだけどねー?』

「二つ以上能力を持っている場合もあるのか」

『うん。別に珍しいことじゃないよ?』

「……それもそうか」

 言ってて気付いたけど、俺もレイラも複数の能力を持っていた。

 愚問だった。

「……じゃあ、その『幻影ファントム』が犯人の可能性はないか?」

『それはもちろん考えたけど、『幻影ファントム』は自分が吸血鬼である痕跡をこれまで一つも残していないの――だから今回みたいに、『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属の仕業って確定している事件の犯人とは……ちょっと考えにくいんだよねー』

「けど、『幻影ファントム』の話とこの街で起こっている事件って……少し似てるだろ?」

『それって痕跡がほとんど残っていないって点とか? うーん……確かにそうなんだけどさ……『幻影ファントム』って、ほかの吸血鬼と違って、誰も殺してないことで有名でね? 現存する吸血鬼の中では断トツで危険度が低くて、一部では『顔のない英雄』なんて言われているの……リアちゃんは『魔獣女帝エキドナ』の次に怪しいって言ってたけど……私はそうは思えないんだよねー』

「……そうか」

 『幻影ファントム』とこの街の話が少し似ていると思ったから聞いたが、殲鬼師二人の間でも、『幻影ファントム』の評価は分かれているのか。

 まあ『幻影ファントム』って吸血鬼は、話だけ聞いたら善行しか行っていないからな。

 善行を行う奴が悪行を行わないとは限らないが……話を聞く限り、能力よりも吸血鬼の過去の行いを重視しているらしい海鳥は、『幻影ファントム』の優先順位が低いようだ。

「……ふむ」

 しかし困った。

 犯人を特定する証拠はほとんど集まっていないとは聞いていたが――まさか本当に事件が暗礁に乗り上げているとは。

 『革命戦争』が終わって、現存する吸血鬼は全員で九体……いや……レイラの眷属である俺を含めたら一〇体か……そしてこの街で起こった事件から吸血鬼の魔力の痕跡が発見されたことから、俺とレイラを除いて容疑者は八人。

 レイラが扱う異能はそもそも魔術じゃないから――という理由で俺もレイラも真っ先に容疑者から省かれたが、犯人候補筆頭の『魔獣女帝エキドナ』でも、その根拠が薄弱なのが欠点マイナスだ。

 その理由は死体に残っていた魔力以外に犯人に関する痕跡が発見されておらず、「痕跡が残っていない」のは犯人が有する能力が関係しているのではないかというのが、専門家の海鳥の見解だが……そのような現象を起こせる能力を持った吸血鬼は一人もいない。事件とエピソードに共通点があるように感じた『幻影ファントム』は、そもそも持っている能力が不明であることと、過去の行いからずれていることから、犯人と断定することはできない。

 誰の記憶にも残らない吸血鬼。

 他人の傷を治癒する吸血鬼。

 少し似ていると思ったが……精神系と回復系の能力だったら、物理的な痕跡までは消せないしな。

「…………」

 思ったんだけど、クリーチャーズの犯行って可能性はないか?

 ライオンは『武器特防』なんてふざけた能力を持っていたわけだし、ほかのクリーチャーズが事件現場の状況を説明できる能力を持っていても不思議ではない。

 そう思って海鳥に尋ねたが、海鳥はそんな俺の質問を、

『うん。ないない。あり得ないね』

 と、一刀両断した。

『確かに『丈夫獅子ネメアのしし』の『武器特防』みたいに、ほかのクリーチャーズもほかの吸血鬼が持ち得ない能力を持っているけど、その能力は神話の伝承を基にしてできたものだから決まっているの――それに大前提として、クリーチャーズは一般人を襲わないし』

「? そうなのか? あいつら、俺も積極的に襲って来るし、お前も佐々木も積極的に襲うだろ?」

『それは主の『魔獣女帝エキドナ』が、ほかの吸血鬼と魔術師を積極的に襲うよう『命令』しているからだよ。少しでも魔力を持っていたらクリーチャーズは魔力に反応して襲ってくるけど、魔力を持たない一般人を襲うことは絶対にないの』

「絶対か」

『うん、絶対――だって考えてみてよ? もしクリーチャーズが無差別に人を襲う存在だったら、誰でもその存在を知ってるはずでしょ? でも、かめくんも『第二の人外シルバー・ブラッド』の眷属になるまで、その存在をまったく知らなかったでしょ?』

「……まあ、確かにな」

 じゃあクリーチャーズの犯行って線はなし……か。

 なら、犯人は『革命戦争』後でも生き残っている、八人の『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属、その内の誰かなのか。

「…………」

 いや、犯人は八人の内の誰かではなく、その眷属の可能性はないだろうか?

 海鳥は八人に眷属がいるという話はしていないが、吸血鬼――と言われている存在だからには、レイラが俺を眷属にしたように、その八人にも眷属を作る機能が備わっているはずだ。

 八人の内誰かがこっそり作った眷属が、事件を起こしている可能性は十分考えられる。

 確認するか。

「なあ、ちょっと思ったんだけど」

 そう思って質問しようとしたのだが――端的に言って俺は海鳥に、訊きたいことを質問することができなかった。

 何故なら。

 ゾクンッ――と。

 刃物で突き刺さされたような悪寒が、身体を突き抜けたからだ。

「…………」

 それは身に覚えのある感覚だった。

 吸血鬼になってから感じるようになった、見えない波がぶつかるような感覚。

 クリーチャーズや魔術師など――魔力を使う者が近くにいる時に感じる感覚。

 いつも感じるそれを一〇〇倍に膨らませたような波が、俺の身体を突き抜けた。

「…………」

 スマートフォンを左耳に当てたまま、波が来た方向を見る。

 その方向には一件の家があった。どこにでもあるような……白塗りの洋風の造りの一軒家。

 今、確かにそこから――波が生じて突き抜けた。

『……もしもし? もしもーし? ……あれ? かめくん聞こえてるー? ちょっと思ったって、何を思ったのか聞かせて欲しいんですけどー……?』

 スマートフォンの向こうから困惑した声が聞こえる。

 魔力の波は電波に乗って飛んで行かないらしく、海鳥は今感じた『異常』に、気付いていないようだった。

 だから俺は伝えた。

「……海鳥」

『ん。ああよかった――どうしたのかめくん? 急に黙ったりして』

「佐々木と一緒に、俺のところに来てくれ」

『……へ?』

 俺の発言を理解できなかったのか、まぬけな返事をする海鳥。

 俺は再度端的に言った。

 緊急事態が起こったことを。

「今すぐ、俺のところに来てくれ」

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