第十一話 縄張り

 その悪寒は一瞬のことだった。隣にいる佐々木と、目の前にいるライオンは悪寒を感じた様子はなく、悪寒の正体に気付いた様子はなかった。

 悪寒を感じたのは俺だけのようだ。

「来るわよ」

 そう言って佐々木は拳を構える。

 来る――とは、ライオンのことを指して言っているのだろうが、悪寒の正体に気付いた俺は、佐々木に言った。

「佐々木」

「何よ」

「一歩も動くなよ」

「は?」

 佐々木がそう言ってこちらを向いた瞬間、決着は一瞬で着いた。

 ライオンがこちらに向かって突進して来る。

 これまでと同じ猪突猛進な動き。クリーチャーズの脚力だったらひとっ飛びで俺と佐々木のところに辿り着くため、ライオンは一度の跳躍で俺と佐々木の元へ跳んで来ようとするが、その一度の跳躍で宙を浮いた瞬間――それで『終わったな』と俺は思った。

 

 何故ならその一瞬にレイラが森の陰から飛び出して、ライオンを殴り飛ばしたからだ。


 一瞬の出来事だった。

 森の陰から一直線に飛び出したレイラが、真横からライオンを殴り飛ばす。

 ライオンの顔面は凹んで横に飛んで行った。吹っ飛んで行ったライオンにレイラは張り付いて、ライオンが地面に叩き付けられると同時に陥没した頬を咬む。

 それで決着が着いた。

 軽く頬を咬まれたライオンはもがき苦しんだ。

 致死性の毒を撃ち込まれたように暴れ始めたライオンは、数秒すると魂を抜かれたように動かなくなり、そのまま灰へと変わって絶命した。

 レイラが登場して一〇秒も経たず付いた決着だった。

「…………」

「……な」

 何……? と、佐々木は呟くように言った。

「『第二の人外シルバー・ブラッド』……あれが、お前達が『災禍の化身』って呼んでいる、最強の吸血鬼だよ」

 俺は佐々木にわかりやすく、レイラを紹介した。

 レイラはライオンの身体が灰に変わったのを見ると、こちらに振り向いた。

 そして不機嫌な顔をして言った。

「遅い! ごはん!」

 開口一番がそれだった。

「今日ははよ帰ると言うとったじゃろう! なのに何をしとんじゃ、うぬは!」

「悪い悪い。またクリーチャーズに襲われたから」

「じゃあはよ儂を呼ばぬか。なんでこんなところにおる?」

「だから悪いって……」

「まったく……儂はお腹ぺこぺこじゃぞ!」

 こちらに近付きながら憤慨するレイラ。

 俺のTシャツに裸足。いつもの恰好。

 早く帰るって言ったのに帰りが遅いから、俺を探すために外に出て来たのだろう。……で、森に出たら俺と俺以外の気配を感じたから、ダッシュで近付いてライオンを殺した……そんなところか。

「……ん?」

 と、レイラはそこで佐々木の存在に気付いた。俺の隣でぽかーんと口を開けて、まじまじとレイラを見ていた佐々木に。

 見られていることに気付いて、佐々木は真顔でレイラの目を見た。

 二人の目が合う。

 自分を見る二つの茶色い瞳を、レイラも真顔で見つめ返した。

 じぃっと――佐々木の目を見る。

「……レイラ」

「ん?」

 危ないと思ったので、俺はレイラに言った。

「ハンバーガー買って来てるから、先に家に帰って待ってなさい――俺もすぐ行くから」

「はんばーがー?」

「前に作ったことあるだろ? 今日は市販のやつ買って来たら、家で一緒に食べるぞ」

「??」

「あー……まあ、帰ったらすぐごはんにするから、先に帰って待ってろ」

「ん? うむ! よくわからんけどわかった!」

 そう言うとレイラは背を向けて、家の方に向かって走り出した。

 すぐさま姿は見えなくなる。

 俺は嘆息して、佐々木に言った。

「お前……死ぬところだったぞ」

「は?」

「気を付けろよ。つーかもう、一人でこの森に入るな」

「??? どういうことよ?」

 俺の発言の意味をわかっていない佐々木は、首を傾げながら訊いた。

 ……やっぱり、気付いていないよな。

 と思いながら、俺は説明する。

「お前、この森が俺とレイラ……『第二の人外シルバー・ブラッド』の住処だってわかっているよな?」

「? そりゃわかってるわよ?」

「わかっているなら気付いて欲しいんだけど……まあいいや。わかりやすく簡単に説明してやる――ここは俺とレイラの住処、言い換えるなら縄張りだ。……で、お前は今、世界最強の吸血鬼の縄張りに土足で踏み込んでいるんだ……俺と同じように『魔力感知能力』を持つ――俺よりも高精度で広範囲の『魔力感知能力』を持つ、レイラの縄張りにな」

「……ッ!」

 そこまで言って気付いたのか、佐々木の顔が青ざめた。

「気付いたかよ――言っておくけど、レイラの精神構造は人間より獣に近いからな? 理性よりも本能に従って生きているし、話し合いは通じない。……さっきは俺が気を逸らしたから何もしなかったけど、何もしなかったらお前、そのまま殺されていたからな?」

「…………」

 ダラダラと猛烈に冷や汗を流す佐々木。

 俺は嘆息して言った。

「きのうもそうだ。……俺が気付いたから良かったけど、あの場所、レイラの感知範囲内に入っていたから」

 今日がお前の命日だ。

 きのう佐々木にそう言ったのは、ハッタリにビビって逃げてくれたらそれでよし、向かって来ても弱っているのはわかっていたから、強引に抑え込んで、海鳥に引き渡したらいいと考えていたからだ。

 正直、きのうは本当に、佐々木の命日になっていた可能性があった。

 ……そうならないようにはしたけど。

「わかったらもう二度とこの森に入るなよ。……あいつ、ものぐさだからそんなに家から出ないし、人を殺すなって一応釘は刺してるけど、俺が目の前にいても平気で人を殺そうとするから」

 言っても聞かないというか……言っても理性よりも本能、考えるよりも先に身体が動くから、口酸っぱく言っても守れない。

 『不可侵契約』のことは説明しているけど、内容はまったく理解していないし、俺が『するな』って言っているから、一応守っている状態だ。

 レイラは俺を人間として見ていない。

 そして人間とほかの吸血鬼を敵として見ている。

 自分の領域に踏み込んだ敵を目の前にしたら、レイラは一切容赦しない。

「わかったか? ……じゃ。俺帰るわ」

 そう言って俺は佐々木をその場に置いて、自転車を置いた場所に戻った。

 自転車とハンバーガーが入った袋を回収する。

 流石に冷め切っているよな……と思いながら自転車のところまで戻ると、自転車は横転していて、ハンバーガーの入った袋は土を被っていた。

「……おいおい」

 念のため中身を確認する。

 袋の中にも土が入っていて、ハンバーガーはとても食べられる状態じゃなかった。

 ポテトとドリンクも全滅。

「…………」

 今冷蔵庫に何が入ってたっけ――と。

 覚えている範囲で冷蔵庫の中身を思い出しながら、俺は速攻で作れそうな料理を考えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る