第九話 自分のため

 俺がレイラと暮らしているのは自分のためだ。

 レイラに好意を抱いているからでも、レイラとの生活を楽しんでいるからでもない。

 ゆーきが言っていることを否定するつもりはない。レイラへの好意も、レイラとの生活を楽しいと思う気持ちも、もちろんある。

 ただ、それらが理由の中心に来ているかと言われたら、そうじゃないだけだ。

 家で食事ができたら――それ以外のことはどうでもいい。

 俺がレイラと一緒に生活しているのは、これが一番の理由なのだ。

 いつからそう思っているのかは覚えていない――だが人間だった時から、俺という生物の軸にあるのは、何故かそれだった。

 即死級の傷が一瞬で治る能力を得たとか、『災禍の化身』と言われる幼女の所為で、生活が変わったこととか……正直、どうでもいい。

 どうでもいいと思っているからこそ、俺はゆーきや姉のような善人ではないし、海鳥や佐々木のような正義の味方でもない。

 俺はどちらか言えば悪や負の属性を持つ人でなしだ。

 善人や正義の味方なら、レイラとの生活なんて、早々に破綻しているだろうし。

「……はあぁ」

 歩きながら。

 ゆーきと別れて家に続く森を歩きながら、俺は嘆息する。

「レイラのため……ねえ」

 考えているのはゆーきの発言だ。

『かなめさ、自分じゃ気付いていないかもしれないけど、お前、レイラちゃんが来てから変わったぜ?』

『かなめってレイラちゃんが来る前はさー、他人に興味がなくて、冷静で、物怖じしなくて、自分のためには行動するけど、他人のために動くことなんてほとんどなかっただろ?』

『けど、レイラちゃんが来てからはさ……まあ他人に興味がないのと冷静で物怖じしないのは変わらないけど……自分よりレイラちゃんのために行動してるじゃん』

 そんなつもりない。

『家提供して一緒に住んでるのもそうだし、海鳥達に交渉して無駄に戦わないようにしてるのもそう……ほら、かなめっていっつも学校終わったらすぐ帰ってさ、レイラちゃんのために飯作って、一緒に過ごしてんじゃん?』

『さっきもコーヒーだけ頼んで帰り際にテイクアウトしたのも……レイラちゃんと一緒にご飯食べるためだろ?』

 確かに、ハンバーガーはレイラと食べるために買った。

 ハンバーガーに、ポテトとリンゴジュースのセット。

 どうせいつものことだから何も食べていないんだろうし、海鳥達と話していていつもより待たせているから――と思って買ってきたけど、これはゆーきから見たら、レイラのために行っている行為らしい。

『お前、今の生活、楽しんでるだろ?』

 否定するつもりはないけど。

 けど――ゆーきのさっきの質問は、少し気になるな。

 あいつは小五の時から付き合いがあるから、俺の性格を知っている。

 レイラと一緒に生活している理由。

 そんなことを訊いても、俺がどう答えるかわかっているはずなのに……なのになんで今更、そんなことを訊いて来たんだろう?

「……うーん」

 いや、単純にわからなかった可能性もあるけど……あいつだってなんでもかんでも、俺のことを理解しているわけじゃないし。

 ――ちらっと、背後を見る。

 後ろにはただ森が広がっていた。

「……はあ」

 考えても答えが出ないこと。

 それもその一つだが――何か引っ掛かるんだよな。

「……ん?」

 と、そこで通知音がした。

 スマホの画面を見る。

 画面には、姉からのメッセージが届いたと表示があった。

 アプリを開くと、姉からの文面はこうあった。

『テスト、どうだった?』

「…………」

 数秒考えて、俺は返信を送る。

『問題ないよ』

 そう送るとすぐ既読が付いて『そう』と返って来た。

『どうかした?』

『別に。何もないわよ?』

『そう。今日の昼飯はハンバーガーです』

『……手作り?』

『いや、今日は買ってきた』

『珍しいじゃない』

『俺だって買って済ませる時もあるよ』

 そう送って既読が付くのを確認して、俺はスマホをポケットに仕舞った。

 ポケットに仕舞ったあとも通知音がしたから、姉は返信をして来たのだろうが――まあ、それは帰ってから確認しよう。

 自宅に向かって歩き始め――ようと思ったのだが、一歩踏み出したところで、俺は足を止めた。

「……はあ」

 溜息を吐く。

 押していた自転車をその場に止めて――それから俺は背後を振り返った。

 無論、俺の後ろには誰もいない。

 誰も見えないが、俺は気にせず言った。

「……出て来いよ」

 そう言って少し待ったが、反応はなかった。

 が、俺は無反応を無視して言った。

「見えなくてもいることには気付いてんだよ――そこの杉の木の裏。……まだ言いたいことがあるなら訊いてやるから、隠れてないで出て来いよ――佐々木」

 そう言うと目の前の光景が変化した。

 直径五〇センチもない杉の木の裏。人が隠れ切るほど大きいわけでもない木の裏から、佐々木がゆっくりと出て来た。

 昨日と同じ魔法少女の衣装を着て。

 明らかに木陰に隠れない、三メートルを超す十字架を肩に担いで。

 佐々木は言った。

「よくわかったわね。気付かれないよう気配は消してたんだけど?」

「……だったら魔術なんか使うなよ」

 佐々木の言葉にそう返す。

 魔力感知。

 レイラの眷属になってから、俺は魔力を波のように感じることができる。

 近くで魔術を使っていたら見えなくても大方の位置はわかるから、『変身術』を使った佐々木が、近くにいることには気付いていた。

「森に入った辺りから、付いて来てただろ?」

「へえ……さつきから聞いてたけど、本当に魔力感知能力が高いのね」

 そう言うってことは、気付かれてもいいって思って、付いて来てたのか。

 ……面倒なことになりそうだ。

「で、何の用だよ?」

「あたしと戦いなさい」

「……はあ?」

 なんて言うかある程度想定していたが、佐々木は想定以上の発言をした。

 理由がわからなかったので、俺は訊いた。

「なんで俺がお前と戦わないといけないんだよ? 俺とお前が戦っても、お互いメリットなんてないだろ?」

「あたしにはあるわよ」

「いや……」

 こいつ、何も聞いていないのか?

「お前、『不可侵契約』について聞いてないのか? 俺とレイラは人間を傷付けてはいけないし、お前ら殲鬼師は俺とレイラを傷付けてはいけない……そういう契約を俺とお前らの組織で交わしているはずだろ?」

「ええ知ってるわ」

 知ってるのか。

 知った上で――戦おうだなんて言い出してるのか……こいつは。

「……あのよ、もしかして俺達が傷付けてはいけない人間に、殲鬼師は含まれていないとでも思ってんのか? そう思ってんなら大間違いだぞ?」

「別にそこは勘違いしてないわよ? あんた達があたし達を傷付けちゃいけないのは知ってるし、あたしもあんたも契約を破ったらペナルティーがあるのも知ってる」

「じゃあ、なんで喧嘩売りに来た?」

「そんなの――あんただったらわかるでしょ?」

 佐々木は言った。

「あたしはあんたを疑ってる」

「…………」

「でも、あんたが犯人だって証拠はないし、上はあんたを犯人だと疑ってない……納得できないのよ。詳しく調べていないのに、あんたを容疑者から除外していることに」

「だから自力で調べるってか?」

「そう――だから戦いなさい」

 そう言って佐々木は十字架を肩から降ろした。

「あんたと戦えばあんたの能力がわかる。あんたと戦えばあんたの実力がわかる。あんたと戦えばあんたの性格がわかる。あんたと戦えばあんたの考えがわかる……別に契約のことは気にしなくていいわよ? あんたと戦ったことは、誰にも言わないし」

 佐々木が気にしなくても俺は気にするのだが。

 つーか勝敗関係なく『殺され掛けました』って後々言って、ペナルティーを取ろうとしているとしか思えない。

 佐々木は十字架をこちらに向けて構える。

 早々に、もう言葉で止まる雰囲気じゃなかった。

 『不可侵契約』は殲鬼師の目的を探るために作ったものだから、別にペナルティーをもらおうがどうでもいいんだけど……戦う理由がないんだよな。

 というか、ここで佐々木と戦うのはちょっとまずい。

 戦う以外でこの場を乗り切る方法を考える。

 考えたが……特に何も浮かばなかった。

 ……さて、どうしたものか。

 と考えて、佐々木の動きを見ている時だった。


 バギボギッ! と周囲の木々を薙ぎ払いながら、クリーチャーズが俺達に突撃して来た。


 そのクリーチャーズはライオンの姿をした個体だった。きのうのオルトロス同様、大きさは従来の動物とは比べ物にならない個体。

 全長五メートルを超える体躯に、金色の毛並みと瞳。そして牙。

 ライオンは一直線に俺に向かって突っ込んで来た。大きな口を開けて、俺の頭部を狙って飛び掛かって来る。俺は迎撃するためにタイミングを見計らって、拳を握って、ライオンの牙が肌に触れるか触れないかのギリギリのところまで引き付けたところで、

 佐々木がライオンをぶっ飛ばした。

 横からフルスイングした一撃だった。三メートルを超える銀塊を顔面にまともに受けたライオンは、そのまま衝撃で真横にぶっ飛んで行った。

 俺は佐々木に言った。

「助けたつもりか?」

「別に――あんたがとろいからぶっ飛ばしただけ」

 ぶっ飛んで行ったライオンの方を見て、佐々木は言う。

 その表情は少し呆れていた。

「ていうか、あんたも気付いてたでしょ?」

「そりゃあな」

 魔力感知能力のおかげでもちろん気付いていた。

 ただ、佐々木が目の前にいたから、反応しなかっただけ。

 むくり……とライオンのクリーチャーズが起き上がる。

 十字架をまともに喰らったはずだが、その身体には何故か傷が一切なかった。

 俺は三時の方向に向かって走る。

「あ、ちょっと⁉」

 すると佐々木は慌てて追い掛けて来た。

 地上すれすれを低空飛行しながら付いて来た佐々木は、並走しながら言った。

「どこ行くのよ?」

「この先に広場がある」

 走りながら、ライオンも付いて来ていることを確認して、俺は言った。

「やるならそこでやろうぜ」

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