第三話 戯言
十字架を人の顔面に突き付ける。
オルトロスを殺して俺に近付いて来た少女が行った行為というのが、前述のようなものだった。
あー……。
やっぱ面倒臭いことになったな……――と俺は少しだけ下がりながら思う。
「あんた、誰の眷属なの?」
少女は右手で十字架を突き付けたまま言った。
眷属。
それは吸血鬼にされた元人間に使う名称。
何者でも何でもなく、誰の眷属と質問して来たということは、少女には俺が吸血鬼であることが見抜かれているようだ。
「答えて」
「おいおい。落ち着けって」
が――俺は嘘を吐いて誤魔化した。
「なんか勘違いしているみたいだけどよ、俺は吸血鬼じゃないぞ?」
「は?」
俺の言葉に、少女は何を言っているのかわからないという表情をする。
しかしそのあとすぐに、緊張感のある表情に戻った。
「何言ってるの? あんたが人間なわけないじゃない!」
「……その発言は酷いな」
対象と場面が違えばただの侮蔑発言だ。……まあ、俺はもう人間じゃないから、この言葉は侮蔑発言にならないが。
俺は両手を挙げて、戦意がないことを示しながら言った。
「お前、どこを見て俺が吸血鬼だって思ったんだ?」
「はあ? そんなのいっぱいあるわよ」
少女は言った。
「白銀の髪に紅い瞳――人間離れした容姿とか。
少女は一瞬だけ俺の右腕を見て。
「それに――もう再生しているその右腕」
確かにオルトロスに食い千切られた右腕はもう再生している。……いや。正確には再生という表現は間違っている。戻っているという表現が正しい。
俺の右腕はオルトロスに食い千切られた事実がなくなったように元通りだし、右腕だけじゃなくて、一緒に食い千切られた制服も破れていなければ、血が一滴も付いていない。俺の身体は戦闘が始まる前とまったく同じ状態だった。
だから『戻っている』という表現の方が正しい。
「『人間』の傷がそんな早く治るはずがないでしょ」
「……なるほどな」
俺は否定せず、まず少女の意見を受け止める。
その上で更に嘘を重ねた。
「けど、残念ながら俺は人間だ」
「嘘よ!」
「事実だ」
俺は言った。
「お前、
世の中には魔術という、異能を扱う人間がいる。魔術を扱う人間は魔術師と言うらしいが、その中でも吸血鬼と戦う術を持った魔術師のことを、殲鬼師と呼ぶらしい。
指摘すると少女は不機嫌そうに「そうだけど何?」と言った。
「だったら、魔術は知ってるよな?」
「? ……まさかあんた、自分を殲鬼師だとでも言うの?」
「いや? 俺はお前らほど吸血鬼狩りに特化していない――けど、大分類では一緒だ。俺も魔術師なんだよ」
「……魔術師? あんたが?」
少女は不信そうな表情で俺を見た。
それから言った。
「嘘よ。あんたが魔術師なわけがない」
「嘘じゃないよ……俺もお前と一緒だ。根本は違うけど、俺も吸血鬼に対抗するだけの魔術を持ってんだよ」
「……『変身術』と同等の魔術を? へえ」
『変身術』。
それは殲鬼師が持つ対吸血鬼用の魔術。詳しいことは知らないが、発動すると現在の少女のように、怪力などの身体能力強化、空中浮遊、怪物を一撃で屠る高火力の炎を扱う……などなど、一時的に並の魔術師を遥かに超えた能力を得る魔術らしい。
身体能力だけで言えば今の俺も少女と遜色ない状態にあるから、近類値の魔術を持っていることにして誤魔化そうと思ったのだが……そう説明しても少女は信じなかった。
「そんなの聞いたことないけど? 魔術の基盤は何? 流派はどこ? 魔術の大元になった伝承は? あんた魔術師なんだったら、全部答えられるわよね?」
「おいおい。魔術師が自分の魔術の種明かしをするわけないだろ」
「む」
魔術師は自分の魔術について他人に口外したがらない。
その情報を知っていたからそう答えると、少女は予想していた答えと違ったのか、俺の回答に黙った。
それから少女は言った。
「……じゃあ、一つだけ答えて」
「なんだよ」
「……あんたの腕、どうして元通りになってるの? あんな大怪我を一瞬で修復させる魔術なんて、人外魔術じゃないとあり得ないんだけど?」
「そんなの簡単だ」
俺は言った。
「元々、怪我なんかしてないからだよ」
「は?」
「俺の魔術は一種の幻覚を見せるものでな。お前は俺の腕が食い千切られたって幻覚を見ただけだよ……だからそもそも俺は怪我してないし、服が破れてない理由も、これでわかっただろ?」
幻覚なんて見せていないけど、まあ、実際に起こった現象を少女の知る常識内で説明しようとすれば、これが一番納得しやすい説明だろう。
『
俺が受けた傷はすべてなかったことになる――って言ったって、仕方ないわけだし。
「幻覚……ね」
「ああそうだ」
「まあ、確かに……それだったら怪我してない理由も説明付くわね」
釈然としない様子ながらも、少女は俺の説明に納得したようだった。
少女は俺に突き付けた十字架を下げて、自分の肩に担ぎ直した。
「悪いわね。あんたが吸血鬼だと思ったの、あたしの勘違いだったみたい」
「……わかってくれたか」
「まあね」
少女はしかめっ面のまま言った。
「けど――それならあんた、気を付けた方がいいわよ? 魔術を使わなくても、あんたの髪と目、人とは違う色してるし……あたしじゃなくても、ほかの魔術師に吸血鬼って勘違いされるわよ?」
「心配どうも――けど、吸血鬼ってなあほとんどが金髪金眼なんだろ? 確かに珍しい髪と瞳の色している自覚はあるけど、それだけで吸血鬼って疑われることはないだろ」
吸血鬼は金色の髪に金色の瞳を持つ。そう聞いたことがあるからそう言うと、少女は「まあ確かにそうね」と返した。
そこで会話が途切れたため、俺は一度周囲を見渡してから「じゃあ、俺帰るわ」と言った。
俺は少女に背を向ける。すると少女は俺に話し掛けた。
「ちょっと待って。あんた、この森の近くに住んでるの?」
「この近くっつーか、この森、俺の家の敷地内なんだけど……こっからちょっと行ったところに住んでるよ」
「へえ」
「ほかに質問は?」
「ないわ」
「そうか」
そう言って俺は少女から目を離す。
なんでそんな質問をしてきたのかわからなかったが、まあ、わからなくても問題ないだろう。
「……じゃあな殲鬼師――なんのためにここにいるかは知らないけど、あんまりここに長居するなよ?」
そう一方的に言って、少女にまた何か言われる前に、俺は背を向けたまま歩き始める。
一歩、二歩、三歩、四歩……と歩いて一〇歩目になっても少女からなんのアクションもなかったため、俺は息を吐いて自転車を止めたところに向かう。
「さようなら」
自転車を止めたところまで半分ほどのところまで来たところで、少女がぼそっとそう言ったのが聞こえた。
「永遠に」
そしてそのあとに続いた言葉を聞いたあと――俺は思わず立ち止まって振り返った。
しかし、既に遅かった。
直後。
俺の身体に何かが激突して、爆発を起こした。
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