第二話 魔法少女

 魔法少女と狼。

 目の前にいる存在を簡潔に表現すると、その二つの単語が相応しかった。

 片方は女の子だった。

 赤と白を基調とした、アニメに出てくるような派手なドレスを着た女の子。

 見た目は俺と同い年くらいで、身長は一六〇センチちょっと。肩まであるセミロングの茶髪と同色の瞳を持つ少女で、肘まである長い白手袋を嵌めた右手に、三メートルほどある巨大な十字架を持って、軽々と振り回しているのが特徴的だった。

 もう片方は巨大な狼だった。

 暗闇に溶けるような黒い体毛に金色に光る瞳を持つ、全長は三メートルを優に超える狼――その図体の大きさだけでも現実離れしていたが、もう一つ、狼には現実離れした特徴があった。

 二つの首。

 目の前の狼は一つの身体から二つの首が生えていた――どこかの神話で登場する、オルトロスと呼ばれる怪物と、同じ特徴を持つ異形。

 少女と狼は、広場の中心で戦っていた。

「…………」

 なんだこれ――と俺は思った。

 なんで俺の目の前で、ファンタジーが繰り広げられている?

 オルトロス? 魔法少女? ……とりあえず、魔法少女が持っている十字架が燃え盛って火球を飛ばしているから、火事の原因はあの少女で間違いないだろうけど。

 状況がよくわからん。

 と。

「ん?」

 目の前で繰り広げられている光景に呆然としていると――オルトロスが少女に頭突きをかまして、少女は俺の間近まで飛んで来た。

 持っていた十字架が手から離れて、魔法少女は俺の真横に生えていた木に突っ込む。

 その衝撃で木は根元付近から折れた。

「いっつ……」

 飛んできた少女は折れた木に背を預けて、苦悶の表情を浮かべる。どうやら無事なようだった。

 一応声掛けるか――と視線を向けて、俺は思わず思考が止まる。

 近くで見ると――少女はかなり整った顔をしていた。

 勝気の強そうな大きな瞳に、健康的な白い肌。同世代の女子よりも高い身長と、無駄のないスレンダーな体型が相まって、着ている服装は『似合わない』の一言に尽きるが、着ている本人はかなりの美少女だった。

「ん?」

「ん?」

 尻餅を付く少女と目が合う。

 少女は俺の存在に気づくと一瞬呆然とした表情をしたが――そのあとすぐさま慌てた表情に切り替わった。

「うおっ⁉」

 その瞬間に俺の視界が歪んだ。

 急に身体が一回転したような感覚に襲われて、猛烈な風を身体に浴びる。

「ぐっ……」

「ちょっとあんた、なんでこんなところにいるのよ⁉」

 視界が戻った瞬間、俺は何故か少女に怒鳴られた。

 襟首を掴んで、見下ろす格好で人を睨む少女。

 間近で睨まれて俺は返答しようと思ったが、その時に自分の状態に気付いた。

 俺は少女に襟首を掴まれて宙に浮いている。

 先程まで自分が立っていたところを見ると、オルトロスが代わりにそこにいた。

 どうやら助けてくれたらしい――その事実を確認してから、俺は口を開いた。

「なんでも何も、俺の家はこの森の奥にあるんだよ」

「……チッ。やっぱ結界張っとくんだった」

 よくわからない独り言を吐く少女。

 少女は俺を片手で掴んだまま言った。

「あんた、名前は?」

「神崎かなめ」

「神崎……いい名前ね。あたしの尊敬する先輩と同じ名前だわ」

 緊張した面持ちでどうでもいいことを言う。

「神崎、あんた運動神経に自信はある? いやなくても今ここから全力で逃げてもらうことになるけど」

「……こんな空の上からか? 俺、さすがに空は飛べないぞ?」

「……さすがに地に下ろすわよ」 

 あんたなんか冷静ね――と、少女は不思議なものを見る目を俺に向けた。

「何? もしかしてあんた、こっち側の人間だったりする?」

「こっち側って……漠然とした質問だけど、そもそもお前何者なんだ?」

「……そう言うってことは、ただの一般人なのね」

 そう言うと少女はオルトロスの方に顔を向けた。

 俺もそちらに顔を向ける。

 それから訊いた。

「あれはなんだ?」

「クリーチャーズ」

「……クリーチャーズ?」

「そう。あれはタイプ・『双頭狼オルトロス』。『魔獣女帝エキドナ』っていう吸血鬼が生んだ怪物。魔獣の姿をした吸血鬼よ」

「……吸血鬼」

 その言葉に俺はもう一度オルトロスの方を見る。

 クリーチャーズ。

 吸血鬼。

「……には見えないと思うけど、まあ、なんで吸血鬼って呼ばれているか説明すると長くなるし、理解できないと思うから、『人に害を成す怪物』って認識しておきなさい」

 オルトロスが吸血鬼と呼ばれていることを理解できていないと思ったのか、そう言い放つ少女。

 それから少女は俺を地に下ろした。

「全力で逃げなさい。できるだけ遠くに」

「……一人で倒せるのか?」

「倒せなかったらそもそも戦ってないわよ――っていうか、クリーチャーズ相手に一般人にできることなんてないんだから、さっさと逃げてちょうだ――」

 俺に再度逃げるよう言う少女だが、左手で何かを掴む動きをすると最後まで言い切る前に口を止めた。

 少女は何も握っていない自分の左手を見て固まっている。

 時間にして一瞬だったが、その一瞬が命取りだった。

 少女が固まった一瞬の隙に、オルトロスが近付いて攻撃してきた。

「――っ!」

「ちょっ⁉」

 物凄い衝撃を受けて視界が飛んだと思ったら、気付いたら俺は地面にうつ伏せで倒れていた。

 全身が痛いと思うと同時に、倒れ込んだ状態のまま吐血する。

 呼吸をするのも痛い。……これは肋骨が折れて、肺に何本か刺さっているな。

 ほかの内臓も何個か破裂している。

 どうにかして起き上がれないかと思って手足を動かしたが、痛みが激し過ぎてそもそも手足に力を入れることができなかった。

 首だけはなんとか動いたので、顔を上げて前方を見る。

 するとオルトロスが少女に覆い被さって噛み付こうとしていた。

「どけ、このっ!」

 自分に覆い被さって牙を突き立てる怪物に対して、少女は突き出した掌から魔法陣のようなものを出して、オルトロスの牙を防いでいた。

 が――防ぐだけ。

 両手を使って作り出した魔方陣を維持するのに精一杯なのか、そこから好転する様子はなかった。

「くそ。どけっ、どけっつってんでしょうが!」

 絶体絶命。

 俺はこのままだったら身動きが取れないし、少女も身動きが取れない――仰向けに倒れている少女は一瞬だけこちらに顔を向けると申し訳なさそうな顔をしたが、それだけでそれ以上のことができる様子はなかった。

「…………」

 現状を打破する条件は――少女が身動きを取れる状態になること。

 そのためには――オルトロスを少女から引き離す必要がある。

 そのための手段は――俺がオルトロスをぶっ飛ばす。

「……え?」

 簡単だな――と思ったので、俺は考えた通り実行した。

「……どういうこと?」

 蹴りを叩き込み、後方に吹っ飛んでいくオルトロス。

 その様子を見た少女は驚きと戸惑いの混ざった声を上げた。

「あんた……一般人じゃないの?」

「そうだって言った覚えはないけど」

 俺は少女の質問に答えた。

「つーか立てるか? 動けるならさっさと立ち上がって、あの怪物倒して欲しいんだけど」

「え?」

「えじゃない――クリーチャーズ。お前、あの怪物倒せるんだったよな?」

「う、うん――『灼炎の鎚ニョルニル』……十字架さえあれば、一撃で殺せるけど」

「そうか――じゃあ手伝うから回収してくれ」

「え、ちょっと⁉ あんた何者なの⁉」

 俺は少女の言葉を無視して走った。

 所々炭化した地面を蹴って、オルトロスに近付く。吹っ飛ばしたオルトロスはすぐさま起き上がって、俺に向かって突っ込んで来た。

 真正面から突っ込んで、二つある頭の内の一つを掴む。

 その瞬間にもう一つの頭に噛み付かれて、右腕を肩から食い千切られた。

「…………っ!」

 傷口から激しく血が噴き出す。数瞬して灼熱の痛みが右肩から発したが、俺は無視して少女の方を見た。

 少女は落とした十字架を丁度回収したところだった。

 確認して、オルトロスに目を戻す。

 オルトロスは食い千切った右腕を投げ捨てて、もう一度俺に向かって突進して来たところだった。今度は動かず、俺はオルトロスの動きをじっくり見る。

 こちらに向かって一直線に走って来たオルトロスは、そのまま真正面から再度俺に噛み付こうとして来た。

「――っ!」

 見えている世界がスローになる感覚。

 本来であれば反応できない速度で突っ込んで来ているオルトロスの攻撃を、俺は屈むことによって避けた。

 そしてそのまま真上を通り過ぎていくオルトロスに対して、左腕と両足を使って無理矢理身体を捩じって、地面に背を向ける。

 ゼロ距離。

「ソォラァ!」

 真上を通り過ぎようとする無防備な腹を、俺はで思いっ切り殴った。

 俺の拳を受けたオルトロスは、その衝撃で五メートルほど宙に浮く。

 拳で一撃入れたところで、致命傷――にはなっていない。

 が――この一撃で十分だろと俺は考えた。

「『灼炎の鎚ニョルニル』!」

 宙に浮き身動きが取れないオルトロスに、少女が投擲した十字架が激突した。

 紅蓮の炎に包まれた十字架は爆発し、オルトロスの巨体を焼いた。摂氏三〇〇〇度以上はありそうな炎は、本来ならあり得ない速度でオルトロスの身体を焼き尽くし、五〇〇キロ以上はありそうな肉体をすぐさま灰に変えた。

「……戦闘終了」

 共通の敵がいなくなったので、俺はひとまずそう呟いた。

 けど――たぶん正念場はここからだ。

 話し合いで終わればいいけど――と思いながら、大量の灰が降りしきる中、俺は少女の方を見た。

 不規則な軌道で戻って来た十字架をブーメランのように片手で簡単にキャッチした少女は、案の定というか予想通りというか、不機嫌そうに俺を睨んだ。

 そして――十字架を肩で担ぐように持って、ズンズンと俺に近付いて来た。

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