23R 信念と真実(ブーケ視点)

 ドヴォーグのお嬢様のお陰で、自治会での事務のお仕事にもだいぶ慣れてきた。

 今は、1年生のダモン様を指導して作業を手伝ってもらうというかたちになっている。ダモン様は、カール・フォン・ダモンといって、男爵家の三男だそうだ。

 こうやって人を使うのもあたしの仕事の内で、いずれダモン様が独り立ちする日のために、お仕事のやり方を覚えてもらうのが目的だ。

 自治会は、代々こうやって後進を育ててきたんだって。あたしは主に自治会室に残って事務仕事をしていたけれど、そういう目的意識がなかったせいで、単に言われたことをやっているだけだったから、自分で判断するための基準とかそういうものが足りないみたいで、春先はお仕事が進まずに困ることになってしまった。

 お嬢様が教えてくれなかったら、今もまともにお仕事できてなかったんじゃないかと思う。ホントに感謝してもしきれないよ。

 自治会の皆様そうだけど、ダモン様もあたしをバカにしたりしないで、ちゃんと言うとおりにお仕事をしてくれるのでありがたい。






 「先輩は、“信念”って言葉がお好きですよね」


 作業の合間に少し話をしていたら、ダモン様にそんなことを言われた。


 「そうですけど…。どうしてわかるんですか?」


 「だって、よく口にされてますよ」


 ダモン様が笑う。あたし、そんなに口に出してたかなぁ。


 「母が亡くなる時、“私は信念に従って生きました”って言ったんです。

  だから、私も母のように信念に従って生きられる人になりたいと思っているの」


 そう言ったら、ドヴォーグのお嬢様が部屋に入ってきて


 「随分と軽々しく“信念”などという言葉を使うこと。

  あなたの母親って、そんなにできた人だったのかしら?」


なんて言ってきた。


 「お嬢様!?」


 お嬢様が怒ってる? ううん、そんなことより、今、お嬢様がお母さんをバカにするような言い方した!?


 「あなたの母親が何を言ったか知らないけれど、それが嘘でないという保証があるのかしら?

  誰も真実を知らないのをいいことに、嘘八百を並べているだけかもしれなくてよ」


 「そんな……お母さんは、お父様を心から愛して……」


 「お父様、ね。あなたの父親がガルーニ男爵だなんて話も、本当かどうかわかりゃしないわ。

  もしかしたら、本当の父親が後で見付かるかもしれないじゃない」


 「そんな! どうしてそんなひどいこと……いくらお嬢様でも許せません! 訂正してください!」


 ひどい。お嬢様だけは、お母さんをバカにしないって信じてたのに…。


 「信念に従って生きる、だったかしら?人の心なんて弱いものよ。どんなに強い決意だって、時間が経てば揺らぐわ。

  楽な道が脇にあれば、逃げたくだってなる。あなたの母親がそうでなかったと、どうして言えるの?」


 「だって、お母さんは!」


 「妻子ある貴族の子を勝手に産んで育てたと? それのどこに誇るべき信念があるのかしら? 良くてせいぜい横恋慕、悪く言ったら泥棒猫ではなくて?」


 「それは……でも……」


 お父様には奥様がいらっしゃる。それはそうだけど……。


 「あなたの母親も浮かばれないわね。

  こんなことを言われたくらいで口籠もるだなんて、お安い信念もあったものだわ。

  人の心なんて弱いの。

  楽な道に逃げたくなることだってある。すべきこととしていることに齟齬が生じることだってある。

  それでも歯を食いしばって踏みとどまるのが信念なのではなくて?

  知ったような顔で母親のことを語れるほど、あなたは何を知っていると言うの?

  信念に従って生きるなんてご大層な夢を語るなら、誰かに何か言われたくらいで言葉を失うような無様を晒すんじゃないわ!」


 今、お嬢様が涙声だった気がした。

 お嬢様が感情を露わにして声を荒らげるのも初めてだった。

 なんで? お母さんをバカにしてるんじゃないの? 信念って簡単に言うなって、どうしてお嬢様がそんなこと言うの? なんで……そんなに辛そうなの? お母さんの死を悲しんでくれるの?





 そのうちヴィヨン様が戻ってきて、ちょっと、と自治会室から少し離れたところまで連れてかれた。

 あたしは涙が止まらなくなって、ヴィヨン様にすがりついて泣いてしまって。泣き止んだところで、何があったのか訊かれた。


 「お嬢様が、お父様が私の父親とは限らないって……」


 「アメリケーヌが? なぜ急にそんなことを?」


 ヴィヨン様が不思議そうな顔をした。そりゃそうだよね。今まで色々教えてくれてたお嬢様が、急に一方的に詰るようなことを言うなんて、あたしの方がワケを訊きたいよ。


 「わかりません。

  ダモン様と話をしてるとこに来て、信念なんてそんな簡単なものじゃないとか、妻子ある貴族の子供を勝手に生むのがお母さんの信念なのかって……」


 「信念、か。

  ブーケは信念って言葉が好きだものね。たしか母君が亡くなった時に遺した言葉なんだっけ」


 「はい。“私は信念に従って生き、あなたを育てました。あなたはこれから自分で誇れる生き方をしなければなりません”って。

  だから、あたし、信念を持って生きられるよう頑張ろうって思ってたんです。なのに、お嬢様までお母さんを悪く言うなんて……」


 そう言ったら、ヴィヨン様はあたしの顔を覗き込むみたいにまっすぐ見詰めてきた。


 「ガルーニ男爵が君の父とは限らない、本当に彼女はそう言ったんだね?」


 「え? ……はい」


 「そうか。もしかしたら、アメリケーヌは、君に心を強く持てって言いたかったのかもしれない」


 ヴィヨン様は、少し考えた後、まっすぐあたしの顔を見て言った。


 「君の母君の“信念”は、浮気でいいから愛する人の子が欲しいという意味じゃないだろうってことかも」


 「どういう、こと、ですか?」


 お母さんの信念の意味? 愛した人を想い続けたんじゃないの?


 「ブーケ、目に見えるものが全てじゃない。真実というものは時に突拍子もなく、残酷なこともある。

  でも、誰が何を言おうと、受け止める強さを持たなければならない。

  母君が君を愛し、必死になって育ててくれたことは、事実だ。

  それがどんな信念に基づいてのものか、私は知らない。

  でも、その事実は、誰がなんと言おうと揺らがない」


 お母さんがあたしを愛し、育ててくれた事実……。


 「はい」


 「だから、君は、誰に何を言われても平然としていればいい。そういう強さを持つべきだ。アメリケーヌは、そう言いたかったんじゃないかな」


 お嬢様は、お母さんをバカにするつもりじゃなかったってこと? でも、だったらどうしてあんな……ううん、お嬢様、辛そうだった。そういうことなの?


 「あの……。あの時、お嬢様、なんだか涙声だったみたいな……。何かあったから、なんでしょうか」


 「涙声? アメリケーヌが?

  ……ブーケ、アメリケーヌは、こうやって肩を抱いていたかい?」


 ヴィヨン様は、右手で左肩を抱くような格好をした。


 「してました。それ、何か意味があるんですか?」


 「アメリケーヌの癖なんだ。誰かのために辛いことに耐える時の。

  なら、やっぱりアメリケーヌは君の母君をけなそうと思っていたわけじゃないんだ」


 誰かのために辛いことに耐える?

 あたしのため? 本心からお母さんをバカにしたわけじゃないってこと?


 「それじゃ、いったい何が?」


 「わからない。でも、アメリケーヌには何か理由があったんだ。君に覚悟を促す理由が」


 「覚悟ですか?」


 何がなんだかわからない。誰かの嫌がらせがひどくなるとか?


 「何かはわからないけれど、きっとアメリケーヌには見えているんだ。

  でも、信念、か。……まさか、ね」


 「まさか?」


 「いや、なんでもない。

  とにかく君は、心を強く持って。それが必要な事態がきっと起こるから」


 心を強く持つことが必要な事態? それってなんだろう。

 よくわからないけど、お嬢様はやっぱりお嬢様だったんだってことは、なんとなくわかった。







 夜になって、お父様に呼ばれた。今までも水を掛けられた時とか、靴を盗まれた時とかに呼ばれたことはあったけど、今日は理由が思いつかない。まさか、お嬢様に言われたことじゃないよね。


 「お父様、まいりました」


 部屋に入ると、ソファに座るよう言われた。これも初めてのことだ。あれ? こっちって上座じゃないの? もしかして、礼儀のテストだったりする?


 「あの、私がここに座るのはおかしいのではないでしょうか。

  ここって上座ですよね」


 そう言うと、お父様は


 「そう、上座だ。だが、問題ない。座りなさい」


と言った。仕方なく座ると、お父様はテーブルの上に手紙を置いた。

 見ると、宛名は「ブーケへ」…お母さんの字だ。

 どういうことかとお父様の顔を見ると、お父様は


 「それは、私が預かっていたものです。

  今日、ご覧に入れるよう言われました。あなたの本当のお父様、ポワゾン公爵殿下から」


 本当のお父様!?


 「あの……」


 「詳しいことは、その手紙に。

  公爵殿下が目を通されましたので、封は開いております」


 震える手で手紙を広げると、お母さんの字が目に飛び込んできた。


 「私は、あなたの本当の母ではありません。本当のお母様であるルージュ様からあなたを託され、偽りの母を演じていたのです。

  騙していて悪かったと思います」


 お母さんの手紙。そこには、あたしの知らない話が書いてあった。

 お母さんは、あたしの本当の母親の侍女だったこと。あたしが生まれてすぐに襲撃を受けてあたしとお母さんだけが逃げ延びたこと。

 お母さんは、本当の母親の最期の命令であたしを庶民として育てたこと。

 信じていたものが、足下から崩れていく。

 お母さんがお母さんじゃない? そんなはずないのに!


 “知ったような顔で母親のことを語れるほど、あなたは何を知っていると言うの?”──お嬢様の言葉が頭に浮かんだ。


 カチカチと歯の根が合わないほど震えるけど、手紙の続きを読む。そこには、お母さんが公爵様にあたしを託さなければあたしが生きていけないだろうと考えて、公爵様を訪ねたことが書いてあった。


 「けれど、私は、信念に従って、あなたの母を演じる道を選びました。そこに後悔はありません。

  あなたが自分に誇れる人生を歩むことを心から願っています」


 “母君が君を愛し、必死になって育ててくれたことは、事実だ。誰がなんと言おうと揺らがない”──ヴィヨン様……。

 “何かはわからないけれど、きっとアメリケーヌには見えているんだ”──まさか、お嬢様は知っていた!?


 「あたし……は……」


 「公式には、ブーケ・フォン・ポワゾン様は、生まれて間もなく母君共々暗殺されたことになっており、下手人も捕まっておりません。そこで、あなたが貴族としての礼儀や行動を身に着けられるまで、私の庶子ということにしてお隠ししておりました。

 役目とは言え、父のようにふるまいましたこと、お詫び申し上げます」


 お父様──男爵様が頭を下げる。あたしなんかに、頭を。


 「あた…私の本当のお父様…が、公爵様……」


 「あなたが公爵家に復帰されるのは、学園卒業後の予定となっておりますので、今しばらくは当家の庶子という身分に甘んじていただきたく。

  学園でも、第2王子殿下のほかに知る者はおりませんので、ご注意願います」


 「ヴィヨン様は、ご存じだったんですか!?

  ……ヴィヨン様だけですか?」


 「はい、殿下おひとりだけです。第1王子殿下もご存じありません。

  正式に復帰されるまでは、ブーケ様の安全が最優先されますので。

  当家においても、真実を知るのは私のみ。

  ですので、卒業までは、これまでどおり接させていただきますことお許しください」


 本当にわけがわからない。お母さんもお父様も、あたしの親じゃないなんて、急に言われてもわかんないよ。


 「どうして、今教えてくれたんですか?」


 「学園卒業まで半年を切り、そろそろ心の準備をしていただいた方がよいとの、陛下と公爵殿下のご判断です。理由までは私には。

  真実を知ってなお私を父と呼ぶのは難しいとは存じますが、ご辛抱願います」


 王様や公爵様の命令じゃ、お父様──えっと男爵様? いいや、とりあえずお父様で──逆らえないよね。


 「わかりました、お父様。これからもよろしくお願いします」






 ベッドの中で考えた。ヴィヨン様の言葉、お嬢様の言葉。


 「覚悟それが必要な事態がきっと起こるから」 ──ヴィヨン様の言ったとおりだった。

 お嬢様は知らないって話だったし、あたしに今日話すのを決めたのは王様と公爵様だっていうし。いったいどうなってるの?

 お母さん……お母さんが、ホントのお母さんじゃないなんて。あたしは何を信じて生きればいいの!?

 “それでも歯を食いしばって踏みとどまるのが信念なのではなくて?”

 お母さんに胸を張れるあたしでいること。

 お母さんがあたしを育ててくれた事実は揺らがない。

 あたしはお母さんの娘だ。血の繋がった両親は別にいるかもしれないけど、あたしはお母さんの娘なんだ。それを誇れるあたしになろう。

 なってみせる。


 お嬢様が言ってた“誰かに何か言われたくらいで言葉を失うような無様を晒すな”って、きっとそういうことなんだ。

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