23 悪役令嬢は、ヒロインの母を侮辱する
9月に入り、いよいよ嫌味系イベントのラストを飾る特大のものが来ます。
この2年半、ほとんど毎週のように繰り返してきた嫌味ですが、正式にイベントとしてカウントされているのは、最初と最後の2つだけ。
そう、まだ半年残しているというのに、嫌味系は今回でおしまい。
なぜなら、今回ヴィヨン様の胸で泣いた後、もうブーケは嫌味になど動じなくなるから。
自治会の仕事の算段もこなせるようになって、
ヴィヨン様との絆も、もう揺るぎないものになってきているようです。
私の嫌味も、もうブーケを傷付けるほどの力は持たない。
だからこそ、ゲームでの
その強さの源。
ブーケは、もうじき自分の出生の秘密を知ることになります。ガルーニ男爵の娘ではなく、プロヴァンス・フォン・ポワゾン公爵の娘ブーケ・フォン・ポワゾンであると。
そして、母(だと思っていたクミン)が公爵に預けておいた“真実を告げる手紙”を読むことになります。
懐かしい母の字で、残酷な真実──母と信じていた人がそうではないこと、信念とは、
“母は男爵との愛に生きた”という幻想を砕かれ、父だと思っていたガルーニ男爵も自分を観察していただけと知り、何を信じていいか分からなくなったブーケは、バラ園で、自分が誰かも知らないまま優しくしてくれたヴィヨン様への想いを心の支えに立ち直ります。
一度土台を失い立ち直ったことで、ブーケはどんなことにも揺らがない心の強さと、相手が何者であろうと真正面から相対することのできる盤石な自己とを確立するのです。
だからこそ、今後のブーケにはいかなる言葉の刃も通らず、
今日の私の嫌味は、だからこそ最大級の威力を持つ、
この
公爵邸に賊が押し入った日、それに気付いた
この襲撃は、公爵家の家令見習いの1人が手引きしていたのですが、状況から使用人に敵がいることに気付いていたルージュは、実家から連れてきていた侍女を集め、最も信頼するクミンにブーケを預けて公爵家から逃げるよう、ほかの者にはその時間を稼ぐよう命じました。使用人には敵方の者がいるから一切信用するなと厳命して。
ここからクミンとブーケの逃走劇が始まります。ほかの侍女達は血路を開くべく次々と刺客の前に倒れました。刺客の中には、先ほどの家令見習いもおり、ルージュの言葉が真実であることを示していました。
公爵邸を脱出できた侍女は、クミンのほかは1人だけ。その彼女も深傷を負っていて、助かる見込みは少なかった。だから、彼女は追っ手を引きつけ、クミンを逃がしたのです。
これは、ファンブックに載っていた裏事情であり、本編で語られることはありません。
クミンがブーケを公爵家から隠し続けたのは、ルージュが「政争に巻き込まれないような生き方をさせてあげたい」と言っていたためでもあります。
誰よりもまずルージュに忠誠を捧げていたクミンは、公爵家の意向よりルージュの希望を叶えるべく、市井に暮らすのです。
そして、そうするうちに、ブーケに対して親としての愛情を抱くようになり、役目と想いとの乖離に悩みます。
手紙には書かれていませんが、クミンは母としてブーケを愛してもいました。
クミンは死を悟った後、ポワゾン公爵の乗る馬車を止め、ブーケの生まれの証の品を見せてブーケの生存を伝えます。
それまで信用できないからと一切の接触を持たずにきたのに実に簡単に公爵本人と接触できた、その裏には、ルージュの願いとクミンの愛情があったのです。
これを読んだ後で、本編のクミンの手紙を読むと、そこに籠められた想いの深さがよりわかるようになります。
私は、あの手紙を思い出すたびに涙が出てしまうくらいです。
「私は信念に従って、あなたの母を演じる道を選びました」という一言の裏には、“本当の母になりたい”と願う本心を否定する、侍女としての戒めもあったのです。
ブーケが王妃になることは、クミンやルージュの望むところではないのかもしれません。けれど、私もそこは譲れません。ヴィヨン様の幸せは、ブーケとのハッピーエンドにしかないのですから。私では、幸せにして差し上げられないのですから。
私だって、自分の信念に従って、その道を進むだけです。
おそらく最後になる自治会室に入ります。
そういえば毎回、貴族の令嬢にあるまじきノックなしの突撃でしたね。ちっとも気付きませんでした。
今、ブーケは1年生を1人指導しながら仕事しています。今回は目撃者付きなのです。
1年生の方はモブなので、ゲームでも名前は出ていません。ただ、ブーケのことは先輩として尊重しているようで、関係は悪くありません。元々自治会では、ブーケに悪感情を抱いている者はいませんけれど。
今は、ちょうどブーケが1年生に自分の目指すものを語っているところのようです。
「だから、私も母のように信念に従って生きられる人になりたいと思っているの」
まったく、どこまでも純粋でまっすぐな子ね。
だからこそ、ヴィヨン様をお任せできるのだけれど。
さあ、出番だわ。
「随分と軽々しく“信念”などという言葉を使うこと」
部屋に入りブーケに対峙します。
「あなたの母親って、そんなにできた人だったのかしら?」
「お嬢様!?」
ブーケがすごく驚いています。鳩が豆鉄砲を食ったような顔って、こういうのを言うのでしょうね。突然現れて、ブーケの言葉に応えるかのように話しだす。演出効果は抜群だわ。
これから私は、クミンを侮辱します。大好きなクミンの手紙を武器にして。
左肩がうずきます。できることなら、クミンを貶すようなことは言いたくありません。でも、ここで一度叩き潰さなければ、ブーケは強くなれないのです。
「あなたの母親が何を言ったか知らないけれど、それが嘘でないという保証があるのかしら?
誰も真実を知らないのをいいことに、嘘八百を並べているだけかもしれなくてよ」
「そんな…お母さんは、お父様を心から愛して…」
「お父様、ね。あなたの父親がガルーニ男爵だなんて話も、本当かどうかわかりゃしないわ。
もしかしたら、本当の父親が後で見付かるかもしれないじゃない」
「そんな! どうしてそんなひどいこと…いくらお嬢様でも許せません! 訂正してください!」
あら、いつも言われ放題なのに。さすがに母のことだと反論してくるのね。
「信念に従って生きる、だったかしら? 人の心なんて弱いものよ。どんなに強い決意だって、時間が経てば揺らぐわ。
楽な道が脇にあれば、逃げたくだってなる。あなたの母親がそうでなかったと、どうして言えるの?」
「だって、お母さんは!」
「妻子ある貴族の子を勝手に産んで育てたと? それのどこに誇るべき信念があるのかしら? 良くてせいぜい横恋慕、悪く言ったら泥棒猫ではなくて?」
「それは……でも……」
「あなたの母親も浮かばれないわね。
こんなことを言われたくらいで口籠もるだなんて、お安い信念もあったものだわ。
人の心なんて弱いの。
楽な道に逃げたくなることだってある。すべきこととしていることに齟齬が生じることだってある。
それでも歯を食いしばって踏みとどまるのが信念なのではなくて?
知ったような顔で母親のことを語れるほど、あなたは何を知っていると言うの?」
“あなたの母を演じる道を選びました”という文言が頭をよぎります。
最期まで母として振る舞うこともできたでしょうにそれを諦め、偽りの母として公爵に娘を返す道を選んだクミンの愛。いけない、涙が出そうです。ここで泣いたら、演出が滅茶苦茶になってしまう。
「…信念に従って生きるなんてご大層な夢を語るなら、誰かに何か言われたくらいで言葉を失うような無様を晒すんじゃないわ!」
限界ですね。
私は、言い捨てて、自治会室を後にしました。
数日後、ブーケがヴィヨン様の胸で泣いていたという噂が流れました。
教室に様子を見に行くと、ブーケの前に誰かが立って、何かまくし立てていますが、ブーケは平然としています。
どうやら一皮剥けたようですね。
私の役割も、終点が見えてきたようです。
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