10 悪役令嬢は、王子を名前で呼ぶ

 先日、ヴィヨン様とブーケの過去イベントも終わりました。

 卵については、割れて袋に染みてしまったので、公爵家わがやで使っているものとの差は確認できませんでしたが、大根とキャベツについては確認できました。…キャベツは卵でベトベトになっていて、外側の葉を何枚もむしることになりましたが。

 大根も折れていましたが、断面を切り落とせば大丈夫ですからね。


 厨房というか、料理長の判断としては、特に品質において劣るものではない、ということでした。何か歯にものが挟まったような言い方なので少し食い下がってみましたところ、“品としては同種ではあるが、公爵家で使っているのは、その日採れた中で最上級と判断されたものなので、その分、市井のものは劣っている”ということでした。

 要するに、毎日それなりの数が収穫されるわけなので、全てがベストのタイミングで収穫されるわけではない、と。そして、その中で、ベストなタイミングだと思われるものが、王家や貴族のところに優先的に回される、というわけです。

 なるほど。

 そういう、“いいものは高く売れる市場に流れる”という傾向は、前世でも普通にありましたし、やはり世の摂理なのでしょう。市場原理というんでしたか。


 結局、わたくしが買ってきた大根とキャベツは、使用人の賄いに使われることになりました。ベストでないものを敢えてお父様に食べさせるわけにはいかないということと、そもそも献立は既に決まっていて、材料も仕入れている、ということが理由です。

 初めて自分が買った野菜なので食べてみたいと頼んだところ、それぞれ2口分くらいの量をつまませてくれました。

 私の舌では、あまり違いがわかりませんでした。というより、私達の食事と賄いでは、そもそも調理に掛ける手間暇や使う調味料の質が違いすぎて、素材の味の違いまで気が付かないのです。

 逆に言えば、普段から私達の食事には大変な手間暇を掛け、細心の注意を払ってくれているということです。その点も含めて、料理長には感謝を伝えました。




 街を歩いた翌週、再びお城にヴィヨン様をお訪ねしました。

 もうすっかり、お茶を淹れるのは私の役目になっていて、侍女は、お茶の道具を用意した後は、何も言われなくても下がるようになっています。時には、私の方で茶葉を持ち込んだり、あらかじめ用意してもらう茶葉を指定したりすることさえあります。

 お茶を飲みながら、先日の街歩きの話をしました。


 「ひったくりでしたか、街には、やはりあのような輩が多くいるのでしょうか」


 聞きようによっては、“街の治安が悪いのではないか”と責めているようにもとれますが、やはり、為政者側に立つ身としては、気になるところです。

 ヴィヨン様は気を悪くした様子もなく、


 「後日、警邏の方に確認したけれど、月に数回は起きているようだね。先日は運良く捕らえることができたけれど、大抵は逃げられてしまうらしいよ。防止策と言っても、有効な手があるわけでもないからね」


と仰いました。さすがヴィヨン様、防止策まで含めて検討しておられたのですね。


 「今回は、殿下のお陰で捕まりましたし、お金も持ち主に戻ったのでしょう? 大活躍ですわ」


 ヨイショにならない程度に褒め称えると、ヴィヨン様は


 「アミィを置いていくことになってしまったから、僕としては少々不本意な点も多いけれどね」


と仰いました

 私を置いていったと言っても、どうせ近くに護衛が潜んでいたのですし、危険などありませんもの。…アミィ?


 「あ、あの、殿下。その呼び名は…」


 「ああ、せっかく呼び名を考えたんだし、いちいちアメリケーヌと呼ぶのも長いし。

  アミィも、僕のことはヴィーって呼んでくれたらいい」


 長いって…。確かに長いですけど! だからって、愛称呼びは…いえ、私がアミィと呼ばれるのは一向に構わないというか、むしろ嬉しいですけど!

 私がヴィーなんて呼ぶわけにはいかないじゃないですか。心の中でならともかく。


 「あの…」


 「僕にアミィって呼ばれるのは、嫌かい?」


 ひいぃぃぃぃ…鼻血が! 鼻血、出てませんよね!?

 そんな上目遣いで私を見詰めないでください。萌え死んでしまいます。


 「そのようなことはございませんが、殿下を愛称でお呼びするなど恐れ多いことです」


 アミィ呼びが嫌なのではなく、ヴィー呼びができないのだと言いましたが、


 「アミィは僕の婚約者なのだし、僕がそう呼んでほしいと言っているんだし、問題ないよ。

  この前は、ちゃんと呼んでくれたでしょう?」


 「それは…街中で目立たないように動くために必要だったからです。

  婚姻前に殿下を愛称で呼ぶなど、はしたのうございます」


 「なら、2人きりの時だけでいいよ。

  それなら、咎める者はいない。

  それとも、僕の頼みは聞き入れてもらえないのかな」


 それは反則です~~~~~!

 そんな、私がヴィヨン様のお願いを断れるわけがないじゃないですか。


 「わかりました。けれど、さすがに愛称というわけには…。せめてヴィヨン様、と」


 「じゃあ、今後は、2人きりの時は、そう呼んでね、アミィ」


 「わかりました、ヴィヨン様」




 一体どうしてこんなことになったのでしょう。これでは、仲睦まじい恋人同士のようです。

 ゲームでは、アメリケーヌがヴィヨン様を呼ぶ時は、常に「殿下」でした。愛称で呼ぶことなどなかったはず。

 …ちょっと待ってください。ゲームは、あくまでブーケの主観で描かれる世界でした。

 ヴィヨン様とアメリケーヌが2人きりの時の会話は、画面には出てきません。ブーケの知らないところでは2人は別の呼び方をしていたとしても、あり得ない話ではありませんね。

 とすると、問題はその理由です。

 ヴィヨン様にとってアメリケーヌは、“一緒にいて退屈だけれど、王妃としては申し分ない政略結婚の相手”です。

 最近、ヴィヨン様は、私が困った顔をするとお喜びになる傾向が見受けられます。退屈なりに、からかって楽しむことを覚えられたということですか!

 ヴィヨン様ご自身も完璧な王子を演じているお方ですから、息抜きなさりたいと?

 仕方ありません、そういうことならば、名前呼びいたしましょう!

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