9 悪役令嬢は、お忍びで街を歩く

 わたくし達は10歳になりました。

 ヴィヨン様は相変わらず私をアメリケーヌと呼んでくださいます。

 怪我が跡だけ残して治ったことで、あの優しすぎるほどの態度は鳴りを潜めましたが、疎まれてはいないようです。

 そんなある日、ヴィヨン様から、街での社会見学のお誘いがありました。


 「街に出る…のですか? 私達が?」


 「市井の暮らしというものを一度見ておいた方がいい、という話があってね。

  護衛は、何人か潜ませておくことになるらしいが、基本的には僕達だけで街を見て、買い物をして、という経験をしようという話なんだ」


 「なるほど、経験ですか。承りました」




 ついにやってきました、ブーケの過去イベントです。

 10歳の時、ヴィヨン様とアメリケーヌが社会見学のためにお忍びで街を歩き、その際、ヴィヨン様とブーケが出会うのです。

 これは、たまたま私達の近くでひったくり騒ぎがあり、ヴィヨン様がひったくりを捕まえるというものです。そして、その際、ひったくりに突き飛ばされヴィヨン様にぶつかって転ぶ町娘がブーケなのです。

 ブーケ自身に怪我はありませんが、買い物した食材が地面に叩きつけられ、卵が割れてしまうのです。その卵は、病気で寝込んでいる母のために買ったものでした。

 ブーケにとっては、それだけでもかなりの損害なのですが、それ以上に、卵が売り切れてしまっていて買い直せなかったのがショックでした。

 転んだのはヴィヨン様にぶつかったせいですが、そもそもひったくりがヴィヨン様の前にブーケを突き飛ばしたわけなので、文句も言いにくいのです。結局ブーケはヴィヨン様に食ってかかったのですが、後にそのことを後悔することになるというイベントです。

 ただ、ブーケは、卵が割れたことと文句を言ってしまったことの印象が強く、ヴィヨン様の外見については印象が薄かったので、学園でヴィヨン様に出会っても最初は気が付きません。

 ある程度親しくなって2人で街を歩くイベントで、ヴィヨン様の口から“昔、こんなことがあった”という話が出て、それで気付くのです。

 ヴィヨン様はひったくりを追うことに夢中になってブーケを助け起こさなかったことを詫び、ブーケはヴィヨン様の真摯さに心を打たれる、というイベントの前振りなのです。

 これは、気合いを入れなければいけません!





 「それで、僕達がこのまま街に出たらいかにも上流貴族なので、変装して行くことになる。

  “裕福な商人の子”くらいに見えるのがいいと思うから、貴族らしくない服装にしてもらいたいんだ」


 「承りました。生地は多少上質なものを使ってもいいので町中で目立たぬ服装、ということでございますね」


 「あ、ああ、そうだね。

  意外だな。庶民の服装など嫌がるかと思ったんだけれど」


 私、どれだけ高慢だと思われているのでしょう。


 「庶民の生活を知ることは、殿下の将来にとって良い経験となりましょう。そのためにも、市井に溶け込める服装であることは重要かと存じます。私、理由のある行動を嫌がるほど狭量ではございません」


 私、前世は庶民でございますから。それに、これはヴィヨン様の幸せに繋がる道ですもの。

 せいぜい溶け込みましょう、モブの中に。

 ブーケはこの時アメリケーヌを見てはいないのですから。


 「そう言ってくれるとありがたい。

  ついては、その話し方は当日は抑えてほしい。貴族なのが丸見えだ」


 ああ、なるほど。庶民のしゃべり方にしろということですね。前世は庶民ですから、大得意ですわ。


 「うけ…わかりました。

  どのような話し方をすればよいでしょう」


 あまり砕けすぎてもよくないと思うのですよね。私、前世の地なんか出ようものなら、庶民ぶっちぎりですから。


 「今の感じより、もう少し砕けてもいいかな。変に目立って攫われでもしたら大変だ」


 「そんなこと、あるわけ…ないじゃない。

  …これくらいでしょうか」


 「ああ、いいね、そんな感じだ。

  それと名前なんだけど、名乗るようなことはないだろうし、偽名を考えるんじゃなくて愛称で呼び合うことにしよう。

  君のことは“アミィ”と呼ぶから、僕のことは“ヴィー”と」


 「はい…、えっ!?」


 愛称!? ヴィヨン様をヴィーと呼べと!?

 それは、いいのでしょうか? ゲームではどうだったでしょう。ああ、このイベントの回想シーンでは、アメリケーヌなんて序盤に画面の隅にちょっと映っていて、「ああ、一緒に来てたんだ」くらいのものでした。ヴィヨン様との会話だって、あったかなかったかわからないレベルでしたものね。そうですか、愛称で呼び合うなどという魅惑の展開だったのですか。これは役得です。

 ヴィー、ですか。


 「わかりました、ヴィ…ヴィー…さま…」


 あああ、なんてこと! これは萌えます! 鼻血出てないですか!? 出てませんよね!?


 「“様”なんてつけたら意味がないよ、アミィ」


 アミィ! 気絶していいでしょうか、いいわけないですね、もったいないですわよね!


 「おいおいアミィ、呼ばれたくらいでそれだと、当日困るよ」


 「はい、あの、当日までにはなんとかいたします」


 これは、幸せすぎます! どうやって慣れたらいいのでしょう。心臓が保ちません。


 「今日は、ずっとこの話し方でいよう。

  慣れておかないとね。

  わかった? アミィ」


 ぐっ!

 今日1日、これ…っ!


 「わかり…わかったわ、ヴィー」


 頑張って、私の心臓…。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 なんとかアミィ呼びにも心臓が慣れてくれて、お出かけの日を迎えました。

 ヴィヨン様の、というか、お城の方で用意してくれた地味な馬車で街まで行き、2人で街を散策するのです。

 コリーはついてきてくれていますが、馬車の中で待機、護衛も密偵系だけで、どこにいるのか私達も知らされていません。

 今日の服装は、ヴィヨン様は丸首のTシャツみたいなものと綿のズボンで、市井の男の子がよく着ているものだそうです。生地も普通のものらしいのですが、さすがはヴィヨン様だけあって、そんなものを着ていてもかっこいいです。

 私は、髪が目立つので、編み込んで幅広の帽子の下に隠しています。

 厚手のシンプルなシャツブラウスにキュロット、足にはぽってりとした厚いタイツです。靴は、ズックっぽい布製で、こちらも庶民の出で立ちに近いです。

 本当を言えば、タイツみたいなのは庶民は履かないのですが、貴族の娘は生足を出さないものですし、万が一、足に傷でも付いては…などと心配されてしまいましたので、ダサい厚手のタイツを履くという形で妥協しました。

 ヴィヨン様と違って、私は野暮ったい格好をするときっちり野暮ったくなるようです。やっぱり服装とか髪型というのは、令嬢にとっては重要なのですね。


 今回の目的は、与えられた小遣いの範囲内で買い物をすることです。

 何を買うかは自由にしていいと任されていますので、市井でものの価格を感じることが目的と思われます。──多分、その経験から、普段私達が使っている品々が、いかに高級で高価であるか、私達の生活がいかに恵まれているかを体感しろ、という裏の目的があると思うのですが。

 なにしろ、後で、何をいくらで買ったかを確認するとのことですから。日本と違って、レシートをもらうわけではないので、何をどこでいくらで買ったか、自分で覚えておかなければならないのがなんとも面倒です。




 「それじゃ、行こうか、アミィ」


 「ええ」


 事前練習という名の羞恥プレイのお陰で、アミィと呼ばれることもヴィーとお呼びすることもなんとかできるようになりました。

 ヴィヨン様は、私の右手をつかむと、歩き出しました。

 ダンスの練習に比べれば、手を繋いで歩くことくらいどうということもない、と思っていたのですが──実際、屋敷で練習した時は全く平気だったのですが──街中で、人前で、となると、随分と気恥ずかしいものです。


 さて、と。何から見ていけばいいのでしょう。

 今日はイベントももちろん重要ですが、本来の目的もないがしろにするわけにはいきません。審査員や監視員ではありませんが、影ながら見守ってくれている者達がいるのです。主題を疎かにするわけにはいかないでしょう。

 ヴィヨン様の方では、何か予定を立てているのでしょうか。


 「ヴィー、何から見ましょうか?」


 「とりあえず、歩きながら順に、と思ってる。何があるかを見に来ているわけだしね。

  アミィも、気になるものがあれば遠…言ってほしい」


 ヴィヨン様、「遠慮なく」って言おうとしましたわね。やはり、これまで培ってきた品の良さというものは隠しきれないようです。私も言葉遣いを変えるのに苦労していますし、私達に密偵は無理ですわね。


 「ええ。では、行きましょう」


 心なしか、ヴィヨン様の視線がいつもより柔らかい感じがします。いつもこれくらいなら、私は未来に希望が持てたのでしょうか。





 歩いていると、いわゆる八百屋がありました。


 「ヴィー、少し見たいのですが」


 一言言って、店頭に並んでいる野菜を見てみます。さすが日本準拠のゲームだけあって、前世で見慣れた野菜が多いようですね。

 少し違うのは、並んだ野菜に土が付いていること。

 キャベツは前世では1玉100円~200円くらいだったでしょうか。

 大根は150~250円くらい? そう考えると、おおよその価格帯は同じくらいでしょうか。

 あら?


 「卵…?」


 なんで八百屋に卵が? スーパーならともかく。

 パック売りではなく1個売りなんですね。しかも、1個が前世の1パックより高いなんて。大量生産はされていないということですか。

 でも、私、卵料理とか普通に食べているような気がしますけれど。


 「ああ、お嬢ちゃん、そりゃ卵だから、うっかり触って割らないでおくれよ」


 「卵ってこんなに高いの? キャベツ1個より高いじゃない」


 「そりゃ高いさ、割れ物だからね」


 どうやって持って帰るんでしょう、

 買ってみましょうか。せっかくだし、ゲームでブーケが買ったのと同じにしてみましょう。我が家で使っているものとどれくらい違うかしら。


 「ねえ、そこの大根とキャベツと、あと卵1つ、欲しいんだけど。卵ってどうやって持って帰ればいいの?」


 「お嬢ちゃん、ここらじゃ見ない顔だけど、袋持って来てるかい? ああ、そんな綺麗なのに野菜なんか入れられるわけないだろう。

  袋代は別になるよ。卵は、ほれ、こうやって紙で包んでおくから、ぶつけないように持ってお帰り」


 ああ、なるほど、エコバッグみたいな要領ですね。これは、麻か何かかしら? 目の粗い袋ね。これなら洗えるし、使い回せるというわけなのね。




 「お待たせしました、ヴィー。…どうしました?」


 ヴィヨン様に声を掛けると、目を丸くしてご覧になっていました。


 「ああ、いや、初めてなのに、よく対応できたなと思って」


 ああ、手慣れている風でしたか。自分で買い物なんて、今生では初めてですし、よくわからないのはたしかですが、対応自体は前世とさほど変わりませんからね。


 「よくわかっていないが故の強さです。

  聞けば教えてくれるかと思いまして。

  それにしても、卵というのは高いのですね」


 「アミィ、口調が」


 あ、いけない。




 その後も、いくつか店を見て回りましたが、ヴィヨン様はちっとも買い物をなさりません。

 そのうち、雑貨屋らしき店の前を通ると、中に入りました。

 ついていって見てみると、店内には布や糸など、裁縫用品の店のようです。端布はぎれのようなものも売っています。ああ、リボンも売っていますね。これなんか、レースっぽいです。レースの…切れ端を加工した品でしょうか。なるほど。仕立屋で余ったものを集めてきて、それで何か作るというようなことをしているのですね。

 玉石混淆というか、中には、それなりの質のものもあるようです。値段も、ほかに比べて高かったりしますが。

 庶民のオシャレというのは、こうやっているのですね。ヴィヨン様が買うようなものはないと思いますが…あ、でも。何かお買いのようです。


 「アミィ、ちょっと待って」


 店を出ると、ヴィヨン様に呼ばれました。これは、先ほど買った…リボンですか? レースっぽい。


 「今日1日、着けていてくれ。今日だけだ」


 ヴィヨン様は、私の帽子にリボンを巻いてくださいました。こういうのも、今日の練習のうちですか!?

 今日だけと言わず、今後も着けたいのはやまやまなのですが、公爵令嬢が身に着けられるレベルのものではありませんものね。今日の記念に、宝物にしましょう。

 これなら、多分、修道院にも持って行けるでしょうし。


 「ありがとうございます。大事に取っておきます」





 その後もしばらく歩きましたが、なにしろものを食べるのはNGですから、できることがなくなってきました。

 大根やキャベツって意外と重くて苦労していたら、ヴィヨン様が袋を持ってくださいました。ヴィヨン様は、右手に袋を提げ、左手で私と手を繋いでくださっています。

 あら、買い物袋を提げて手を繋いで歩くなんて、カップルみたいですわね。そんな日が永遠に来ないことはわかっているけれど、一時の夢くらいは見てもいいですよね。

 そんなことを考えながら歩いていたら、左肩にドンと衝撃があって、ヴィヨン様に倒れかかってしまいました。

 後ろから、「泥棒よ! 捕まえて!」という声が聞こえます。イベントが始まったようです。

 私が立ち直ると、ヴィヨン様は「待っててくれ」と言って私に袋を渡して駆け出しました。




 さて、私はどうしましょう。走ってもヴィヨン様には追いつけないでしょうし、ゆっくり歩いて追いかけるとしましょうか。あ、でも、運が良ければ、イベントを見られるかもしれませんね。商人の子という服装ですから、少しくらい走ってもはしたないとは言われないですむかもしれません。

 軽く走って追いかけていくと、道の真ん中で転んでいる少女が目に入りました。

 ピンクの髪…。回想シーンで見たブーケそっくりです。

 残念、イベントは見損ねてしまいました。

 どうしましょう、起こして大丈夫かしら。ゲームでは、ええと、ヴィヨン様がひったくりを組み伏せているところにやってきて、ヴィヨン様が

 「大丈夫だったか?」

と訊くと、濡れた買い物袋を見せて

 「大丈夫に見えるの!?」

と叫んで走り去っていくんでしたね。

 とりあえず助け起こしても問題はなさそうですね。


 「大丈夫? 立てる?」


 声を掛けても、ブーケは反応しません。どうしたんでしょう。


 「どうしたの? どこか怪我してるの?」


 袋を置いて、彼女の肩をつかんで顔を覗き込むと、目に涙を溜めています。まさか、本当に怪我を?


 「どこが痛いの? 大丈夫?」


 「…ちゃった」


 「え?」


 「割れちゃった…」


 ブーケは、よろよろと立ち上がります。そのままフラフラと歩き出したので、私は慌てて袋を2つとも拾って追いかけました。


 「ほら、忘れ物よ」


 袋を渡すと、ブーケは受け取り、「ありがと…」と、そのまま歩いて行ってしまいました。

 このまま進んでいくと、ヴィヨン様がひったくりを捕らえているのですね。そこは、遠目にこっそり見ることにしましょう。ゲームでは、私はその場にいませんからね。

 目立たないよう早足で追いかけると、遠くでひったくりを寝技みたいに組み伏せているヴィヨン様が見えてきました。

 どうやら間に合いましたね。

 物陰に隠れて見守ります。


 ブーケが何か叫んでいます。声が聞こえないのは、残念ですね。

 あら? キョロキョロして、こっちに走ってきて…行ってしまいました。すごい速さです。

 ブーケの家はあっちだったんですか。じゃあ、文句を言うためだけにヴィヨン様を追いかけていたということに…。まあ、値段が高いですし、文句の1つも言いたくなるのは仕方ありませんね。

 さて、ブーケもいなくなったことですし、ヴィヨン様のところに行きましょうか。

 ヴィヨン様は、駆けつけた警邏にひったくりを引き渡しました。

 そろそろ私達の社会見学の時間も終わりが近づきます。

 さて、口調に気を付けて。


 「ヴィー、お疲れ様。怪我とかしてない?」


  「大丈夫。すまない、時間を無駄にしてしまった」


 「無駄だなんてことはありません。とても素晴らしいことだわ」




 またヴィヨン様が袋を持ってくださって手を繋いで馬車に戻り、屋敷で袋を返してもらってお見送りして。

 さて、厨房で、この卵などの質を見てもらいましょうか。

 って、うそ! 卵、私も割っちゃった⁉︎

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