第13話 上司の謝罪


 扉を開けた先にいたのは、きっちりした詰め襟の白衣を着込んだ人物―――まさかのジャンである。


 驚くイサだったが、それよりも彼の顔色を見て「あれ?」と首を傾げる。


 ジャンはなぜか、これから死刑宣告を受ける囚人のような沈んだ顔をしていた。


 その証拠に、いつもならきりっとしている眉尻は少しばかり下がっているし、顔は俯きがちなうえ、視線は不安げに泳いでいる。


 先程会っていた時はこんな状態ではなかったのに、一体どうしたのだろうか。


「ど、どうされたんですか?」


 イサが尋ねると、ジャンは一度ちらりと彼女を見てからまたふいと視線を逸らし、もごもごと唇を動かした。まるで何か言いたいことがあるのに、上手く口にできない……そんな様子だ。


「……入っていいか」


「あ、はい。どうぞ」


 躊躇う素振りを見せたジャンが意を決したようにそう聞いてきたので、イサは戸惑いながらも了承した。


「失礼する」


 通りやすいように扉を大きめに開いて彼を招き入れれば、ジャンが静かに部屋に入ってくる。

 イサが扉を閉めて振り返ると、彼はどこか珍しそうに室内を眺めた。


(あ、不思議がってる)


 じっとテーブルとベッド周りを見つめているジャンの後ろでイサは内心苦笑していた。

 おそらく彼はイサの部屋が「普通」と違うので違和感を感じているのだろう。


(当然かな。誰もこんなことしてる人いないし)


 きっと変なやつだと思われいるんだろうなぁと嘆息しつつ、イサはジャンの反応を待った。


 この部屋に違和感を抱いてもまあ仕方ないことではあるのだ。

 何しろ『日本仕様』になっているからして。


 ここシュトゥールヴァイセン国の建造物は、まあ言えば十九世紀だかその辺り、もしくは年代は不明なものの古い西洋式の造りになっている。


 つまり扉を開ければすぐに部屋、という仕様で、日本のように靴の脱ぎ履きをする玄関のたたきが無いのだ。

 そのため靴を履いたまま入室する形になっていて、まさしく海外仕様、といった感じなのである。


 けれどイサにはそれが過ごしにくく、どうにも我慢ならなかった。

 なので、せめてもの工夫として、ベッドとテーブル周りにはぐるりと絨毯を敷き詰めて裸足で歩けるようにしたのだ。


 外で履いている靴は扉の横に置き、部屋にいる時は今も履いている室内用のスリッパで過ごしている。


「……不思議な配置だな。なぜテーブルやベッド周りにだけ絨毯が敷いてあるんだ?」


 イサに向き直ったジャンが質問を投げてくる。

 妙に表情が真剣なのが気にかかったが、イサは普通に答えることにした。


「私の故郷では家の中で靴を履かないんです。大抵は扉を開けてすぐに靴を脱ぐ場所があって、それから廊下、部屋へと続いているんですよ」


 説明するとジャンはふむ、右手を顎の下に添えて考える仕草をした。それから納得したのか感心したように軽く頷く。


「成る程……攻め入られた時には有利な造りになっているんだな」


「え? あ、ああ。考えたことはなかったですが、確かにそうかもしれませんね」


 攻め入られる、などという言葉が出てくるとはついぞ思わずイサは面食らったが、ジャンらしい意見だと遅れて納得した。それに、言われてみれば確かにそうだなと思う。

 あまり意識したことはなかったけれど、入ってすぐに部屋より廊下などを挟んだ方が侵入者に気付きやすいかもしれない。


 まあ、あの世界でそういう事に遭遇する危険性は低めではあるが。


 案の定、イサの反応で察したのかジャンがぱちりと銀色の瞳を瞬かせた。


「君の世界では、そういった危険は少ないのか?」


「ええと……無いとは言えませんが、比較的少ないですね」


 押し込み強盗的な事件は元の世界でもニュースに上がっていたが、イサ自身は体験したことも無ければ友人知人に経験者も幸いなことにいない。それを話すとジャンはどこか安堵したようにふ、と口元を緩めた。


「そうか。平和な場所だったんだな」


「はい……そうですね」


 平和な場所、と言われてイサはこくりと頷いた。少なくともイサにとってあの世界は平和だったと言えた。全部が全部とは言えないが、食うに困らず、職も有り、家族もいた。

 それを思うとつい帰れない寂しさがこみ上げるような気もして、ほんのり心が切なくなる。


 そんなイサの様子をじっと静かに見守っていたジャンが、ふいと気まずげに視線を床へと逸らした。

 普段ならはっきりとした声音で冷たいとすら思える指示を飛ばす唇が、どこかこわごわと言葉を紡ぎ始める。


「その……イサ・ビルニッツ。いや、イサ・カブラギ、だったな」


「は、はい」


 突然本名で呼ばれて、イサは一瞬反応が遅れた。

 おまけにジャンの表情があまりにも鬼気迫っているというか、変な迫力があって圧倒されてしまう。


 彼は仕事中ならいつも組んでいる腕を左右に下ろし、なぜかぐっと拳を握りしめている。

 まるで緊張しているようだ。イサの思い違いだろうか。


(な、何だろう……? やっぱり気が変わって解雇クビとか? いやでもさっきは大丈夫だって言ってくれたし……)


 本来であれば、上司が部屋に来たのなら椅子を勧めて茶でも用意すべきなのだろうが、やたら圧のあるジャンの気迫と、よもや解雇を言い渡されるのだろうかという恐怖のせいでイサはその場に固まってしまった。


 彼の顔色はお世辞にも良いとは言えず、ついでに言えばイサを呼んだ割には何やら言いづらそうに口を開いたり閉じたりを繰り返している。その様子を見るに、絶対に良い話ではないと思えた。


 先程はこちらの事情を汲んでくれたジャンだったが、後から気が変わったのかもしれない。

 規律に厳しい彼のことだし、他への示しにならないと苦渋の決断でイサの解雇を伝えにきたのだろうか。


 だとしたら、イサは甘んじて受けるしかない、と内心落胆しながら身構えた。


 けれど―――


「部屋まで押しかけてすまない。先ほど君に言うべきだったことを伝えに来た」


「へ?」


「その……すまなかった」


 言うなりジャンはその場でイサに向かってすっと頭を下げた。彼の長い銀髪が床に向かってさらりと流れていく。


 それを、イサは半ば呆然と眺めていた。


(え―――ええええっ!?)


 上司に頭を下げられている、と認識した途端、イサは内心叫びを上げた。

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