小噺 その二十一 大切なもの
――自分でもバカだってわかってる。
はあっと密かにため息をついたら、思いのほか大きくそれは響いたようで、隣にいた幼なじみでこの国の王子であるエルヴァン
「……どうしたの? 何か悩み事?」
お父様の仕事に合わせた月に一度の王都訪問、エルヴァン兄様とはしょっちゅう会えるわけじゃないから今日のこの日を楽しみにしていたのに、少しぼんやりとしてしまったようだ。
いつもとは違う私の様子に、心配そうに私の顔を覗き込んだエルヴァン兄様の横で、お茶を飲んでいたライハルト兄様が面倒くさそうな声をあげる。
「あー、エヴァ。そいつは気にしなくていい。キーナのやつ、十歳にもなって赤ちゃん返りしてんだよ」
「赤ちゃん返り?」
兄様の声に私はカッと頬に熱が集まるのを感じて言い返す。
「赤ちゃん返りなんてしてないわ! 変なことを言わないでよ!」
「赤ちゃん返りと変わんねえだろ? 弟に母上とられて拗ねてんだろ、どうせ」
「……ああ、そう言えば弟君が生まれたんだったよね。おめでとう。今日は母君はこられないんだっけ?」
いつも変わらないエルヴァン兄様の穏やかな声色にホッとしつつ、完全には晴れない顔で私は答えた。
「うん。……本当は今日、お披露目も兼ねて弟と一緒に来るはずだったんだけど……昨日の夜から弟が熱が出ちゃって」
父様のお仕事の報告にはいつも家族で登城していたから、母様がいないのはなんだか落ち着かない。でも、弟のお披露目がなくなったのはちょっとホッとしていた。だって――
「キーナ、弟か妹ができるんだーって、楽しみにしていたじゃないか。何かあったの?」
エルヴァン兄様が優しくたずねてくれる。
兄様と同い年のエルヴァン兄様はこの国の第二王子で、第一王子のシュトラエル様や国王様に似て、いつも穏やかで優しい。
私のお母様がシュトラエル様とご懇意にされていて、お父様も辺境の侯爵家とは言え国王陛下からの信頼が厚い為、私達はアルカーナの中でも北の端っこに住んでいるけれど、月に一度は王都に来るし、年が近い事もあって私達三人は小さな頃から仲良しだ。ちょっと口の悪いライハルト兄様と違ってエルヴァン兄様はいつも優しいから、普段は言えないこともエルヴァン兄様には言えたりするんだけれど……今の心のモヤモヤは、ちょっとエルヴァン兄様にも言いたくない。
「べつに、なんでもないの。弟が生まれたのは嬉しいよ。赤ちゃん、かわいいし」
けれど、私から出た声が、びっくりするくらい感情がこもってなくて、自分が一番びっくりして固まってしまった。
隣でエルヴァン兄様が驚いた顔をしたのが解る。私は急に恥ずかしくなってその場から駆け出した。
「キーナ!」
後ろでエルヴァン兄様の焦った声。でも私はなぜだか解らないモヤモヤと恥ずかしさで、その場にはとてもいられなかった。
エルヴァン兄様が私を呼び止める声は聞こえていたけれど、後ろを振り向かずに一心不乱に走ってお城の薔薇の庭園の奥にある小さな噴水まで来た。
二人の前から逃げ出したって、この薔薇の庭園からはでられないのだから、すぐに見つかってしまうのは解っていたけれど、私いま、きっとひどい顔をしてる。
乱れた息を整えて噴水を覗き込むと、そこに赤い髪、紅い瞳の自分が写っていた。
「……なんで」
じわりと涙が滲む。
弟が生まれてくるのが楽しみだったのは本当だ。
公爵のお祖父様のところには沢山のお子様がいて、お祖父様とお祖母様に赤ちゃんが生まれる度、私も弟妹が欲しくて羨ましかった。
だから私にも弟妹ができるって解った時は飛び跳ねるくらい嬉しかったの。
……だから。
まさか弟が生まれてきて、こんな気持ちになるなんて。私だって思ってもいなかった。
生まれてきた弟は、兄様にそっくりな黒髪に
それまではそんなに気にした事もなかったのに、なんだか急に不安になった。
私の赤い髪の毛はお父様譲りで、私はお父様も大好きだから、お母様が「キーナの髪の毛はお父様に似て本当に綺麗ね」って言って、お母様が金の瞳を細めて笑ってくれるのが好きだった。
だけど、弟が生まれて、前から少し引っかかっていた心のモヤモヤの蓋が一気に開いてしまったの。
家族の中で、私だけが
お父様も、「キーナの目は雪うさぎみたいで可愛いな」なんて言ってくれるけれど、私だけなんで違うのかな? って事は昔から思ってた。
もっと小さな頃に、なんでキーナのお目々は赤いの? って聞いたら、お母様のお父様のお目々が赤いのよって教えてくれたから、私はこの家の子じゃないかもなんて事は思わなかったけれど……。
兄様や弟はお父様にもお母様にも似ているのに……私は大好きなお母様と同じ所がひとつもない事に気がついた。
私も、せめて黒髪ならよかった。お母様と同じ金の瞳ならよかった。
自分でもバカだってわかってはいるけれど。
「キーナ」
ガサリと草を踏む音がして、私を探しに来たのは、兄様でもエルヴァン兄様でもなかった。
立っていたのは、私にそっくりな赤い髪のお父様。
「エルヴァン王子とライハルトが心配していたぞ。……どうした」
いつもだったら素直に「あのね」って言えるのに、お父様の菫色の瞳を見たらなんだか無性に心がざわついて何も言えなくなる。
「……なんでもない」
お父様はなんにも悪くないのに、冷たい態度をとってしまう自分にも泣きたくなってしまう。
絶対に変な態度をとっているってお父様も解っていると思うけれど、お父様は「そうか」と言うと何もたずねてはこなかった。
エルヴァン兄様とはせっかく久しぶりの時間だったのに、なんだか微妙な空気のまま別れてノールフォールのお屋敷に戻る。
お屋敷に戻ったら、弟の熱はまだ下がっていなくて、お母様は弟を部屋で寝かしつけているようだった。
夕食の時間もお母様は弟の看病で戻ってこられなくて、私の顔は不貞腐れたまま。
一言も喋らない私に、遂に兄様がキレた。
「お前、いい加減にしろよ! いつまで拗ねてんだよ!」
なんなんだよ一体!
兄様の大きな声に、一瞬びっくりしたけれど、私だってどうしてこんな気持ちになっているかわからないのだ。目にだんだん涙が溜まってくる。
「……兄様にはわかんないもん」
自分の気持ちが解らないのに何故か私の口からは勝手に言葉が出てくる。
「なんで私だけみんなと違うの? なんで私だけ紅い目なの? みんなおんなじでずるいよ!」
目からぼろりと涙がこぼれ落ちた。
「はぁ? ……だからそれは……お前、ばっかじゃねえの?」
呆れた、と言わんばかりの兄様の顔。
解ってるよ、おかしなことを言ってるって。でも、一度開いた口は止まってくれなかった。
「兄様にはわかんないよっ! 私だけ赤い髪に紅い目で、皆と違うんだもん! わ、私もせめてお母様みたいな金色の瞳だったらよかった! 私も皆と同じがよかったの! こんな見た目、大っきらい!」
喚いて勢いよく立ち上がったらテーブルが揺れてグラスがひっくり返った。
グラスの水は、私の心みたいに流れて落ちる。
今まで黙っていたお父様が、はぁっとため息をついて低い声で言った。
「……二人とも座れ。今はメシの最中だぞ。とりあえずちゃんと食べろ。言いたいことがあるならその後で聞く」
お父様は普段そんなに怒らないけれど、怒らせると凄く怖いから、兄様は黙って席についた。私も無言で腰を下ろす。執事のレンが「大丈夫ですか?」とテーブルを片付けに来てくれたけれど、溢れた涙は止まらなくて、夕食はちっとも味がしなかった。
夕食後、暖炉の前のソファにお父様に呼ばれて「イルは最近休めてないから、なにか言いたいことがあるなら俺が聞くからちゃんと言え」って言われたけれど、別に何か言いたいことがあるわけじゃなかった。
「……」
普段は私はどちらかと言えばお父様っ子で、お父様の後ろをついて回ったりしていたのだけれど、兄弟の中で私だけがお父様みたいに赤毛なのも、逆に菫色の瞳じゃないのも今は受け入れられなくて。
お父様の静かな菫色の視線に、お兄様みたいに「子どもっぽい事を言うな」って言われる気がした私は俯いてしまった。
結局、何にも言えないまま。お父様に「部屋に戻ってろ」と言われた私はお父様の顔が見られないまま部屋に戻った。
鬱々とした気持ちで部屋に戻った私は寝台に突っ伏していた。
侍女のリズが「心が落ち着きますよ」ってカモミールティーを淹れてくれたのに飲む気にならなくて、寝台の横のテーブルからその優しい香りだけが漂っている。
どれくらいそうしていただろう?
コンコン、とドアが鳴って、「キーナ? 入るよ?」とやってきたのは弟の所にいる筈のお母様だった。
いつもは必ず断ってから入るのに、お母様は私がいいよって言う前に部屋に入ってきて寝台に突っ伏している私の横に腰掛ける。
お母様はたまに魔法使いみたいに何もかもわかっているかの様な時がある。今日も私の名を呼ぶ声は、全てわかっているかの様な声色だった。
「キーナ?」
どうしたの?
お母様はそうたずねたけれど、全然答えを急かす口調ではなくて、暖かい手が私の頭を撫でた。
目の奥が熱い。
「……わたし、お母様みたいな金色の目がよかったの。そしたらすぐに、お父様とお母様の娘だってわかるでしょ」
私、この紅い目が嫌なの。
そう言うと、母様は目を瞬いて驚いた顔をした。
「……キーナは、金色の目がよかったの?」
心底驚いて、目をパチパチとさせる。
そしてお母様はとっても優しい顔で笑った。
「……私はね、小さい頃、ずっとこの目が嫌だったんだよ? 夜眠って起きたら、キーナ見たいな綺麗な紅い目になってないだろうかって毎晩思ってた」
今度は私がびっくりしてお母様の顔を見た。
「母様のね、父様も兄様も村の人達もみーんな紅い目だったんだ」
母様は懐かしむように言った。
「母様だけがね、金色の目だったの。
子どもの時はね、キーナみたいにこの色が嫌だった。なんで私も皆と同じじゃないのーって」
だからね、キーナの気持ちはわかるよ。
そう言って母様はぎゅっと私を抱きしめてくれる。
「……母様の父様や兄様や……村の人達はね、昔みーんな殺されちゃって、母様はひとりぼっちになっちゃった。でもね、キーナの父様やレン達がいてくれたからここまでこられたんだよ」
お母様の一族の里がこの森にあって、昔皆死んでしまった事はレンに聞いて知っていた。そこでお父様と出会ったことも。
お母様はいつもニコニコしていて元気だから、自分の目が嫌だったなんて思いもしなかった。
お母様は私と目を合わせると、私のおでこと自分のおでこをコツンと合わせた。
「……キーナが生まれた時ね、貴女の瞳が紅いのを見て、ああ、私の父様や兄様はちゃんとここに生きてた、ちゃんと繋がってたって思ったのよ」
貴女が繋げてくれたと思ったの、とお母様は微笑んだ。
「お母様の大好きな父様と同じ赤い髪の毛と、紅の民の証の紅い瞳の貴女が愛しくて嬉しくて、お父様と大喜びして、貴女に『
貴女の見た目にはちゃんと意味があるんだよ。
でもね、一番大事なことは貴女がどう思うかって事だよね。
母様はそう言って頭を撫でてくれたけれど、私ときたら、もう涙が溢れて前が見えなくなっていた。
「人と違うって苦しいよね。怖かったよね。
……不安な時は聞いていいんだよ。どうして? ってね。大丈夫、母様も父様もライも、どんな見た目でもキーナが大好きだよ」
弟も、きっと貴女が大好きになるから、可愛がってあげてねと笑う母様を見て、私はもうただただわんわん泣いて、馬鹿みたいにごめんなさいしか言えなかった。
母様はいつもの様に笑ってそこにいて、小さな頃みたいにいつまでもぎゅっと私を抱きしめてくれた。
つぎに気がついた時にはもう朝日が昇っていて、朝ごはんを食べに居間に降りたら階段で兄様に出くわして「バーカ」って言われたけれど、不思議と昨日ほど腹はたたなかった。
弟の熱はすっかり下がって、居間に行ったら母様が「おはよう。よく眠れた?」と優しく笑ってくれた。弟はゆりかごに揺られてウトウトしている。
昨日はあんなに弟の顔を見たくないと思ったのに、今朝は可愛いと思えるから不思議だ。
柔らかくて丸いほっぺを人差し指で軽く突くと、弟は菫色の瞳を私に向けてふにゃっと笑った。
その顔を見たらまだ弟が母様のお腹の中にいた頃みたいに、一気にこれから色々してあげたい事が思い浮かんで胸がドキドキしてきた。
私ってなんて単純なんだろう。そう思っていたら体が急にふわっと中に浮いて、気がついたら私はお父様の腕の中だった。
「……キーナは、俺と同じ髪色は嫌なのか」
後ろで母様が小さく吹き出しているのが聞こえて、一瞬そちらに気がいったけれど、少し不満そうな菫色の瞳のお父様と目があって、私は慌てて否定した。
「うううん! 私、ちっとも嫌じゃないわ! だってお母様が大好きなお父様の髪色だもの! 私もお父様が大好きよ!」
叫んでお父様にぎゅっとしがみつくと、ぽんぽん、と背中を優しく叩かれた。
「さあ、朝ごはんにいたしましょうか」
執事のレンが椅子をひいて待っていてくれる。
いつもと同じで、でも昨日とは違う今日の始まりだった。
2024.7.15 了
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❖あとがき❖
またまた突然降ってきた小噺です(^_^;)
小噺十八から十二年後の世界線。
子ども達のイメージは、これを書くまで全くなかったのですが、イラストを描いたり小噺十八を書いた事により少しずつイメージが固まってきました。
第二王子のエルヴァンの名前がなかなか決まらず困りましたが(汗)
キーナちゃんは日本語の『絆』から。裏話をすると、本当はガヴィの妹の名前でした。
あとは一人称で一度書いてみたかったんですよね。上手く一人称の良さが出ているかは謎ですが(;´∀`)
小噺十八で、「ガヴィとイル側の風景も見たかった〜!」とのお声も聞きましたので、レイ侯爵家のその後の家族風景を少しお見せできたのではないでしょうか。
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☆ここまで読んでくださって有り難うございます!♡や感想等お聞かせ願えると大変喜びます!☆
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