小噺 其の十三 ラブストーリーは突然に
いつもとは違う小鳥のさえずりで目が覚めた。
普段から侍女が起こしに来る前にはいつも目が覚めているが、今日は場所が違うせいだろうか? いつもの時間よりも早く目が覚めてしまった。けれども不快感はなく、すっきりと目が覚める。寝台から起きてわずかに窓を開けると少しひんやりとした空気と王都とは違う濃い緑の香りがした。
ここはアルカーナ王国最北の地、ノールフォール森林。
友人である赤毛の侯爵ことガヴィ・レイがイルと共にこちらに居を移し、この度めでたく新居が完成したのでお祝いに銀の髪の公爵、ゼファーは昨日から新侯爵邸にお邪魔していた。
案の定、階段を降りたところで既にせわしなく動いているレンに出くわす。
「これは公爵様! ……おはようございます。申し訳ございません、伺うのが遅くなりました」
申し訳ない様子で頭を下げる彼に苦笑する。
「いいや、気にしないでくれ。少し早く目が覚めてしまったんだ。水を一杯もらえるかい?」
レンはすぐに用意します、居間でお待ち下さい。と炊事場に向かい、程なくして冷えたレモン水を持ってきてくれた。
昨日はガヴィとイルと三人で夜遅くまでよく呑んで語らい、楽しい時間を過ごした。イルはいつも早起きらしいが、流石に夜遅かった所為か今日はまだ起きていないらしい。
ゼファーはレンに断って、居間のテラスからまだ少しひんやりとする庭に出た。
ノールフォールに新しく建てられたレイ侯爵邸は、王都の郊外にあったガヴィの屋敷と似たような雰囲気の作りになっていた。
前の屋敷よりかは広いが、こじんまりとして落ち着いた屋敷の周りをぐるりとアイアンの塀と生け垣に囲まれている。
庭はゼファーの屋敷のように整っているというよりも、薔薇やハーブ、野草の類が自然に植えられていてまるで森の中の一部のような印象だ。
前の屋敷の時から、あのガヴィからは想像のできない雰囲気の庭だなと思ったものだけれど、色々と彼を知ってから再び見るとすっかり彼らしいと思えるから不思議だ。
風に揺れている赤いアネモネが、なんだかガヴィの赤い髪の毛を彷彿とさせてゼファーはくすりと笑った。
「――なんだ、そなたか」
急にかけられた声に振り向くと、そこには見事な黒髪を片側に流した妖艶な美女――この森の精獣
「……これは黄昏殿、ご無沙汰しております」
彼女に会うのは王都郊外のガヴィの屋敷で顔を合わせて以来だ。
彼女、黄昏はイルの母親であり、この森に住まう黒狼の姿をした精獣でもある。精霊の類は世の中にごまんといるが、彼女のように力の強い精霊はあまりお目にかかれない。彼女はその力の強さから、もう五百年は生きている。
前回ガヴィの屋敷で顔を合わせた時に微妙な会話の流れになってしまったため、些か居心地が悪かったが、相変わらず人の形を取った黄昏が美しい事に変わりはなかった。
正に、森の女王といった佇まいだ。
「……イルはまだ寝ておるのか。珍しく朝に顔を見せなんだからな。いつもと違う気配がするとこの姿で来てみたのだが……久しいの」
まあ私にとっては瞬きのようなものだが。と薄く笑う。
「再びお目にかかれて光栄です。無事、御息女の引っ越しが終わりましておめでとうございます。……彼女の顔がなかなか見られなくなって、私は少々寂しいですが」
少し芝居がかった仕草でにニコリと笑うと黄昏はフンと鼻を鳴らした。
「娘が還ってきたことは喜ばしいが、余計な男が着いてきたからかなわんな。そなた、あの男を連れて帰ってもよいのだぞ」
きれいな顔にシワを寄せて苦々しげに言う黄昏に笑ってしまう。
ゼファーは改めて朝の庭の空気を吸うと息を吐いた。ここは本当に気持ちがいい。
「……私は生まれも育ちも王都ですが、ここはびっくりするくらいに息がしやすい。遥か昔の……アルフォンス国王の血が私にも流れているせいでしょうか」
そう言って笑うゼファーの横顔に、黄昏は昔最愛の少女の隣に立っていた少年の面影を探して見るがあまり記憶は重ならなかった。確かに同じ血が幾分か流れているのだろうが、五百年も経てばもうそれも別のものと言っても過言ではない。あの少女を守れなかったアルフォンス少年とガヴィにイライラとしていたが、同じ血を継ぐこの銀の髪の青年には不思議とそんな気持ちは起こらなかった。
「……そなたはまだ、少々人生がつまらなさそうな顔をしておるな」
黄昏にそう言われてゼファーはパチパチと目を
「……つまらない、わけではないですが……。先ほども言いましたように、少々寂しい、ですかね」
出会った時から、どちらかと言えばガヴィの方が人を寄せ付けない空気があった。
彼は口は悪いけれど、別に無愛想ではないし、なんなら年下ぶって笑って誤魔化すことも調子の良いことを言ったりすることもあった。でも、今思えば、過去への後ろめたさからかカラッとした性格の後ろに隠れた影のようなものはあったように思う。
けれど、イルと出会ってからは彼に感じていた仄暗さは消えたように思った。ノールフォールに移ってからは特に。
心の支えを得ると、人は強くなるのだと、些か角の取れた年下の友人を見て昨日の夜はそう感じた。そして羨ましいと同時に、取り残されてしまったような僅かな寂しさ。
ぽつりと本音が漏れた。
「このようなことを言ってはなんですが……私の見た目は整っているじゃないですか」
唐突に、なんでもない事のようにとんでもない事を言ったが、まあ言っていることは
「……この世に生まれ落ちた時から容姿について褒められることしかないとですね、世の中の何が美しいのか、良く分からなくなってくるのですよ」
実際、誰よりもゼファーは美しかった。普通は自分が美しくとも誰々も美しいと思えるものだが、彼は飛び抜けて美しかったので比べる相手がいなかった。
比べるとしたら、自分が一番で他はそれ以下だ。
「皆が褒めるので、ああ、自分は整っているんだなとは思うのですが、だからといって『自分は誰よりも美しいから嬉しい』なんて気持ちにはなれませんでした。大人も子どもも、皆薄ら笑いで近寄ってくるし、――正直、気持ちが悪かった。
周りの人たちのように、周りに溶け込んで混ざれないというのは、自分の方が異質なものに思えて苦痛でした」
自分の意志などお構いなしに、地位や見た目を求めて群がってくる他人は恐怖でしか無かったし、守ってくれない親も信頼はできなかった。
自分の居場所が欲しくて、他人の思惑にのまれぬように、見た目でなく心を見抜くすべを必死に身につけた。血のつながった
「……自分の見た目が嫌いでした。でも、自分の見た目はともかく、エヴァンクールの……友の心根は美しいと思えたし、姿形ではない美しさが世にはあると知れたことは救いでした。ガヴィも、面と向かって私に『お前の顔が嫌いだ』と言うのです。全く持って同感でしたし、イルや彼の言葉には嘘がない」
そう言って銀の髪の美丈夫は多くの人が見たらため息が出るような顔で自虐的に微笑んだ。
「……ゼファーと言ったか」
今まで黙っていた黄昏に、不意に名を呼ばれドキリとした。
他人には感じたことの無い、その美しいと思えるかんばせでゼファーを見つめる。
彼女は人ではないけれど。
「……美しさと言うものは、内面から滲み出るものだ。そなたが
どんなに
――そなたは、真に美しく見えるがな」
そう言って細められた金の瞳に、ゼファーは突然くらりと目眩がした。
まるで何かの
ゼファーは震える手を口にあてると、息を深く吐いてなんとか呼吸を整えた。
なんだ、これは。
こんな感情は感じたことが無い。
感動? 喜び? ……全部正解で、全部が当てはまらない。
ああ、そう言えばイルがいつか言っていた。
恋はするものじゃない、落ちるものだと。
(なるほど、これは確かに落ち方が凄い。とてもじゃないが浮上できる気がしない)
「……黄昏殿。私はどうやら貴女に本気なようです」
ゼファーは熱に浮かされたように呆然と呟いた。
緑に縁取られ、木々の間から光が溢れるレイ侯爵家の秘密の花園。
そこに佇む黒髪の美女と銀の髪の美丈夫の二人はまるでお伽噺から抜け出てきたかの様であった。
だがしかし、間違いなくアルカーナ王国で一番の美貌の公爵の突然の告白に、黄昏は珍しく「は?」とその秀麗な眉を寄せ、ただただ困惑した。
ゼファーは、その歪んだ黄昏の顔さえも美しいと思えたので、黄昏の言ったように美しさとは見た目だけではないのだと確信した。
そして、彼女が気に入ってくれるなら精獣ですら美しいと思えるこの顔で良かったと、生まれて初めて思えたのだった。
2024.5.23 了
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❖あとがき❖
この二人の関係は私の脳内では色々考えているのですが、明確には文章にまとまらなくて、まあメインはイルとガヴィだからいいかなんて思っていたのですが……降りてくる時は急に降りてくる(笑)
突然頭の中でストーリーが展開されたので書き起こしました(^_^;)
このあと、恋愛とか全く興味のなかったゼファー様が猛アタックします(笑)
最終的には絆される予定(笑)
どこかで書いたかもしれませんが、きっとメインキャラクターの中で一番長生きするのはこの銀の髪の公爵様です。
結婚もせずに早く死んでもいいわってきっと思ってたはずなのですが。生きる理由や目的が出来ると人は変わりますね。
ちなみにこれを書き上げたその日に三十年ぶりくらいにカラオケで小田和正さんの『ラブストーリーは突然に』を歌ってきました(笑)
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