【カクヨム1周年記念】 道を探して㊤





 どれだけ歩いたかもう解らない。森に足を踏み入れた時はもっと日がさしていた。


 けれども、今は昼間だと言うのに自分の赤茶けた髪色が黒髪に見えるくらいには周りは薄暗く、どこを見渡しても同じ様な木々ばかりで少年は一人で途方に暮れた。


「ど、どうしよう……」


 朝まではいつもと同じ毎日の繰り返しだったはずだ。


 家の手伝いを終え、村の手習い所に行く。痩せっぽっちで気の弱い少年は別にいじめられているわけではなかったけれど、他の子とは少し違う赤茶けた髪色と、おどおどとした態度にからかいの対象になる事は度々あった。


 今日も手習いの帰りに村の子ども達と森へ肝試しに行こうと言う話になり、「どうせエイルは行けやしないけどな」と皆にはやし立てられた。


 いつもと違った事と言えば、今朝は母親に叱られてむしゃくしゃしていたから、仲間の少し小馬鹿にした言い方に、普段なら笑って流すところを「できるし!」と噛みついた事だっただろう。


 いつも反抗してこない少年――エイルが言い返した事で、ではやってみせろという事になり、森に入るだけでは面白くないと、誰かが「滅ぼされたくれないの里の跡地がどうなっているか見てこいよ」と言い出した。




 紅の里とは、エイルの住む村の直ぐ側にある森の奥にあったくれないたみが住む村だ。


 なんでも遥か昔、創世記に出てくる英雄の一人の出身村で魔力の強い一族だったらしい。

 らしい……と言うのは、今ではそんな魔法が使える人もいなかったようだし、血を引く村人達が皆あかい瞳だということくらいしか昔の名残はなかったようだ。


 ただ、この間までこの辺一体を治めていたフォルクス伯爵が、理由は知らないが紅の里を滅ぼしてしまった。

 森が燃えて、夜まで煌々こうこうと赤く染まり怖かったのをエイルも覚えている。


 フォルクス伯爵はなにか良からぬ事をしていたようで、最近伯爵から中央から来た侯爵様に領主が変わった。


 あの事件の後から、度々森で不思議な生き物を見るようになったり、植物が急成長したりと森でちょっとした怪奇現象が起きるようになり、皆殺された紅の民のたたりだなんて噂しているのだ。

 紅の里までは一応道がついていて、エイルももっと小さな頃に一度だけ親といったことがある。


 だからなんとかなると思っていたのだが……


 道の脇から飛び出してきた鹿に驚いて、闇雲に走ったのがよくなかったらしい。

 気がついたらエイルは道から外れていて、もと来た位置に戻ろうと歩みを進めたら、もっと森の奥に迷い込んでしまったらしかった。


 ここ、ノールフォールの森は広大だ。


 道なりに進んでいれば問題ないだろうが、森の奥深くに入り込んでしまえば帰れる保証はない。


 オォーン、と遠くで狼の遠吠えが聞こえて、エイルは肩をビクリとさせた。


 歩き続けた足はだんだんジンと傷んで来て、周りから聞こえる葉音や獣声に足がすくんで動けそうにない。


 じわりとエイルの目に涙が浮かんだその時――


「――こんなところで何してる」


 突然背後から声をかけられて、エイルは飛び上がりそうになった。

 恐る恐る振り返ると、そこには暗い森の中でも燃えるように赤い髪をした青年が立っていた。





(この人、気配がしなかった)


 獣の鳴き声や気配はしたのに、今の今まで赤毛の青年が近づいてきていたことに気がつかなかった。


(まさか……紅の民の幽霊!?)


 びくびくしながら青年の足元を見るが、ちゃんと足はある。

 それに、髪の毛は赤色だけれど目の色は紅の民特有の紅い瞳ではなかった。


「もう一度聞く、ここで何をしている」


 先程よりも少し強い口調で問われてエイルはハッとした。よく見ると彼は腰に立派な剣をさしている。幽霊に出会ってしまったと思った時とは違う恐怖が襲いかかって来た。


「あ……その、えっと……」


 もし、なにかおかしな事を口走ったら切られてしまうのではないかと思うと上手く口が動かない。


「み、道に……まよっ……迷って……」


 エイルはなんとか震える口で絞り出した。


 赤毛の剣士はずいっと一歩エイルに近づくと、はぁっと盛大なため息をついた。


「……俺は迷子係じゃねぇんだけどな……」


 青年は小さく呟くとそのままガリガリと自分の頭を掻いて少しかがむとエイルと目線を合わせる。


「お前、名前は?」


 赤毛の剣士は先程までの険呑な空気を納めると、少し柔らかい口調でエイルに尋ねた。


「……エイル。ユイム村のエイル」


 その腰にさした剣で切られる様ではないと感じたエイルはほっとして、やっと赤毛の剣士の顔を見た。

 髪の毛がまるで燃えているようで大きくて怖いと思っていた剣士は意外と若く、エイルの父よりも年若い。けれど精悍せいかんひょうのような雰囲気はエイルの知っている村の若者とは全然違った。


「……親は?」


 続けて問われてエイルは増々気まずそうにする。


「……お、親はここに居ることは知らない。と、友だちと肝試し、しようって話になって……」


 元々大きくはない身体をもっと縮こませて答える。案の定、赤毛の剣士は「はぁ?!」と眉を寄せた。


「あのな……。大人と道沿いに進めば特に問題はないが、一歩脇を外れりゃただの原生林だぞ。死にたいのか」


 最もすぎる指摘に何も言えずにうつむく。

 赤毛の剣士は再びため息をついた。


「ユイム村……森の脇にある村だな……。送ってやるからついて来い」


 そう言ってきびすを返した赤毛の剣士にほっとしたけれど、同時になんで森に入ったのかを思い出して思わず青年の袖を掴む。


「……っ! まだっ! 帰れない!!」


 弱虫のくせに強がって、自分としては大それたことをした自覚はある。

 けれどこのまま帰ったら、迷ってこの青年に保護されただけの格好悪い自分に逆戻りだ。


 せめて、紅の里に行ったという事実だけでも欲しい。


 青年が、エイルをいさめるために息を吸ったのがわかった。怒号が飛ぶと思ってエイルはぎゅっと目を閉じる。


 ――しかし、怒鳴られると思ったのに声は飛んでこず、エイルはそおっと目を開けると赤毛の剣士は一旦吸った息をはぁぁ~っと盛大なため息に変えて肩を落とした。


「餓鬼ってやつはどいつもこいつも……馬鹿ばっかりだな……。お前、何処に行くつもりだったんだ」


 呆れながらも意外にも行き先を聞かれてポカンとする。エイルはおずおずと答えた。


「えっ……あ、あの、紅の里に……」


 そういった途端赤毛の剣士は眉を寄せる。


「あの……なぁ。お前はあそこがどういう場所かわかってて言ってんのか? 沢山の人が亡くなった場所だぞ」


 その声に、微かに侮蔑ぶべつの音が混じっていて、自分達の軽率な行動と不謹慎さを青年に指摘されたエイルはぐっと詰まる。

 けれど、エイルもあとに引けなかった。


「わ、かってるけど……! で、でも……オレ、いつも皆に馬鹿にされてて、行くって言わないともっと格好悪いと思って……ここで、勇気出さなきゃって……!」


 薄っすらと目に涙をためて声を絞り出したエイルに、青年は「……勇気はそこで出すもんじゃねぇだろ」と突っ込んだ。


 正論をはっきりと言われて涙が滲む。


「わか……てるけどっ……! オレ、こんなに痩せっぽっちだし、何をするにも、こ、怖がりで……みんなに笑われてて……本当は、強くなりたいって、自分でも思ってるけど……なかなか勇気が出なくて」


 情けなくて涙が溢れた。

 変わりたいと、自分だって思ってる。でも中々それを実行できない自分に一番腹が立っていた。

 エイルの家は父が出稼ぎに出ていて、普段は母と二人きりだ。男手はエイルだけだから、本当はもっとしっかりしないといけないのに。


 溢れた涙をエイルはゴシゴシと乱暴に袖口で拭った。


「わ、笑うなよ!」

「……笑わねぇよ」


 強がって怒鳴るように言ったエイルに、赤毛の剣士は意外にも静かに言った。


「……怖いって思うことは、別におかしな事じゃねぇよ。人間、知らないことは怖いと思うのが普通だろ。……大事なのは、これからお前がどうなりたいかってことだ」


 赤毛の剣士の言葉に顔を上げる。


「……どうなりたいか?」


 赤毛の剣士は最初怖いと思っていたことが嘘みたいに優しく笑った。


「そう。暗いところも一人で行けるようになりたいとか、すぐに泣かないとか、強くなりたい、とかな」


 なりたい自分を思い描いて、一つずつやっていくしかない。


 想像以上に地味な答えに、エイルはちょっぴりがっかりした。


「……そんなの、出来たら今までだって苦労してないし。思ったって叶うかわかんないじゃないか」


 エイルの言葉に、赤毛の剣士は片眉を上げるとエイルの髪の毛を乱暴に混ぜっ返した。


「なにすんの!?」


 青年は「思いもしなきゃ叶うもんも叶わねぇよ。苦労せずに手に入るモンに価値がつくと思うか? そんなもんは偽物だ」と言って、


「お前にやる気があればなれるさ。俺だってだから」


 とにやりと笑った。


「え?」どういう意味? と尋ねようと思ったエイルに、赤毛の剣士は「あーあ!」と言うと、


「……しゃーねぇな。ちょうど俺の目的地もそこなんだ。連れてってやるから着いたら家に帰るんだぞ」


 とエイルの背中を叩いた。


 木々の間からこぼれた光に一瞬照らされて見えた青年の瞳は、エイルの瞳よりも深い菫色だった。



【つづく】


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